12月:カラオケ
■
12月。
帰りのスクールバスの席に着いたところで、私はお父さんのLINEに気付いた。昼過ぎに送られた文章には、今週の喫茶店での面会に行けないと書いてあった。長々と、きみをないがしろにしているわけではないとか、結婚式が間近で身動きが取れないとか言い訳じみた言葉が連なっていた。静さんとのことを話したい気持ちもあったが、今月は仕方がない。
ここのところ由衣さんからの連絡も少ない。多忙なのだろう。
『了解しました。では結婚式で』
すぐに返信があった。
『本当に結婚式に出てくれるのかい? 会社の人が大勢来るから、お母さんのことを知っている人もいるよ』
なにをいまさら、と思ったが、これもマリッジブルーというやつかもしれない。
繊細なお父さんのために、親切な私は『大丈夫だよ』と返した。
「ねえ、川島さん」
赤信号で停車中、クラスメイトが私の席に駆け寄ってきた。
「来週の土曜日、みんなで遊びに行くんだけど一緒に行かない? テスト期間前にパーッと遊ぼうよ」
「いいね」
と私は微笑んでみせた。
「でも、ごめんね。その日は結婚式に出ないといけないの」
「ええー! 結婚式!? いいなー!」
クラスメイトの反応が意外だった。結婚式のなにがうらやましいのだろう。私は聞いてみた。
「だって、キラキラしてて、花嫁さん見たいよー。ブーケトスとかも!」
なるほど。正常な結婚式への反応はこうだったか。私は学びを得た。でも確かに、綺麗に着飾った由衣さんを見るのは少し楽しみな気がする。あと緊張したお父さんも。
信号が青になった。
クラスメイトは慌てて「じゃあね」と言って席に戻っていった。私はその背中に「また誘ってね!」と声をかけた。
スクールバスを降りて私は短い帰路を歩いていた。今年は暖冬なので、と毎年言っている気がするが、とにかく暖冬なので、念のため着てきたコートは少し暑かった。
足取りは軽かった。今日はこのあとみんなでカラオケに行くのだ。
べつに音楽に詳しいわけでも、特別好きなわけでもない。でもみんなでどこかに行くということ自体が楽しい。友達やクラスメイト相手にもそう思えるようになれたらいいなと思う。
人数が多いので、カラオケの予定は先週の頭には輝美さんにより発表されていた。みどりちゃんだけ寝耳に水って感じだったけど、みんなはついに行くのかと乗り気だった。
学校は生徒だけのカラオケは禁止だし、レパートリーの少ない私は、静さんにLINEした。いつでも気軽に連絡してねと、アドレスを交換していたのだ。私はお母さんが好きだった曲を静さんにたずねた。二人の関係ならカラオケなんて飽きるほど一緒に行っているだろう。
『歌うたいのバラッド』
送られてきた曲名を早速検索してみると、お父さんの車でたまに聞いた曲だった。私はその曲を、布団の中でこっそりと練習した。
私は喫茶店の入り口から家に帰ると、カウンター席にコートをかけて、鞄を置き、さっそくエプロンを付けた。
輝美さんが「おかえり」と言う。
私は「ただいま」と答える。夕方のお客さんは相変わらず少ない。
「カラオケ楽しみだね」
私は言った。
「まあ」と輝美さん。「若い奴と行っても私は最近の曲はわからないけどな」
「最近の曲でもお店のUSENで流れてるから、聴いたことぐらいはあるんじゃないの?」
河野家の喫茶店は、親しみやすい庶民的なお店なので、クラシックとかジャズとかは流れていない。
「まー私も古い曲好き勝手歌うから文句言うなよ」
「はーい」
輝美さんもノリノリみたいだ。音楽好きだし、カラオケも結構好きみたいだ。私を里子に取ったその日から、きっといろんなことを我慢してきたのだろう。
次に帰ってきたのはみどりちゃんだった。
「ただいま」
お店に顔を出して挨拶をすると、みどりちゃんはすぐ上に行ってしまった。いつもならもっとダラダラしていくのに珍しい。
店じまいをしていると一孝と春美ちゃんがほとんど同時に帰ってきた。一孝はすぐ上に行き(どうせ勉強だ)、春美ちゃんは片付けを手伝うわけでもなく、カウンターに居座っていた。
店を閉め、三人で階段を登っているとなにやら香ばしいにおいがしてきた。見ればキッチンでみどりちゃんが唐揚げを揚げていた。
「みどりちゃん、今日カラオケの日だよ」
私が言うと、彼女は
「うん、ご飯持ち込もうと思って。全部注文していたら高くつくでしょ?」
「あのなあ普段から自炊してるんだから、こうゆうときくらい高くついてもいいんだよ。まあいいけど、勝手にしろ」
輝美さんが呆れて言った。
「でも、揚げ物って結構するし、家で揚げたらただじゃないですか」
ただではないと思うけど、みどりちゃんらしいなと思った。きっとしっかりしたお母さんになる。私と同じくお母さんを知らないみどりちゃんだけど、きっと大丈夫だ。
「ごめーん。話し込んじゃった。すぐ着替えるー」
みのりちゃんが帰ってきて、私たちは家を出た。全員で歩いて、カラオケ店までは10分も掛からない。
みのりちゃんの会員アプリで入場した私たちは、やたら広い部屋に通された。
さっそくみのりちゃんが最新のナンバーで場を盛り上げ、みどりちゃんはお手製の唐揚げやポテトをテーブルに並べた。
みんな趣味が違うので、早々に好き勝手歌っていた。輝美さんとみどりちゃんは単純に趣味が古いし、一孝は微妙にマニアックだし、みのりちゃんは意外と暗いし、春美ちゃんは激しい曲ばかり。場の空気なんてお構いなしだ。
ここにいるのはみんな心に傷がある人たちだ。もちろん私たちだけが特別じゃない。世間一般の人たちもまた、みなそれぞれに傷を抱えている。傷は心の一曲を引き寄せる。私たちは人生のどこかで必ずその曲と出会う。
たとえ一人ぼっちで絶望していても、好きな曲があるということだけで救われることがある。音楽は人を孤独から守る。
カラオケで、みんなが盛り上がれるようにヒットチャートをなぞりながら、こっそりどこかでその曲を入れる。
歌う。
ひそかに思いを込めて、自分の居場所を確かめるように、どこかの誰かが作ったメロディに乗せて、我が身の行く末を占う。
私は、いつかみどりちゃんが私のために歌ってくれた曲を歌った。
歌いながら歌詞に飲み込まれていくみたいな感覚に襲われた。ひとつひとつのフレーズが私の人生と背筋をなぞっていく。せつないそのナンバーは血液のよう私のに体を循環し、熱を持たせた。暖房の効いた室内で、汗が噴き出してくる。私は叫んだ。普通に生きていたら、全力で叫ぶことなんてできないから、だから人は歌う。歌っているときくらいは叫んでも許されるから。
最後のフレーズを歌いきると、肩に分厚いコートを掛けられたような、心地よい疲労感が残った。
みどりちゃんと目が合った。私は歌手のように、ひっそりと、万感の思いを込めて「ありがとうございました」と言ってマイクを置いた。
「よくそんな曲知ってるな」
輝美さんが驚いていた。
私は言った。
「私の一番好きな曲だよ」
それから私は、練習してきたお母さんの好きな曲を歌った。しっとりとしたバラードのまっすぐな愛の歌だ。輝美さんはまた驚いていた。




