8月:みのりと一孝
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食後のひととき、私は今日も今日とてコーヒーを淹れていた。
リビングでは輝美さんとみのりちゃんがドラマを観ていて、春美ちゃんはアルバイト、みどりちゃんは部屋に引っ込んだみたいだった。
ダイニングテーブルの上座に目をやると、やはりというべきか、そこにはいつも通り参考書を開く一孝の姿があった。彼は本当に毎日、そこで勉強をしている。女ばかりの環境で、思春期の男子がよくこれほどまでに勉学に集中できるものだ。申し訳ないけど、はっきり言ってちょっと異常だと思う。
「そんなところで勉強しててうるさくない?」
一度聞いたことがある。
すると一孝はゆっくりノートから目を離し「ははは」と自嘲気味に笑った。とても穏やかな、老人のような笑みだった。
「騒がしい環境で育ったからね、静かだとかえって落ち着かないんだよ」
「そうゆうもの?」
「うん、そうゆうもの」
懐かしそうに言った横顔は、何者も傷つけない聖者のようだった。
みのりちゃんと一孝の入居に、輝美さんは最後まで悩んでいた。
いきなり里子の数が倍になること、女所帯に思春期の男子を入れること、そして私がいること。特に、私と年頃の男の子を同居させていいものか、輝美さんは神経質になっていた。
彼らがはじめて河野家に来て面談する前夜、輝美さんは私の部屋まで来て胸の内を明かした。
なんでも、ある児童養護施設が万年店員オーバーで、その中でも手のかからない年長者二人を里子に取ってくれないかと持ちかけられたらしい。輝美さんは当初、女子一人ならと返事をした。草太さんのことはさておいて、女子だけのほうがトラブルも起きづらい。ところがその女子『葉月みのり』はそれを拒否した。もう一人の男子『一ノ瀬一孝』と一緒でなければ里子にならないと譲らないんだという。
「どうして? 二人デキてるとか?」
私はたずねた。そうだったら嫌だな、と思った。憩いの我が家に恋愛ごとは持ち込んでほしくない。だって恋愛リアリティーショーじゃないんだから。
怪しいものだが、職員さんが言うには二人はそうゆう関係ではないという。小さいころからずっと一緒にいた姉弟みたいな関係で、一人では嫌だという理由も、男の子のほうに落ち着いた環境で勉強をさせてやりたいからだとか。なんでもその男の子は、将来大学に行くために特待生になりたいらしく、ものすごく勉強を頑張っているとのこと。
「それは健全だね」
私は言った。
「いいよ、会わせてよ。連れてくるんでしょ?」
話を聞いている限り、輝美さんの印象も悪くないし、私がべつに男嫌いとか男性恐怖症の類はないのは、草太さんとの生活で立証済みだ。
「でも、いいのか? 男だぞ」
輝美さんはやっぱりそこが引っ掛かるみたいだった。
「べつに大丈夫だよ。草太さんとも普通に暮らしてたでしょ」
「でも、お前、相手は思春期だし」
それに、と輝美さんはまだなにか言いたそうだった。
「それに、なに?」
輝美さんは言った。
「お前は美人だろ?」
リビングで待機していると輝美さんからLINEが来た。
『降りてきてください』
『あい』
私は階段をなんとなく足音を立てずに降りて、勝手口ののれんから喫茶店の店内を覗いた。ちなみに春美ちゃんはアルバイトで不在だ。もっとも春美ちゃんは誰が来たって文句なんて言わないだろうけど。
入り口近くのよく日の当たるテーブル席に輝美さんと、おそらく施設の人と、二人の若い男女が座っていた。私から見て手前側が男の子で奥が女の子。テーブルはこちら側から見て少し斜めを向いていたので、二人の顔がよく見えた。
男の子は制服と思われる白いワイシャツを着ていて、細身で骨ばった印象を受けた。一見すると眠たそうにも見える穏やかな表情で、薄い唇にコーヒーカップを運ぶ仕草が上品だった。
女の子も制服だった。広がったブラウスの裾から、触れたら折れそうなくらい細い腕が伸びていて、なまめかしかった。色白で頬がほんのり赤く、一見病的な印象を受けるが、大きな身振りで溌剌と話す明るさが、それを感じさせなかった。
私は双子を見た気分だった。細身な以外、見た目もぜんぜん似てない男女なのに、座っている二人を取り巻く空気感が、まるで一つの塊みたいに見えた。同じものを食べて、同じ体験をして育つとこんな風になるのだろうか。並んでいると、どこか郷愁を感じさせる二人だった。
すると、女の子が私に気付いた。
彼女は頬をたっぷり上げて微笑むと、私に向かって手招きをした。
その仕草で他の三人も私に気付いたので、私はのれんに巻きつくのをやめ、勝手口から彼らの元へと歩み寄った。
「んーあれだ、とりあえず三人で話してみるか?」
さっそく輝美さんが言った。
え、いくらなんでも雑過ぎない?
