12月:挙式
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式当日。
昨夜はあんまり眠れなかったけど、朝は勝手に早く目が覚めた。眠たさはなかった。パチッと目が開いて、二度寝もせず、私はベッドから起き上がった。
二階へ降りるとみのりちゃんがテレビを観ていた。彼女はいつも早起きだ。施設では子供たちが泣きだす時間なんだろう。
「コーヒーいる?」
「ありがとー、でもいいかな」
私は朝からコーヒーサイフォンの電源を入れた。フラスコで沸騰するお湯越しに、歪んだ世界を眺める。心は静かだ。
私は菓子パンとコーヒーを持ってみのりちゃんの隣に座った。
「晴れだって、良かったね」
「室内だから関係ないでしょ」
「でもブーケトスとかライスシャワーとかするかもだし、それにせっかくの結婚式だもん晴れのほうがいいよ」
「そうだね」
「いぶきちゃん」
みのりちゃんは言った。
「私のことは気にしなくていいからね」
「なんのこと?」
「いつかわかるよ。女の勘」
いつかとはいつなんだろう。今日か明日か来年か。考えても仕方なさそうなので私はコーヒーを口に運んで、その香りで脳内を満たした。
「おはようおはよう」
菓子パンを咀嚼しながら漫然とテレビを目に映していると、春美ちゃんが起きてきた。ちゃんと早起き出来て偉い。コーヒーも底をついたので、私はパンを口にねじ込み、シャワーを浴びにソファーを立った。
特別な朝のシャワーは霊的な神聖さを感じた。
シャワーから出ると、リビングとダイニングに輝美さんを含めた全員が集合していた。私と春美ちゃんを車で送り届けるため、今日のモーニングは休業でパートさんたちもいない。一孝がいるかもしれないので、念のためもう一度パジャマに着替えておいて正解だった。男女混合の生活にはこういった機転と気配りが必要だ。
輝美さんは私を呼びつけると、私に両腕を出すように言った。言われた通りにすると、彼女は私の手首に香水を吹き付けた。
「ほら、うなじも」
私は髪を持ち上げ、うなじで香水を受けた。
ちょっと大人になった気分だ。
「ほらとっとと着替えてこい。のんびりしすぎだ」
私は三階の自分の部屋に戻った。三階に自分しかいないのはなんだか妙な気分だった。私は里子が私一人だった頃の感覚を思い出した。私は学校の制服に着替えた。ドレスは会場で着る。制服はそれまでの一応正装ということで。
荷物を抱えてリビングに戻ると
「え、ドレスは?」
とみどりちゃんに聞かれた。
「着替えるの向こうだよ」
「そんな……」
見たかったらしい。
「まあいいわ、はいこれ」
みどりちゃんはアルミホイルの塊を私に手渡した。
「おにぎり。パーティーの食事が足りなかったり、疲れたら食べて」
お母さんか! 二人ともお母さんいないけど。
「ありがとう」
「食べれなかったら無理に食べなくてもいいからね」
そう言って、みどりちゃんはキッチンにある三段の脚立に座った。最近よくそこに座っているのを見る。足が長いのでちょっとおしゃれに見える。脚立なのに。
廊下ではシャワーから下着姿で出てきた春美ちゃんが、輝美さんにせっつかれていた。幸い一孝の視界には入っていないようだ。でも早く着替えてきて。
リビングで三人に見送られ、私と輝美さんと春美ちゃんは、車で式場を目指した。春美ちゃんも会場で着替えるみたいで、いまはラフな格好だ。
車のスピーカーから聞き覚えのある曲が流れた。曲名は知らないけどカラオケで輝美さんが歌っていた曲だ。
「カラオケ楽しかったね」
私は言った。
「んー」
と輝美さんは言った。どうやら楽しかったみたいだ。
「空気読んで流行りの曲歌うより、みんなで好き勝手やってて良かったね。私はそっちのほうが好き」
春美ちゃんが言った。
