口下手な自分
キルベ姫の剣。
踏み込み、振り払い、突き刺し、切り上げ、叩きつける。
全ての動きに意味があり、全ての動きが澱みない連撃として機能していた。
躍動する筋肉には血管が筋となって浮かび上がり、頬を伝う汗を飛び散らせながら、彼女は剣振り抜いた。
そんなキルベ姫の動き突然ビクリと止まった。
「ゴ、ゴロ王子!」
キルベ姫は剣を下ろし、素っ頓狂な声をあげた。そして、彼女は慌てて剣を自分の身体の後ろに隠してしまう。彼女はキョロキョロと周囲に視線を巡らせ、何度も前髪を撫で付けていた。それはまるで、子供が壺を割ってしまったのを誤魔化そうとしている仕草のようだった。
なんだかキルベ姫が急に幼くなってしまったような気がして、俺はクスリと笑ってしまった。
そんな俺の表情に気が付いたのか、キルベ姫の頬が耳まで真っ赤に染まる。
「あ、失礼。覗き見する意図はなかったのですが」
「ゴ、ゴロ王子!今の見ていたのですか!?」
キルベ姫の上擦った声でそう言った。
それは随分と切羽詰まったような声音であった。
まるで、自分の最も知られたくない秘密を見られたかのような態度だ。
俺は内心で首を傾げた。
彼女が慌てている理由が今一つわからなかった。
彼女の服装は自分が眠りにつく前と同じもので、別段はだけているわけでもない。確かに汗だくの姿で少々透けていることは否定しないが、胸元にはさらしを巻いているようで大事なところは見えていない。嫁入り前の姫としては肌を見せすぎだと言われればその通りではあるので、その辺りだろうか。
俺はそう思い、遅ればせながら目を背けることにした。
「あぁ……今しがたですけど。いや、声をかければ良かったですね。申し訳ない。ただ、素晴らしい剣だと見惚れてしまいまして」
「そ、そんな!私の剣など、そんな、見てはいけない!」
「そんなこと……」
「見せられないのだ!!あぁ、ジェイブ、ジェイブゾウ……」
オークの言葉で何やら呟く彼女。俺はチラリと横目でキルベ姫を盗み見る。
彼女は自分の身体で剣を隠したまま、片手で頭を抱えて唸っていた。
「……そんなに剣を見られるのがお嫌でしたか?」
「そ、それは……」
「私も一応は剣を学んだ身です。キルベ姫の剣は決して酷いものではないと思いますが、むしろ……その……」
「…………?」
「あぁ……その……」
『美しかった』
なぜかその言葉が喉奥で止まり、俺は自分の顎を親指で押し潰す。
だが、どれだけ痛みを与えても出てくるのは唾液ばかりで、ついぞその言葉は出てくれなかった。
「ぁぁ、その……良いものかと思います」
俺は自分の舌のヘタレ具合に心底呆れながらそう言った。
ただ、やはりその程度の言葉ではキルベ姫を励ますことはできなかったようだった。
「そ、そんな……そんなことはない……です」
キルベ姫は頭痛を抱えたように顔を伏せてしまった。
「…………」
何やら事情があるのだろうか。
オークの社会は武を重んじる。俺の目からはキルベ姫の剣技はオーク相手でも引けを取らないと思ったが、本物のオークの基準で見れば恥を覚える程に拙いものなのだろうか。
ただ、昨日の闘技場の様子を思い出し、俺はやはり首を捻る。
彼等は人間の矮小な小さなナイフでの戦闘であっても、そこに『強さ』があれば手を叩いて賞賛してくれる。武という基準に関してはどんな相手でも評価すべきところは評価する。オークはそういう種族だという印象があったのだが、やはり村社会の『中』と『外』では態度が変わるものだろうか。
ただ、あの時の歓声が『帝国からの使者の一人であるからこそのおべっかでの賞賛の声』とはどうしても思えなかった。あの闘技場でキルベ姫が剣を披露すれば確実に拍手で迎えられるはずだ。ジェレミア外交官が言うにはオークは『小兵が活躍する話』が好きなのだからキルベ姫も受け入れられるはずだ。
