11月:靴
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彼女の思惑通り、私と由衣さんの関係は良好だった。
由衣さんは結婚式の準備の愚痴や、お父さんの態度について、逐一私にLINEを送ってくる。私も隣人のミシンがうるさいなど、彼女の望んだ愚痴を言い合う関係性を作っていた。
彼女は決して母親ぶろうとはしなかった。川島誠二という人間を中心とした、あくまで対等な友人関係、同盟を結ぼうとしているみたいだった。どうにも、私の友人は年上ばかりだ。
夕食後のひととき、私はワイパーでリビングの床掃除をしていた。6人で暮らしていれば、誰かしら暇を見つけて掃除をするので(春美ちゃん以外)、フローリングはいつもそんなに汚れてない。リビングの低いテーブルの下にワイパーを突っ込んでいると、ポケットでLINEの通知が鳴った。
なんとなく由衣さんかなとアプリを開くと、予想通りだった。
『突然ですけど、明日18時に会えませんか?』
本当に突然だ。
『本当は土日に伺うべきですけど、式の準備でなにかと忙しいんです』
『あ、誠二さんはいません』
お父さんはなし。式に関係することかな。
私は返信に迷った。
由衣さんと二人で会うことに抵抗がないかと言われれば嘘になるけど、それほど嫌でもない。なにか理由があるんだろう。
『いいですよ。でもお店は閉まってますよ』
既読もつけてしまったことだし、私は返信した。私とサシで会おうとする由衣さんの度胸に感服したのもある。彼女もまた、私たち親子の運命と戦っている。
返信はすぐあった。
『では、駅前のドトールに18時ではどうですか?』
『それなら大丈夫です』
なんとなくこの人を輝美さんに近づけるのは危険な気がするので、そのほうが助かる。夫婦揃って輝美さんとの相性が悪そうだ。
私はあえて要件を聞かなかった。もしかしたら当日怒り狂うことになるかもしれないけど、由衣さんが言わない以上はなにも聞かないほうがいい。連日のやり取りで、その程度の信頼関係は築いていた。だが由衣さんは最後に、私の予想を大きく裏切る文面を送ってきた。
『もしよかったら春美ちゃんも一緒に来てください』
『なんで春美ちゃん!?』
私は口に出して言ったことをそのまま打ち込んだ。
返信は一言
『秘密です』
「明日18時に駅前のドトールで由衣さんが会いたいって。……春美ちゃんも一緒に」
私は春美ちゃんの部屋のドアを開けると、ミシンに打ち込むその背中に話しかけた。
春美ちゃんはミシンに集中したまま
「おっけー」
と言った。
おっけー、じゃない。私は色々聞きたいことがあったけど、ミシンをしているときの春美ちゃんが梃子でも動かないとを知っているので、諦めて部屋に戻った。
春美ちゃんはアイスティー。私はアイスココアを注文し席に着いた。私が普段コーヒーを淹れまくるせいか、河野家の住人はあまりこうゆう店でコーヒーを頼まない。
18時10分。時間はとっくに過ぎていた。由衣さんからは
『ごめんなさい。仕事でちょっと遅れます』
と連絡が来ていた。
「なんで由衣さんと知り合いなの?」
時間を持て余した私は春美ちゃんにたずねた。
でも春美ちゃんは
「さあ? 由衣さんに聞いたら?」
とはぐらかすばかりだ。
仕方なく入り口のほうをぼーっと眺めていると、スーツ姿のロングヘア―の女性が慌てた様子で、自動ドアに滑り込んできた。
私は手をひらひらと振って彼女に存在をアピールした。由衣さんもすぐに気が付いて、こちらに駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。勝手言ってるのに、仕事上がれなくて」
由衣さんは大袈裟に頭を下げた。
「いいですよ。そんなに待ってませんし、こっちはどうせ暇ですし」
「由衣さーん。いえーい」
春美ちゃんが由衣さんに声をかけた。
由衣さんは花が咲いたみたいに笑顔になって「いえーい」と春美ちゃんとハイタッチを交わした。なんなの?