「春美ちゃんずっとシャウトしてたもんね」
「まあ、たまには行くか、近いし」
ちなみに輝美さんは式には参列しない。招待状はちゃんと届いていたのに、欠席のところに〇を書いていた。なんでも
「私が行くと空気悪くなるだろ」
とのこと。もう少し大人になってほしい。
私は静さんにLINEを送った。
『いまから父の結婚式に向かいます。なにか父に伝えることはありますか?』
既読はすぐ付いたが、返信は遅かった。
15分ほどして通知が鳴った。
『私からはなにもないよ。それよりいぶきちゃんのドレス姿の写真送ってね』
様々な色の光が混ざりあって白く光り輝くように、たくさんの思いが詰まった「なにもない」なのだろう。私もそんな気持ちだった。いまさらお父さんになにを伝えよう。言葉にしようとすると、思いは蝶のように逃げてしまった。
車は式場の前に止まった。
「じゃあ帰りに迎えに来るから」
車を降りた私に輝美さんは言った。まだなにか言いたそうだった。でも静さんと同じで言葉に出来ない様子だった。
私は輝美さんに
「行ってきます」
と伝えた。
「おお、行ってこい」
輝美さんは車を発進させた。
私たちは早速控室に通された。ちょっとだけ遅刻していた。
私たちは互いのドレスのファスナーを上げ合った。どうやら本当に自分の分も自作してきたらしい。春美ちゃんのドレスはシンプルな私のと違い、なんかごてごてしていた。
私は由衣さんに貰ったパンプスを履いて、ヘアメイクさんに髪を編み込んでもらって、カチューシャもセットしてもらった。フル装備だ。
メイクまでしてもらい、もう至れり尽くせりだ。
私は大きな姿見の前に立った。
お母さんがいた。
メイクで大人びた私は、これまでのどんな瞬間より、写真の中のお母さんそのものだった。
私はお父さんの前に行くのが怖くなった。
冷や汗でメイクが落ちてしまわないか心配だった。
でもそれはお父さんが決めることだ。私はぐっとお腹に力を入れた。
お母さんを愛したのも、私を抱いたのも、由衣さんとやり直そうと思ったのも、全部お父さんが決めたことだ。私は改めて、由衣さんの前に立ちふさがる壁の高さを思い知った。彼女はこれから、私たち家族が歩んだ歪んだ道の上を歩むのだ。
「いぶきちゃーん。まっすぐ立ってー。両手は前に組もうか」
春美ちゃんはスマホのカメラで私を撮影した。私はそれを静さんに送った。
春美ちゃんの提案で由衣さんに会いに行くことになった。私も会いたかった。
控室のドアを開けると、人形のように座る、彼女の後姿が見えた。
「由衣さーん」
春美ちゃんが呼んだ。
振り返った由衣さんは、もう準備も終えて、出来上がっていた。
美しかった。
人のことを心の底から美しいと思うのことなんて、人生でどれだけあるのだろう。長い髪をシニヨンにまとめ、振り返った横顔には、鮮やかに紅が引かれている。
私が彼女に見とれたように、彼女もまた私を見て固まっていた。
言わば前妻が天国から結婚式に殴り込みをかけてきたようなものだ。
私は言った。
「由衣さん。おめでとうございます」
その言葉に由衣さんは目を覚ましたみたいに、ぱあっと明るく頬を歪ませて、私の元へ駆け寄ってきた。
「いぶきさん。すごくきれい!」
彼女は私を正面から抱きしめた。メイクが衣装についてしまわないか心配だ。
「由衣さんこそ」
それから私たち三人は、時間の許す限り写真を撮った。撮りまくった。
「誠二さんのところにはもう行ったの?」
由衣さんがたずねた。
私はカチューシャを気にして、小さく首を横に振った。
「行きません。なんか感動のシーンになりそうだから行ってあげない」
「そう、かわいそうに」
由衣さんは笑った。