だが、俺はオーク族の文化については素人だ。もしかしたら首魁の娘というのはそれなりに抱えているものがあるのかもしれない。
ジェレミアであればキルベ姫の態度にも説明ができたのかもしれないが、ないものねだりをしていても意味がない。
ならば、今の俺にできることはなんだろうか……
俺はこれまでに知ったオーク族の人達のことを思い起こした。
里の人達、宴会の席にいた人達、そして闘技場にいた人達。
それぞれの顔を思い浮かべ、そして最後に彼女の父であるザクト=バルのことを思い出した。
「キルベ姫……」
「は、はい」
「もしよろしければですが……私と手合わせ願えますか?」
「えっ!?」
俺は肩や腰を回して筋をほぐしながら闘技場へと歩み寄った。
「恥ずかしながら、昨日は久しぶりに短剣を振るいましてね。随分と無様を晒してしまいました。戦いの感覚が残っているうちに少し訓練をしたいのです。姫君にこんなことを頼むのはいささか恐縮ですが、よろしければお相手をお願いできますか?」
俺がそう言うと、キルベ姫はキョトンとした顔をして目をまん丸に見開いていた。
「……い、いいの……か?」
「もちろんですが……何か不都合が?」
「……あ、その……」
キルベ姫はモジモジと足先を擦り合わせ、叱られた子供のように俯いた。
「帝国の姫は……その、剣など握らないのだろ?」
「え?ええ、まぁ、確かに一般的ではありませんが」
「だから……その……私が剣の訓練をするのは変では……ないのか?人間の社会では……間違っているのでは……ないのか?」
キルベ姫は上目遣いに俺を見上げ、そんなことを言う。
「だから、その……わ、私は!ゴロ王子と結婚したらもう剣は握らないつもりで……その、王子の妻としてふさわしい淑女になるのだ!必ずだ!だから……これは、その……最後の……訓練で……その……だから……見て欲しく……なくて、その……」
今度は俺がキョトンとした顔になる番であった。
「くっ……くふふふ……」
喉奥から変な笑い声がこぼれる。
「お、王子?」
「くふふふ、はは……ああ、失礼……ははっ……」
完全に不意をつかれた。
笑いがこらえきれない。
「はははは、ははははっはっ……すいません、キルベ姫……ですが……その……くふふっ……」
この土地に来て色々なことがあった。
色々あり過ぎた。
そのせいか、笑いの沸点が随分と低くなってしまっていたようだった。
「ああ…キルベ姫……あなたは、本当に……素敵な方だ……自分にはもったいない」
「え?」
俺は昨日まで、絶望のどん底だった。何も残されていないと思っていた。
この身にあるのはただ国に対する忠誠のみ。それだけを心の支えに生きていくしかないと思っていたのだ。
そして、どうやらそれは自分だけではなかったのだ。
彼女だってこの結婚を望んだわけではなかった。
色々なことを諦め、我慢し、故郷の為に心を押し殺して殉じるつもりだったのだ。
彼女の剣は素晴らしい。それは一朝一夕でものにできるものではない。長い時間をかけた研鑽と地道に積み重ねた努力がなせる技だ。
彼女はそんな自分のアイデンティティの一つともいえるものを捨てる覚悟でいたのだ。
ああ、俺は本当に愚かだ。愚かすぎて笑えてくる。
俺は勝手に絶望して、勝手に希望を抱いて、勝手に未来に安堵を覚えていた。
違うだろゴロニア=テッツベルク=ルン=サーズルス。
『惚れた弱味』と自覚があるのならお前が真っ先にやるべきことは別にあるだろう。
「ははは……はぁ……」
俺は呆れたようにため息を吐きだし、キルベ姫に向けて優しく笑いかけた。
それは、王族としての仮面も、貴族としての外面も全て脱ぎ捨てた、一人の人間として相手を思いやる為に向ける笑顔であった。
「いいんですよ。キルベ姫……あなたはあなたのままでいてください」
「え……」