「先に、注文してきますね」
由衣さんは荷物を置いて、カウンターに走った。騒がしい人だ。
「ずいぶん仲良しじゃん」
私は言った。
「まあね」
春美ちゃんはまだ手を付けていなかったアイスティーに、ガムシロップを入れた。ストローが氷をかき分けながら、じゃらじゃらと音を立ててガムシロップを攪拌する。
私は黙ってアイスココアをストローで吸う。カカオの風味と甘ったるい舌触りで口の中がいっぱいになる。やっぱりコーヒーを頼めばよかった。
私はコーヒーが好きだ。好きな理由は無限に用意出来る。でもその一番の理由はお父さんとの思い出にある気がしてならない。二人でコーヒーを飲みながら映画を観た日々。あれがもしホットココアだったら、私はココア大好きいぶきちゃんになっていたのかもしれない。ポリフェノールは健康にいいとか言って、高級なココアパウダーを毎晩鍋で煮詰めていたかもしれない。未来は無限にあるかもしれないけれど、人は常にひとつを選ばなければならない。SF映画みたいにパラレルワールドがあったとしても、それを知る由はないのだ。今日の私はいつも、私が選んだ私だ。後悔することがあっても、それを忘れてはいけない。私がコーヒーを好きなのもつまるところ私がそれを選んだからなのだ。
「お待たせしました」
由衣さんは抹茶色の飲み物を持って、私たちの向かいに座った。
「あの遅れておいて早速で悪いんですけど、ぜひいぶきさんにお渡したいものがあります」
「はい、なんでしょう」
にわかに身構えた私に、由衣さんは百貨店の紙袋から、大きな四角い箱を取り出しテーブルの上に置いた。
「開けてみてください」
蓋を開けると、中には真っ黒なパンプスが一足入っていた。シンプルで飾り気があるわけじゃないけど、ピカピカに光ったフォルムの美しい靴だった。
「春美ちゃんがいぶきさんのドレスを作ってると聞いて、それに合う靴を探したんです。春美ちゃんに相談に乗ってもらって。履いてみてください」
式の準備で忙しいだろうに。私はスニーカーを脱いで、その靴を履いた。足が吸い込まれるように靴に沈んでいき、体の一部みたいにフィットした。そりゃあ春美ちゃんが監修しているならサイズもわかるよな。
「どうですか?」
「ぴったりです」
「よかったー」
そう言って由衣さんは春美ちゃんとハイタッチした。仲良しだな。
「裏でこそこそ連絡取り合ってたんですか?」
私は靴を箱に戻しながら言った。
「誠二さんにね、いぶきさんの靴のサイズを聞いたら、春美ちゃんの連絡先を教えてくれたんです」
うすうす気付いていたがあの男が原因か。確かにお父さんと春美ちゃんは、まだ河野家の里子が私と春美ちゃんの二人きりだったころ、何度か面会の場に参加したりして交流があった。遠い記憶を辿れば、連絡先を交換していた場面もあったかもしれない。
由衣さんは春美ちゃんにたずねた。
「ドレスのほうは出来そうなの?」
「デザインのほうはだいぶ固まったから、あとは作るだけだよ。ちゃんと間に合わせるから安心して」
カチューシャに、靴に、ドレス。どんどん装備品が増えていく。まるでロールプレイングゲームだ。
「私は着せ替え人形じゃないんですけど」
私のつぶやきは流され、二人はスマホ画面のデザイン画に夢中だ。
「いぶきちゃんのウエディングドレスも私が作ってあげるって約束してるんですよー」
そういえばそんな話もしたっけか。
「それは楽しみ!」
「あの、盛り上がっているところ悪いんですけど、由衣さんにちょっと聞きたいことがあるんですけど」
私は言った。女子の無駄話を放置しておいたら、いつまでたっても話がはじまらない。
「はい、なんでしょう」
「あの、いえ、本題じゃないんですけど、なんで私にだけ敬語なんですか? タメ口でいいですよ」
「いいえ、これは私なりのけじめというか、けじめのようなものなんです。特に深い意味があるわけじゃないんですけど、結婚式が終わるまではこのままでいさせてください」
「はあ、まあ、いいですけど」
私は本題に移った。
「父から由衣さんはお母さんとも面識があると伺ったんですが、母とはどういった関係だったんですか?」
由衣さんは言った。
「私と誠二さんと山本先輩が同じ会社に勤めていたのは知っていますね?」
「はい」山本……母の旧姓だ。
「私が新人だったころに、山本先輩には大変お世話になったんです。結婚して、いぶきさんが産まれて、育休から復帰されて……あんなことがあるまでお世話になりっぱなしでした」
「由衣さんから見て私は母に似ていますか?」
「いぶきさんはいぶきさんです」
「似ているんですね」
由衣さんは無言でうなずいた。
「私に敬語なのも私の中に母を見ているからですか?」
「それは違います。さっきもいいましたけど、いぶきさんはいぶきさんです」
「そうですか」
なんかまた姑になりそうだったので、私は話題を変えた。
「タナベセイという女性を知っていますか?」
「いえ? 聞いたことのない名前ですね」
「お母さんの高校時代からの無二の親友とお父さんから聞いたんですけど」
「あ、ああもしかして、タナベセイじゃなくてタナベシズさんじゃないですか? 漢字は静かの静ですよね」
「はいそうです。しずさんと読むんですね」
「山本先輩がたまにしずがしずがーって言っていました。その方がどうしたんです?」
「会おうと思って連絡したんです。まだ返信はないですけど、もし知っていたらと思いまして」
「ごめんなさい。私も会ったことはないんです」
「そうですか、ならいいんです」
「会ってどうするんですか?」
「お母さんのことを聞こうと思います。いままで避けてきたわけではないんですけど無関心でしたので。お父さんもあまり話したがらないし」
「それはきっといい機会になるわ。私もお邪魔したいくらい。会えるといいですね」
「はい」
「話終わったー?」
退屈そうに春美ちゃんが言った。
「終わったんなら、いぶきちゃんのドレスに着ける装飾をみんなで選びたいんだけどー」
春美ちゃんはトートバックからお菓子の箱を取り出した。蓋を開けると中にはビーズやスパンコールがいっぱい入っていて宝石箱みたいだった。
「いいですね!」
由衣さんは身を乗り出して箱を覗き込んだ。
もちろん私は「勝手にしてくれ」だ。