「ねえ、いぶきさん。わたしのわがままを最後まで聞いてくれて本当にありがとうございます。私は私があなたの立場だったらどうしたかなんて想像できないくらい、私はあなたにひどいことをさせているのかもしれません。でも、あなたが来てくれて本当に嬉しいんです」
「大袈裟ですよ。結婚式くらい普通に来ます」
「ねえ、私にできることはありませんか? 私も、いぶきさんに、なにかを返したい」
急に言われても。私は探した。すると真空の闇にさみしく光る星のような、小さな願いに思い当たった。
私は言った。
「お父さんより長生きしてください。車と健康に気を付けて、お父さんより先に死なないでください」
由衣さんは倒れこむように私の胸に頭をつけた。
「……はい! 約束します。私死にません。長生きして、二人で一緒に誠二さんのお墓参りに行きましょう。だからいぶきさんも死なないで」
そう言って由衣さんは、せっかくメイクをしたのに、私の胸でボロボロと泣きはじめた。
「あ、すいませーん。花嫁さん泣いちゃったみたいなのでメイクさん呼んできてもらえますか?」
背後では春美ちゃんが手際よく動いていた。
由衣さんは、私の肩を握るでもなく、両手をそっと置いた。
彼女は言った。
「いぶきさん、覚えてますか? あなたにこうするのこれで二度目なんですよ」
春美ちゃんは席に着き、私は通路で待機していた。
式場のスタッフさんの説明によると、私は私と新郎新婦と新婦の父親の四人で、一緒にヴァージンロードを歩き、神父さんの前に連れていくという手筈だ。
先に新郎側だけが出ていくのが一般的だけど、由衣さんの希望でみんな一緒に登場したいと決まったらしい(しかし、バツイチ二人にお手付きの娘を引き連れてなにがヴァージンロードなんだか)。
まもなく白いタキシードに身を包んだお父さんがやってきた。
お父さんは私を見るなり目に涙を浮かべた。
「いぶき、きれいになったね」
お父さんは言った。
「お母さんにそっくりだ」
私たちが関係を持ってから、決して口にはしていけない呪文のようなその言葉を、お父さんは簡単に口にした。
悪い魔法が解けたみたいだった。
「私より由衣さんを褒めてあげたら」
私は顔を反らした。
ここで泣いたらいけない。
ここで泣いたら、せっかくメイクさんがしてくれた化粧が台無しになる。
そうして、式が始まる。
私は大きな扉の前で、お父さんと腕を組む。
あの平手打ちを除けば、お父さんの体に触れたのは、あの小5の夏以来だった。
一瞬、あのときの恐怖が、体を走った。
扉が開かれ、私たちは二度目のヴァージンロードを歩き出した。
まるで目に見えるみたいな、あふれんばかりの祝福した空気が、私たちを包み込んだ。
もしも死んだのがお父さんのほうだったら。
私はこんなときだというのに、ずっと考えてはいけないと蓋をしていた気持ちを取り出した。
私たちが男と女だったから起きた過ち。
私は男女の関係そのものを蔑むようになった。
それが、こんなにも見守られ、讃えられている。
神父様の前に着くと、私はドンと強く背中を押された。つんのめりそうになりながら振り返ると、そこには誰もいなかった。
「新郎新婦」
二人が呼ばれる。
私は花嫁に向かって押し出すように、その腕を離した。
私の男だったものは、誓いの言葉を受けて、花嫁と口づけを交わした。
披露宴は……居心地が悪かった。
よくよく考えれば新郎の前妻との子である私は、その存在自体がもう場違いだ。
新郎新婦が同じ会社に勤めているため、披露宴は少し早めの忘年会だった。ということは私のお母さんを知っている人も多いわけで、みんな私に接触しようとしていたけど、前妻の名前を出すのもはばかられるので、いかんともしがたい。
私は春美ちゃんにくっつきながら、ずっと借りてきた猫だった。
でも時々すっと私のそばに寄ってきて、お母さんそっくりね、と言っていく人もいた。私はそれを嬉しく思った。




