野営地の夜
『黒の森』を半分程進んだところで俺達は馬車を止めて野営地を築いた。徒歩ならば3日かかった道のりも、オーク達の馬にかかればは1日程度だ。オークの里を出発したのが昼頃であったことを考えると、旅路としては順調であった。
「森の獣たちはオーク達がいればそうそう襲ってこないそうです。騎士の方も今日はゆっくりとおやすみください」
ジェレミアが騎士にそう言うと、彼は訝しげな顔をしながら戦斧を片手に馬車から最も離れた場所で木の幹に身体を預けた。武器を手放さず、横にならず、いつでもすぐさま戦闘態勢に移行することができる体勢でうたた寝を繰り返す眠り方は騎士の必須技能だ。俺も騎士時代にその寝方の訓練はしたがわざわざ幾度もやりたいとは思わない。だが、騎士の彼がそんな眠り方をしたがった気持ちもわかる。彼にとってこの旅における『人間』の道連れは年老いた外交官とナイフ格闘術しか持たない王子だけなのだから。オークが我が物顔で歩き回る野営地の中では心もとないだろう。
夕食も終わり、後は寝るだけとなった夜分。
俺は焚火の傍で自分のナイフを磨いていた。その右隣には護衛としてついてきてくれたオークが硬い顔をしながら干し肉を齧っていた。オークの男女の区別をつけることは非常に難しいが、彼は男性であるはずだった。オークという種族は皮下脂肪を蓄えている者が多いが、ザクト殿のように筋肉の塊のようなオークもいる。今回の旅路に同行してくれた2人は共に後者であった。
彼等は肩幅だけでも俺の倍はあり、二の腕の太さに至っては俺の太腿と大差ない。そんな彼等が八重歯をちらつかせながら肉を貪っているのだから、何も知らない人間がこの場にいたら取って食われると思っても仕方ないだろう。
俺もオークの里を訪れる前だったら同じことを考えていたはずである。だが、今となってはわかる。
オークも俺達と同じ、神がこの世界を作った際に『人間』と共に作り上げた種族の一つなのだ。
過度に恐れる必要はない。
ジェレミアがオーク達に囲まれて平気な顔をしていた理由がわかった気がした。
「………………」
「………………」
俺は隣に座っているオークをちらりと見上げた。
彼は何か腹立たしいことがあるかのように眉間に皺を寄せていたのだが、ジェレミアは「彼はこういう顔なんですよ。本人も気にしてますのであまり言わないであげてください」と言って笑っていた。
彼が一言も喋らないのは公用語がほとんどわからない上に元々無口なのだそうだ。
個人的には彼には帝国で世話になることもあると思うので友好を深めておきたいのだが、言葉が通じなければ望みが薄そうだった。
俺は対話を諦め、袖口からナイフを引き抜いた。俺が常備しているナイフは全部で6本。そのナイフは鎌のような形状をしており、内側に刃のついた特殊なデザインをしている。全て同じ長さ、同じ重さで作ったナイフだ。だが、俺が取り出したその1本だけは少しだけ違う。その柄に青い石が埋め込まれていた。
それが母からの形見だった。その青い石は鋼玉と呼ばれる鉱石で、この中にはマナを溜めることができる。俺自身が持つマナが尽きた時、緊急時に魔法を使うことができる。この大きさの鋼玉であれば使えるのは低級の魔法が精々であるが、目くらまし1つできれば喉まで刃が届く。
『どんな時でも最後まで生き残ることを諦めるてはならない』
