美味い飯に国境はない
気持ちを新たに、宴会場に踏み入れた俺はすぐさま野太い声で名を呼ばれた。
「ゴロディア!!」
俺は瞬時に対外用の爽やかな笑みを顔に張り付けた。
案の定、広場の一番奥からザクト殿がその大きな腕で俺を手招きしていた。
ザクト殿はオーク族の首魁であるはずだが、彼が座る円座は思った以上に質素なものであった。
俺はジェレミアに念の為に礼儀や作法の確認を取り、ザクト殿の手招きに応じて彼の隣の円座に腰を下ろした。
「ゴロディア!ゴロディア!!」
ザクトは俺の名を何度も呼び、腕の生傷を俺に見せつけてきた。
筋骨隆々のザクトの腕には俺がつけた十字型の切り傷がくっきりと痕になっていた。
オーク族の皮膚が堅かったのか、俺が無意識に加減したのかはわからないがザクトの傷は薄皮一枚を削り取っただけにとどまっている。
だが、ザクトはその傷がまるで勲章であるかのように傷跡をなぞってはガハハハと豪快に笑っていた。
俺の隣の円座にジェレミアが腰を下ろした。
彼はザクト殿の前ということで、先程までの沈痛な顔など一切見せずに柔和な笑顔をしていた。
その態度の豹変ぶりは王族である俺も舌を巻くほどで、さすがに歴戦の外交官なだけはある。
「ゴロニア王子は本当に気に入られたようですな。こんなにも楽しそうなザクト殿は私も初めて見ましたよ」
「上機嫌なのはありがたい。不機嫌よりは何倍も」
俺はそうやって爽やかな笑顔の仮面を被る
俺はこれから自分の目の前に運ばれてくる料理も酒も全て顔色一つ変えずに『美味い』と言ってのけるつもりであった。他国に対して懐柔策を取るのならば、最初にすべきことは『相手を褒める』ということだ。相手の懐に入り、その内側から崩していくのは略奪者の常套手段だ。
そんな俺にジェレミアが顔を寄せてきた。
「ゴロニア王子。オークの宴は最初に森祭祀の祈りから始まります。最高祭祀はザクト殿になります。彼の祈りの義の間は沈黙を守ってください。そして、乾杯から通常の宴になります。お酒はほどほどにお願いしますよ。幾ら無礼講とはいえ……」
「わかっている。これでも酒の席で立場を失った権力者など腐る程見てきた」
「心強い限りです。そして、宴もたけなわになったころにザクト殿の宣言で『キヴェイの儀式』が始まります」
「うむ……」
国を捨てるわけではない。俺は別の国を簒奪するために潜り込むのだ。
俺は自分にそう言い聞かせる。
そして、いよいよ晩餐会が始まった。
広場の円座にオーク達が腰かけ、静まり返る。
聞こえてくるのは小川のせせらぎと、風の音、薪が燃えるパチパチという火花が不規則なリズムを刻んでいた。
そんな中で、ザクト殿が厳かな声音で話を始めた。オーク語のわからない俺ではあったが、彼等が森の神に今日の食事と酒を用意してくれたことに対して祈りをささげることだけは仕草で何となく察することができた。キルベ姫の話ではオーク達は『森の神ティタノマルス』を信仰しているという話だったが、祈りの手順が本来のものと違っていた。
我が帝国も含め、周辺国の多くは『ロマヌス経典』と言われる1つの神話からなる聖書を信仰している。その中には様々な神々が登場し、『森の神ティタノマルス』は最高神の娘の1人であり、太陽の恩恵の一部を授かった豊穣を司る一柱だ。神に対する祈りの手法は教派によって誤差はあれど、その大本は一緒のはずだった。
それに、ジェレミアは森祭祀という呼び方を使った。
『ロマヌス経典』に基づくなら、祈りの捧げ手は『祭司』のはずだ。
だが、そんな疑問を他所に食前の祈りは先に進んでいく。
そして、ザクト殿が大きく手を広げると、オーク達も皆同じように手を広げた。
俺もジェレミアに倣うようにして同じポーズを取る。
「レイヤ!」
ザクト殿がそう言って両手を打ち合わせた。
一拍遅れて皆が手を打ち合わせる。俺もなんとか遅れることなく手を打ち合わせることができた。
それで堅苦しい祈りの時間は終わりのようだった。
ザクト殿は朗らかに笑い、盃を掲げて、料理や酒を次々と運ばせた。
