手を当てるから手当
戦いが終わった。
俺はそのまま膝をついて、大きく息を吐きだした。
「ゴロ王子は……強いな……」
額を合わせたままキルベ姫はそう言った。
俺は苦笑いを浮かべ、少し顎を引く。
「そんなことないですよ……キルベ姫、加減してくれたのでしょう?」
「あ……すまない……最後の一撃だけ……ゴロ王子の腕を砕くわけにはいかないから……」
「でしょうね……あの時、キルベ姫が本気で振り抜いていたら自分の腕は使い物にならなくなっていた……キルベ姫の勝ちですよ」
「いや違うぞ、この距離なら、ゴロ王子は折れた腕でも私を刺せる。ゴロ王子の勝ちだ」
「いえ、今回は姫の……」
「違う!王子の勝ちだ!」
「姫の勝ちですって!」
「そうじゃない!だから……いたっ……」
「あっ!姫っ!!」
少し声を荒げそうになったその時、俺の額から流れ落ちた血が彼女の目に入り込んだ。
俺は急いで額を離し、彼女の頬に手を当てた。
「うっっ……しみる……」
「動かないで、ちょっと待ってください」
俺は自分のシャツの裾で彼女の瞳に入った血を吸い取るように拭っていく。
その間も俺の額からは血が流れ落ち続けていたが、そんなことは気にしなかった。
俺の傷などそのうち止まる。それよりも彼女の綺麗な瞳が病気にでもなったらそちらの方が大事だった。
「どうです?目を開けてみてください?大丈夫ですか?」
「う、うん……大丈夫……問題ない……ありがとう……って、王子っ!あなたも血が」
「え?ああ、この傷ですか?このぐらい、拭っておけば……」
ちょうど左の眉尻の上のあたりが切れていた。傷口を袖で拭ったが、頬に伝う液体の感触が途切れない。思った以上に深く切ったようだった。後で縛っておくか、と思ったその時だった。
不意にキルベ姫の手が俺の頬に伸びた。
「あっ……」
「動く……だめ」
キルベ姫に引き寄せられる。俺は彼女の前に屈むような姿勢になる。
「デール……傷……深いから縛るぞ」
すると、キルベ姫はどこからかさらしを取り出し、俺の額に巻き付け始めた。
「姫……そこまでしなくても」
「ダメだ。小さな傷でも危ない!私は昔、小さな傷が……えと、えーと……『膿』!『膿』なる、して大変なことになったんだ!王子がそんなことになったら大変だ」
この程度の傷など酒場の喧嘩じゃ時々あることだから笑って流していいのだが、彼女が巻くさらしの適度な圧迫感が心地よく、俺はされるがままになる。
ただ、ここで1つ問題が起きた。
「ん?」
彼女は上体を伸ばして、俺の額にさらしを巻いてくれている。その為、自然と俺の目の前には彼女の胸元があるわけなのだが、そこは先程までとまるで様子が違っていた。
割としっかりとした膨らみがあるキルベ姫の胸元は戦いの最中はしっかりと締められてまるで動きがなかったはずだった。
だが、それが今や彼女の上半身の動きに合わせて緩やかに揺れていた。それはもう、たわわに実った果実が風に吹かれて揺れるが如く揺れていた。
それに、心なしか先程までと比べて大きさが増しているような気もする。
「…………キルベ姫……」
「ん?どうした?きついか?」
「あ……いえ……大丈夫です……」
彼女はこの直前まで剣の稽古をしていたのだから、持ち合わせのさらしなどないはずで。じゃあ、今俺の頭に巻かれているさらしがどこから現れたかというと、彼女の持ち物以外からは有り得なくて。
「こでれよし……ん?ゴロ王子、顔が赤いが、やっぱりきつかったか?」
「あ……いえ……その……お構いなく」
そこまで初心ではないつもりでいたが、流石にこれはちょっと反則だろう。
俺はキルベ姫に弾き飛ばされたナイフを探すふりをして、キルベ姫に背を向けた。