すると輝美さんは本当に席を立って、施設の人とべつの席に移動してしまった。
どうしたものかと悩む間もなく
「三つ編みかわいいね」
と女の子のほうが声をかけてきた。
「春美ちゃん……同居人がやりたがるんです。いまはいませんけど」
私は輝美さんが座っていた席、男の子の正面に座った。
「そうなんだ。あなたがいぶきちゃんでしょ? 輝美さんから聞いてるよ。私はみのり、こっちは一孝。私のことはみのりちゃんって呼んで、はい、みのりちゃん」
「みのりちゃん」
「よくできました。こっちは一孝でいいよ」
それは流石にと戸惑っていると
「本当に一孝でいいよ。そう呼ばれるほうが慣れてるから」
「じゃ、じゃあ、一孝。私もいぶきでいいです」
そのほうがいい。お父さんも草太さんも呼び捨てだし、男の人からちゃん付けで呼ばれるのはむず痒い。
「わかった。よろしく、いぶき」
「よろしくね、いぶきちゃん」
みのりちゃんの明るさと、一孝の落ち着きは、好印象だった。まだ第一印象でしかないけど、この二人とならやっていけそうな予感がした。
「どっちも春から高校生だよ。いぶきちゃんは?」
「いま中一です」
「そっかー。でも大人っぽいって言われない? 絶対私より年上に見られるよ」
「ほら、あんまりまくしたてるなよ」
一孝が口を開いた。我が子をたしなめるみたいな穏やかな口調だった。
「うるさくしてごめんね」
一孝は私を見て軽く微笑んだ。植物に謝られた気分だった。
「黙ってるよりいいでしょ」
「時と場合によるだろ」
「いまはその時だよ」
二人が仲良く言い合っているのを眺めていると、みのりちゃんは言った。
「いま女の子しかいないって聞いたけど、こいつは無害だから安心して。放っておけば勉強ばかりしてるから、置物だとでも思ってくれていいよ。でもちゃんとお手伝いもさせるから」
「施設にいるって聞いたんですけど、お二人はもう施設を出てここに住むつもりなんですか?」
私はたずねた。二人の言動はもう、ここに住むと決めた人のそれだった。慣れしんだ場所を離れる、あの身の引き裂かれる感覚を、私は思い出していた。
「私? 私たちは大丈夫だよ。むしろ清々するくらい」
みのりちゃんが言って
「そうだね。話を聞いている限りだとすごくいい環境だと思うよ。みのりが出て行ったら子供たちが泣かないか心配だけど」
一孝が言った。
「いぶきちゃんはどう? 今の生活、楽しい?」
みのりちゃんは私にたずねた。
「私ですか? そうですね、もう四年近く生活してますけど、すごく嫌なことは無かったです。多分幸せって言っていいと思います」
「「じゃあ、安心だ」」
二人の声が見事にハモった。でも二人はそれを特別指摘し合ったりしなかった。二人にとってはよくあることなのかもしれない。私は妙に納得してしまった。
輝美さんの言う通り、二人がデキているようには見えなかった。二人の距離はとても近いけど、近すぎて男女のそれとは違う気がした。
それ以前に、私は一孝からは異性というものをほとんど感じなかった。彼の片割れが言うことが事実なら、本当にずっと勉強ばかりしていそうだ。
「上も見ていきますか?」
私は二人にたずねた。
「いいの?」
「ぜひ」
私は立ち上がって、離れた席にいる輝美さんに言った。
