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とある王族の独白

帝都への道のりは順調なものであった。


森を抜け、俺達が使っていた馬車と合流して街道を進む。帝都への道のりに障害もなく、天候も安定し、旅路は順調であった。途中にある町に宿泊する時にもオーク達は「オークに慣れていない帝国の民達を驚かせてはならない」という建前で町の近くで野宿をして過ごしてもらった。もちろん、真の狙いはキルベ姫の姿を衆目に晒す危険を極力減らす為だった。『キルベ姫の姿を隠す』という命令はあまりにも徹底して行われ、俺ですらキルベ姫と話せるタイミングがほとんどなかった。キルベ姫と会話をしたのはこの旅路で一度きり。移動中に彼女が外の空気を吸おうと荷物の隙間から顔を出している時にこっそりと言葉を交わした時だけだ。


「不便はないか」

「ない。だが、剣が振りたい」


そう言って諦めたように八重歯を見せて笑った彼女の顔がなぜか強い印象に残っていた。


とはいえ、俺自身もキルベ姫のことばかり気にかけているわけにいかなかった。町に着いたら着いたで王族には仕事がある。


各地の権力者と顔を合わせて情報収集を行ったり、商業ギルドと連携して貨幣相場の視察をしたり、教会に赴いて旅の安全を祈ってもらう名目で寄付金を渡したりと、『王家』の眼となり耳となり足となり、やらねばならないことは山程ある。その中で時間を見つけてジェレミアからオーク語やオークの文化について学んでいれば時間が経つのはあっという間だった。


帝都までの道のりも既に半分の行程を終えた。


『黒の森』と『帝都』の狭間に位置するここら一帯はライ麦の穀倉地帯と羊の放牧がさかんに行われている土地だ。そんな牧歌的な風景の広がるこの土地は、一昔前までは殺伐とした景色が広がっていたと言われている。俺が産まれるよりも昔、俺の父である現国王が即位するより更に前、先帝が『黒の森』を奪い取ろうと躍起になっていた頃のことだ。ここは『対オーク』の戦争の最前線だった。町では炉の火が消えることなく、夜通しで鎧や武器が作られ、訓練兵の剣の音がいつの時も鳴り響いていたという。

だが、時代が代わり、この国が軍事国家から交易国家へと方針転換を遂げた今となってはその影は見事に消え失せた。巨大な炉はパン焼き窯に代わり、剣は溶かされて鋤や鍬へと変わった。兵士は野盗を追い払うのが仕事になり、ここは帝国の中でも比較的安全な土地だった。


問題があるとすれば、領主だけであった。


この土地を治めるのはモリツ侯爵。俺としてはこの男がどうも苦手だった。


枯れ枝のような手足をしているくせに視線だけは常にギラツキ、ひん曲がった鉤鼻とそれ以上にひん曲がった根性を持つ老人だ。古くから帝国に仕え、帝国があちこちに戦争を吹っかけて領土を拡大していた時期から生き残る生粋の帝国至上主義者だ。彼の人生は帝国の華々しい歴史と共にあり、彼が見てきた帝国は戦争により発展を遂げた世界最強の軍事国家なのだ。


その為、穏健派となってしまった現国王への不満も大きい。

『黒の森』との政略結婚に関しても真っ向から反対していた貴族の一人だ。

彼からすれば『オーク族』というものは帝国にとっては幾度となく煮え湯を飲まされた不俱戴天の敵であり、歴史の汚点の1つなのだ。そんな相手に王族を『婿入り』という名の人質を差し出してまで同盟を結ぶ理由がない、というのだ。


