9月:プレゼント
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月に一度、河野家に住む子供たちは、河野夫妻の部屋に呼び出される。
そして、現在の生活環境をはじめとした様々なことについて個人面談をし、一か月分のおこづかい兼生活費を賜る。
私からしたらもう何年も続いている習慣なので、いまさら緊張なんかしないけど、輝美さんとしては里親としての大事な行事なので、いつもと雰囲気が変わる。
ここ半年で三人も増えたので、その気苦労も相当だろう。
私はお父さんとのことを聞かれるかと、少し身構えていたけど、意外にもその件について触れられることなかった。
夏休みのあいだ遊びに出る回数が少なかったとか、友達とはうまくやれているのかと、少々つつかれたくらいだ。もっともそれも毎度のことだけど。
何事もなく面談が終わると、輝美さんはおこづかいの入った封筒と一緒に、大きな眼鏡ケースみたいな箱を私に差し出した。
「開けてみろ」
言われた通りすると、中身はシルバーのカチューシャだった。
細身で、全体に花の意匠が散りばめられた、上品な半円。
「私が結婚式でしてたやつだ。やるよ」
輝美さんはぶっきらぼうに言った。
私はカチューシャを手に取り頭にはめてみた。すると輝美さんが
「ああ違う違う。後ろからつけるんだ」
と言って私の後ろに回り込み、ガラス細工に触れるみたいな慎重な手つきで、私の耳の上にそっとカチューシャを差し込んだ。
私は吸い込まれるみたいに化粧台の前に行くと、くるくるとまわって後頭部のカチューシャを見ようとした。
回る視界のすみで、輝美さんが懐かしいものを見る目で私を見ていた。
私は魔法にかかったみたいに浮かれかけたけど、すぐに私がこんな大切なものを身に着けてもいいのかなという気分になった。
「大丈夫。似合ってる。それを付けて式に出な」
「いいの?」
私は言った。
いろんな意味の込められた「いいの」だった。
輝美さんは一言
「いいよ」
と言った。
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私は家に帰ると、制服を脱いで私服に着替えた。この夏あまり出番のなかった半袖の白いブラウスと、デニムのオーバーオールに、ボランティアで酷使したスニーカー。ちょっとそこまで外出するにはちょうどいい。
足を出すのはあまり好きじゃないから、私の衣装ケースの中はスカートよりパンツのほうが多い。スカートも着るならひざ丈よりもロングがいい。春美ちゃんもいぶきちゃんにはロングのほうが似合うと、私に短いスカートを作ったり買ってきたりしない。ティーンズ向けのファッション誌に載るような、いかにもガーリーな服装には抵抗がある。
それから私はいつものように喫茶店のエプロンを付けて、髪をひとつにまとめ、喫茶店に入った。いつもは制服のままお手伝いしているので、輝美さんが
「どこかに行くのか?」
と聞いてきた。
「ちょっとロフトまで、お父さんの誕生日プレゼント買いに」
お父さん、と口にすると輝美さんはちょっと顔をしかめるけど、べつに隠さなきゃいけないことでもないので正直に答える。
「ならとっとと行けばいいだろ。なんでエプロンなんかつけてるんだ?」
輝美さんの疑問ももっともだ。私は質問に答えた。
「一孝を待ってるの。男の人の意見を聞きたいと思って」
「ふーん」
輝美さんはこの会話に興味を無くしたようで仕事に戻った。
一孝とは学校にいるときにスマホで連絡済みだった。
『お父さんの誕生日プレゼントを買いにロフトに行きたいんだけど』『一孝今日ひま?』『男の人の目線が欲しいから良かったら手伝って』
『いいよ』
『じゃあ帰ってきたらお願い』『急がなくてもいいから』『喫茶店で待ってる』
『了解』