「二人を上に案内するけど、いいよね?」
それは私はこの二人にOKを出したということだ。
何度も言うがそもそも私はべつに男性恐怖症じゃない。男女のアレコレに少し冷めてしまうだけなのだ。
この二人はきっとそうじゃない。あんまり好きな言葉じゃないけど、あれだ。いわゆる女の勘というやつだ。
朝、たまたま早くに目が覚めてしまった。
いや、たまたまというか理由はちゃんとある。夏休みに入ってからというもの私は毎日退屈で死にそうだった。コーヒーを淹れることぐらいしか趣味という趣味のない私は、毎年宿題以外にすることがない。去年までは、春美ちゃんが色々連れ回してくれたけど、今年の春美ちゃんは日中ぜんぜん家にいないし、理由を聞いてもそのうち話すからとはぐらかされる。仕方がないのでサブスクをフル活用して映画やドラマやバラエティを観たりして、淡々と時間を消費しているけど、それでいいのかという気にもなる。お店の手伝いもしているけれど、相変わらず暇だしね。そんなこんなで観たい動画の供給も需要に追い付かず、夜になって部屋に戻るとますますすることもないので、最近は早く就寝しがちだ。そして、早く眠るということは、それだけ早く目が覚めるというのが自然の摂理なので、つまりそうゆうことだ。
忙しそうなのは春美ちゃんだけじゃなかった。みのりちゃんは日中必ずどこかに出掛けているし、一孝は夏期講習、みどりちゃんも週の半分くらいは軽音部の部活に出ている。
先日、ついに輝美さんからお叱りを受けた。
家にばっかりいないで、どこかへ行け、なにかをしろ、お前は怠惰だ。
じゃあ喫茶店のモーニング手伝わせてよと言うと、そうゆうのは高校生になってからだと、これまでもう何度もやったやり取りになる。
私だってすることがあるなら、したいし、するさ。それに夏休みに友達と遊びに行った回数だって決してゼロじゃない。ただちょっと私の付き合いが人より狭くて浅いだけなのだ。
早くに起きたせいで、目の前にいつもより膨大な時間が広がっていた。
長い一日が始まる。
そんな風に朝から途方に暮れながら、ペタペタと裸足で狭い階段を降りていくと、遠くでテレビの音が聞こえた。一番だと思ってたけど、もう誰か起きているみたいだ。
リビングのソファーでは、みのりちゃんが朝のニュースを観ていた。
「みのりちゃん早いね」
私はキッチンで買い置きの総菜パンを袋から出しながら言った。
「いつもこの時間だよー」
みのりちゃんは言った。
「いつもどこ行ってるの?」
私はたずねた。
「んー?」
みのりちゃんは目に見えて言い淀んでいたけど
「施設にボランティア」
となにかを諦めたみたいに答えた。
「施設って、みのりちゃんたちが前いたところ?」
「そう。みんな夏休みでしょ? 施設が昼間っから子供たちであふれちゃうからお手伝いに行くの」
みのりちゃんは「よいしょ」っとソファーから立ち上がった。動きやすいジーンズにTシャツ姿だった。
「暇ならいぶきちゃんも来る?」
「え?」
思ってもいない提案に私は固まった。
「私、なんにもできないよ?」
「いいのいいの。小さい子の遊び相手になってあげたり、宿題みてあげるだけでもすごく助かる。来たい日にだけ来ればいいから。いぶきちゃん美人だからきっと人気者になれるよ」
どうせ暇なんだろ?
