11月:学祭
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最近どこへ行くにも春美ちゃんが付いてきてうっとおしかった。
なんでも服飾のコンテストで予選を通過したため、本戦の準備で夏から秋にかけて忙しかったが、ようやくそれから解放されたのだそうだ。「賞ももらったんだよ」とスマホでそのドレスを見せてくれたが、なんとも奇妙な形容しがたい芸術の類だった。「これで、やーっといぶきちゃんのドレスに集中できるね」と春美ちゃんは上機嫌だった。私は自分のドレスが芸術作品にならないことを祈りつつ、まとわり付いてくる春美ちゃんを引きずりながら生活していた。
その日、私は例によって喫茶店でお手伝いをしていた。春美ちゃんも専門学校から直帰してきて、エプロンを付けていた。春美ちゃんは本当に家のことをなにひとつやらないので、これはちょっとした事件だ。
普段からアルバイトに精を出しているからか、意外にも春美ちゃんは接客がうまく、手際も良かった。私と輝美さんは動物園のパンダでも見るみたいに、彼女の働きぶりを観察していた。
「ただいま」
そこにみどりちゃんが帰ってきた。みどりちゃんはそのまま上にはいかず店内に入ってきた。
「あの輝美さん」
彼女は輝美さんを呼んだ。
「なんだ?」
「あの、実は来週なんですけど、夕食が作れなくて」
「なんだ? 部活か?」
「はい。来週末学祭があるので、それまでは練習が遅くなるんです」
「来週な。わかった」
「ご迷惑かけてすいません」
「迷惑?」
輝美さんはその言葉に引っかかったみたいだ。
「夕飯作るのはそもそも私の仕事だ。それをお前がやりたいって言うからってやってるんじゃないのか? 迷惑でもなんでもないだろ」
「……そうですね。すみません」
みどりちゃんは大きな体をしゅんと小さくさせた。
「そんな言い方しなくてもいいじゃん」
私はボソッとつぶやいた。
「チッ」
輝美さんはそれを聞いてか舌打ちをした。柄が悪い。
「ステージに立つの?」
私はみどりちゃんにたずねた。
「一応」
「歌ったりする? ギター弾くだけ?」
みどりちゃんは恥ずかしそうに
「二曲弾いて、一曲は歌う……」
「週末って土曜日?」
「そうだけど……って来なくていいからね!」
みどりちゃんが悲鳴みたいな声を上げた。
この一言で私は絶対に観に行こうと心に決めた。多分春美ちゃんも。そして次の瞬間には春美ちゃんの手により『みどりちゃんの学祭をこっそり観に行く会』というグループLINEが作られていた。共犯者は多いほうがいい。
翌週の夜からみどりちゃんは本当にキッチンに姿を見せなくなり、輝美さんによる夕食が続いた。みどりちゃんは大抵9時前に帰ってきて、輝美さんの作っておいた料理を食べると、部屋に引きこもった。どこからかでっかい段ボールを持ち込んで、その中にすっぽり入ってエレキギターを弾いていた。
私はコーヒーを淹れて、彼女の部屋に持って行った。コーヒーとロックンロールってなんだか合わないけど、私に出来るのはそのくらいだ。みどりちゃんは段ボールの中から私にありがとうと言う。のぞき穴くらい作ったらいいのに。
私は部屋で、耳を澄ませばかすかに聞こえてくる小さなギターの音色を聞きながら、親心にも似た心境でライブの成功を祈った。
軽音部のSNSで、ライブの時間は午後2時から3時までとわかった。私たちは予定を合わせた。と言ってもみのりちゃんがアルバイトの日程をずらした程度で、みんな問題なく参加出来そうだった。喫茶店も土日の午後はお休みだし、なんの問題もない。当日、私たちの姿にびっくりしてみどりちゃんが失敗しちゃわないか、それだけが失敗だった。
木曜日。みどりちゃんは輝美さんの特製「季節外れの冷やし中華」にたれをかけていた。みどりちゃんがいないのをいいことに今週は輝美さんの好物ばかりが食卓に並んでいる。彼女はもりもりと冷やし中華を口に運んだ。出会った当初の弱々しさは、なりを潜め、みどりちゃんは生気に満ちていた。
「アイスコーヒー淹れるからゆっくり食べて」
私はキッチンからみどりちゃんに言った。
「ありがと」
彼女は細切りのキュウリの束を飲み込んで言った。
「明後日だっけ?」
私はぬけぬけと言った。
「そうだよ。もう緊張してる」
「緊張して失敗しないでね」
「うん。そのために練習してるから」
連日のみんなの猿芝居により、みどりちゃんは私たちが学祭に来ることなど夢にも思っていない。
「歌うのはなんて曲?」
「グリーン・デイのバスケット・ケースって曲」
「有名な曲?」
