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状況が変わりました

「状況が変わりました。帰国を早めます」


突如やってきたジェレミア外交官は俺が部屋に入るなりそう言い放った。

立ち話もなんだとキルベ姫が外交官を部屋を招き入れ、俺達は部屋の中の丸テーブルを囲んで席についた。


正直言って、この時点で状況はかなり異常だった。


ジェレミア外交官は貴族の出ではあるが、王家に連なる者とは比べるべくもない血筋だ。外交の席で俺を始めとした王族と席を並べて座ることなどあり得ない。俺が侮られているのは間違いないが、その上であっても最低限の一線は守っていた。それに、オークの里とはいえ、キルベ姫は一国の姫にあたる。そんなところに男二人が押しかけてお茶会など常識では考えられなかった。


それだけ切羽詰まっているってことか。


「……申し訳ない、どうしても『キヴェイ』だけは慣れなくて。まだ眩暈がしてまして……」

「気にする必要、ない、父上も『キヴェイの儀式』は苦手だ。多分、まだ潰れてる」

「そう言っていただけるとありがたいです。うっ……また……きた……」


単純に、二日酔いがキツイだけだったかもしれないが。


俺は差し出された『ヴィバーチェ』を啜りながら、話を切り出した。


「それで、何があった?」

「ああ、そうですな。早速お話を、実は先程帝国から早馬が来ました。私と王子に向けての書状です」


差し出された書には差出人の名前もない。ただ、蝋に刻印された王家の印だけでこの手紙の差出人はわかる。俺に手紙を送ってくれる王族など一人しかいない。


すなわち、皇帝陛下だ。


「……嫌な予感がするな……」


というよりも、陛下からの連絡で『朗報』などというものは過去に一度たりともなかった。

だが、このまま手紙を手に持ったままでは何も始まらない。

俺は封を破り、中身へと目を走らせる。


そして俺は帝国語で最も品の無い罵倒スラングを呟いた。


「?」

「王子、姫の前で……それはいけません」

「あ、すまない……」


具体的に言うと『豚と交尾するための前戯にしか舌を使わねぇ臆病野郎が詭弁垂れてんじゃねぇぞ』という意味合いの言葉を短くした内容だ。本来ならこんな席では口が裂けても言ってはならない台詞であるのだが、思わずそう呟いてしまう程の手紙の内容であったのだ。


「しかし……これは……」

「ええ……」


俺はジェレミアと顔を見合わせる。ジェレミアの眉間には今までで見た中で一際深い皺が刻まれていた。


「あのエロジジィ……一体何を考えてやがる」


俺の頭の中に脂ぎったハゲ面の顔が浮かんでいた。

ハゲの名はケルビン=マーロゥ。帝国と幾度となく戦火を交えてきたギリギア諸国連合。その領主の1人だ。彼はこの『黒の森』を隔てて帝国の反対側に位置する土地の領主であった。


『黒の森』が接している主な国は3つ。


俺の出身地である『サーズルス帝国』。

世界中に信者を持つ教会が領土を持って国となった『ロヌニア教国』。

そして、複数の領主による連合国家である『ギリギア諸国連合』だ。


その他には、小国がいくつかとエルフが支配する『霞の森』が山を隔てた場所にあったりするのだが、要点となるのはその3つだ。


それら3か国の中心点に位置する『黒の森』は周辺国にとって喉から手が出る程に欲しい要衝である。


過去にこの森を自国領にしようといくつもの勢力が争ったが、結局『黒の森』を縄張りとするオークを追い出すことはできなかった。2500平方マイル(約6000平方Km)にも及ぶ広大な森に踏み入れた軍隊はその多くが数多くの罠と度重なる奇襲により壊滅の憂き目をたどった。その為、『黒の森』は今も人間が立ち入ることができない不可侵地帯となってしまっている。


今回、俺が政略結婚を通じてこの土地に送り込まれた最大の目的がそこであった。この場所に街道を通すことができればこの森に繋がる3つの国との交通路を握ることができる。それは『王子』を人質に差し出して余りある利益だ。


そして、今回問題となったのがその3カ国の中の一つである『ギリギア諸国連合』であった。


ギリギア諸国連合は皇帝を中心とした一枚岩の国家ではない。複数の領主がそれぞれ土地を収め、軍隊を持ち、独立した勢力を持っている。その複数の領主達の『連合国家』。それが『ギリギア諸国連合』だ。そして、その領主の一人がケルビン=マーロゥなのだ。彼の治めるマーロゥ領は『黒の森』に接している土地であった。


帝国とマーロゥ領は『黒の森』を挟んでいるため、直接戦争をしたことはないが、隣国には間違いない。俺も社交の場で幾度かケルビン=マーロゥに会ったことがある。


正直言ってあまり良い印象はない相手だった。


野心家で自信家であるが、会話の内容が今一つ浅慮で短絡的だ。そのくせ、大層な好事家で有名で、城下には彼の子供が30人はいると噂する者もいる。『黒の森』だけではなく、連合国内の他の領主ともたびたび小競り合いを起こしており、帝国内でも『連合内部で戦争が起きるとすればマーロゥ領』と言われるぐらいには不穏な土地であった。


そして、陛下からの手紙では『黒の森』の境界線によからぬ動きがあることが書かれていた。

武器や食料の搬入、徴兵の増加、金属や革製品の価格高騰などなど。そのどれもが、戦争の下準備であった。


ケルビン=マーロゥは過去の歴史を顧みず、再び『黒の森』に攻勢をかけるつもりなのだろうか?


