第60話 “大人げない大人”
逢う魔ヶ時前。
守哉は、神代家の玄関の前で立ち尽くしていた。
「……どうも気乗りしねぇな」
インターホンに指を伸ばすが、どうも押す気がしない。というか、トヨバアの顔を見たくなかった。
別に、トヨバアの顔がキモすぎて見るに耐えない、というわけではない。ただ単に、罵られるのがイヤなのである。神奈裸備島から帰ってきて以来、トヨバアの守哉に対する態度は以前よりも酷くなりつつある。具体的に言うと、何かにつけて辛らつな言葉を投げかけてくるのである。訓練の際にも、妙に攻撃頻度が上がった気がする。
「しんどい……。でもまぁ、七瀬もいるはずだし……仕方ないか」
覚悟を決めてインターホンを押す。
すぐに中からぱたぱたと足音が聞こえ、扉が開いた。癖っ毛のある水色のツインテールに、たれ目のつぶらな瞳。正真正銘、神代七瀬である。
「……かみや。おかえりなさい」
「いや、それおかしいだろ」
「……えへへ、ちょっと言ってみたかったの」
はにかみながら頬を赤らめ、七瀬は守哉を招き入れた。いつもの通り、客室へ向かう。
「お、やっと来たわね、守哉。遅いわよ」
客室には先客がいた。だらしなく寝転がりながら、七美がこちらを見上げてくる。若干ワンピースがめくれて白いふとももが丸見えだ。
七美から目をそらしつつ、守哉は答えた。
「逢う魔ヶ時前。ちょうどいいくらいだろ」
「あんたには訓練をするっていうやる気が足りないのよ。もっと早く来なさいよね」
「んな事言われても、早く来たってやる事ないじゃん」
「どうせ寮にいたってやる事ないでしょ。だったら早く来て島のお勉強でもしたらいいじゃない」
「そう言われてもなぁ……」
守哉は頭をかきつつ、適当なところに座った。
島の勉強をしようにも、神奈備島古事録の記述は間違いらしいので、勉強道具がないのである。トヨに話を聞こうとしても、トヨは意地悪なのであまり話してくれない。というか、最近わかってきた事なのだが、どうもトヨはこの島について詳しい事を知らないらしい。という事は、トヨに聞いたところで無駄なだけだ。
(何にせよ、いつかこの島について調べる必要があるかもしれねぇな)
神様が真実があると言った神奈裸備島で、この島について調べ物をしておけばよかったと守哉は思った。しかし、神奈裸備島であんな目にあった以上、二度と行こうという気にはなれない。
「……かみや、お茶持ってきたよ」
守哉が考え事をしていると、七瀬が客室に入ってきた。その手にはお盆が握られており、お盆の上には湯のみとお茶菓子が乗せられている。
「お、ありがとな」
七瀬から湯のみを受け取り、ずず~っ、と音を立てながらすする。ついでにお茶菓子のせんべいを一つ手に取り、かぶりついた。
「あんた、最近図々しくなってきたわね。お構いなく~、ぐらい言えないの?」
「そうだなぁ。じゃ、お構いなく」
守哉が七瀬に向かってそう言うと、七瀬は優しく微笑んだ。
「……ううん。わたしが好きでやってることだから。気にしないで」
「だってさ。七美」
「わかってて七瀬に聞いたんでしょ!まったく、七瀬は守哉に甘いんだから……!」
ぷりぷり怒りながらごろごろと畳の上を転がる七美。
「あ、そうだ。七美、そういえば七子さんはどうしてるんだ?」
守哉がそう言うと、七美は転がるのをやめて守哉の方を見た。
「七子姉ならそこそこ元気にしてるわよ。今頃、豆腐屋の手伝いでもしてるんじゃないかしら」
守哉達を神奈備島へ送り届けた後、七子は守哉達を手引きした以上、神奈裸備島へ戻るわけにはいかないと言って、神奈備島に留まる事になった。とはいえ、3年前のある事件で神代家を出た七子は、今更神代家に戻るわけにもいかないため、しばらくの間七美が居候させてもらっているという豆腐屋に住む事になったのである。ちなみに、その豆腐屋を営んでいる老夫婦は、孫が増えると言って七子の申し出を快く引き受けてくれたらしい。
「まぁ、たまに憂鬱そうにしてる事はあるけど、特に問題ないんじゃない?そうそう、そういえばあんたに会いたがってたわよ」
「七子さんが?」
「正確には、七子姉も、ね。実は、うちの妹達にあんたの事話したら、興味持っちゃったみたいでね。今度、都合のいい時でいいからうちに来ない?」
そういえば、七瀬達は七人姉妹なのだった。長女が七子、次女が七歌、三女が七美、四女が七瀬……あと七乃が何番目か知らないが、それを除くとあと二人いるらしい。死んでしまった七歌や、一応死んだ事になっている七乃にも会っているくらいなのだ、守哉としても是非会ってみたいものである。
「そうだな、機会があったら行くよ。いつでもいいのか?」
「基本的にはね。事前に言ってくれたら私が連れて行ってあげるから」
「わかった。そのうちな」
そのうちと言いつつ、明日にでも行こうかと守哉が考えていると、不意に客室の障子が開いた。
「ふん。来ておったか、役立たずの分際で」