「うん。でも私たちが生まれるうんと前の曲だよ。メロディくらいは聞いたことあるかもね」
曲名がわかったので、軽音部の発表しているセットリストからみどりちゃんの順番を割り出せた。ラストから二番目だ。
私は濃い目に入れたコーヒーを、あらかじめ氷をたっぷり入れておいたグラスに流し込んだ。
「はい、できたよ」
「うん、私も食べ終わる」
みどりちゃんはきっちりお皿を洗って、コーヒー片手に階段を登って行った。
「選曲古すぎるだろ」
テレビを観るふりをして、話を聞いていた輝美さんがボソッとつぶやいた。
私はスマホを見た。普段は滅多に使わないメールアプリを開き、作成したメールを読み返す。
件名 川島聖子の娘より
『突然の連絡すみません。私は川島誠二と川島聖子の娘の川島いぶきと申します。田辺静様。貴方が母の無二の親友だと父から伺いました。私は母の記憶がほとんどありません。勝手な申し出で申し訳ないのですが、昔の母の話を、お聞かせ願えないかと連絡した次第です。お忙しいとは存じますが、なにとぞご検討ください。』
未送信のそのメールを眺めるのは、最近癖になっている。
死者の娘から突然こんな連絡が来たらさぞ迷惑だろう。でも私は母のことを知らなくてはならなかった。ずいぶん遅くなってしまったが、それはお父さんが再婚を切り出してから実際に式が開かれるまでに猶予付けられた、必修科目なのかもしれなかった。
お父さんが娘をぶてるようになったように、私も変わらなくてはならない。お母さんを知ることは、そのために必要なパーツだった。
アドレスは、お母さんの命日にお父さんから聞いた。
「お母さんと一番親しかった人の連絡先を教えて」
突然の申し出に、お父さんは少し混乱していたけど、スマホに眠っていたこの連絡先を私に送ってくれた。
「田辺さん。お母さんとは高校と大学の同級生だよ」
私はお母さんを知る人と会うのが怖い。
私は死者とそっくりな姿で現れる亡霊みたいなものだ。私は私の存在で、人の古傷をえぐる。そんな姿に私も傷つく。私が一体なにをしたっていうのよ、という気になる。
お父さんは間違っても口にしていないけど、14歳の私はますます写真の中のお母さんに近づいていっている。
そんな私から、自発的に会いたいと口にしていいものだろうか。
私は今日も「送信」を押せなかった。
みどりちゃんがいないので、輝美さんの5人乗りミニバンは定員ピッタリで、少し悲鳴を上げていた。私たちはお店が閉まる12時きっかりに家を出た。
「みんな出てかけるのなんて花火以来だな」
後部座席の中央で楽しそうに一孝が言った。花火のときもテンション高かったし、意外とイベントごとが好きなのかもしれない。
「みどりちゃんいないけどね」
一孝の左で私は言った。
「現地にいるんだから、全員集合判定だよ」
助手席から振り返ってみのりちゃんが言った。ちなみに乗り物酔いするから助手席は譲れないらしい。
「旦那いないけどな」
輝美さんがしっかり進行方向を見たままつぶやいた。
「じゃあ全員集合するのは初詣とか?」
春美ちゃんが窓の外を眺めながら言った。
「草太さん帰って来れるんでしょ?」
「そう言ってるな」
草太さんはお盆も帰省予定だったけど、なにかトラブルがあったらしくで帰ってこれなかった。だから、みのりちゃんと一孝とみどりちゃんは、まだ実際に草太さんに会ったことがない。定期的にビデオ通話などはしているから面識はあると言えばあるのだけど、草太さんもみんなも早く会いたがっている。
私も会いたい。
会って、8月のお父さんの告白から結婚式までのあらましを聞いてもらいたい。どうかそれがハッピーエンドの物語でありますように。私は小さく祈った。草太さんが「そうか良かったな」と言って私の頭を撫でてくれるような幸せな結末が待っていますように。
隣の席では一孝が女子トークに交じれず暇そうにしていた。
私は彼にたずねた。
「今日は勉強道具持ってきてない?」
「持ってきてない。俺をなんだと思ってるんだ。花火のときもそうだっただろ」
「でも、私とコーヒーサイフォン買いに行ったとき、参考書持ってたじゃん」
「それは女子の買い物だから待たされることもあると思って」
「そうゆうのに付き合ってあげないとモテないよー」
春美ちゃんは笑った。
「いや、それがこいつ意外とモテるんですわ」
みのりちゃんが振り返って言った。
「中学のときとか――」
「やめろよ。もういいだろ」
一孝はみのりちゃんを制した。あまり振り返りたくないことがあるみたいだ。
「一孝、真面目でやさしいもんねー」
春美ちゃんが冷やかすように言った。
