19話 父は馬を走らせる。
イーサン・エメラルドは馬に乗って走っていた。
着の身着のまま、焦って家を飛び出したのだ。
向かった先はモルガナイト邸。
アポイント無しに貴族の家に訪問するのは失礼に当たるが、そんな事など気にしていられなかったのだ。
規律や礼儀にうるさいお固いイーサンだが、手紙を出して返事を待つそんな時間ですら惜しかった。
早く確認しなければならなかったのだ。
半年以上前に出て行った末息子の生死を。
数刻前だった。
王宮で泊まりがけでの職務を終え昼前に帰宅した時、屋敷に居るはずの無い侍女を見つけたのだ。
普段使用人など気にもしない、身近な者以外は名前すら覚えていないような男だが、その侍女はよく知っていた。
末息子の世話係としてモルガナイトに送るよう自分自身が自ら命令したからだ。
それが何故うちの屋敷に居るのか、そして何故妻の近くに仕えて呑気に庭で紅茶を淹れているのか。
イーサンは驚きと怒りを抑えれなかった。
「お前!何故ここにいる!!」
「あら、あなた今日は早かったのね。」
そう言うと夫人はこくりと紅茶を一口飲んだ。
「こいつはリリックと一緒にモルガナイトへ向かったはずだ、何故ここでお前に仕えているんだ」
「そうなの?知らなかったわ、リリックが行ってしまって仕事が無いようだったから私の側に仕えさせただけよ」
白々しく答えた夫人は扇子を顔に添えた。
問題の侍女は余裕そうな顔をして、「向かう途中でリリック様に帰るよう言われましたので戻って参りました。」と平然と言ってきたのだ。
「俺の命令を無視し、あろうことか報告もしなかっただと?ふざけているのか?」
イーサンは侍女の言葉を信用していなかった。
そして一つの事件が頭をよぎったのだ。
リリックが向かった日、モルガナイト領で魔獣が出現した話を、この半年間モルガナイトからは一通も連絡が無かった。
もし、巻き込まれていたのなら手紙が送られてくるはずと、だから問題ないとイーサンは思っていた。
イーサンもリリック自身が求めていないと思ったのでそれ以来手紙は出さなかったのだ。
だが、送ったはずの侍女はここにいる。
そしてその侍女を隠すように匿っていた夫人。
イーサンには嫌な予感しかしなかった。
「こいつを捕らえて牢入れろ、そして真実を聞き出せ」
「はっ!」
「どうして?!なんで私が!!」
先程まで余裕そうだった侍女は突然焦り始めた。
想像していなかったのだ、公爵様もリリックに対して冷めた態度をとってきたのを知っていたので大して気にもしないと思っていたのだ。
そして何度も何度も夫人に懇願するように目で訴えかけたのだ。
そんなアンジーから夫人は目を逸らした。
バンッ!
執務室に勢いよく入ったイーサンは怒鳴った。
「パドリック!リリックにつけた侍女が戻ったと何故報告しなかった!」
パドリックは優秀な執事でイーサンの右腕でもあった。
状況を説明すればパドリックは驚きながらも深々と謝罪した。
「申し訳ございません。奥様の使用人は自ら管理しておりますので、私もアンジーが戻ったとは気づいておりませんでした。他の使用人は恐らくその命令すら知らなかったので、気づかないのは無理ないです。」
「クソッ…、なんなんだあの侍女は、何故あんなに余裕だったのだ!」
パドリックはふぅと息を整え発言した。
「恐らくですが、リリック様へのこれまでの旦那様や奥様の態度が原因かと、一定数ですが使用人の中にもリリック様を軽んじるようなものがいたのも事実です。」
彼は良くも悪くも正直な男だった。
そんな所がイーサンは気に入っていたのだが、今日はその正直さに苛立ちを覚えた。
そしてそんな自分を酷く恥じた。
コンコンッ…
「報告です!失礼してもよろしいでしょうか。」
30分と経たずに先程指示を出した騎士が報告に来たのだ。
「早かったな」
「どうやらかなりの小心者でして、刃物をちらつかせるとすぐに吐きました。それで、リリック様の件ですが…」
騎士は俯き酷く暗い表情で真実を語った。
それはイーサンがそうであって欲しくないと思っていた事だった。
「リリックが魔獣に喰われただと…」
喰われてしまえば身元は分からなくなる。
だから手紙がなかったのかと…だかイーサンはその報告すらも信用できなかった。
モルガナイトからも何も連絡が無かったからだ。
その目で事実を見るまで信用したくなかったのだ。
「これから出る。処分は帰ってからするからその侍女は牢屋に入れおけ!命令だ!」
「はっ!」
3時間と少し馬を走らせ、日が沈む前にモルガナイト邸へ到着した。
「シグルス!シグルスはどこだ!」
「こっ、困ります公爵様!突然来られても…」
「いいから、シグルスに会わせろ!この時間なら訓練場か…」
止める使用人を振り切って訓練場へ向かった。
「はっ!」カンッ…!
「やるじゃねぇっすか!うさぎ狩りからすげー成長すよ!リリック様!」カンカンッ!
「今日こそ絶対クリスに勝つ!」カーンッ!
そこに居たのは半年前、剣を振るのも粗末だった末息子が自身より遥かに大きい大人と同等に剣を交える姿だった。
「リリック…」
イーサンは飛び出した。
「え、はっ?!父上?!」
「隙有りッ!」カンッ!
