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常闇の魔女  作者: 空色
常闇の魔女外伝 ~その風の行方~
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6



ふわりと体が宙に浮いた後、強い力で引っ張られるような感覚がヴェルダカトルを襲った。

その勢いで頭の中身が引っ掻き回されたような気分になった直後、彼は唐突に地面に放り出された。

目を開ければぐわんぐわんと世界が回っており、ヴェルダカトルは尻餅をついたまま軽く頭を振る。

ようやく目眩が治まり、辺りを見渡してみれば、そこは今までいた場とは明らかに違っていた。


つい先程まで、自分がいたのは、日の光すら届かないような鬱蒼とした森の中。

周りにあるのは、空を覆い隠す勢いで枝を伸ばす木々ばかりであった。

しかし、今彼の側には小川が流れ、顔を上げれば白み始めた空を、風に揺れる青葉の合間から拝む事ができる。

唖然としていたヴェルダカトルであったが、ハッとして顔を横に向けると、目の前には黒のローブを纏った賢者の弟子が、静かな表情で此方を見下ろしていた。



「あんたは……黒なのに、魔術を使えるのか?」



思わずヴェルダカトルが呟くと、途端に彼女は皮肉げな笑みを浮かべる。



「化け物と罵りますか? それとも、こんな得体の知れないモノと旅などできないと、師に詰め寄りますか? 結構です。お望みでしたら塔までお送りしますが」



そう言い終えると、彼女の身体が淡く光を放ち始めた。

おそらく、再び賢者の塔へと移動しようとしているのだろう。

初めて彼に表情らしい表情を見せた娘ではあったが、それを気にする余裕もなく、ヴェルダカトルは慌てて彼女に静止をかけた。



「ちょ……ちょっと待て、待ってくれ!」



訝しげに眉を寄せたままではあるものの、一応話を聞く気はあるようで、娘は詠唱を止めて彼に視線をよこす。



「あー、何て言うか、驚いたのは事実なんだが……」



どう言ったら良いものかと、ヴェルダカトルはぼりぼりと頭を掻きながら、暫く考えを巡らせる。

しかし、結局のところ、良い言葉も思い浮かばず、彼はがっくりと肩を落とした。

元々、それ程弁が立つわけでもないのだから、気のきいた事を言えるはずもない。

とにかく、今の自分の気持ちを正直に伝えるため、彼は溜め息を付いてから彼女に声をかけた。



「俺は、今回、賢者アルディロスを頼り、信頼すると決めたんだ。だから、賢者殿が弟子として信頼してる、あんたのことも信じる」



思いを吐き出してしまえば幾分かすっきりと気持ちも晴れ、ヴェルダカトルは笑顔を浮かべ、娘へと真っ直ぐに視線を向ける。

そして、改めてこれからの旅路で助力を請うために、片手を差し出して握手を求めた。



「と言うわけだから、剣を手に入れるまで宜しく頼むな」



娘は胡乱げな表情でヴェルダカトルと、目の前に差し出された片手を見やっていたが、やがて視線を外して踵を返す。

取りあえず帰還を止め、旅を続けてくれる気にはなったらしい。

苦笑いを浮かべ、虚しく差し出していた手で頭を掻いてから、ヴェルダカトルは彼女の後を追った。





*************





賢者の弟子の話によれば、現在ヴェルダカトルらがいる森から、ツァファトルの最寄りの村までは徒歩での行程となるらしい。

なんでも、結界の影響で村の付近は既に魔術が効きづらくなっており、転移の術は使えないのだそうだ。

つまりは、森を抜けるまでそれなりに時間が掛かるわけで、彼らは黙々と獣道を進んでいた。


お互いに共通の話題があるわけでもないため、かれこれ半刻以上会話らしい会話もない。

知り合って間もない人間との間に横たわる沈黙程気まずいものもなく、どうしたものかとヴェルダカトルは悩みに悩んだ。

騎士として鍛錬に時間を費やしている自分は、流行りには疎いし、女子供の好きそうな話題も持ち合わせてはいない。

さてどうしたものかと娘の後姿を眺めているうちに、思い出したのは先ほどの彼女の表情であった。



『化け物と罵りますか? それとも、こんな得体の知れないモノと旅などできないと、師に詰め寄りますか?』



娘はそう言って皮肉げな笑みを浮かべながらも、ヴェルダカトルを見つめる黒曜の瞳は冷め切っていた。

するりと彼女の口から出たあの言葉は、恐らく娘がかつて浴びせられたものであったのだろう。

黒でありながら、難解な魔術を行使する人間、そんな存在は本来ならあり得ないはずなのだ。

訳が分からないものというのは、それだけで人を不安や恐怖に陥れることもある。

そして、彼は同時に昨夜賢者が呟いていた言葉も思い出していた。



(この世界が大嫌いなだけ……、か)