俺の木製のコップにはベリー酒が注がれ、皿の上には中央で焼かれていた豚の丸焼きが切り分けられて乗せられた。肉汁を滴らせて湯気をあげる豚の肉。塩をまぶした皮はパリッと焼かれ、脂の乗った肉には噛めばすぐにほぐれるであろう加減に火が通っていた。
「……………」
これは敵ではない。
俺はまず自分にそう言い聞かせた。
これは肉だ。美味そうな肉だ。肉に罪はない。国境もない。
この肉を準備してくれた料理人や、良質な豚肉を提供してくれた牧場主の仕事は素晴らしい。
彼等に敬意を捧げることは人として自然なことだ。
それは相手がオークだろうと関係ない。
旅の間は保存食や豆のスープなど質素なものしか食べられなかった。
今日はザクト殿と真剣勝負をしたこともあって空腹感はいつもの倍はある。
だから、この肉を賞賛してしまうのは仕方のないことなのだ。
この肉が定期的に食えるならオークの里も悪くないなんて気持ちが沸いてくるのはきっと一時の気の迷いに過ぎないはずだ。
俺の愛国心が薄れているというとではない。
俺が国を愛していることと、目の前の肉を愛してしまったことは決して矛盾しない。
俺は先程までのナーバスになっていた気持ちが一瞬で吹き飛んでいることを無視しようとする。
あれが空腹感から来るネガティブな考えだなんて認められるはずがなかった。
違う、違う!違うぞ!!俺は本当に帝国を愛しているんだ!!!
俺は口の中に満ちてくる涎を何度も飲み込み、泣き出しそうな腹の虫を根性で抑え込んだ。
そんな俺の肩をザクト殿がポンと軽く叩いた。
俺よりも数段高い位置にあるザクト殿の顔を見上げると、彼は愛嬌のある顔でウィンクを飛ばし、盃を持ち上げた。
気が付けば他のオーク達も盃を手にして持ち上げている。
危なかった。肉に夢中になりすぎて、場の流れを読むことを怠っていた。
俺はザクト殿に頭を下げ、盃を手に取った。
ザクト殿はそれを待っていたかのように、声を張り上げた。
「ヅァァル、ライト!!ゴロディア、ジェレミア、ヴェルゴム!!」
「ヴェルゴム!!」
オーク族の大合唱、傾けられる盃、俺の喉に流れ込んでくるベリー酒。
「あっ、美味しい……」
思わず溢れてしまった感想にジェレミアが驚いたような目を向けた。
「ほう、ゴロニア王子はこういった酒がお好きだったのですか?」
「あっ、いや……う、うむ。帝国の葡萄酒の辛味も嫌いではないのだが、このベリー酒はなかなか……」
「ふふふ、やはり血ですかな」
「血?なんのことです?」
「いえいえ、ゴロニア王子の母君もベリー酒が好きでしたので。よく森で摘んだベリーを用いて酒を作っていたんですよ」
「そうなのか?それは知らなかった。というか、ジェレミアは私の母と面識があったので?」
「ははは、あったも何も、私の外交官としての初仕事はあなたの母君と皇帝陛下の政略結婚の交渉であったのですぞ」
「そうなのかっ!?」
完全に初耳であった。
「はい。それが巡り巡ってこうしてゴロニア王子の政略婚も私が担うのですから、これも縁という奴ですかな」
「それも……そうだな」
木製のジョッキに視線を落とす。ベリー酒の水面に映った自分の顔はどことなく寂しそうな顔をしていた。
母は俺が酒を飲めるようになる歳にはもう流行り病で亡くなってしまっていた。母の作った酒を一度でいいから飲んでみたかった。
母のことは今も良く覚えている。
厳しくも、優しい、良い母であったと今も思う。
「王子?どうかなさいましたか?」
「あっ……いや……」
少し感傷的になってしまっていた。
王族たるものどのような場でも自分を律して『私』を出さず、『公』に尽くさなければ。
俺は王族としての基礎中の基礎をもう一度頭の中で自分の役割を再確認する。
俺は帝国の王子としてこの土地に入り込み……
「王子!この肉は素晴らしいですぞ!おそらく今年の中で一番の出来でしょう!王子もはやくお食べになってはいかがです?しかも、この後はこの豚肉の肉汁がたっぷりとしみ込んだリゾットが待っております!いやぁ、本当に王子がザクト殿に気に入られて本当に良かった」
「…………そうだな」
俺は空腹に勝てなかった。
そして、オークの宴で出された料理はどれもこれも格別に美味かった。