返信の淡泊な男性はモテないとネットニュースかなにかで読んだけど、残念ながら一孝はモテなさそうだ。
一孝の通う進学校は7時間目まで授業がある。だから彼の帰りは私よりも遅い。私はそれまでの時間をお店のテーブルを拭いたり、食器を片付けたりして過ごした。みどりちゃんが部活終わりで夕食を作り始めることもあるので、我が家の夕食の時間は一般家庭より遅めだ。一孝が帰ってきてから買い物に行く時間は十分にある。
「おまたせ」
玄関の開く音がして一孝が、お店の勝手口のれんから体を出した。急いで自転車を漕いだのか、制服は汗でにじんでいた。
「急がなくていいっていったじゃん」
私は彼を叱った。
「時間いくらでもあるから着替えてきたら?」
「うん、そうするよ」
そう言って一孝はのれんから体を引っ込めた。すぐに階段を登る音が聞こえた。
輝美さんが注文もないのにコーヒーを淹れ始めた。
しばらくして、一孝がまた「おまたせ」と言ってのれんをくぐった。玄関から持ってきたサンダルを、勝手口で素足に履いて店内に入ってくる。一孝は何気に少しオシャレだ。買う服の相談を春美ちゃんにしているところも見たことがある。今日はオーバーサイズのTシャツに、ストレートのスラックスを合わせていた。シンプルだが様になっている。
家にいるときは勉強ばかりしている一孝だけど、彼は私と違って交友関係を大切にしている。夏休みこそ取りつかれたように勉強していたけど、学校が始まってからは友人と食事をするからと夕食の席にいないこともあるし、土日も外出していることがある。適度な息抜きがガリ勉の秘訣なのだ。
「ほら、飲んでけ」
輝美さんは一孝にアイスコーヒーを差し出した。
一孝はそれを受け取ると、私をちらりと見た。
「いいよ。ゆっくりしてって。まだ明るいんだし」
わがまま言ってるのは私だし。それはそれとして
「私の分は?」
「これは子守りの駄賃だ。お前はいま手伝いだろ」
待遇の差に怒りを覚えて、私はエプロンを脱いだ。お手伝いはもうおしまいだ。
一孝は本当にゆっくり時間をかけて、アイスコーヒーを飲んだ。私はエプロンを脱いでしまってすることもないので、隣の席でその様子をぼけーっと眺めていた。
「いつもホットだけどアイスのほうがいい?」
私は彼にたずねた。
「いや、こうゆうときはアイスがありがたいけど、勉強してるときはホットのほうがいいかな。集中力が増す気がする」
「ふーん。でもアイスの気分のときは言ってね。まだ暑いんだから」
「うん。いつもありがとう。助かるよ」
そろそろ行こうか、と言って一孝は席を立った。
ごちそうさまですと輝美さんに頭を下げて、一孝は喫茶店を出た。私もそれに続いた。ドアのベルがカランコロンと鳴った。
「ロフトまでだっけ?」
「うんすぐそこ」
私たちは並んで商店街のアーケードを歩いた。私服の私はどこへ行っても年上に見られる。みどりちゃんほどじゃないけど、ちょっとだけ背が高いし、自分ではよくわからないけど顔立ちも大人びているという。着ている服によってはOLに間違われたりもする。私が出不精な原因のひとつだ。もちろん元々そうゆう性分ではあるんだけど。
一孝は見た目は年相応の高校一年生だ。でも、その落ち着いた雰囲気は、大人と勘違いされることがあってもおかしくないと思う。
ショーウインドウに一瞬映った私たち二人は、大学生くらいの男女に見えた。でもよく見ると、ちゃんと高校一年生と中学二年生だった。だけど、その一瞬の角度や仕草が人の印象を作る。それが蓄積すると、お父さんのように私とお母さんの区別がつかなくなる。お父さんの忘年会で涙を流した女性もいたが、彼女もきっとその一瞬を私に見てしまったのだろう。私は私を見てほしい。だからお母さんを知らない人たちの中で暮らす今の生活は幸せだ。
私は髪を結んだままだったことに気付いて、髪をほどいた。
「ほどくの?」