「………………」
額のさらしからは彼女の濃厚な香りが漂ってきており、わずかに湿り気も感じる。俺はこのさらしが直前までどこにあったのかを極力考えないことにした。キルベ姫の容姿を頭から追い出し、王都に置いてきた友人の顔を思い出して頭の中をクールダウンする。
「よし……うん、よし……うんうん」
「あ、ゴロ王子?」
「ああ、いえ。なんでもありませんよ。冷えますし、戻りましょうか」
「そうだな、なにか、温かいものを淹れよう。ゴロ王子の気分はどうだ?」
「え?あぁ、二日酔いですか、そういえば気にならなくなってきましたね」
「そうか、良かった」
俺は外交で鍛えあげた笑みを浮かべて、キルベ姫に応答する。だが、顔色や声音はごまかせても男としての本能はどうしても誤魔化せない。なにせ、彼女が動くたびに豊かな胸元が無防備な程に揺れ動くのだ。先程まで慎ましい印象があったこともあり、あまりに強調されているせいで意識が完全にもっていかれる。視線だけは決して向けないようにしながら俺は仮面を絶対に崩すまいと腹に力を込めた。
だが、ちょっと待って欲しい。
キルベ姫は同年代の人間の女性と比較しても明らかに上背がある。そのせいもあって、全体像を眺めるとやや細身の印象を受けるのだ。実際は手足は筋肉質なこともあって、一般女性と比べればやや太いのだが、それを含めた上で均整の取れた美しさがある。世が世なら彼女は流行のドレスを身にまとって世界中から視線を一身に浴びていただろう。
そういった『細身』であるという印象を俺の目にがっつりと植え付けていた上でだ、突然その梯子を外されたのだ。唐突に膨らんだ胸元。平均と比べれば別に大きいわけではないが、揺れ動くぐらいにはしっかりと実った果実だ。しかも彼女の服装は激しい運動にも耐えうるように袖や襟が大きくとられている。先程の試合中も胸元のさらしが見え隠れしていたのだ。そこにいきなり彼女の素肌が現れたのだから……目を引かれてもしょうがねぇじゃん!!
「……ふぅ……」
「ゴロ王子?なにか、したか?」
「ああ、いえ……」
俺はなんとか自分の気持ちを別のところに向けようと話題を探す。
「そういえば、昨日の自分とザクト殿の試合なんですが、キルベ姫は御覧になってましたか?」
「ああ、見ていた」
「やはりですか。試合の時にあなたの髪色が見えた気がしていたんです」
ザクトからの痛烈な一撃を側頭部に貰った直後に俺の視界に彼女の金色の髪が見えた気がしたのだ。
「あっ、もしかして、気を散らせしたか!?」
「いえ、むしろ逆です」
「逆?」
「ええ、あなたの前で無様なところは見せられませんからね。気合が入りました。とはいえ、負けてしまいましたが」
「いや、父上が傷を負ったのを見たの、久しぶり。ゴロ王子のナイフ格闘術はすごい。今日、相対してわかった。低い相手との戦い、あんなにやりにくいとは。村の戦士、皆、私より高い。私も、低い位置から狙う攻撃はよくする。でも、ゴロ王子はそれより低い。まるで、狼だ」
「狼、ですか?」
「ああ、私、狼、好きだ。知っているか?狼は一度夫婦となると生涯を共にする。家族の絆も強く、慈悲深く、そして強い」
「…………なるほど」
少しばかり俺の声音が変わる。
キルベ姫はそれを敏感に感じ取った。
「ゴロ王子、どうかしたか?」
「いえ、こちらの国では『狼』は『卑怯者』とか『裏切り者』の代名詞なので少し驚いただけでして……」
その瞬間、俺は喉の奥を慌てて閉じた。
だが、発してしまった言葉はもう戻らない。
俺が内心で自分の失言に舌打ちをした時には、既にキルベ姫の顔には恐怖の色が浮かび上がっていた。
あぁ、本当に……忌々しい……




