面倒事は重なるもの
帝国で『狼』と称されるのは野盗か野心家ぐらいだ。卑怯者の代名詞でもあり、若干どう反応したものか迷うところであったが、どうやら他意はないらしかった。俺達にとっては狼は行商人や旅人の積み荷と命を狙う障害でしかない。
だが、どうやらオーク達の中では違うようだ。森を住処にしている彼等にとっては狼は隣人なのだろう。土地が変われば物事の捉え方も異なる。それは当たり前のことであるが、実際に耳にしてみるとやはり違和感というか、『差』というものを感じてしまった。
「あっ、大丈夫ですよ、私もキルベ姫がそんな意味で使ったわけでないとわかってますから」
俺は慌てて取り繕うようなことを言ってみせるが、今更後の祭りだった。
「あっ……うっ……そ、そうか、うぅ……失礼した……もう、言わないようにする」
「…………」
忌々しいもんだ。
俺は内心で舌打ちを放つ。
先程まで凛々しく戦っていたオーク酋長の娘はもういない。
俺の隣を歩いているのはただ帝国の威信に怯えてへりくだるだけの一国の姫だ。
宗主国と従属国
それは俺が帝国の人間で彼女がオークの里の姫である以上は永遠につきまとう。俺が婿入りする立場でもその上下関係は変わらない。
俺達は個人ではないのだ。背中には数多の人生が乗っかっている。今回の婚姻などその最たるものだ。俺達は自分の意思とは関わらず、伴侶を決め、子を儲け、その子供すら政治の為に活用する。
俺だってここに来る前はそんな関係性を望んでいた。オークの連中などとは必要以上に関わりたくなかった。言葉1つとっても立場という色ガラスを通した上での関係で良かった。婚姻とは名ばかりの外交の一種だと割り切りたかった。
だが、俺はもうそれだけではいられないのだ。
キルベ姫の努力家な一面は何度も垣間見た。武術に真摯に向き合う姿を美しいと思った。彼女の歌声をいつまでも聞いていたいと思った。
惚れてしまったのだ。好きになってしまったのだ。あわよくば、キルベ姫にも俺のことを好きになって欲しいと願ってしまった。
だから、俺はキルベ姫には心から笑っていて欲しいのだ。
俺はチラリと横目を向け、視界の端で彼女の表情を盗み見る。
彼女は少し俯いたまま、自分の側頭部を軽く拳骨で叩いていた。彼女なりの反省の仕草なのだろうが、一発毎に重厚な響きがゴンゴンと鳴るので少々恐ろしい。
何か言ってやるべきなのだろうが、ここで咄嗟のフォローが出てこないのが俺という人間であった。
浮かんでくるのは人を慰める言葉ではなく、追い打ちをかけて黙らせる言葉ばかり。社交界で少しでも隙を見せれば要らぬ因縁をつけられてきた弊害であった。
それでも、何か言わなければこの沈黙は終わらない。
「あぁ……その……キルベ姫……」
「は、はい……」
「オークの人々は……えと……狼を……恐ろしいとは思わないのですか?」
「え?」
「あぁ、いえ、帝国での狼の印象とこの地での狼の印象が違うのが気になったものですから……そ、それと……その……」
俺は髪をかき上げながら言葉を探す。
「キルベ姫は狼が……好きなんですよね」
「はい……」
「その、自分は……その……キルベ姫が好きなものを……知りたいな、と」
ああ、ダメだ。これはダメだ。非常に危険だ。
俺は自分の頬に熱が昇ってくる感覚を自覚した。
耳まで熱い。間違いなく赤くなっている。
それの何が危険かというと、俺が照れていることがキルベ姫にも間違いなく見えているということだ。
『惚れた弱味』とは言わないが、政略結婚に愛憎が絡むとロクなことがないのは歴史が示している。
俺達はあくまでも表面上は政治的関係を保っていた方がいいのだ。俺が彼女に惚れたことは胸に秘め、彼女の幸福はそれとなく守るぐらいがちょうどいいのだ。
それが、こうも照れくさりながら『君の好きなものを知りたい』などと、馬鹿丸出しもいいところだ。
願わくば、キルベ姫が他人の顔色の機微に鈍感であって欲しかった。彼女はオークの里の姫君なのだから、『人間』の顔色を読むことは苦手のはず。
俺は瞳にかかる前髪の隙間から彼女へと目を向ける。
「……そ、そうか……そうなのか……」
そこにはどこか安心したような顔で柔和な笑みを浮かべるキルベ姫がいた。
先程の失言を俺が気にしていないことが伝わったのか?
単純に俺が狼のことを好きになろうとしてくれるのが嬉しかったのか?
それとも俺が好意的感情を抱いてることがバレたのか?
