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キヴェイの儀式

宴もたけなわ。

盛大に丸焼きにされていた豚肉も骨だけになり、ベリー酒の酔いもいい具合に回ってきた頃合いにそれは訪れた。


いよいよ『キヴェイ』の儀式である。


ザクトの固い声音の号令から始まり、厳かに準備が始まる。円座に座ったオーク達が背筋を正し、刃物のついたものが全て円の外へと持ち出された。俺もジェレミアの指示に従い、服の下に隠している6本のナイフを全て預けた。


本心から言えば王族として完全な丸腰になるのは少々気が咎めた。なにより、あのナイフのうちの1本は母の形見でもある。だが、ジェレミアに念を押されてしまっては仕方なかった。


そして、諸々の準備が終わり、運ばれてきたのは巨大な切り株をくりぬいて作られた器と、そこに並々と注がれた『キヴェイ』であった。


ザクトは円座に胡坐をかき、その器を自分の膝の上に乗せた。


ザクトはオーク語で何事かを呟いた。その内容を隣でジェレミアが小声で通訳してくれた。要約すると『森の神にゴロニアを部族として迎え入れることを宣誓する』という内容らしかった。

そして、ザクトは盃を両手で掲げて持ち上げ、器に口をつけて喉を鳴らして飲む。


俺は他のオークに倣って胡坐をかいて両手を膝の上に乗せていた。


「ゴロニア王子、ザクト殿の方を向いてください」


俺は胡坐をかいたまま尻を滑らせてザクトの方を向く。

ザクトも俺の方を向いており、俺はザクトからその大きな器を受け取った。

オークの体格でも大きいと感じる程の器なのだ。人間の俺からすればその器はあまりに巨大であった。


器を受け取った俺は、ふと俺はザクトの額に玉の汗が浮かんでいることに気が付いた。よくよく見ればザクトの顔はどこか引き攣っている。隠しているつもりであろうが、度重なる社交界を笑顔で乗り切ってきた俺からすればバレバレであった。


だが、俺との決闘でも汗一つかかなかったオーク族の首魁がなんでこんな顔をしているのか?

『キヴェイ』は神聖な儀式というし、やはり緊張があるのだろうか?

そのとも他に何か懸念事項でもあるのか?


様々な疑問が浮かんだが、俺はひとまずこの儀式を進めるためにも器に視線を落とした。


この時、俺はザクト殿がこのような顔になっている理由をもう少し深く考えるべきであった。


俺はあろうことか『ザクト殿はこの堅苦しい雰囲気が苦手なのか』と、短絡的に考えてしまっていた。

オークは戦いを至上とする野蛮な種族という先入観がまだ抜けきっていなかったのだ。

キルベ姫を始めとしてその価値観を幾度もひっくり返されてきたのに、まだ俺はオークには神への祈りだの、複雑な手順に則った儀式などが苦手なのだろうと決めつけてしまっていた。


その結果、俺は目の前に運ばれてきた『キヴェイ』を先程のザクトと同じようにエールでも飲むかのようにごくごくと腹に入れてしまった。


背後でジェレミアが「アッ……」と小さく声をあげたのはその直後だ。

ザクトがギョッとした顔をしたのもその直後だ。

俺が器から顔を離した時、周囲のオーク達も少し驚いたような顔をしていた。


だが、俺はその『キヴェイ』の痛烈な苦みに顔をしかめないようにするのに精一杯でまるで気にも留めていなかった。

俺はザクトから器を受け取ったのと同じ要領で『キヴェイ』をジェレミアに回す。


「……王子……後で後悔なさいますよ」

「もう十分している」


俺は口の中に残った苦みを消そうと、口の中で唾液を何度も飲み込んでいた。

その後、器の中の『キヴェイ』が無くなるまでその場にいる面子で回し飲みをしていく。それぞれが一口ずつ口をつけて隣のオークへと器を回していく。だが、それぞれが呑む『キヴェイ』の量はほんのわずかで、全てを飲み干すには時間がかかりそうだった。

俺は腹の奥が急激に熱くなる感覚を味わいながら、次の周回を待つ。


『キヴェイ』からはアルコールの感じはしなかったが、どうやらそれと同等の成分が含まれているようであった。しかも、ベリー酒や葡萄酒とは比べものにならないぐらいの成分だ。

俺は軽い酩酊感を感じながらキヴェイが目の前に運ばれてくるのを待った。


そして、違和感は3回目の周回の時に訪れた。


最初に感じていた浮遊感と高揚感は僅かな眩暈を伴うようになっていた。視界がぐらつき、天地が揺らぎ、腹の奥底が満ち満ちているような呼吸苦が現れる。そして、それは最終的に強烈な不快感になっていた。