世界の全てを嫌うほどの思いとは、一体どのようなものなのだろう。

そこまで賢者に言い切らせる何かが、あの娘の過去にはあったのだろうか。

どんな事情があるのかは知らないが、それは何も知らない自分のような部外者が首を突っ込んで良いものではないだろう。



(でもなぁ……)



感情の全てを捨て去った様な、底冷えする深い闇のような瞳と表情。

賢者の弟子であり、あれほどの魔力を持つ彼女が見た目通りの年齢であるとは限らない。

だが、外見上はまだ少女とも言える娘に、あんな顔をさせておくのは良い気分ではない。

一人悩むヴェルダカトルの頭によぎるのは、部下からしばしばかけられる呆れ交じりの言葉だ。



『あなたって人は、どうしていつも面倒事に首を突っ込みたがるのですか。尻拭いをする我々の身にもなってごらんなさい』



乳母兄弟でもあり、優秀な魔導師でもある彼は、幼いころからの付き合いもあって、ヴェルダカトルに容赦がない。

そして、彼は正論でこんこんと説教するものだから、言い返すことすらできず、未だに怒らせると怖い相手の一人である。

思わずだらりと冷や汗を流したヴェルダカトルの脳裏に、呼応するように別の声が響く。



『いやー。俺も学はないし、頭を使うのは苦手っすけどね。時々、団長は俺よりバカなんじゃって思う時がありますよね』

(悪かったな、直感で動く野生動物で。放っておけ!)



無意識のうちに苦虫を噛み潰した表情になりながら、ヴェルダカトルは内心で舌打ちをした。

飄々とした態度を崩さない己の副官も、遠慮などという言葉とは無縁の存在だ。

だが、自分の無茶にも、文句を言いながらしっかりとついてきてくれる自慢の部下達でもある。


そんな彼らに、今回は一言の相談もなく国を飛び出してきた。

相談をすれば、彼らはきっとついてくると分かっていたからなおのこと。

魔族からの侵攻が激しくなっているこの時期に、大事な戦力である彼らを国から離すわけにはいかない。


これは、自分が一人で片づけなければならない問題なのだ。

だから、賢者の弟子の内情にまで関わっているような余裕などない。

ないのだが――



(あー、くそっ。とにかく、声をかけてみるか。それからは為るように為れだ!)