どれだ?ってか、一番まずいのは俺が好意を抱いてることがバレることだ。もし好意に付け込まれて今後の外交交渉に面倒が生じたら帝国の今後の利権に関わる。いや、もう今更か?いやいや、大丈夫だろ。キルベ姫は所詮外交もしたことない田舎姫だ。好意を利用して政治を動かすなんて真似はできないだろう。だけど、この勤勉さと愛国心だからな。切羽詰まったらそういうカードに踏み切ることも考えられる。俺の愛国心で太刀打ちできるか。できるわけねぇよな。あぁ、クソっ!キルベ姫に涙目で迫られたらどんな条約でも締結のために努力してしまう未来の自分が見える。これじゃあ吟遊詩人に謳われる情熱的で馬鹿な王子そのものじゃねぇか。
そんな内心の葛藤を覆い隠す『王子』としての薄ら笑いはもうできない。
俺は何度も髪をかき上げながら真一文字に結んだ口の奥で自分への罵詈雑言を噛み潰す。
「お、王子?どうしたか?……虫でも口に入ったか?」
「いえ……いや、そうですね、苦虫は噛み潰してますかね」
「えと……」
流石にキルベ姫も慣用句までは勉強していないようだった。
彼女は帝国語を学んで間もない。わからなくてもしょうがない話だった。
それに、準備せずに『狼とオークの文化』を咄嗟に説明することもできない。
「あっ、あっ、そうだ、狼のことだったな、えと……狼のことか、えと……か、狩りは、その……えと……えーと……」
俺は自分が話題運びに失敗したことをつくづく反省した
「申し訳ない。説明となると帝国語では難しいですよね」
「す、すまない……不勉強で……」
しょげるキルベ姫に向け、俺は首を横に振る。
「いえ、いいんです。自分が浅はかでした。そうですね、次に来た時に教えてください。」
「そ、そうか……うむ、次だな……次……」
「ええ、次……です」
「…………」
「…………」
不意に風が吹いた。森の中の静謐な風の中に花の香りが混じる。木々の隙間からキルベ姫の庭が見える。
その時、キルベ姫がポツリと呟いた。
「次は……」
俺の頬から熱が引いていく。
「……『次』は……いつになるかな?」
俺は内心でもう一度悪態をつく。ここまで失言を繰り返したのは初めての経験だった。
いくらなんでも気が緩み過ぎである。
『次』の話が面白い話になるわけがないのだ。
「そうですね、『次』は……いつになりますかね」
「あっ!!そのっ!!違う!!違うのだ!……ゴロ王子は王子だ!都合がある!わかっている!!予定では3か月後だ……そこで、両国の同盟条約の詳細を詰め、その1月後には同盟締結と同時に……」
「結婚式ですね」
「う、うむ……」
俺達が結婚するまでに顔を合わせるのは今回を含めて3回の予定だった。
ただ、3か月後は同盟締結の下準備が主であり、俺が出席しなくても話は回る。なので、俺がキルベ姫と顔を合わせる必要性はない。今回の訪問後、次に会うのは結婚式場という流れになる可能性も高かった。
高かったんだけどなぁ……
「ただ、それは『キヴェイ』を結婚式の直前に行ったという前提の話でしょう?」
「え?」
「私は昨日の儀式で部族の一人と認められた、という認識で間違いありませんよね?」
「ああ……ああっ!!」
俺の中の理性が止めろと叫ぶ。王子としての最後の自覚が必死に口を閉ざそうとしている。だが、俺はそんなことお構いなしで口を開いた。もう今更『失言』を気にすることの方が馬鹿らしくなっていた。
「また会いに来ますよ。キルベ姫」
それは、誰が聞いても言い逃れできないものだったであろう。
鎧の仮面も、『王子』としての立場も、政略結婚という建前すら忘れ去り、俺はそう言った。
「本当か!また、来てくれるか!?」
「ええ、その時には自分もオーク語を勉強しておきます。私も、この土地が好きになってきましたからね」
「そうか!!それは嬉しい!!私は、嬉しい!!」
「それは良かった」
そんな話をしているうちに俺達は森を抜けた。
花畑に足を踏み入れた途端に彼女は飛ぶような足取りで駆けだしていく。
「ゴロ王子、一息つこう!喉が渇いたろう!?準備する!!」
彼女は俺の返事を待たずに部屋の中へと消えてしまう。
俺は少し軋む体を伸ばしながら、バルコニーに備え付けられていた椅子に深く腰掛けた。
「ふぅ……」
大きく息を吸い込むと、花畑の柔らかな香りがする。
太陽も随分と傾き、涼し気な風が吹き抜けるバルコニーは疲れた身体に睡魔を呼び込む。
「ああ、いつぶりだろうな……こんなに、穏やかな日は……」
身体は適度に疲れ、心を縛る憂いもない。
この地での今回の仕事は終わった。オークの里なら命を狙ってくる暗殺者も入れない。
このまま、羊毛に包まれるように、無防備な心のまま睡魔の中に身を落とせればどれだけ幸せだろうか。
だが、こういう時にこそ、不穏な知らせというのは届くのだ。
「キルベヴ、ゲクズギューズビ」
ノックの音と共に聞こえてきたジェレミア外交官の声。
扉越しでもわかる、慌ててた様子の声が俺の意識を覚醒へと近づける。
「……さて、何事だろうかな」
バルコニーの窓から部屋の中を除けば、額に汗をかいたジェレミア外交官が俺の姿を見つけて目を見開いている様子が見えた。彼は一瞬だけ安堵したような、嬉しそうな、それでいて下世話な老人特有の腑抜け面をしてみせたが、すぐさま外交官としての顔に戻り、キルベ姫に頭を下げだした。
「楽しい話題ではなさそうだな……」
俺は服の下でナイフの柄に触れる。
立ち上がった時には俺の顔には既に『王子』としてのすまし顔が張り付いていた。