この鋼玉を見るたびにその教えを思い出すのだ。
その刃を磨いていると、ふと隣からの視線に気が付いた。
「………………」
「……【どうかしまたか?】」
俺は習ったばかりのオーク語で語り掛けてみた。
正直、まだ発音に不安がある。
オーク達は下顎がわずかに前に出ている。そのせいで、オーク語の中には一部の発音が人間には難しい。
だが、例え俺の発音が正確だったとしてもあまり関係はなかったかもしれない。
彼は少しばかりナイフを見つめ、小さく頷いただけで目を逸らしてしまった。
「……………」
焚火の音だけがパチパチと鳴る。
俺は行き場の失った言葉を喉奥に飲み込んで、再びナイフに視線を落とした。
その視界に、乾ききった干し肉が差し出された。
「え?」
隣を見れば、彼が干し肉のかけらを俺に付きつけていた。
相変わらず彼は難しい表情のままであるが、その小さな干し肉は数多の言葉よりも多くのことを伝えてくれていた。
「【ありがとうございます】」
俺はオーク語でそう言い、干し肉を手に取って口に運んだ。
塩気の強い干し肉は、ベリー酒が欲しくなる味だった。
俺は干し肉を齧りながら、引き続きナイフを丁寧に磨いていく。
しばらくするとオークの彼も自分の武器を取り出して、磨き始めた。
彼の得物はキルベ姫と同じ長剣であった。だが、8フィート(約250cm)の彼が持つと、長剣がまるで小剣だ。
しばらく静かな時間が続いた。
俺は磨いたナイフを焚火の炎にかざした。磨き上げた刃が炎の光を反射して煌めていた。
俺は自分の出来に満足し、ナイフを手元で回して袖の中に滑り込ませた。
俺はふと、馬車の方へと目を向けた。
オーク達が使っていた1台目の馬車。
あの中にはキルベ姫がいるのだ。
なんだか不思議な気分だった。
胸の奥が落ち着かないような、それでいてどこか安心するような。
「…………」
その視線が、オークの体躯に遮られた。
見上げれば剣を磨いてた彼が俺のことを睨んでいた。
まぁ、女性の寝室を見つめるのはあまりに不躾であろう
「【申し訳ない】」
オーク語でそう言うと、彼は大きく頷いた。
彼は再び自分の剣を磨き始めた。
俺は肩を回して、大きく伸びをした。
不寝番はオークの彼が担当してくれる。俺はそろそろ眠ろうか。俺は馬車に戻ろうかと少し腰を動かした。
そんな時だった。
「……ゴロィア」
不意にしゃがれ気味の低い声がした。
それは谷底を吹き抜ける風を思わせるような荒い声音だった。
最初、俺は誰が喋ったのかわからなかった。だが、他に発信源がないのなら彼が言ったに違いない。
俺は隣のオークを見上げた。
「……【喋れるのか?】」
「……言葉、少し」
彼は単語と単語を繋ぎ合わせるようなたどたどしい話し方で、だがそれでも確かな帝国の共通語を口にしていた。
「……私とヴァイン……言葉、喋る……だから、姫、一緒」
『言葉が少し喋れるから今回の護衛に選ばれた』
俺は彼の言葉を自分の中でそう言いかえた。『ヴァイン』というのはおそらく姫の代役としてついてきてくれたもう1人のオークの名前であろう。
「………【あなたの名前は?】」
「……バンズ……」
「バンズさん……」
「……ゴロィア……お前……姫……好きか?」
「……っ!?」