俺もオーク族の里を訪れる前は彼の意見に便乗していた時もあった。

だが、その時でも彼の過激な戦争欲求には辟易していたのだ。

今となってはモリツ侯爵は俺にとっては意見が完全に対立する敵となってしまった。


「はぁ……」


俺はため息を吐きだした。


俺が今滞在しているのはそんなモリツ侯爵の館の一室だった。

町の中心にあるこの建物は外見こそ『小さな城』と呼ぶにふさわしいものであったが、隙間風の多さと老朽化した梁を見ればその中身は推して知るべしであった。

なんでも、帝国全盛の時代に建てられた砦を改修して使っているのだそうだが、領主の館としてはあまりにもお粗末だった。


俺はそんな城の一室で小汚い文机を前にして、本を開いていた。だが、いくら努力しても最初の一文すら頭の中に入ってこない。


「…………」


俺は本をパタンと閉じて立ち上がり、木製の窓を大きく開いた。


途端に流れ込んでくるのは市場の喧騒と夕食の香りだ。

窓の外では太陽が西の空へと沈みかけている。もう間もなく、町を囲う市壁の門が閉じるだろう。


俺は遠くの石壁を眺め、その外にいるであろうキルベ姫のことを思いだしていた。


『黒の森』でほんの数日言葉を交わした相手だが、その間に交わされた言葉の瑞々《みずみず》しさは今思い出しても心地よい。彼女の言葉はその中に俺への敬意と畏怖の念こそあったが、くだらないお世辞は1つもなく、全ての言葉に意味があった。


『黒の森』を離れてからというものの、町に寄るたびに彼女とのひと時があまりにも恋しくなってしまっていた。


町で出会う地主や資産家達との会話は使い古されたお世辞回しと、カビが生えたような遠回しな定型文ばかりだ。話しの内容も賄賂の額と税金の額、それに伴う見返りの妥協点を擦り合わせることばかり。相手に合わせてもっともらしく頷いて、本音を隠したまま握手を交わし、無駄に迂遠な話し合いの時間だけがかさばっていく。王族として大事な仕事であるが、退屈極まりないことは否定しようがなかった。


俺は強張った首の筋をパキパキと鳴らした。

キルベ姫ではないが、体を動かしたい気分だった。


そんな時、教会の鐘が鳴り響いた。

1日の終わり、終業を告げる鐘の音だ。

職人は金槌を下ろし、商人はその日の売り上げを箱にしまい、市壁の門が閉じる。

静かになる市場に取って代わって酒場が賑わいを増し、吟遊詩人はリュートの音を響かせ、熱心な商人だけが仕事を続ける夕闇の町。


そんな町を見下ろすと、不思議と人々の足は酒場へとは向いていなかった。かといって自宅に向かうわけでもない。老いも若いも男も女も、皆が約束事のように町の片隅に建てられた石造りの教会へと吸い込まれていく。

なんでも、『ロマヌス教国』から有名な使節団が来訪しているらしく、その説教がいたく人気なのだ。俺も昨日はその説教に参加したのだが、人気の理由にはすぐに合点がいった。説教を行う牧師は容姿端麗な優男で、付き従う修道女達は趣のある器量良しの少女達だ。説教の内容など忘れて目の保養に走っている人間の多いこと多いこと。


俺は文机の上で閉じた『ロマヌス経典』へと手を伸ばした。

夕陽の中に持ってきても経典を読む気力は起きなかった。


俺は手遊びのようにパラパラとページをめくる。


教会が信仰を広げる教えは『ロマヌス経典』を母体としている。その信仰は国境の区別なくこの大陸全土に広がっている。どこの国の人間であろうと、朝起きると共に自らの信仰する神への恭順を示し、食前には祈りを捧げ、夜には一日平穏に暮らせたことを感謝する。王族でも貴族でも平民でも奴隷でも、なんならオークでも関係ない。それは誰もが行う習慣のようなものだった。


それほどまでに教えが根付いているこの『経典』の力は凄まじく、それこそが『ロマヌス教国』の力そのものだ。

『ロマヌス教国』にある信仰の総本山『パニマ=ロマ大教会』。そこは周囲の国の王族達などの多くの権力者が祝音を受けてきた世界最大の教会だ。今、世界で最も敬意を集める聖女とされる『奇跡の修道女アリアンナ』もこの教会に奉仕している。この『大教会』から破門されるようなことがあれば社会的な地位は問答無用で地に落ちる。それが『ロマヌス教国』の最大の強みであり、大きな戦争もなく周囲の国を取り込んで巨大化できた最大の理由であった。


