8月:みどり
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その日の夜。私はみどりちゃんの作った夕食を食べながら、お父さんの言動を思い出していた。
「おいしくなかった?」
あまり箸が進んでいなかったのかもしれない。
みどりちゃんが心配して声をかけてきた。
一度エビアレルギーの私に、細かくすり潰した「乾燥エビのチャーハン」を出して以来、みどりちゃんは私の食事に細心の注意を払っている。あれはかゆかった。
「おいしいよ」
みどりちゃんが捨てられた子犬のような目で見てくるので、私は甘辛く煮た鳥のもも肉をひょいひょいと口に運んだ。
河野夫妻の家には現在、私を含めて四人の里子と、一人の下宿人がいる。
最初は私一人だったけど、まず半年ぐらい経った冬に、当時高校一年生だった春美ちゃんが入ってきた。私より6つも年上のお姉さんだ。そこから河野夫妻と私と春美ちゃんの四人で暮らしていたけど、途中で草太さんが単身赴任で居なくなってしまい三人での生活が続いた。
それが今年の2月になって、いきなりみのりちゃんと一孝が同じ施設から同時に入ってきて、6月にはみどりちゃんが入ってきて、一気に大所帯になった。三人とも私より二つ年上の高校一年生だ。春美ちゃんは18歳になったので里子ではなくなり、専門学校の卒業までの期限付きで、家賃を払って下宿という形で居座っている。
みどりちゃんは二か月前に事故で父親を亡くしている。
たったの二か月だ。
父子家庭だった彼女は、身よりもなく、河野家の里子になった。
同じ父子家庭でも私と違って包丁を持たせてもらえたみどりちゃんは、いまも私たちに得意な料理を振舞ってくれる。和洋中なんでもこなし、日々タブレットでレシピサイトを眺めながらメニューを増やしている。それは、父子家庭で父親の帰りを待ちながら、幼いころから料理を作ってきた彼女の習性だ。
料理は彼女の精神安定剤だった。
みどりちゃんが正式に入居した日。輝美さんは営業の終わったお店に彼女を呼ぶと、引っ越し祝いのショートケーキとコーヒーを振舞った。コーヒーはわがままを言って私に淹れさせてもらった。中学生の私は、アルバイトが出来ないので、お手伝いという形で勝手に店に出入りしている。だからコーヒーなんて普段は淹れさせてもらえないのだ。
みどりちゃんとは見学に来た日に一度会っていた。背が高くてスラっとしていてとてもカッコイイ人だったけど、すごく顔色が悪かったのが印象的だった。当時はお父さんが亡くなってひと月も経っていなかったのだから当然だ。
彼女もまた過去の私のように、流されるままここにたどり着いた。絶望の淵で投げやりになっている姿には既視感があった。みのりちゃんと一孝は元々施設にいたからそこに悲壮感などなかったし、春美ちゃんは春美ちゃんだし、私は余計にみどりちゃんに肩入れしたい気持ちだった。
「コーヒー私が淹れたんだよ」
私はみどりちゃんに言った。
「そうなの?」
みどりちゃんはすぐにフォークを置いてコーヒーを飲んでくれた。
「おいしいよ」
そう言ってみどりちゃんは、ギクシャクと微笑んだ。私は二つも年上の彼女が、時々ずぶ濡れの大型犬のみたいに見えて、抱きしめたくなる。
ちゃんとご飯を食べているのだろうか。心配になった私は輝美さんに
「今日のご飯なに?」
とたずねた。
「んー」
輝美さんはまだなにも考えていないみたいだった。
「なにがいい?」
輝美さんはちょっとづつケーキを口に運ぶみどりちゃんにたずねた。
みどりちゃんは細い目を見開いて、なぜだかとても驚いているみたいだった。
「どうした?」
輝美さんがたずねると、みどりちゃんはゆっくり口を開いた。
「そんなことを聞かれるのが新鮮で……、私、いつも自分で作っていたから」
お父さんから包丁を持つのを許されていたら、私もそうなっていたのかもしれない。そう思うと感慨深い話だった。
「あ、あの!」
みどりちゃんは突然に勢い良く立ち上がった。細くなったケーキがぱたんとお皿の上で倒れて、コーヒーカップが揺れた。