突然そんなことを言われ、俺は自分の心臓が不自然な跳ね方をしたのを自覚した。一瞬で背筋に汗が噴き出た。間違いなく、顔が赤くなったことを火照った耳が教えてくれた。
俺は慌てて騎士の方に目を向けた。
俺がキルベ姫に『一目惚れ』したということを誰かに知られることは極めてまずいのだ。
感情を貴族社会に持ち込むとろくなことがない。特に愛憎に関しては非常に危険だ。飛びぬけた感情は時に大きな隙となる。付け込まれたら文字通りの死に直結する可能性だってある。
だが、騎士の肩は深い呼吸に合わせてわずかに上下しており、うたた寝の最中であるようであった。
俺は安堵の溜息を吐きだした。
そんな時、俺の背後でバンズが小さく笑った気がした。
「…………え?」
「…………」
だが、振り返ってみればバンズはいつもの仏頂面のまま。
岩のように凝り固まった彼の眉間の皺が取れる様など想像できず、俺は風の悪戯と結論づけた。
「……ゴロィア……好き……だな?」
「……あー……えと……そうですね……その……」
俺はなんと言葉を返したものか頭を悩ませた。
ジェレミアから教わったオーク語の中に適切な返事がなかった。
唯一使えそうなのは『好き』を意味する『ヴェイグ』だろうが、それを口にするのはどうしても憚られた。なぜだかわからないが言葉にできなかった。
俺は必死に昼間のジェレミアのオーク語の講義を思い起こしていたが、そこにこの状況を打破する選択肢は存在しなかった。
「えと……その……」
「……いい……わかった」
「え?」
「……言葉……いらない……私……わかった」
「いや、ちょっと待ってください」
何をどう理解されたのか。変な解釈をされていたらそれはそれで問題だった。
彼の言葉が片言だったとしても、帝国で余計なことを口走らないとは限らない。
彼には俺とキルベ姫の関係はあくまでも政略結婚であり、そこに余計な感情が介在していないことを理解してもらう必要があった。
「…………ゴロィア……姫……好き」
「いや、ですから、その」
「……私、姫、好き」
「え?それ、どういうことです?」
俺は自分の声のトーンが2ランクぐらい下がったことを自覚した。
我ながらあまりにも露骨な態度の取り方だ。
「……オーク……みんな……姫、好き」
「あ、なんだ……そういう……」
「……でも、昔、違う……」
「え?」
「……昔、オーク……姫、嫌い……」
「…………」
ピタリ、と俺の身体が硬直した。
バンズはそんな俺を見て、唇の端だけで小さく笑ったような気がした。
だが、顔の筋肉が動いた気配はなく、俺は炎が作り出した影の揺れだと結論付けた。
バンズは腰から干し肉を取り出し、半分にちぎって俺に渡してきた。
俺はそれを受け取り、端を噛みしめた。特別に塩のよく効いた干し肉だった。
バンズも同じように干し肉を齧りながら、小さな声で語りだした。
「……姫、オーク……でも、姫、オーク、違う……だから、オーク、姫、嫌い」
『嫌い』
バンズの放った言葉は本当に『嫌い』の一言に集約できることなのだろうか?
俺はそんなことを思った。
キルベ姫はあのオークの里で唯一の存在だった。他のオークとは顔つきも体躯もまるで違う。
そんな彼女が里の中でもてはやされていたわけではないのだと、バンズはそう言っているのだ。
里の中で嫌われていたという彼女は、どんな視線を向けられていたのだろうか?どんな仕打ちを受けてのだろうか?