半ば自棄になりなが決めたヴェルダカトルは、勢いよく顔を上げ娘の背に声をかけた。



「なぁ……」



小声すぎて聞こえなかったのか、前を行く娘は足を止めることなく進んでいく。

軽く咳払いをしてから、彼は気を取り直して再び彼女に呼びかけた。



「おーい」



今回はそれなりの声を出したし、相当に耳の遠い老人でなければ聞こえているはずである。

しかし、やはり娘は振り返りもせず、何もなかったように歩き続けている。



「あんた……やってくれるな……」



ここまでされれば、さすがにわざと無視しているのも理解できて、ヴェルダカトルはひくりと口元を引き攣らせた。

言っては何だが、賢者の弟子である娘はまだ年若く、成人しているか否かの様子である。

見た目は上ではあるが、自分よりずっと若い彼女に、ここまであからさまに無視を決め込まれれば、良い気分はしない。


先ほどまでもんもんと悩んでいたこともあり、娘の態度はヴェルダカトルの闘争心に火をつけた。

絶対に振り向かせてやるという意気込みで拳を握り、彼は声の限りに娘へ呼びかけた。



「おーい、あんた、聞こえてるんだろ! なぁって、振り向くまで声をかけ続けるぞ。なぁ、賢者の弟子殿!」



流石に諦めたのか、はたまた神経を逆なでされたのか。

無言で前を歩いていた娘だったが、ついに足を止めると大きく息を吐き出した。

そうして不機嫌そうな顔を隠しもせず、振り返ってヴェルダカトルをギロリと睨みつけた。



「……何なんです、一体」

「お、やっと反応を返したな」



怯む様子のない彼に、娘は首を振って再度溜め息をつくと、仕方がなさそうに返事を返した。



「……で、ご用件は?」

「いや、あんたの名前を聞いていなかったと思ってな。この際だから、改めて自己紹介でもしないか?」



腰に手を当てて笑みを浮かべるヴェルダカトルに対し、娘は明らかに不信げな視線を向ける。



「何故? ただ一時連れ立つだけの相手に、名など尋ねる必要はないでしょう」

「必要なくはないだろう。これから暫くは一緒に旅をするんだしな」



娘は一瞬唇を開いたが、言葉を発することなく口を噤み、面倒臭そうに辺りを見渡してからぽつりと名を呟いた。



「……イグシスです」

「……おい。今、イグシスニアの木を見て適当に答えただろう」



先程彼女が一瞥した方に視線を向ければ、立派な枝ぶりのイグシスニアの木がそよそよと葉を揺らしている。

名を偽るにしても、もう少し隠す努力というものをするべきだろう。

ヴェルダカトルは非難と呆れの意を込めて、娘にじとりと目を向けた。



「では、ケンジャノデシドノ、で」



娘は肩を竦めながら答えると、踵を返して歩みを再開した。



「余計に悪化してるじゃないか。あんた、答える気ないな」



ヴェルダカトルが後を追いかけながら声をかけるが、今度こそ取り合う気はないようで、娘は無言のまま歩き続ける。



「まぁ、じゃあイグシスで良いか」



明らかな偽名ではあるが、ケンジャノデシドノに比べればこちらの方が幾分もましだろう。

そう結論付けて、今度は彼が己の自己紹介を始めた。



「昨晩も聞いていたかもしれないが、俺の名はヴェルダカトル。フェヴィリウスって国の、一応は王族だ。それから……」



自分の名や国、身分や家族、騎士団の仲間や愛馬の名前。

ヴェルダカトルはそんな事を取り留めなく話し続けていたが、前を行くイグシスが急に足を止めたことで口を噤んだ。

振り返った彼女は、再び無表情の仮面を張り付けており、感情をうつさない漆黒の瞳を彼に向けている。



「あなた……」

「うん? 何だ?」



ヴェルダカトルが小首を傾げて問いかけると、彼女は暫くジッと彼を見つめた後、おもむろに口を開いた。



「こんな分けの分からない存在と、よくもまぁなれ合おうという気になれますね。黒でありながら魔術を扱うなど、あなた達の嫌う魔族を彷彿させるでしょうに」

「うーん、まぁ、それはそうなんだが……」



どこか卑下するような物言いをするイグシスに、彼は腕を組みながら少し悩むように空を睨む。

だが、すぐに納得したように何度か頷いてから笑みを浮かべた。



「上手くは言えないが、何と言うか、俺の勘があんたは悪い奴じゃないと言ってる」

「勘、ねぇ。随分と曖昧なものを信じるんですね」



彼の答えに、彼女は軽く首を振り、呆れたように鼻で笑う。

そんなイグシスに、いかにも心外という表情で、ヴェルダカトルは腕を組んだ。



「そうは言うけどな、俺の勘はよく当たるんだぞ」



騎士団の人事も、団長ともなればそれなりに関わる場面も多い。

入団試験や面接の際、こいつは他と違う気がする、という直感で採用した者達は何人もいるが、今のところ外れはない。

まぁ、そういう奴ら程変わり者で扱いづらいということはしばしばではありはするのだが。


それに、今まで多くの戦に参戦してきたが、自分の直感に助けられたことは数知れなかった。

変に悩むより勘に頼った方が良い結果が出る、と騎士団の連中にからかわれて脱力したことも一度や二度ではない。


それに、勘を抜きにしても、ヴェルダカトルは始めから人と壁を作ってしまうのは好みではなかった。

縁があって知り合ったのだから、どうせならその人の良いところを見つけ、できれば親しくなりたい。


甘すぎると言われる事もあるが、その辺りは友人兼部下である者達が目を光らせてくれているようだ。

だからこそ、自分を手助けしてくれる彼らにはいつになっても頭が上がらない。

思わず苦笑するヴェルダカトルを、イグシスは探るような目で見ていたが、やがて興味が失せたように踵を返した。



「まぁ、どちらにせよ、私には関係の無いことです。その勘とやらが外れないよう、精々あなた方の神に祈っておくことですね」

「あのなぁ……」



がっくりと肩を落としたヴェルダカトルであったが、前を行くイグシスの気配が変わったことで足を止めた。

不思議に思い、首を傾げつつ隣に立つと、彼女はくいと顎で先を示す。

それに促されるように前方へと顔を向けたヴェルダカトルは、目を見開き小さく息を呑む。



「あれが、聖地ツァファトルです」



木々の向こう、開けた視界の先には、雄大な山が天高く聳えていた。

所々赤茶けた山肌が見え隠れし、切り立った崖も見受けられる。

山頂付近には霞がかかり、はっきりと全貌を確認することはできない。

吹き下ろしてくる風はどこかひんやりとしており、ヴェルダカトルは無意識の内にぶるりと体を震わせた。

この未知なる山のどこかにあるという魔剣を、自分は手に入れなければならないのだ。

改めて気が引き締まる思いで、ヴェルダカトルは拳を握りしめた。




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