そんな輝美さんの声が聞こえた気がした。
子供たちのパワーはすごい。
怪獣たちと外を走り回っているみのりちゃんを見て、あの細い体のどこにそんなエネルギーがあるのかと感心する。
体力のない私は、建物内のワークスペースで子供たちの宿題を見ていた。施設にはそれこそ1歳児から18歳までの未成年者が山のようにいて、私は小学校低学年から中学年くらいの子たちの面倒に加わった。私にすぐ懐く子もいたし、近づきもしない子もいた。巨大なテーブルいっぱいに座った子供たちに、呼ばれては教え、呼ばれては教え、自分の席に着く暇もなかった。
みのりちゃんと一孝はここで育った。私がいま座っている椅子にも座ったし、目の前にある壁を見ながら成長した。ここに居る子たちのほとんどは、その時代の二人を知っている。アルバムの中に入り込んだ気分だった。
質問攻めにあったり、髪を引っ張られたりしながら、勉強を教えたり、一緒に遊んだりしているうちに時間はあっという間に過ぎてしまった。
「いぶきちゃんはもう帰っていいって。朝早かったでしょ」
午後三時ごろ、みのりちゃんが声をかけてきた。思えばここに来てからぜんぜん会話をしていなかった。
「みのりちゃんはまだ残るの?」
「うん、もうちょっといる。疲れた?」
「疲れた……。みのりちゃん毎日来てるの?」
みのりちゃんは
「毎日ではないけどね」
と笑った。
「すごいね、でも私もまた来る。家でなにもしてないより有意義だし」
ちょっとうんざりではあるが、心地の良い疲労感があるのも事実だった。
「ホント? いつでも歓迎だよ。来たいときだけでいいからね」
「一孝も来るの?」
「来ないよ。あいつは勉強しないと」
「そうなんだ」
意外だった。一孝は本当にいつも勉強ばかりしているが、勉強を優先することはしない。進んで手伝いをするし、話しかければ会話してくれるし、テレビゲームに誘われたらちゃんと付き合う。いまいい所だから、とは決して言わないのだ。
施設から出て自転車にまたがると、太陽が本当にジリジリと音を立てているみたいに暑かった。いつもなら空調の効いたリビングのソファーでドラマでも観ている時間だろうか。そう思うと有意義だし、早起きをすると一日が長い。
私はコンビニに入って、果汁なんてちっとも入っていない甘ったるい炭酸のジュースを買った。すごく久しぶりに飲んだ気がした。お父さんが果汁100%のジュースしか飲ませてくれなかったので、こういった飲み物には昔から少し憧れがある。私はコンビニの壁にもたれてゆっくりとジュースを飲んだ。中のフードコートで飲んだほうが涼しいけれど、夏を身近に感じたかった。
帰ったら夕飯前だけど、暖かいコーヒーを淹れよう。そして冷房に晒されながらドラマの続きを観るのだ。
夕飯前、日頃の怠惰な生活がたたってか、私はまだまだ疲れが抜けずテーブルに突っ伏していた。肉体的な疲労というより、なにかあってはいけないという緊張感から来る精神的疲労だ。そういった疲れは体の疲れよりも抜けにくいと思う。
キッチンではみどりちゃんがカチャカチャと夕食の準備を進めていた。そこに一孝が夏期講習から帰ってきて、定位置に座った。
「お疲れだね」
一孝が言った。
「一孝もご苦労」
私は言った。
「偉そうだな。今日お店そんなに混んでたの?」
「違うよ」
私は言った。
「みのりちゃんと朝からボランティア行ってきたの」
返答はなかった。テーブルに伏せたまま首を回して一孝のほう見ると、彼はどこを見るでもなく視線を泳がせていた。
「どしたの?」
私はたずねた。
「ボランティアって施設にか?」
彼は言った。
「うん。大変だったー。よくあの環境で××高校受かったね」
「ギリギリだったけどね」
彼は鞄から参考書を取り出して机に広げた。
それから時間にして十分も経ってなかったと思う。トタトタと階段を登る音がして、みのりちゃんが帰ってきた。
「ただいまー」
と、みのりちゃんは元気に言った。日中あれだけ走り回っていたのに改めて感心してしまう。
すると、それまでダイニングテーブルにいた一孝が音もなく立ち上がった。
一孝はみのりちゃんに向かって歩いていくと、その前に立ちふさがった。
「どこに行ってたんだ?」
感情を押し殺した、低い声だった。
みのりちゃんはすっと笑顔をしまい、大きな瞳でまっすぐに一孝を見て言った。