オーク達が負けるとは思わないが、このタイミングでの戦争はまずい。


俺がオークの里に政略結婚に出向いた話は領内の人々の口の端に登る程度には広まっている。だが、それはあくまで噂話の域だ。正式に発表はしておらず、他国が『黒の森』に攻め込んだところで帝国が介入する大義名分がないのだ。理由もないのに、ギリギア連合と衝突すればそのまま大規模な戦争に繋がりかねない。


だからといって、知らんぷりを決め込むのも考えものだった。


これから同盟を結ぼうとしている相手が戦争時に救援してくれなかったとなれば、信頼関係に支障が出ることは間違いない。特にオークの戦いに関する真摯な姿勢を想えば、戦争から『逃げる』ような態度は政略結婚の話が立ち消える可能性だってある。


その隙に他の国にオーク達が懐柔されるようなことになれば、帝国の失う損失は戦争の比ではない。


それに……


俺はチラリとキルベを伺う。


キルベは手紙の内容が気になるようであったが、皇帝陛下からの正式な書状を盗み見るわけにもいかず、部屋の灯りを点ける為に部屋の中を歩き回っていた。

その後ろ姿だけでも洗練された所作の美しさがわかる。


彼女がオークの姫だとわかれば他国の連中もこぞって政略結婚を画策するだろう。


俺の中に一筋の影が差した。


「しかし、これは一大事だ。ザクト殿にもお伝えした方がよいのでは」

「はい。そう思い、先程お伺いしたのですが……」

「ですが?」

「……まだ、寝込んでおいででしたので、先に殿下にお伝えしようかと」

「…………あぁ、なるほど」


どうやらザクト殿が『キヴェイ』の儀式が苦手というのは本当だったようだった。

再び椅子に座ったキルベが『しょうがない人だ』とでも言いたげな顔で眉間に皺を寄せていた。


「ジェレミア……私が聞く……ザクト=バル酋長の娘、キルベ=バルとして責任を持って皆に伝えよう」

「そうですか。わかりました……では端的に」


そこから、ジェレミア外交官はオーク語を用いて、手紙の内容をキルベに伝えた。キルベは時折質問を投げかけながらも、一切の表情を崩すことなく話を聞いていた。

しばらく、オーク語での会話が続き、俺が会話から締め出される。


帝国に帰ったらオーク語の勉強しよう。


俺は改めてそう誓う。そして、しばらく経った頃にジェレミア外交官は最後に俺の顔を横目で伺い、帝国公用語での会話に戻した。


「キルベ姫……その為、結婚を早めることはできません。その代わり、今回の婚約を大々的に発表すべきと陛下は考えておいでです。ケルビン公爵も『黒の森』が帝国の同盟国となれば事を構えようとはしないでしょう」

「……ヤー、そうだな、我々も、戦争は避けたい…特にマーロゥ領とは戦いたくない……」

「…………」


それは随分と消極的な発言だった。


おれは「おやっ?」と思った。


キルベ姫の今の発言が個人の主義主張としてのものなのか、それとも里全体の総意としての公的な意味を持つ発現なのかは定かではない。だが、過去の戦績を考えても『連合』の一領主を相手にそこまで弱気になる理由はないように思えた。


俺はその疑問をそのままキルベ姫にぶつけてみることにした。


「キルベ姫はマーロゥ領との戦争は希望しないのですか?」

「ああ……マーロゥ領の奴らは……森を焼く……前の戦争ではそうだった……我々は森に生き、森に生かされている……森を燃やす者達と戦いたくない」

「……なるほど……」

「……森は……有限だ……民が有限であるのと同じく……それを削るような戦いは無価値だ……」


同感だった。

キルベ姫はジェレミア外交官に向け小さく頷いた。


「……ジェレミア……政略結婚を早めることはできないは理解した。私も皇帝陛下のお考えに賛成いたすです、とお伝えください」

「わかりました。それでは、そのようにいたしましょう……というわけで殿下」

「うむ、なんだ?」


俺は『ヴィヴァーチェ』を口に含みな、カップをテーブルに下ろした。


「帝都に帰る際はキルベ姫も同行します。城で陛下の名の下に盛大な舞踏会を開き、その場で姫との婚約を正式に発表することとしました」


俺は数秒かけてゆっくりと『ヴィヴァーチェ』を呑み込んだ。

そして、口の中でもう一度『ヴィヴァーチェ』の味を反芻する。


数秒に渡る現実逃避の末、俺の頭蓋内にようやくジェレミア外交官の言葉が突き刺さってきた。




「………………は?」




俺がキルベ姫と顔を合わせると、彼女は「よ、よろしくお願いいたします」と言って静かに頭を下げたのだった。

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