第117話 柔らかな朝の中で
「ごちそーさまー!!」
リリィが丁度パンを食べ終え、椅子から力いっぱい飛び降りた。いつものことだが、いちいち元気が有り余っている。台所にばたばた走っていき、餌袋を掴むと、そのまま自分の部屋へ突撃していった。くまたんに餌をあげるのはリリィの毎朝の仕事だ。
リビングにくまたんがいないと思ってたが、どうやら今日はリリィのベッドで寝てるらしい。
「リリィ、ご飯あげすぎるなよ」
「はーい!」
聞いてるんだか聞いてないんだが、元気だけはいい返事が返ってくる。
「……賑やかだな」
ジークリンデがぽつりと呟いた。リリィが駆けていった廊下を目で追いながら、少し目を細める。
「フロイド家は違うのか? メイドが沢山いて退屈しなさそうだが」
「気を遣われているからな。必要以上に話しかけてはこないさ」
「寂しい話だな」
ゼニスにいた頃なんて毎日が騒がしくてしょうがなかった。なにせあの街にいる奴らは皆、遠慮も加減も法律すら知らない。力を示さなければ、家も財も、生きる権利だって持ってかれる。劣悪な環境だったが、賑やかさだけなら帝都の比じゃない。俺とリリィが出会ったのはそんな街だった。
「なあ、ヴァイス」
「ん?」
ずっと前から準備していたような声色。直感的に真面目な話だと悟った。ジークリンデの表情で「やっぱな」と心の中で頷く。
「帝都に帰ってくる前は……どこで何をやっていた?」
「聞くのか? 幻滅するかもしれないぞ」
恐喝、殺人、王族の拉致、奴隷購入────俺のやってきた事を帝都の法に照らし合わせれば、間違いなく絞首台送りだ。
「しないさ。今更お前が何をしようとも」
「はっ、かけれる迷惑は全てかけたか」
「私は本気だ」
ジークリンデの目は冗談を言ってるようには見えない。だが、それでも真実を話す気は俺にはなかった。ジークリンデも俺のことは昔から問題児だと認識してるだろうが、どれだけ悪い想像を巡らせたところで、いいとこ出身のジークリンデにゼニスの常識は理解出来ないだろう。聞けば卒倒するような悲劇が石ころのように転がってるんだ。
「私にも言えないのか?」
少しだけ傷ついたような……そんな声。
「悪いな」
それ以上、何も言えなかった。適当に話をでっち上げても良かったが、ジークリンデに嘘は言いたくなかった。そうするくらいなら黙ってる方がいい。
しばしの沈黙。
窓の外では帝都の朝靄がゆっくりと晴れていく。柔らかな光が差し込み、食卓の上の食器をきらりと照らした。
「……そうか」
ジークリンデは静かにうなずいた。怒るでも、詮索するでもなく、ただ受け入れたように。
その表情が少し切なく見えたのは、俺の気のせいだったかもしれない。出来ればそうであって欲しい。
「私は……知りたいとは思っているんだ。本当のことを。だが、無理に聞いて壊したくはない。今の、この時間を」
その言葉に、胸がきゅっと引き絞られた。
ああ、そうだ。
俺もまったく同じことを思っていた。
言われて気が付いた──俺も同じ気持ちだと。
本当のことを言って、ジークリンデに嫌われるのは想像したくない。こんな弱さが自分の中にあったのが意外で、少しだけ息が詰まりそうになる。
「折角こうして三人で暮らすことになったんだ。朝食の時間を気まずくしたくはない」
ジークリンデはそう言って笑った。
不器用で、ちょっと泣きそうな、妙に人間味のある笑顔だった。
「……助かるよ」
本当にそれしか言えなかった。
コーヒーをひと口啜る──苦味が今日はやけに優しい。
「くまたんがたくさんたべたー!」
リリィが満面の笑顔で戻ってくる。両手は粉まみれで、頬にも餌のかけらがついていた。
「リリィ、顔が汚れてるぞ」
「え、どこどこ!?」
「ほら、ここだ」
布巾で拭ってやると、リリィはくすぐったそうに身をよじりながら声をあげて笑う。その笑い声に釣られるように、ジークリンデも少しだけ口元を緩めた。
「リリィちゃん、本当に元気だな」
「そりゃあ、毎日が新しいことだらけだからな」
「……それはいいな」
窓の外に視線を向けるジークリンデ。どこか遠くを見つめるような静かな横顔だった。