「なんか含みがあるな」
などとワイワイやっているうちにみどりちゃんの通う高校に着いた。普段自転車で登校している距離なので車だとあっという間だ。
ところが、高校には駐車場と呼べる駐車場がほとんどなく、私たちはパーキング難民と化してしまった。結局、地図アプリで近隣の有料駐車場を探してそこに止めることになったが、そこから高校までは20分も歩く羽目になった。みどりちゃんのステージは2時からだから、時間的には余裕があるけど、ギリギリに出なくて本当によかった。
軽く出鼻を挫かれた形になったが、学祭は華やかで、はじけるような若さのエネルギーに満ち溢れていた。校門をくぐると、もうどこを見ても風船と模擬店と呼び込みの看板が視界に飛び込んできて、みんななにかを食べながら歩いていた。
「ステージは体育館だよね。先に確認しとく?」
みのりちゃんの提案で、私たちは模擬店はいったん後にし、体育館を目指した。昼食を食べてないのでお腹がすく。
開け放たれた体育館後方の入り口から覗くと、ステージでは演劇が行われていた。いわゆるロミオとジュリエット的なものではなく、宇宙服みたいな恰好をした演者たちがなにやら哲学的なことを言っていた。私は少し興味があるけど、もう劇の途中だし、みんなもお腹がすいているだろう。
「演劇のあとだからここで合ってるね。さ、なんか食べよ!」
校門でもらったパンフレットを見ながら、みのりちゃんは踵を返した。演劇にはぜんぜん興味がないみたいだ。
模擬店の集まる道に戻ってきた私たちは昼食を取った。ベンチに私と春美ちゃんみのりちゃんが座り、あふれた輝美さんと一孝は立ったまま、おのおの買ってきたものを食べた。一孝は片手にクレープを持ちながら器用にうどんを立ち食いしていた。彼は甘いものを好む傾向にある。花火のときもりんご飴を食べていたし、聞いたら糖分は脳にいいんだとか言いそうだ。
校内を見て回る時間はなさそうなのでしばらくそこでぼーっとしていたけど、ぜんぜん飽きなかった。どこからか甘いにおいがして、華やかに飾られた学校は、その日だけの儚い夢の中の世界だった。
10分前に体育館へ戻ると、すでに演劇は終了していた。私たちはいい席を確保しようとしたけど、出遅れたのか五人で座れたのは前から三列目、左端に近いところだった。
座って待っていると、続いては軽音部の発表ですとアナウンスがあり、軽音部のMCが出てきて、なにやら熱いことを言い始めた。
そのとき、全員のスマホの通知音がいっせいに鳴った。見ると『河野家』のグループLINEに『なんでいるの!』とみどりちゃんからの書き込みがあった。ステージ裏から見えたのだろうか。春美ちゃんがさっそく『イエーイ』と返していた。私も続いて『イエーイ』と打ち込み、そこにいる全員が『イエーイ』と書き込んだ。事情もなにも知らない、遠くで仕事をしているはずの草太さんまで乗っかっていた。
最初のバンドが出てきて、機材をセッティングしはじめると、前のほうの列から順に客が立ち上がった。そうゆうものなのか。私たちも立ち上がった。
一曲目は最近のヒット曲だった。たかが学祭とはいえ、ライブというものにはじめて立ち会った私は、音が体を叩く感覚に驚いた。音楽なんて家で聞けばいいのにと、ライブに対して懐疑的な私だったが、その考えはすぐに改まった。最前列の人たちは身内なのか、タオルを振り回しながらぴょんぴょん飛び跳ね、一緒に歌っていた。この一体感を求めて人はライブやフェスに行くのだろう。輝美さんもこうゆうのが趣味だったはずだけど、私を預かるようになってからとんとご無沙汰だ。いまは人数も多いしみんなしっかりしているし、一応だけど成人も一人いるので、行ってもいいと思う。なんならみんなでお金を出し合ってチケットを買ってあげてもいいかもしれない。
三組のバンドも出てきたが、一貫してバラードなどはなく、有名なノリのいい曲ばかりだった。部員の数がそれほど多くないのか、バンドが変わっても、一部のメンバーは続投したりしていた。
私は少なからず興奮していた。タオルやサイリウムがないので、胸の前で手をグーにしてマラカスみたいに振っていた。
時間は結構経っていたけど、みどりちゃんはなかなか出てこなかった。一年生だから出番が少ないのと言っていた気がする。
ようやく見慣れた黒いギターを持って、みどりちゃんはステージに現れた。でもステージの右側のほうに行ってしまって、センターの人の影になってよく見えなかった。私は背伸びをして必死にみどりちゃんを視界に収めようとした。
