9月:かき氷
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私はお店のカウンターに座って、足をぱたぱたさせていた。
学校終わりにエプロンをつけてお手伝いに出たのはいいものの、お客さんは一人もいなかった。
輝美さんの喫茶店に夜営業はない。私たちにご飯を作るためだ。もっとも今年の6月からは、みどりちゃんが料理番として君臨しているから、その意味がある日も少ない。お店の儲けが心配になるけど、モーニングできっちり収益は出ているみたいで、午後の営業はおまけみたいなものだった。
みどりちゃんが料理を作る日、輝美さんは怠惰な主婦みたいに、テレビの前のソファーに横になっている。怠けているみたいにも見えるけど、彼女が勝手に気苦労を背負いこむ性質なのを私は知っている。きっと里親として、少しでも私たちの目につくところに居ようとしているのだろう。
少し早いけどモップでもかけようかと思っていると、後ろから住人用の玄関の開く音がした。勝手口ののれんがめくられ、みどりちゃんが「ただいま」と顔を出した。
背中にギターケースがないから、今日は部活が休みみたいだ。みどりちゃんは軽音部に所属して、ギターを弾いている。一度学内ライブの動画を見せてもらったことがある。わずかに膝を曲げ、真っ黒いギターをかき鳴らすみどりちゃんはかっこよかった。汗だくの姿は、彼女が料理をしているときの姿を彷彿とさせた。
彼女はいま、叫ぶように生きている。まな板やフライパン、そしてギターに悲しみを叩きつけて、暗闇から抜け出そうとあがいている。苦しみながら、自分がまだぜんぜん大丈夫じゃないことを自覚しながら、それでも前を向いて。
私と輝美さんの「おかえり」に迎えられたみどりちゃんは、棚にある財布を手に取った。
「お財布借りますね」
「お買い物?」
「うん。あ、なにか必要なものありますか?」
輝美さんは首を横に振った。
「私も行く」
私はエプロンを脱いだ。
輝美さんはなにも言わなかった。そもそもお手伝いだって私が自主的にやっているだけで、なにも強制はされていない。河野家に住むにあたって輝美さんは里子たちになにも要求しない。それをいいことに春美ちゃんは好き勝手やっているけど、輝美さんはそれを咎めたりしない。子供らしく普通に生活しているなら、彼女はそれ以上なにも望まない。
「うん、手伝って」
みどりちゃんは嬉しそうに言った。
私たちは歩いて近所のスーパーマーケットを目指した。外はまだまだ夏だった。いい加減引っ込んでほしい。
「暑いね」
どちらかが言って
「うん」
どちらかが答えた。
二人とも制服の夏服だった。
駅前の閑散としたスクランブル交差点で信号を待っていると、強い風が吹いた。私たちはスカートを抑えた。日差しはまだまだだけど、心地の良い風の涼しさだけは、これから来る秋を予感させた。
この国の、短い秋が来る。
そして冬が来たら、私はお父さんの結婚式に出る。義理の母親が出来る。お父さんは私との関係の変化を期待している。式の準備はもう始っているころだろう。私はそのスピードについていけるだろうか。
ピコ、ピコと青信号を知らせる音が鳴って、まばらな人々がスクランブル交差点に足を踏み出す。私もみどりちゃんと一緒に歩き出す。交差点を斜めに渡って、スーパーはすぐそこだ。
店内に入ると、みどりちゃんはまるでベテランの主婦みたいに、次々と食品をカートの上のかごに入れていった。私に出来ることはない。なにか食べたいものあるかとたずねられ、それに答えることくらいだ。
「一孝でもいればもっとたくさん買えるんだけどね」
みどりちゃんは独り言のように言った。6人暮らしの河野家では、食材はすぐ無くなってしまう。大喰らいの草太さんが単身赴任から帰ってきたら、もっと大変なことになるだろう。喫茶店は土日の午後お休みだから、食料はそのときに輝美さんが車で買いに行くことが多いけど、それでもみどりちゃんは週に一度は必ず、自ら買い物に出る。
「アイス買って外で食べよう」
みどりちゃんが言った。
私は「うん」とうなずいた。これから大変な荷物運びがあるのだし、そのくらいの駄賃はいただかなくては。
両手いっぱいにエコバックを持って、私たちはバス停のベンチに座った。そして二人で並んでかき氷のアイスを食べた。いづれ去っていく夏の、悪あがきみたいなその蒸し暑さには、クリームのアイスよりかき氷のほうが似合っている気がした。
「いぶき。私ね、大学に行くかもしれない」
みどりちゃんが言った。
「そうなの?」
「うん」
みどりちゃんは手の平の上のかき氷のカップを見つめた。
「私ね、お父さんが働いていた運送会社で、お父さんと同じようにトラックの運転手をやるのが夢なの。それをね、この前、所長さんに言ったら、大学ぐらい出ろって、お金がないなら貸してやるって。大学を出てそれでも気が変わらないなら面接に来いって。所長さんはね、お父さんととても仲が良かったの。私たちはお母さんが死んでから会社の隣の社宅に住むようになって、小さいころから本当にお世話になって」
みどりちゃんは小さく鼻をすすった。
「私の周りはいい人ばかりね。輝美さんもそう。里子のみんなも、みんなやさしい。誰も私を棒で叩いたり、財産をだまし取ろうとしない。心の底から恵まれてるんだって思う。世界中がそうだといいのに」
このあいだね、と言ってみどりちゃんは少し笑った。
「春美と話したの。いつもみたいに遅く帰ってきて、たまたまキッチンにいた私に夜食を作れって。私は残ってたグラタンをあたためて、春美はそれを食べながら、なんて言ったと思う? 『私たち相性悪いと思わない?』だって。相性良いの聞き間違えかと思った。でも春美は言うの、私たちが今仲良くやれてるのは、いま私の元気がないからだって。タロットカードが逆さまになって意味が逆になるみたいに、私がいま逆さまだから、うまくやれてるんだって。だからゆっくり元気になってって。みどりちゃんが元気になったころに、私はここを出ていくからさって」
なんていうか実に春美ちゃんらしい物言いだ。
「私は春美が好き。明るいところも、奔放なところも、笑いながらどこかいつもさみしい目をしているところも。こうなりたいとすら思う。自由で、自立してる。私にはできない。料理とか、ギターとか、自分を役割で縛らないと立っていられないから」
「春美ちゃんなんにも考えてないと思うよ。勢いだけだよあんなの」
「そうかもね」
みどりちゃんは笑った。
「いぶきのお父さんはやさしい?」
「やさしいよ。ちょっとべとつくくらい」
「そう」
「みどりちゃんは私がどうしてお父さんと別居してるか知りたい?」
「うん。でも聞かない。いぶきが話したくなったときに教えて」
「そうする」
それを聞いて満足したのか、みどりちゃんはカップのふたを閉めバッグの中に片付けると「よいしょ」と言って立ち上がった。
私もそうした。
両手いっぱいの食料の重みに、二の腕が悲鳴を上げた。
スクランブル交差点を渡って私たちは家路についた。
夏の顔をした日差しが、未練がましく私たちを照り付けていた。