「私はあなたから何かを奪うつもりはありません。好きなことを教えてください。やりたいことを教えてください……もちろん、全てを叶えて差し上げることはできないと思いますが、できる限りのことをさせてください」
「で、でも……人間は……貴族というものは……」
「まぁそうですが……そうですね……じゃあ、ハッキリ言いましょう……」
俺は先程腹の中に収めてしまった言葉をもう一度口の中で反芻する。
なぜか、今度は簡単に言えるような気がした。
「私は……あなたの剣が美しいと思いました」
「っ……」
こんな簡単なことがなぜ先程は言えなかったのか不思議なくらいだった。
久しぶりに腹の底から笑ったので、心の中の枷が1つ残らず消えてしまったかのかもしれない。
「私は姫の剣をもっと見ていたいと思いました。なんなら私にもご教授いただければと思いました……私との結婚でその剣を失ってしまうなんてあまりに惜しい」
「……い、いいのか?」
「もちろんです」
俺がそう言って笑みを深める。
「ほ、本当に!?」
「ええ」
「あっ、えっ、そうか!そうか!ザックュー!!あ、えと……あ、ありがとう!ありがとうございます!」
キルベ姫は何度も礼を言いながら、背中に隠していた剣を胸元で抱きしめていた。
それはまるで大好きなぬいぐるみを抱きしめる少女のようであった。
「それで、その代わりと言ってはなんですが……」
「え……」
ピシリ、と音がするように彼女の顔色が変わった
貴族、特に国家同士の権力を持つ者達の間に一方的な要求などほぼ通らない。
何かを得れば、何かを失う。
それは、個人対個人の関係でも一緒だ。
オーク達の代表として外交という立場に立たされたキルベ姫もそれはわかっているはずだ。
手放しで喜んでいた彼女の顔が一気に色の無いものに変わっていく。
「な、なんでしょう……」
キルベ姫はまだ『おすまし顔』というのは苦手なようで彼女の声の端々が震えていた。
自分が一番に大切にしているものを保護してもらったのだから相応の要求があることに怯えているようだった。不用意に言質を与えてしまったことを心の底から後悔していそうな彼女に今度は別の意味で笑いそうになる。
「いえいえ、大したことじゃありません」
「…………」
まるっきり信用していない、という顔をされた。
というか、そんな顔もできるんだな。
まぁ、俺が彼女の色んな表情を引き出したくて、わざと言葉を遠回しにしているんだが。
とはいえ、あんまりイジメ過ぎるのも良くないな。
俺は手の中でナイフの柄に触れた。
「実は……私の得意なナイフ格闘術ですが……あまり大ぴらに見せられるものではないんです」
「えっ!?あんなに素晴らしいのに!?」
武術の話で瞬時に素の表情に戻ったキルベ姫。
俺はまた噴き出しそうになるのをこらえながら、言葉を続ける。
「ですから、定期的にお相手願いたいのです。キルベ姫とならいい訓練になりそうだ」
「あ……うん……うん!!もちろんだとも!お付き合いする!いくらでも一緒に訓練しよう!!」
「ありがとうございます……それで、最初の問いに戻るわけですが……」
最初の問い。
それに思い当たったのか、キルベ姫が八重歯を見せて笑った。
俺もまたそれに釣られるように口角を必要以上に持ち上げて笑ってみせる。
相手に歯を見せる行為は獣の間では威嚇の時だけだ。笑顔とは本来は相手に対する示威行為であると、何かの本で読んだ覚えがあった。
俺は今まで被っていた様々な仮面を脱ぎ捨て、手の中でナイフをクルリと回した。
「もしよろしければですが……私と手合わせ願えますか?」
そんな俺に答えるようにキルベ姫が剣を肩に担ぎあげる。
「ああ、もちろんだ!」
そう言ったキルベ姫の好戦的な顔は昨日対峙したザクト殿とどことなく似ていて、やはり親子なのだと改めて認識したのだった。