「施設だよ。ボランティア。私達もお世話になったでしょ」
「なんで俺に黙ってそんなことしているんだ!」
一孝は怒鳴った。
私は驚いた。彼の大きな声なんて聞いたことがないし、ましてや怒っているところなんて見たこともない。
「そんなことってなに?」
返す刀に、みのりちゃんは、ぞっとするほど冷たい口調で言った。身体から冷気が放出されているみたいに、本当に怒っているのが伝わってきた。
「どうして言わないとだめなの?」
「俺とお前が育った施設の話だろ」
一孝は言った。
「聞けば、俺もやるって言い出すからか?」
「そうだよ」こともなげにみのりちゃんは言った。「勉強するんでしょ? 夏期講習のお金借りてるんでしょ?」
私が余計なことを言ったからだ。体がさむざむした。私はみのりちゃんが一孝に黙ってボランティアをしていることを知らなかった。私に話すのだから、当然一孝にも話していると思っていた。だからこそ、一孝がボランティアに参加していないことに違和感を覚えた。みのりちゃんがボランティアをしていると知ったら、彼もそうしないわけがない。半年足らずの付き合いでもそのくらいわかる。だからみのりちゃんは言わなかった、黙って一人で故郷に恩返しに行っていた。彼女は彼に勉強に集中させようとしていた。
その一方で、思い返せばこの夏、みのりちゃんは一孝の邪魔をよくしていた。輝美さんが実家から持ってきたレトロゲームにしつこく誘ったり、勉強中もよく話しかけていた。矛盾するようで、どちらも一孝を気遣っていた。
だからこそ一孝はみのりちゃん「ぬけがけ」に怒りを露わにした。
「じゃあなんでゲームに誘ったりするんだ。お前は俺に勉強してほしいのか、してほしくないのかどっちなんだよ」
「バカじゃないの?」
「バカだから勉強してるんだろ」
「バカじゃないよ。あんな環境で進学校に受かって、テストも学年三位だって自慢してたじゃない」
「いまそんな話はしてない」
「じゃあなんの話をしてるの?」
「お前が黙って施設に行ってる話だろ!」
カウンターには着々と料理がたまっていった。私は二人から目を離せないまま、それを運んだ。
輝美さんが仲裁に入るまで二人は言い合っていた。同じ話を堂々巡りしているように聞こえた。
食事中、二人はずっと黙っていた。
一孝はともかく、いつも賑やかなみのりちゃんが黙っていると、食卓はお通夜みたいに静かだった。こんなときに限って、もう一人の賑やか担当の春美ちゃんはアルバイトでいなかった。
その夜、私はみのりちゃんの部屋を訪ねた。
「ごめんね、いぶきちゃん」
私が謝る前にみのりちゃんは言った。
「いつかこうなるってわかってたことだから大丈夫だよ。黙ってた私が一番悪いんだから」
そんなことがあったから、ってわけじゃないけど、私はまめにボランティアに参加するようになった。他にすることもなかったしね。
だが数日後、一孝が施設に現れた。ボランティア用のエプロンをして子供たちに勉強を教えていた。私はなにも言えなかった。
ワークルームの扉がゆっくりと開いて、みのりちゃんが入ってきた。みのりちゃんは一孝の姿を視界に収めると
「こんなところでなにしてるのー?」
と子供たちが怖がらないように満面の笑みで言った。
「夏期講習を夜間に移してもらった」
一孝は言った。
「じゃあ昼間にいっぱい勉強できるね!」
「いじわるゆうなよ」
そう言って、一孝は再び子供たちの勉強の面倒をはじめた。
みのりちゃんはなにも言わず外へ出て行った。
私が帰る時間になっても、一孝はまだ施設にいるみたいだった。
私は後ろ髪を引かれる思いで、帰路についた。
一孝が帰ってきたのは22時過ぎだった。彼はダイニングでみどりちゃんが作り置いてくれていたビビンバをゆっくり食べた。見るからに疲れていた。私は幼いころに見たお父さんを連想して気が気じゃなかった。
「いぶき、コーヒー淹れてよ」
彼は言った。いつもは私が勝手に淹れるので、頼まれるのははじめてだった。
「まだ勉強するの? 夏期講習行ってきたんでしょ? 寝たほうがいいんじゃない?」
「エンジンがかかってるんだ。それにいま、なんだかすごく生きてるって感じがするんだよ」
私はコーヒーを淹れて、いつもはブラックで飲めというくせに、そこに角砂糖を二つ入れた。
そんな日々は長くは続かなかった。