一孝が言った。
「気付いてたんなら言ってよ」
私は言った。
「いや、今日はそうゆう気分なのかと思って」
スクランブル交差点に差し掛かると、ちょうどピコピコと青信号を知らせる音が鳴り始めた。私たちは少し速足で交差点を斜めに横断した。うっかり走って、汗をかいてしまわないよう、慎重に。
涼しい店内をエスカレーターで登って、目当ての売り場にたどり着いた。買うものはもう決めていた。保温の出来るタンブラーだ。お父さんは昔から熱いコーヒーが好きだし、職場でも車の中でも使える。それに、私が淹れたコーヒーを入れて渡せば、お父さんはとても喜ぶだろう。
今月はコーヒーサイフォンも買ったので出費は大きいけど、普段お金を使わないのでこんな月があってもいいだろう。お父さんはいつも私が使う分以上の仕送りを送ってくるし、その還元だ。4月にあった私の誕生日にも、お父さんは高そうなポーチをプレゼントしてくれた。怖いから値段は調べてない。
「今更だけど俺でよかったの? 俺はこうゆうのいつも値段だけ見て決めちゃうけど」
ずらーっと並んだタンブラーを眺めながら一孝が言った。
「そう、まさにお父さんもそのタイプなの。そうゆう人が値段を見ずに決めたものがいいと思うの」
「予算は?」
「だから気にしないで」
「色は黒っぽい……ってゆうか黒がいいな。かっこいい」
ふむふむ。
「サイズもこの350mlより500mlのほうがいっぱい入れれて外出時とかにはいいかな。そんなに邪魔にもならないし」
なるほど。
「蓋もこうゆうスライドして直接口をつけるタイプは抵抗ある人いるんじゃないかなあ。お父さんきれい好き?」
「神経質だとは思うけど、けっこう雑でずぼらなとこもあるよ。口付けるのも大丈夫だと思う」
「こっちのパカって開くタイプとでは?」
「うーん車で使いにくそうだし、スライドがいいと思う」
「じゃあ、これかこれかな」
「どっちがいい? あ、値段見ないでね。お父さんの仕送りで買うんだからせっかくだからいいものを返したいし」
「じゃあ、こっちかな」
「決め手は?」
「シンプルでかっこいい」
男の子がかっこいいというなら私が選ぶより的を射ているだろう。
「じゃあそれにする」
私はその真っ黒で男の子っぽい、500mlの真空断熱ステンレスタンブラーを買った。ギフト用に包みますかと言われ少し悩んだけど、コーヒーを入れた状態で渡したかったので断った。
無事買い物を終えたが、私もなんだか欲しくなってきてしまった。学校へ持っていけたら素敵だと思ったが、朝からコーヒーを淹れている余裕があるか怪しいし、どうせすぐ面倒くさくなりそうだ。休日にタンブラーをもって優雅にお散歩……する柄でもない。私は売り場で商品を見ながら、そんな高いものでもないし、でも、と悩んでいたが結局買わなかった。出不精の私には無用の長物だ。
私たちはビルを後にすると、ついでにそのまま駅に行って、コーヒー豆を買った。
「いつもここで買ってるのか」
この夏、たくさん私の淹れたコーヒーを飲んだ一孝は感慨深そうに言った。
私のおこずかいの大半はこの豆代に消えている。だって家に帰ればテレビとWi-Fiとサブスクで無限に時間は潰せてしまうし、なによりみんながいる。生活費以外にお金の使い道がない。だからもっと学校の友達と遊べと輝美さんに言われるのだけれど、あんまりそうゆうのは得意じゃない。
河野家の中で唯一親のいる私は金銭的に恵まれている。だからというわけじゃないけど贅沢な暮らしはしたくない。でもコーヒー代ぐらいは出させてほしい。春美ちゃんが勝手に私に服を作ったりするように、私も好きでやっている。私の淹れたコーヒーを飲んだ後に見せてくれる、ほっとする顔。それを見せてくれれば私はそれだけで十分なのだ。
お父さんは昔みたいにその顔を見せてくれるだろうか。それが楽しみだった。




