目覚めた時には
シチューを食べてる最中は少し気分が改善していたが、やっぱり『キヴェイ』の力は強烈だった。食事を終えるて一息つくと再び頭痛と不快感がぶり返してくる。吐き気がなくなってきたのだけが唯一の救いだったが、全身の倦怠感は変わらない。
流石に自分から彼女のベッドに率先して横になることはできなかったが、そんな俺の気持ちを察したかのようにキルベ姫は再び俺の身体を支えるようにしてベッドに寝かせてくれた。
「申し訳ない……」
「いいんだ、ゴロ王子、また少し眠るといい」
ベッドから見上げた彼女の顔色はまだほんのりと上気しているようであった。
そんな彼女の指が俺の頬に触れた。
その瞬間、頬にピリリとした痛みが走った。
「いつっ!」
「王子!?どうした!?痛かったか!?」
「あ、いえ、気にしないでください」
俺は自分の手で頬に触れる。そこは僅かに熱を持ったようにひりつき、擦過傷のようになっていた。昨日のザクト殿との決闘での傷かとも思ったが頬に打撃を貰った覚えはない。
ザクト殿との決闘でのダメージは主に全身に感じる節々の痛みと右脇腹の打撲として残っているが、それらはもう名誉の負傷として甘んじて受けることにしていた。
だが、どうもこの頬の傷はそれではないような気がする。
「ゴロ王子、どうかしたのか?」
「いえ、どうも、この頬の傷に覚えがなくて……」
「ゴロ王子、足にも火傷があったが、どこかで転んだのか?」
「え?」
俺は驚いて首を曲げて自分の足を見た。
「あ、ホントですね。火傷になってます」
左足には煤を拭ったような跡があり、一部の皮膚が焼け爛れて赤くなっていた。
火傷としては浅いものであるが、やはり記憶がない。
となると、思い当たる節は一つだけだった。
「『キヴェイ』の後で何かあったのか」
「あ、なるほど……」
キルベ姫が納得したように頷いた。
「なら、しょうがない、うん。父上も『キヴェイ』の後でよく泥だらけで帰ってきていた」
「そうなんですか?」
「父上はオークの中でも一際『キヴェイ』に弱い、多分、今頃、王子みたいにどこかで呻きながら寝てる」
「ははは……」
俺は力なく笑う。そういえば、『キヴェイ』の間にザクト殿は随分と脂汗をかいていた。オークの首魁とはいえども苦手なのはあるようであった。
そう思うとなんとなく親近感も湧いてくる。
しかし、なんでこんな怪我をしているのかは気にかかる。
ふと、自分の身体を改めて見ると左腕や腰のあたりにも身に覚えのない怪我が増えていた。
誰かに殴り倒されたような傷だ。だが、オークの誰かに殴られたのならこの程度では済まないのは昨日の決闘で嫌と言うほど味わっている。
ということは残る選択肢は一つしかなかった。
「騎士連中かな……」
「え?」
「いえ、なんでもないです……」
もちろん、確定ではない。儀式の後で騎士連中に出会った記憶が朧げにあるが、彼らが犯人であると決めつけるのはあまりに早計だ。俺が勝手に1人で転んだ可能性だって十二分にある。むしろ、そっちの可能性の方が高い。
そんなことを思っているうちに、次第に瞼が重くなってきた。
「申し訳ない、キルベ姫、少し眠ります」
「そうだな、それはいい」
俺は優しく微笑むキルベ姫に見守られながら目を閉じる。
それを見届けたキルベ姫が席を立つ気配があり、そのうちまた彼女の歌声が聞こえてくる。
多分、先程と同じ歌だとは思うのだが確証はない。
どちらにせよ、子守唄にしては勿体ない程の心地よい歌声であった。
俺は布団を肩まで引き上げ、寝返りをうつ。
キルベ姫の少し酸味のある香りがした気がしたが、そのことを気にする程の気力はほとんど残っておらず、俺の意識は急速に鈍くなっていった。
視界が暗闇に覆われ、俺は久々に心の底から穏やかな気持ちで眠りについた。
