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二日酔いの朝は


木々の間から降り落ちてくる木漏れ日。花の香りを孕んだ風。歌が聞こえる。


俺は薄っすらと目を開けた。


明るい部屋。真っ白なシーツの上で俺は目を覚ましていた。

ベッドの脇の水差しには柑橘系の果物の切り身が浮かんだ水が入っている。


飲んでいいのだろうか?


口の中は顎を動かすのも億劫になるほどの粘り気で不快感に満ちている。

喉の奥が焼けるようにヒリつくし、身体全体が酷い渇きを覚えていた。

今、この水をゴクゴクと飲むことができればどれだけ気持ちの良いことだろうか。


だが、それを簡単に実行に移せる程に俺の自制心は死んではいなかった。


王族としての矜持と暗殺者の影を常に警戒してきた習慣がその水へと伸びそうになる手を押しとどめる。


俺は今いる自分の場所を確かめるためにも一度身体を起こした。


「うっ……ぅぁ………」


身体を起こすと酷い頭痛がした。視界がぐるりと反転し、その不快感に俺はうめき声をあげた。


その時、先程まで聞こえていた歌が止まった。


「ゴロ王子……目が覚めた……」

「……え……」


その時になって俺はこの部屋に他に人がいることにようやく気が付いた。

そして、その声の主が誰かを認識した瞬間、今までの気怠さも眠気も一気に吹き飛んだ。


「キ、キルベ姫!えっ、あっ、こ、ここは!?」

「あ、す、すまない……その、私の部屋に運んだ……ゴロ王子、屋敷を彷徨っていて……」

「えっ!?えぇっ!!」


俺は慌てて飛び起き、今いる場所と、自分の服装を確認する。

確かにここは昨日訪れたキルベ姫の自室であった。俺はあろうことかキルベ姫のベッドで眠っていた。一応、自分の服に乱れた様子はなく、記憶にある自分の服と相違はない。

だが、問題大ありなことには変わりなかった。


「キ、キルベ姫。その、大変申し訳ない。今すぐ出ていく。失礼する」

「ま、待って!危ない!」

「えっ………ぅぁ………」


意識が一時的に回復したとはいえ、身体の不調が無くなったわけではない。

勢いよく立ち上がった俺に頭痛と眩暈が4割増しで襲い掛かってきた。俺はすぐに立っていられなくなり、力無くベッドの端に座りこんだ。


「うっ……ぉぇ……」


完全にダウンしている俺の背中をキルベ姫がさすってくれる。


「ゴロ王子、動くの危ない……部族に入る為の『キヴェイ』は特別……普通の家族が使う『キヴェイ』より強い……」

「その……ようですね……」


そのパワーは俺が色々と外見を取り繕う気力すらも根こそぎ奪っていくほどであった。

王族としての矜持も、政略結婚の為の道具としての自覚も、キルベ姫に情けない姿を見せたくないというちっぽけな見栄すら忘れさせてしまった。


「ゴロ王子、これ……飲む、いい……」

「ありがとうございます」


俺は渡された水を遠慮会釈なしにゴクゴクと飲み干した。


「もう一杯……いるますか?」

「はい……いただきます」


俺がそう言うと、キルベ姫はニッコリと笑ってもう一杯水を注いでくれる。

そして、俺が2杯目の水を飲んでいる間に彼女は近くの棚から茶色い粉末状の薬を持ってきてくれた。


「これ、二日酔いに効く……良かったら、飲む、いい」


俺はその薬を胡乱な目で見つめる。

普段であればこんな何から作ったのかわからない薬など決して口にしなかったであろう。しかもここはオーク達の住む場所の中心地だ。人間には毒となる薬だってあるかもしれない。