「あー、あー、私たちは一年生だけで結成されたバンドです。つたないところもあるかもしれませんが、ハートは詰まってます。聴いてください!」
センターのMCが終わると、一曲目はみどりちゃんのギターソロで始った。映画の主題歌にもなった有名な曲だ。ギターのことなんてわからないけど、複雑な音の連続をみどりちゃんは正確に紡いだ。間もなくドラムが激しくシンバルを叩き、他のメンバーも一斉に楽器を奏でだして、ひとつの音楽になった。
私は両手を振り上げてそのバンドを応援した。アンプを通じてギターの音色が鼓動のように体いっぱいにぶつかってくる。私自身もスピーカーの一部になったみたいに全身が振動する。
私はみどりちゃんが料理をしている姿を思い出す。彼女はきっとこうゆう世界でフライパンを振っている。
ジャラーンと最後にひと撫でして、みどりちゃんは曲を弾き終えた。一年生ながら他のバンドと遜色ない拍手と歓声が体育館に響いた。
みどりちゃんはコードを引っ張ってセンターの人と立ち位置を交換した。私の席からでもはっきりとみどりちゃんの全身が見えた。
「あー、あー、6月に父が死にました。このギターも父が買ってくれたものです。古い曲ですけど、父と、みんなに」
短いMCをして、みどりちゃんは振り返り、他のメンバーに合図を送った。
みどりちゃんは前を向いた。
「ドゥー・ユー・ハブ・ア・タイム――」
みどりちゃんは歌い出すのとまったく同時に、細かくギターを掻き鳴らした。
その瞬間、体育館のギャラリーは歓声を上げ、両手を振り上げた。
メロディーだけはうっすら聴いたことのある曲だった。
みどりちゃんはギターを弾きながら、マイクに激しくキスをするように、全力で歌った。背筋を少し曲げ、マイクスタンドにギターをこすりつけるように、しかし顔だけはまっすぐに前を向いて。
歌詞は英語で、ほとんどわからなかったけど、直感でわかった。激しくて明るい曲調だけど、これは病んだ人の歌だ。傷ついた人が、自分を精一杯前に向かって放り投げるような、薄暗さの中のほんの少しの明るさの歌。もがきながら、時折自虐的に笑ってみせる歌。
みどりちゃんがどうしてこの曲を選んだのかはわからない。でも、興奮して飛び上がっている私がいる。私だけじゃない。会場は湧いている。それが全てだ。
演奏が終わった。
みどりちゃんは拍手と歓声に包まれながら、呆然と立ち尽くしていた。
時間が押しているのか次のバンドが足早に入ってきて、機材を交換しだした。みどりちゃんはギターをアンプから外すと、それをメンバーの一人に頼んで運んでもらっていた。そして、ステージから飛び降りると、すごい勢いで私たちのところまで走ってきた。
みどりちゃんは汗だくで、息をぜえぜえ切らしながら、膝に手をついた。
「もう……本当に……来なくても、いいのに……!」
息もからがらで吐き捨てたみどりちゃんに、みんななにも言わなかった。サプライズは大成功みたいだ。
「もうっ!」
と言ってみどりちゃんはステージ裏に戻っていった。
「ねえ、今度みんなでカラオケ行こ! それでピザとか食べるの!」
みのりちゃんが提案した。確かにカラオケなら家から歩いていけるし、ちょっとしたときにみんなでいけるかもしれない。それに私は聴いてみたかった、みんなの好きな歌を。どんな曲に魂を揺さぶられているか、大切にしているか、そうゆうことを知りたいと思った。
それから私たちは校内の展示や模擬店を回った。そのあいだもずっと耳鳴りのように音楽の振動が残っていた。
夕暮れ前には帰路についた。駐車場までは20分もある。
「ねえ、いっそ今晩カラオケでご飯しようよ」
みのりちゃんがくるくる回りながら言った。
「みどりがいる日にしてやれよ」
輝美さんが言った。
「何度でも定期的に行けばいいじゃん。すぐそこなんだし。河野家のレクリエーションだよ」
みのりちゃんは言った。
「じゃあ多数決。行きたいひとー」
みのりちゃんと春美ちゃんが手を上げ、一孝と輝美さんは沈黙。
「あれ? いぶきちゃんは?」
私は首を横に振った。
「今日はいい。みどりちゃんと一緒がいい」
「じゃあ、しょうがないね」
そう言ってみのりちゃんは私の頭を撫でた。
「まあ、年内にでも行けたら行こう。私は朝から働いてるから今日は疲れた」
輝美さんが言った。
「お疲れ様。じゃあせめて外食しようよ。晩御飯作るの面倒でしょ?」
「そうだな」
協議の末、夕食は回転寿司になった。
駐車場までの長い道のりを乗り越え、私たちは車に乗り込んだ。
私はシートベルトを着けると、メールアプリを開いて、保留していた送信ボタンを押した。