ここ数か月の間、『オークの雌に婿入り』という絶望にひたすらに押しつぶされかけていた。その重石が今では嘘みたいに消えている。その反動からか身体まで軽くなったような錯覚があった。実際は全身の力が抜けてベッドに深く沈み込んでいるのだから、むしろ逆なのだが。
そんな心地よい眠りは俺を完全に熟睡の世界へと誘いこんでくれた。
次に俺が気が付いたのは外の太陽の光が少し傾きはじめた頃であった。
「………」
俺は喉の渇きに目を覚まし、ベッド脇に備えてもらった水差しの水をグラスに注いで喉を鳴らして飲む。
久しぶりに身体をしっかり休められたような気がした。だが、眠り過ぎたせいで身体が逆に凝り固まってしまったようだった。首を動かすと枝を折るようなゴキゴキという音が鳴り、肩を回すと膜が破れるようなバキバキという音がする。身体全体が重く、筋肉が軋むような音がした。
思い返せばザクト殿と二度も戦ったのはつい昨日のこと。全身を幾度となく打ち据えられたのだから、これぐらいの倦怠感は授業料とでも思うことにした。
その水差しの隣には俺のナイフも置かれていた。
6本全て揃っており、鞘から引き抜いてみるとその全てが新品のように磨かれていた。
「ここまでしてもらわなくても……」
俺は母の形見である一本を部屋の明かりに照らす。
キヴェイの儀式でノックダウンした酷い顔であったが、そこにはどこか憑き物が落ちたような穏やかな顔をした自分がいた。
俺はナイフを服の下にしまい込む。
「………ん?」
そんな時、俺は部屋にキルベ姫がいないことに気が付いた。彼女の子守唄の調べはなく、代わりに聞こえてきたのは風を切るような鋭い音。リズミカルに聞こえてくるその音は士官学校で幾度となく聞いた剣の素振りの音だ。
俺はその音に誘われるかのように、部屋の外へと目を向けた。
バルコニーへと続く開け放たれた扉の向こう。
俺はベッドから立ち上がり、薄手のカーテンを開いた。
花畑の中に作られた円形の小さな闘技場。
その中心でキルベ姫が剣を振っていた。
彼女が握っていたのはいわゆる長剣であった。剣幅は分厚く、重量は重く、剣先の鋭さはいま一つ。『突いて断つ』という本来の用途で使われることは稀であり、実際はその重量で相手の兜を叩き割ることが主な使い方だった。その為、戦場では剣を逆さまに持って重量のある柄部分でぶん殴ることも度々ある。
キルベ姫はそんな剣を振っていた。
だが、剣のことなどどうでも良かった。
「…………」
見惚れる、というのはこういうことを言うのだろう。
俺はカーテンを掴んだ手を放すこともできず、その姿に目を奪われた。
キルベ姫の剣技は『美しい』の一言であった。
だが、それは剣を振って紅潮した頬のことでも、夕陽を溶かし込んで黄金色に輝く金髪でも、うっすらと飛び散る汗粒のことでもない。
むしろ、その横顔は真剣に細められた目元のせいで『凛々しい』という表現が適切だし、揺れる長髪は本人が一番鬱陶しそうに度々払っているし、額や腕に浮かんだ大量の汗は彼女の鍛錬が生半可なものでないことを物語っていた。
だから、彼女の今の姿全体を通してみれば『美しい』という形容詞にはなりえない。
俺が『美しい』と評したのはその剣技そのものだった。
目を見張る程に力強い踏み込み、一切の無駄が無い鋭い突き、流れるように繋がる連撃。全身の筋肉の力を集約させた剣先が一振り毎に風を裂き、周囲の花々を揺らしている。
彼女が自分の目の前にどんな相手を想定しているかはわからないが、俺が見ている間に繰り出された剣だけでも騎士を通算5人は葬れるだろう。
その技量の高さ、力強さ、そして相手を屠る意志を込めた殺気を帯びた剣。
無駄をそぎ落とした実戦的な彼女の武技は長い年月の中で磨き抜いた剣が昇華した姿だ。
荒々しく、無骨で、逞しく、揺るがない。
自身の根幹をそのまま浮き彫りにしたような彼女の剣。
それが、俺の目にはとても『美しく』映ったのだった。