まるで、深酒をした時の酷い酩酊と翌日に訪れるはずの二日酔いが同時にきたような感覚であった。


間違いなく『キヴェイ』のせいであった。


不快感は吐き気に変わり、眩暈は頭痛を伴ってくる。視界はぐるぐると巡り、思考力が急速に失われていく。


「ジェレ……ミア……」


ふらつく身体で一声かけようとしたが、声になったかどうか定かではない。

だが、倒れそうになる身体を誰かが支えてくれたの感覚があった。

揺らぐ視界の中でそちらを見ると、ジェレミアの顔がすぐ傍にあった。

その顔も既に脂汗をかいて青い顔になっている。俺と同じ状況であった。


「ゴロニア王子……しっかりしてください」

「ジェレミア……外交官……これは」

「一口目であんなに飲むからですよ……王子、こうなっては仕方ありません」

「…………この儀式を……抜け……られるか?」


とにかく、早く横になりたかった。水か何かを飲んで少しでもこの気分を薄めなければ今すぐにでも腹の中身をぶち撒けてしまいそうだった。

だが、ジェレミアから帰ってきたのは無慈悲な一言だった。


「ダメです」


俺は本格的に泣きたくなった。


「耐えてください。『キヴェイ』が終わるまでは抜け出すことは許されません」

「いつ……終わる……」

「回し飲みは人数にもよりますが、だいたい8週で終わります」


まだ半分も終わっていない。それは最早絶望的な数字であった。


俺は体幹になんとか力を込めて自分の身体を支える。口の中は『キヴェイ』の苦味で満ちており、唾液も急速に失われていっている。最早、気分を紛らわす手段もない。俺は喘ぐような呼吸を繰り返しながら顔を上げる。下を向けば、その瞬間に喉の奥がせり上がってきそうだった。


こんなことならあんなに宴で大量に肉やリゾットや野菜を喰うんじゃなかったと思うが、最早後の祭りだ。


「ジェレミア……外交官……止めてくれてもよかっただろう」

「いえ、王子。空きっ腹で『キヴェイ』をやるよりかは満腹でやった方が幾分かマシなのですよ」


ジェレミアの固い顔を見るからに、過去に『キヴェイ』で酷い目にあったのだろう。しかも、その口ぶりからして1回や2回ではなさそうだった。だというのに、ジェレミア外交官はこの儀式に慣れているわけではない。


俺はこの土地に婿入りするにあたり、オークを嫌いになる理由を幾つも探しては玉砕していたが、これだけはハッキリと言える。


俺はこの儀式は嫌いだ。


4回目に俺の前に運ばれてきた『キヴェイ』はまだ半分も減っていなかった。

最早、その甘ったるい匂いだけでも酷い吐き気が沸き上がるようになっていた。

口を開いてこれを腹の奥に流し込もうとするという行為を身体が拒否しようとしている。


そんな拒否反応を俺はこれまで鍛え上げてきた精神力をフル動員して抑え込んだ。


『俺は王族だ』と自分に10回程言い聞かせ、俺は『キヴェイ』をできるだけ多く飲み込んだ。

『キヴェイ』を身体に入れるリスクより、儀式を一周でも早く終わらせることの方が重要だった。


勢いよく『キヴェイ』を飲んだ俺にオーク達が満足そうに頷いている雰囲気が伝わってくる。


なんで彼等は平気なんだ?彼等の内臓は鋼鉄か何かでもできているのだろうか?

俺は信じられない気持ちを抱えながら、『キヴェイ』の器をジェレミアに渡す。

ジェレミアはその『キヴェイ』を爆弾か何かのように震える手で抱え、口に運んだ。


俺は再びせり上がってきた不快感を飲み込もうと、何度も深呼吸を繰り返す。


そして、ふと隣で自分と同じように喘いでいる人物に気が付いた。


ジェレミアのことではない。


「………うっ………ううっ………」


ザクト殿であった。


ザクト殿も俺と同じように冷や汗をかき、目を白黒させていた。


そんなザクト殿と視線が合う。


そして、ザクト殿は『気持ちはわかる。耐えてくれ』という顔で小さく頷いた。


最早、ザクト殿はオーク族の首魁でも、俺の義理の父になる相手でもなんでもなかった。ただ、自分と同じ苦痛を抱えている仲間でしかなかった。


俺はギュッと目を瞑ってなんとか眩暈を抑えようとしながら小刻みに頷いた。


だが、俺の状態は悪化するばかり。


5周目では世界が常時旋回するようになり、6週目には既に自分が寝ているのか起きているのかすら曖昧で、7週目以降はもう意識も定かではなかった。

唯一覚えていることは最後の週で俺が器の中に残っていた『キヴェイ』を全部飲み干したことだけだった。それが何週目だったのかも覚えていない。その時はとにかく、これで終わりなのだという希望だけが俺を突き動かしていた。


そして、その後の記憶はまるでなかった。


自分一人の力で円座から立ちあがったと思う。どこかで躓いて茂みに頭を突っ込んだ記憶がある。途中でなんか火傷をしたようなことを薄っすらと覚えている。騎士連中に会って蹴り倒された気がする。


その後はどうしたっけ?


森を歩いた?屋敷の中を歩いた?厠に向かった?どこかで吐いた?誰かに支えてもらった?

ジェレミアはどうした?ザクト殿に挨拶したか?他のオーク達に失礼なことしなかったか?


なんにもわからなかった。


何もわからないまま、俺はどこかで横になり、意識を失うように眠った。


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