だけど俺はそんな理屈云々よりも、感情を優先させた。


一刻も早くこの不快感から解放されたかった。


俺は差し出されるままにその薬を水と一緒に飲み込んだ。


「何か、食べられるか?」

「少し……スープぐらいなら……」


昨日の宴では美味な肉や野菜を腹いっぱい食べたが、それらは間違いなく全部吐瀉物にしてぶちまけてしまったであろう。腹の中は空っぽなようであった。


「わかった……ゴロ王子は横になるといい」

「いえ、でも……」


こんな状況で今更ではあるが、女性の寝床に自分から横になるのには流石に抵抗があった。

そんな俺をキルベ姫は「いいですから」と優しい手つきで導いてくれる。

彼女のしなやかな腕と柔らかな胸元に挟まれ、俺はやんわりとベッドに寝かされた。

キルベ姫は俺の頭の上に枕を入れ、布団を肩までかけ、俺の顔色を窺う。


「ゴロ王子『キヴェイ』の翌日は父上もこうなる。気にしない、いい」

「……申し訳ない」

「カボチャのシチューがある。食べるいい」

「……はい……」


俺は幼子のように頭を撫でられる。

そのキルベ姫の手が妙に心地よくて、俺は全身から力が抜けていくのを感じた。


ここまで弱り切ったのはいつ以来だろうか。


母が亡くなってから、俺は王族の一人として表舞台に立つようになった。

あの頃から誰かに甘えるなんてことはできなかった。


どれだけ身体が不調でも、どれだけ精神的に追い詰められていても、冷や汗一つかかずに王族としての顔を貫く。そうやってここ10年以上を生きてきた。


なのに、今の俺はそんな自分を取り繕う余裕など一欠けらもない。

しかも、いつも服の下に隠しているナイフも預けたままで完全に無防備だ。


身も心も守るものは何もない。


なんだか、自分が子供に戻ったような気がしていた。


「……子供は二日酔いにはならないか……」

「ゴロ王子?何か言ったか?」

「……いえ……なんでもないです」


キルベ姫の服装は昨日とは変わり、麻のズボンとリネンのシャツを着ていた。やはり、昨日のは彼女の正装であり、今の服装が彼女の普段着なのであろう。彼女はその上から給仕係が身に着けるようなエプロンを着て、竈で鍋を温めていた。部屋に穏やかな風が吹き揉むたびにそのエプロンの端や彼女の髪が揺れる。

そのうち、どこからか澄んだ鈴の音のような歌声が聞こえてきた。

彼女が小声で歌っているのだ。


穏やかな歌だった。歌詞の意味などまるでわからなかったが、その歌声は誰かを慈しみ、愛でるような、そんな歌声だった。


俺はその歌を聞きながら訪れた眠気に負けるように瞼を閉じていった。


夢か現実かわからない微睡の中、取り留めのない夢を見る。

母の夢を見た気もするし、帝国に残してきた友人の夢を見た気もする。全てが曖昧な世界で彼女の歌声だけが心地よく響いていた。


そして、次に目を覚ましたのはキルベ姫がベッドの隣にテーブルを運んだ時だった。

ガ巨大なテーブルを軽々と持ち上げて、ベッドの隣に丁寧におろす。自分の分の椅子も用意して、テーブルの上に2人分の食器が並んだ。


「ゴロ王子……食べる、できるか?それとも、もう少し寝るか?」

「いえ、せっかく温めて貰ったのですから、いただきます……少し気分も良くなってきましたし」

「そうか……えと……その、お口に合うといいのだが」


正直、今の自分では味の微細な変化などまるでわからないだろう。

水を飲んで多少マシになったとはいえ、鼻の奥に『キヴェイ』の不快な甘さがまだこびりついているようであった。


俺はベッドに腰掛けてテーブルにつく。

運ばれてきたのは見事なオレンジ色に輝くシチューであった。濃厚なカボチャとクリームの香りではあるが、流石に今の体調で空腹感を覚えることはできなかった。それでも多少は食べる意欲が湧いてくるあたり、彼女のシチューの威力は十分なようであった。


俺はバスケットの中のパンに手を伸ばした。


「あっ、ゴロ王子」

「ん?」


キルベ姫の声に手を止めると、彼女は困り顔で眉を顰め、こちらを上目遣いで見つめていた。


「その……すまない……突然だったものだから……白パンの用意がなく、その……」

「ああ、確かに黒パンですね」


バスケットの中に入っていたのは全て安物の黒パンであった。


オークが森の中の一部を切り開いて麦畑を作っているのは昨日キルベ姫に教えて貰ったが、そのほとんどが小麦ではなく、ライ麦なのだそうだ。気候的にも土壌的にもこの辺りでは小麦が育たず、主食がライ麦による黒パンになるのは仕方のないことだった。