「私に作らせてもらえませんか! いつもそうしていたんです! それが私にとって自然なことなんです! だからお願いします。そうさせてください!」
輝美さんは困った顔をして黙り込んでいた。
それもそうだろう。面倒を見ると預かった子供に食事を作らせるのは、なんというか違う気がする。でも、みどりちゃんの必死さも無視はできない。
私はみどりちゃんの側についた。生活がなにもかも変わってしまっても、変えたくないものはある。私がいまも食後にコーヒーを淹れるように、きっと彼女には料理が必要なのだ。
私は「ねえ」と言って、輝美さんの袖を引っ張った。
輝美さんはそれでもまだしばらくうなっていたが
「6人分だぞ」
と彼女がキッチンに立つことを許した。
「ありがとうございます!」
みどりちゃんは高校球児みたいに勢いよく頭を下げた。
「よかったね」
私がみどりちゃんの隣に戻ると、彼女は少し赤らんだ顔で私にたずねた。
「お夕飯なにがいい?」
その夜。みどりちゃんはものすごい勢いで大量の肉と野菜を切った。6人分なのでかなりの量だ。私たちはその手際の良さを口を開けて眺めていた。
肉と野菜を切り終えると、あらかじめ煮詰めてあった鍋と、油を引いたフライパンにそれぞれに具材を放り込む。大量の肉と野菜を炒め、合間を縫ってサラダを完成させる。野菜炒めを三回に分けて作りながら、鍋に味噌をとく。中華の達人みたいにフライパンを振って具材を混ぜる。「豆腐があればな」とつぶやく。
いつの間にか、キッチンのカウンターには6人前の野菜炒めと、みそ汁と、サラダが所狭しと並んでいた。
輝美さんがやったのは炊飯器のボタンを押したくらいだった。
それからみどりちゃんは、ほとんど毎日キッチンに立つようになった。
彼女は叫んでいた。包丁の使い方も、鍋の振り方も丁寧だったけど、誰にも入り込めない悲鳴めいたものをそこに叩きつけていた。
だから誰も「たまには休んだら」とか「今日は私が作るよ」とは言わない。料理は彼女が彼女であるために必要なものだ。誰もがそれを理解できるほど、彼女の調理姿は鬼気迫るものがあった。
「お父さんとなにかあった?」
私が今日、お父さんと会っていたのを、どうゆうわけかみどりちゃんは知っていたみたいだった。彼女はよく店に遊びに来るので、今日もそうかもしれない。
「えーと、なんか再婚するみたい」
私が言うと
「え?」「まあ」「へー」「ええ!」「ハァ?」
などと、私を除く、食卓の五人全員がなにかしらの声を上げた。
ちなみに「ハァ?」と言ったのは輝美さんで、彼女は私のお父さんのことを心底嫌っている。まあ、世間の声というやつでしょう。
私は続けた。
「それで結婚式に出てほしいって言われて、私は出るって言ってるのに、一か月考えてほしいとか言われて……。べつに普通に出るのに……」
「ちょっと待って!」
突然、春美ちゃんが声を上げた。
いきなりテンションの上がる人だと知っているので、私や輝美さんは驚かなかったけど、付き合いの浅い他の三人は驚いていた。
「結婚式、出るの?」
春美ちゃんは隣の席から私の両肩を掴んだ。
「の、つもりだけど、なに?」
「じゃあ、あれ? あの新郎と腕組んで、牧師だか神父だかのところに連れていくやつもやるの?」
「知らないけど、普通はやるんじゃない?」
「ドレス作らないと!」服飾の専門学校へ通う春美ちゃんはその身を震わせた。そうでなくても春美ちゃんはよく私に(勝手に)服を作ってくれる。さっきまでみどりちゃんが着けていた緑色のエプロンも彼女のお手製だ。
「式はいつ?」
「年末って言ってたけど、学校の制服でいいと思うよ」
「ダメよ! 作らなきゃ! 作るから!」
春美ちゃんが一人で盛り上がっているなか
「私たちもやったね」
とみのりちゃんが一孝に話しかけていた。
「そうだっけ?」
「やったじゃん、5歳くらいのとき、施設の職員さん同士の結婚式で」
「小学校上がる前だろ? よく覚えてたな」
「制服も似合ってるけど、ドレスも見たいな」
みどりちゃんが言って
「白はマナー違反よね、何色がいい?」
春美ちゃんが言った。
輝美さんは早くも二本目のビールを冷蔵庫に取りに行った。