驚いて握りの甘くなった剣をクリスによって弾かれた。
そんな状況にも関わらずイーサンは息子に駆け寄り抱きしめたのだ。
そんな事は一度もした事がない。
リリックのみならず、上の兄2人も抱きしめた事など無かったのだ。
「よかった…無事なのだな…よかった…」
突然の状況にリリックは目を丸めて「突然何なんですか」と父から体を離した。
「おいおい、稽古の邪魔すんなよ。」
側で見ていたシグルスは眉間に皺を寄せてイーサンに冷たく言う。
普段の彼からは想像できない態度にイーサンは戸惑いつつも離れた息子の頭を一度撫で、シグルスの方へ体を向ける。
「突然すまなかった。少し話せないか、」
「ああ、俺も話したい事が山ほどある。客室へ案内しよう着いてこい。」
少し苛立った様なシグルスはそう言うとズカズカと歩き出した。
客室へ到着すると、シグルスはドスンと音を立てて椅子に腰掛ける。
「連絡も無しに訪問とはお固いエメラルド公爵様の行動とは思えんな。」
苛立ったように皮肉を言うとイーサンは「すまん」と一言発し、その情けない姿にシグルスは拍子抜けしてしまった。
「とりあえず座ってくれ、そして何故こんな急にリリックに会いに来た?」
シグルスは怒っていたのだ。
長年息子を蔑ろにして、世話係も帰ったはずなのに何の連絡も寄越さなかったイーサンに家族を大切にするシグルスは理解できず酷く怒りを覚えた。
「世話係が戻ってきていたのを今日気づいて問いただせば魔獣に喰われたときいて…」
イーサンとシグルスは何度も戦場で共に戦って来た仲間でもある。
数々の戦を乗り越え、お互いをライバルと認め尊敬しあって来たのだが、戦場で鬼将軍と恐れられていたイーサンが家では使用人も把握していない、子供も見ていない無能な父親だった。
「その使用人はお前に報告していなかったのか?舐められたもんだな」
「ああ、お前の言う通りだ。」
情けないイーサンにシグルスはまた苛立ちを募らせる。
「それで生死を確かめるためにわざわざ来たのか?」
「ああ…生きていてよかった…」
イーサンはそっと胸を撫で下ろし安堵の息を吐く、しかしそんな姿を見てシグルスはさらに苛立ちを募らせ机をバンッ!と叩き怒鳴り声をあげた。
「は?妻が虐待をしているのを見て見ぬ振りしておいて生きていて良かっただと?ふざけているのか?」
普段温厚で理性的な彼からは想像できないシグルスに驚きを隠せなかったがイーサンだが、「俺も最近気づいたんだ、だからお前のところへ送ろうとしたんだよ!」何も知らないくせにと、イーサンも苛立ち始め強く言い返した。
「最近?リリックは物心ついた時には叩かれていたと言っていたが?あいつは8歳だぞ?何年見ていなかったのだ?見ようとしていたのか?」
シグルスは呆れながらも問い詰める。
その言葉にイーサンは何も言い返せなくなってしまった。
そんなに前から行われていたとは思いもしなかったのだ、そしてシグルスの言う通り彼は息子を見ようとしていなかった。
「お前の言う通り俺は子供を…リリックを見ようとはしなかった。後悔している…ずっと自分は父親であると思っていたが、あの日リリックがあっさりと出て行った時初めて息子に酷いことをしていたと自覚した。」
少しの間が空いてぽつりとイーサンは話し始めた。
そんな彼をみて少し冷静さを取り戻したシグルスは
「何故夫人は虐待をしていたのだ?」と気になっていたことを聞いた。
「明確な事は分からんが、リリックが生まれた時酷い難産でな、クローリアは一度死にかけてその後産後うつになったのだ。それでリリックを恨んでいたのではないかと思う。」
「はっ、それでお前も放置したのか、笑えるな。」
シグルスは皮肉を言いつつもイーサンに先程までの怒りは抱かなかった。
"後悔した"その言葉を嘘だとは思えなかったが、イーサンへの信頼は失墜してしまった。
シグルスは悩んでいた一つの可能性が高まりつつある現状をどうするべきか。
リリックの家庭事情を聞いていなければ、真っ先にイーサンに相談して協力を仰いだだろう。
だが前ほどイーサンを信頼していない。
そしてこの可能性はイーサンに酷いショックを与えるだろう。
前とは違いリリックを大切だと思い始めているのは分かる。
だが、もし彼が裏切ればリリックだけで無く我が家も危険に晒されてしまう。
シグルスは顎に手を当て考え込んでいた。
しばらくの沈黙を破ったのはイーサンだった。
「先程リリックの稽古を見たが、アイツはあんなに強かったのだな。鍛えたのはお前か?」
「ああ、そうだが今更返せと申すでないぞ?」
「わかっている。俺に見る目が無かったのだ。それにリリックもここにいた方が安心だろう。」
そう言うとイーサンは目尻を下げて自嘲する様に笑った。
「ああ、お前の家にいるよりここの方がいいだろうな。そして俺もアイツを実の息子の様に思っている。もし返せと言われたら領地戦でも挑んでやろうかと思うくらいには大切にしているさ」
普段を取り戻したシグルスは、ははっと冗談混じりにリリックへの思いを吐いた。
「それは困るな。」
イーサンは乾いた様に笑い
「これからもリリックをよろしく頼む。そして、魔獣から息子を救ってくれて本当にありがとう。心から感謝する。妻にはリリックは亡くなったと言っておくよ。その方が安全だろう。」
と深々と頭を下げてイーサンは帰っていった。
部屋に1人になったシグルスは考え込んでいた。
「話しても良かっただろうか…」
それはリリックの魔獣討伐の件では無く、シグルスが感じていた一つの可能性だった。
「リリックは王の血を引いているかもしれないと…」