黒パンは小麦から作る白パンに比べて酸味と苦味が強く、味が数段落ちる上に硬さもある。

あまり上等なものとは言えないが、突然キルベ姫の部屋に転がり込んできたこちらの方に落ち度があるので文句を言うつもりは毛頭なかった。


帝国は王都から南が小麦の穀倉地帯であるので、庶民も少し余分に銅貨を払えば小麦から作る白パンが食べられる。王族の端っこにぶら下がっているだけの俺でも一応は毎日白パンを食べることができていた。


とはいえ、俺は黒パンに耐性がないわけではない。


王族の端っこという自称は伊達ではなく、よく俺は市井に出ては色々な人とエールを片手に黒パンを齧っていたのだ。俺が一時的にでも『民草王子』と呼ばれていた所以の一つであった。


俺は嫌味を含めない笑顔でキルベ姫に微笑みかけ、黒パンを割って小さく千切った。


「構いませんよ。食事を用意してもらえるだけで本当にありがたいんです。今は感謝しかありません」

「そ、そうか……その、それは……その……」


安心してもらおうとして言ったつもりであったが、キルベ姫は俺の言葉など耳に入っていないようであった。彼女の視線は俺が黒パンをシチューに浸す動きに注がれていた。

キルベ姫の心底不安そうな顔に見つめられては少々食べにくかったが、俺はなるべく気にしないようにして表情を取り繕う。


俺は黒パンを十分にシチューでふやかし、口に運んだ。


「………」


息を呑むキルベ姫。

俺は黒パンを咀嚼し、シチューを味わう。


その瞬間、俺は自分の舌を疑った。


「…………っ!」


俺の口腔内は『キヴェイ』に汚染されていて、正確に物を味わう能力が麻痺しているはずだった。

俺は水を飲んでもう一度口の中を整え、もう一口シチューをつけたパンを頬張った。


途端、口の中に溢れかえるのはカボチャ特有の甘みと塩味の効いたチーズの最高のバランスであった。俺は匙を掴んでさらにシチューを口に運ぶ。シチューに入れられている野菜は帝国料理であまり使われない根野菜が主であった。だが、決して俺の口に合わないわけではなく、むしろシチューがしみ込んだニンジンと玉ねぎの味わいは最高だった。


そして、4口目に手を伸ばそうとして、俺はキルベ姫が俺の顔をまだ心配そうに凝視したままなのに気がついた。


「……いやいや……キルベ姫、あなたは何をそんなに心配しているんですか?」

「え?」


胸を突かれたような顔をする彼女に向け、俺は呆れたように笑った。


「これほどに美味なシチューを作れるのなら、そんな顔をする必要はないでしょう。もっと自信をもっていいはずです」

「え……え……えっ!」


俺は黒パンを先程よりも大きく千切ったシチューをたっぷりと掬い上げる。


「正直、ここまで美味しいとは思いませんでした。使っているのは牛の乳ではないですね」

「は、はい、羊のものを使ってる。そ、その、本当に、美味しい、か?」

「ええ、これなら毎日食べても構わないです」

「ま、毎日はやめた方がいい。私、もっと色んな料理作る」

「そうですか、それは……………」


その時、俺はハッと何かに気づいて口の動きを止めた。


俺は何を言っている?何で町娘を口説き落とすような文句を垂れてる?これじゃあまるで……


どうやら、美味い料理で口が軽くなっていたようであった。俺は思ったままの言葉を口にしていた喉奥をギュッと締め上げた。


「王子?」


突然、言葉を切った俺にキルベ姫が小首を傾げた。

彼女の前髪がハラリと流れ、彼女の綺麗な額が見え隠れする。こちらを伺うような心配するような視線。俺が食事を褒めたことで緊張感の抜けた目元。

昨日よりも幾分か柔らかくなった彼女のそんな顔こそ、キルベ姫の素の表情なのかもしれなかった。


そんな彼女に俺は自分の心臓が不規則に跳ねたのを感じた。

それと同時に締めたはずの声帯が開いたのも感じた。


そして、俺は観念したように呟いた。


「……それは……そうですね……あなたと過ごす日々は良いものになりそうですね」


一瞬、キルベ姫の顔が固まった。

だが、次第にその頬が、耳元が、首筋が、赤みを帯びてくる。

彼女のエメラルドグリーンの瞳がどこに視線を合わせて良いか分からずに揺れ、彼女は俺の顔を見ることができずに徐々に俯いていく。


そんな様子になんだかこちらも照れ臭くなり、俺は気を紛らわすようにシチューをパクパクと食べていった。

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