押し黙る俺に構うことなく、バンズは話を続けた。
「……姫、剣、弱い」
「弱い?今のキルベ姫が?」
「……?」
「あー……えと……【今、キルベ姫、弱いのか?】」
「違う……今、姫、強い……でも、昔、姫、剣、弱い」
「…………」
「……昔、姫、剣弱い……姫、泣く……ずっと、ずっと……ずっと、ずっと……姫、泣いて、剣、振る、毎日……ずっと……ずっと……ずっと……」
バンズは『ずっと』という単語を繰り返した。
それだけ、長い間、キルベ姫の剣の腕前はオーク達の中では低いものだったのだ。
俺はキルベ姫の剣を思い出した。
花畑の中で、汗を散らせながら剣を振る彼女。
鋭く、強く、眩しいぐらいに真っすぐな剣。
彼女の剣技が一朝一夕ではたどり着けない領域にあることはわかっていた。その剣に乗せられた想いが軽くないのもわかっていた。
俺はその剣の裏に潜んでいた影の一部を垣間見ている。
人間でもオークでも、集団の中で特異なものを排斥したくなる感情は変わらないのなら、オークの里の中で唯一違う容姿を持つ彼女が経験してきた『痛み』はどういったものだったのだろうか。
奇異の目を向けられ、疎まれ、冷たく扱われる心の痛みには俺も覚えがある。
キルベ姫はそれを跳ね返す為に、周りから認めてもらう為に、強くなるしかないと剣を振り続けたのだ。
「……姫、剣、振る、毎日……だから、姫、今、強い……今、たくさんの、オーク……姫、勝つ、できない……姫、とても、強い」
バンズはそう言いながら、焚火に薪を放り投げた。
一際強くなった焚火から火の粉が散った。
「……オーク、皆、剣、振る……皆、振る、強いオーク、弱いオーク、皆、剣、振る……だから、強い、オーク、ずっと、強い……弱い、オーク、ずっと、弱い……オーク、ずっと、それ、信じる……それ、正しい、信じる……」
『強い者も弱い者も同じように努力する。だから、強い者は強いまま。弱い者は弱いままで差は縮まらない』
オークは皆そう考えていたというのだ。
それは、闘技場で鍛錬をしていた今のオークからは考えつかない思想だった。
じゃあ、彼等を変えたのは何なのか。
決まっている。
「でも、今、オーク、それ、信じる、しない……」
キルベ姫が、変えたのだ。
「姫、昔、弱い……でも、強い、なる……姫、10勝つ、20勝つ、50勝つ……たくさん、たくさん、勝つ……たくさんの、オーク、姫、勝つ、できない……弱い、姫、強い、姫、なる……だったら、弱い、オーク、強い、オーク、変わる、できる……姫、それ、オーク、教える……」
バンズは自分の剣を鞘をつけたまま腰から外し、地面に突き立てた。
「オーク、決闘、重んじる……武技、重んじる……それ、森と祈りの為……でも、今、違う……森と、祈り、と、自分の為……」
「…………」
「私、夢、ザクト、勝つ、だから、剣、ずっと、振る……たくさん、振る、里の中、一番、剣、振る……いや、間違い、二番、剣振る……一番、いつも、姫」
俺はバンズの話を聞きながら、ジェレミアの言葉を思い出していた。
『オークは『小兵が活躍する話』が好きなんですよ』
なんでオーク達がそんな話が好きなのか分かった気がした。
「……姫、オークの宝、夢……オーク、みんな、姫、好き……」
「…………【わかる】」
俺はオーク語でそう言った。
オーク語で喋れば例え騎士が起きていたとしても、内容はわからない。
気づけば俺は心の内をそのままの言葉で吐露していた。
「……【私、姫、好きです】」
「…………【ならいい】」
オーク語の返事を聞き取ることができて、俺は少し笑いそうになってしまった。
本当に、行きと帰りで気分が雲泥の差だ。
行きの道中でもこんな感じで焚火の傍で干し肉を齧っていた。だが、それは談笑の際のつまみなどではなかった。騎士達は俺を煙たがり、ジェレミアは今日と同じように早々に眠り、俺はただ1人で焚火の傍に座っていた。干し肉を齧っていたのも、腹を満たす為ではない。ただ何かしていないと不安で押しつぶされそうになっていたからだ。
それがこの帰り道ではなんと幸せなことか。
ぶっきらぼうながらも俺に何の衒いもなく話しかけてくれる隣人がいて、味が濃く嚙み応えのある干し肉があって、興味深い話に耳を傾ける。ここに酒でもあれば最高だったのだが、質の悪い葡萄酒を話の当てにするには勿体ない時間だった。
俺は漏れ出た笑みを隠すように干し肉を頬張った。
そして、俺はバンズに向け、オーク語で付け足した。
「……【私、姫、好き、秘密】」
「……【もちろん】」
バンズがまた干し肉を一枚取り出して、俺に分けてくれた。
夜食だけで腹一杯になりそうな夜だった。