開口一番、守哉を白い目で見ながらそう言ったのは、険しい顔つきのトヨバアであった。
「魔刃剣を抜けない神和ぎに神さびは倒せん。家に帰って寝ておれ」
「そうもいかねぇよ。とどめだけは俺がささなきゃいけないからな」
「まるでハイエナのようじゃな。神和ぎの恥さらしめ」
「いちいちうるせぇな。神さびが来ないってわかったらさっさと帰ってやるよ」
「その言葉、忘れるでないぞ。……七瀬、開闢知法の準備をせい。すぐにじゃ」
七瀬は小さくうなずくと、開闢門の開き具合を調べる呪法・開闢知法の準備にとりかかった。トヨは庭園に出ると、精神統一でもするつもりなのか、砂利の上に座って目をつむる。
ぼんやりとその様子を見つつ、守哉は呟いた。
「考えてみれば、今まで神さびって、全部魔刃剣で倒してるんだよな……」
「そうらしいわね。別に魔刃剣じゃなきゃ倒せないってわけじゃないらしいけど」
七美は、守哉の太ももをつんつんとつつきながら言った。
「過去には言魂だけで神さびを倒そうとした神和ぎもいるらしいけど、結局最後は魔刃剣に頼らざるを得なかったって話よ。それだけ魔刃剣の力は大きいって事ね」
「じゃあ、何で魔刃剣じゃなきゃ倒せないわけじゃないって言えるんだ?」
「ややこしいわね……まぁいいけど。それは、別に魔刃剣だけが神和ぎの全てじゃないってだけよ。神和ぎに与えられた力―――魔闘術は、言魂、魔刃剣、そして精霊術の3つ。そして、そのうち魔刃剣と精霊術は、同じくらいの力があるとされているわ」
精霊術……今まで何の説明もされていなかったが、もしや、以前トヨが披露した青龍の事だろうか。そういえば、青龍を出している間は魔刃剣を使えないと七瀬も言っていた。
「言魂は魔読術、魔刃剣は魔刀術、精霊術は纏う術と、魔闘術は読み方は同じでもそれぞれ別の漢字が当てはめられているのよね。それを考えると、精霊術っていうのは、本来は鎧みたいな使い方をされるものなんじゃないのかしら」
「ふ~ん……じゃあ、ババアの青龍は精霊術じゃないのか?」
「私に聞かないでよ。私はこの前七瀬に教えてもらったばっかりなんだから」
そのわりには結構偉そうに話してたよな、と守哉は思った。もしかして、七美も七瀬と同じで人に説明するのが好きなのだろうか。某機動戦艦の説明おばさんか、お前らは。
それにしても、と守哉は思う。自分が魔刃剣を使えない以上、魔刃剣と同等の力があるというその精霊術について、教えを請う必要があるかもしれない。トヨの青龍が本当に精霊術なのかはわからないが、それも含めて聞いておけばいいだろう。まぁ、トヨが答えてくれるかはわからないが。
仕方なく、守哉はトヨに聞いてみる事にした。
「なぁ、ババア。一つ、ご教授願いたい事があるんだけど」
返事は無かった。寝ているわけではないはずだが……
「おーい、ババアってば」
それでも返事はない。仕方なく、守哉は短く何かを呟くと、トヨに向かって手を突き出し、コインを飛ばすように親指を素早く弾いた。空気の弾丸が一直線に飛んでいき、トヨの後頭部に直撃する。
「ぬぉっ!……何をするか、このたわけがっ!」
「無視すんなよ。大人気ねぇぞ、いい歳こいて」
「だからと言って、むやみやたらと言魂を使うでないっ!そこになおれ、折檻してくれるわ!」
身体強化の言魂を発動し、トヨはどすどすと音を立てながら守哉の前にやってきた。
「悪かったよ。そんなに痛かったのか?」
「違うわ!お主の軽率な行動をわしは咎めておるんじゃ!」
「へいへい、反省してますよ。とにかく、俺の話を聞いてくれよ」
「こ、この、こっちが下手に出ていれば、調子に乗りよってからに……!」
どこが下手に出てるんだよ、と守哉が心の中で突っ込みを入れていると、いつの間にか呪法の準備を終わらせた七瀬が客室に入ってきた。
「……準備、できたよ。……あれ、何やってるの?」
険しい顔で守哉の前に立つトヨを見つつ、七瀬は言った。
「別に、ちょっと悪戯したら怒られただけだ。それより、準備できたんだろ?早く始めようぜ」
「まだわしの話は終わっておらぬぞ!」
「だから、俺が悪かったって言ってるだろ?ほらほら、俺に出て行ってほしいんなら、さっさと開闢知法を終わらせようぜ」
守哉がそう言ってなだめると、トヨは盛大に鼻を鳴らして庭園に出た。
ふぅ、と守哉がため息をついていると、七美は身体を起こしてにやにやと笑いながら言った。
「ナイス、守哉。ふふん、トヨバアざま~みろって感じね」
「まぁな。でもまぁ、さすがに精霊術に関しては聞けそうにないな。他に誰か知ってそうな人は……」
「優衣子さんは?あの人も神和ぎもどきじゃない。現役時代は相当な強さだったって聞いてるけど」
そういえばそうだ。忘れがちだが、優衣子も一応神和ぎもどきなのである。精霊術について知っていてもおかしくはないだろう。優衣子は面倒くさがりだが、トヨに聞くよりはマシだ。
「そうだな。じゃあ、帰ったら優衣子さんに聞いてみるか」
そう言うと、守哉は七美と一緒に庭園に出た。