その日の夕方、一孝は園長先生に呼び出された。一孝は少し笑ってゆっくり立ち上がった。
なかなか戻ってこない一孝に、私はなんだかそわそわしてしまって、様子を見に行った。ワークルームを出ると外のベンチにみのりちゃんが座っていた。いつもなら子供たちに混ざって走り回っているのに、今日は子供たちを遠巻きに見守っていた。
みのりちゃんは私に気付いた。
「いぶきちゃんお疲れ。どう、だいぶ慣れてきた?」
「あんまり慣れてないかも。でも慣れでやっちゃいけない気がする」
「そうだね」
「みのりちゃんはなにしてるの?」
「うーん、クレーム処理?」
意味が分からず頭にはてなマークを浮かべていると、向かいの建物の扉が開いて一孝が出てきた。一孝は私たちの姿を見つけると、疲れた足取りでしかしまっすぐにこちらに向かって歩いてきた。
一孝は言った。
「塾が休みの日以外来るなって言われたよ。無理をしてるでしょってね。お前はそんなところでなにをしてるんだ?」
「苦情があるなら聞こうと思って」
みのりちゃんはこれっぽちも悪びれる様子なく言った。
きれいな夕焼け空を、大きな入道雲が覆っていた。給食室から夕飯のにおいが風に運ばれてやってきて、私たちを包んだ。みのりちゃんの短い髪がシャンプーのCMみたいにさらさらと揺れ、たまに光を反射するとちかちかした。
一孝はみのりちゃんの隣に座った。そして、どこか憑き物の落ちたような顔で、大きくため息をついて言った。
「ないよ、なんにも。言わなくったってお互いわかってるだろ。本当の兄弟ぐらい一緒にいるんだから」
「まあそうだね」
みのりちゃんは言った。
「じゃあ、たわいのない話をしよう」
「たわいないって、どんな?」
「好きな子できた? とか?」
「そんな余裕ないよ。見てればわかるだろ」
「うん、輝美さんがね、男が混ざって大丈夫かって心配してたのに、いまは逆の意味で心配だって」
みのりちゃんは笑った。
「春美ちゃんは年が離れてるし、みどりちゃんはかたぶつだし、いぶきちゃんは一孝にはもったいないし」
「そっちは?」
一孝はみのりちゃんにたずねた。
「あったら毎日ボランティアなんてしないって」
みのりちゃんは言った。
「夏は思いっきり遊ぼうと思ってたのに、なんでこうなっちゃうんだろうね」
「同じだろ」一孝は言った。「輝美さんに引き取られなかったら、結局、同じ毎日だ」
「私たち恵まれてるね」
「親がいないのにか?」
みのりちゃんは
「うん」
と答えた。
「ならいい」
一孝は立ち上がった。
「一孝」
みのりちゃんは彼を呼び止めた。
「ゲーム楽しかったね、またやろう」
それから一孝は夏期講習を昼に戻して、夜間のダイニングでの勉強を再開した。
ボランティアは園長先生の説得もあって、塾が休みの日にだけ参加していいことになった。それでも働き過ぎだと思うけど……。
一孝は塾が終わって帰ってくると、本当においしそうにみどりちゃんの作った夕食を頬張った。こうゆうところは男の子だなあと思う。毎月予定表で出てくるものが決まっている給食と違って、我が家のシェフの気まぐれで決まるメニューは、まるで宝箱を開けるみたいでわくわくする。施設の出だと余計にそう感じるらしい。
私はせめてものおせっかいに、彼の日課だったキッチンの洗い物を、夏の間中は奪ってやらせなかった。
輝美さんが実家から持ち込んだゲーム機のおかげで、夏の我が家はちょっとしたレトロゲームブームだった。
「一孝ぁー」
みのりちゃんが呼ぶと、一孝は冷蔵庫に張り付けてあるタイマーを一時間に設定して、そのあいだだけみのりちゃんに付き合った。
そうして、タイマーが鳴るとまた、ダイニングに戻った。
そのタイミングで私はコーヒーを淹れ始める。苦いコーヒーの香りで、彼を誘惑から引きはがしてあげる。
「ありがとう。いぶきは将来喫茶店やるの?」
コーヒーを差し出すと一孝は言った。
「うん」と私。「ここをもらうの」
「あげんぞー」
とリビングから輝美さんの声がした。
「通うよ」
一孝は笑った。
「一孝はなんになるの?」
私はたずねた。
「俺は公務員になるよ。具体的にはまだ迷っているけど孤児を支援できるような場所がいい」
「立派だ」
と私が言い
「しんどいぞ」
とリビングから、輝美さんがこちらを見ずに言った。