俺自身もその『大教会』を訪れ、祝音を授かった。それ以降は毎日の祈りも欠かさず行っているのだが、俺自身に『経典』への信仰心があるかというと、そういうわけではなかった。俺が食事の前に祈りを捧げるのはただ単に『他の人達と違うことをしたくない』という、ありふれた理由によるものだった。


だから、使節団からの『ありがたい説教』というものにも興味がなかった。


そもそも、『信じる者が救われる』というのなら……


いや、やめよう。そのことを論じたところで虚しいだけだ。


今の俺の関心事はこの使節団がいつこの土地を離れてくれるかということにつきる。

『信仰心ある者』として彼らがこの町を出発するまで動くわけにはいかないのだ。

俺は彼らの退屈で平凡極まりない説教を聞いて、去り際に多額の『寄付』をしなければならない。


さっさと出発してくんねぇかな、と俺はため息を吐きだした。


この土地に不満があるわけではないのだが、モリツ侯爵の嫌味と皮肉の入り混じった自慢話を聞き飽きてしまったのだ。


『先代と比べてましても昨今の陛下は随分と弱腰の姿勢が目立ちますな。大規模な戦といえば東の小国の反乱が最後ですか。陛下も若い頃は領土の拡大にも熱心でありましたが、もう衰えが見えるようで。私よりも随分とお若いのに残念なことです。魔女に精気でも吸い取られましたかね。血の匂いが駄目になったとの噂も聞いておりますが。いやはや、最近陛下を間近で拝見させていただく機会がありましたが、戦場に立っていた時の姿は見る影もありませんな。あの頃は私も前線で良く戦ったものです。先の戦では……』


モリツ侯爵と夕食を共にする毎に幾度となく繰り返される武勇伝はそろそろそらんじることができそうだ。

だが、モリツ侯爵の戦績は聞いてる。突出して進軍した為に補給線を無意味に伸ばして輜重部隊に負担をかけた挙句、多方面への後方支援を怠って味方の一団を壊滅に追い込んだって話だ。敵への被害よりも味方への被害の方が大きかったとのもっぱらの噂だった。

まぁ、本人はそんな被害マイナスよりも敵軍に与えた被害プラスの方を誇ってばかりだ。彼にとっては手柄を立てたのにこうして片田舎に押し込められている現状が不満なのだろう。

彼に話の主導権を握らせるとワインが尽きるまで愚痴が止まらない。


今日も夕餉にはそのモリツ侯爵が同席する。


唯一救いがあるとするなら、今日の夕餉はその使節団の牧師を招いた会食であることだろう。

いくらモリツ侯爵が面の皮が樹皮のように硬質化させていても、有名な牧師の前で自慢話と愚痴を口走ることはないだろう。


おそらく……きっと……多分……


「はぁ……」


もし、モリツ侯爵が暴走しだしたら止めるのは俺の役目だ。 

ため息もつきたくなる。


「キルベ姫に会いたいな……」


特に帝国に持ち込んだ積み荷の中にあのキヴェイの樽があるかどうか確認したかった。

この宴でモリツ侯爵の飲み物にキヴェイをぶち込んでやれたら話は簡単なのだから。


「はぁ……」


幾度となく繰り返されたため息を吐きだし、俺は窓を閉め、背筋を伸ばした。

襟を正し、王族としての顔を貼り付け、俺はもう一度『ロマヌス経典』を開いた。

先日聞いた説教の内容を想い越してその時に用いられた詩を確認しておく。


少なくともオークの歴史書を読むよりはるかに退屈な時間だった。


「身体……動かしてぇな……」


俺も随分と毒されたようだった。

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