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※今回の話には、暴力的な表現が含まれています。苦手な方はご注意下さい。
娘が再び目を覚ました時、飛び込んできた景色は一変していた。
そこは窓一つない、薄暗く湿った狭い部屋だった。
地下にあるのだろうその場所は、全く日の光が届かず、ようやく人が通り抜けられるような入り口には鉄格子がはめられている。
じめじめとカビ臭いその空間の中、唯一の光は数本の蝋燭の頼りない明かりのみ。
スイッチ一つで昼のように明るく照らされる生活に慣れていた娘にとって、その暗闇は恐怖以外の何ものでもなかった。
これは悪い夢で、次に目を開けた時は、電車の座席に座ってるはず。
そう思い、何度も瞼を閉じるのに、現状は何一つ変わらない。
(何でこんなことになるの? 私、何か悪いことした? もう嫌だ、夢なら早く覚めて!)
頭を抱え、娘がきつく目を閉じた時、微かな足音が響いてきた。
それは少しずつ、だが確実にこちらに近付いてきていた。
慌てて部屋の隅に身を寄せ、彼女は暗闇の向こうを見据える。
ぼんやりとした薄明かりに浮かび上がってきたのは、娘が気を失う前に見た甲冑を身に着けた人影だった。
顔全体を覆うような冑を付けているため、表情は伺えないものの、その人は僅かに頭を動かして娘の方を見たようだった。
彼は無言で鉄格子に近づくと、一つに束ねられたたくさんの鍵の中から、鈍色のものを取り出して錠前に差し込んだ。
ガチャリと鍵が開くと同時に、錆び付いた音を立てて鉄格子が開かれる。
その隙間から押し込まれるように中に入れられたのは、硬そうなパンと、申し訳程度に野菜の切れ端が浮いたスープだった。
食事を押し込むと、甲冑の人物は再び鉄格子を閉め、しっかりと鍵をかける。
呆然と一連の流れを見つめていた娘だったが、その音で我に返り、慌てて鉄格子にすがりついて彼を呼び止めた。
「ま……待って!」
ガシャガシャと鉄格子が不快な音を立てるが、娘にはそんな事を気にしている余裕はない。
とにかく、ここから出してもらうために、必死に声を上げる。
「ねぇ、家に帰してよ! 私、こんなところに入れられる様なこと、何もしてない。調べてもらえば分かるでしょ!?」
立ち止まった人物に手を伸ばし、娘は藁をも掴む思いで甲冑の飾り布の端を握り締める。
娘が触れた途端、彼は物凄い勢いで彼女の手から布を引き抜いた。
そして、持っていた木の棒を振り上げると、娘の手首に向けて思い切り振り下ろした。
小さく悲鳴を上げて手を引っ込めた娘だったが、甲冑の人物は理解できない言語で怒鳴りながら再度木の棒を振り上げる。
気を失う直前に受けた暴行の記憶が蘇り、娘は顔を青くし、頭を抱えてうずくまる。
そんな彼女の様子に構わず、彼は鉄格子に向けて何度も木の棒を叩きつけた。
「ひっ……、ごめんなさい、ごめんなさい! 殴らないで!」
地下室に男の怒鳴り声と、格子を殴りつける音が響き渡る。
どれくらいそんな時間が続いたか、彼はようやく満足したのか、隅で震える娘に何事かを吐き捨て、そのまま地下室を出て行った。
恐る恐る彼女が顔を上げると、再び周囲は闇と静寂に包まれていた。
変わった事といえば、鉄格子の傍に冷え切った食事がぽつんと置き去りにされているのみだ。
「……ぅ……ぁ……ぁあああ!!」
娘は大声で叫びながら、食器を鉄格子に向けて投げつけた。
食器が割れ、スープが地面に零れて、あちこちに飛び散る。
それから随分と長いこと、地下室には娘の泣き叫ぶ声だけが響き渡っていた。
***********
この悪夢のような現状が、夢ではなく紛れもない現実である、と。
娘が認めざるをえなくなるのは、それから程なくしてのことだった。
現実を突きつけられてから暫らくの間、娘の精神は不安定になった。
部屋の隅で耳を塞いだまま、怯えたように縮こまって自分の殻に閉じこもることもあれば、突然泣き喚きながら暴れることもある。
そんな風に彼らの意にそぐわない行動をするたびに、彼女は聞き覚えのない言葉で怒鳴られ、木の棒で殴りつけられた。
家族に愛され、暴力一つふるわれたことのなかった娘が、そのような環境におかれ続ければどうなるかなど分かりきったことだろう。
ひと月後、彼女はまるで別人のように変わり果てていた。
表情は抜け落ち、何をされても声一つ漏らすことはない。
娘は考えることを止め、意思のない人形のように周りの指示にただ従った。
そうして、彼らに従順に従っていれば、酷く殴られることもない。
自分を捨てるのが、一番賢い生き方だと、娘はこの短い期間で学んだのだった。
娘が大人しくなると、ほんの少し彼女の待遇も改善された。
まず初めに、じめじめとカビ臭い地下室から、机や椅子など最低限の家具が揃えられた小部屋へと移された。
高い天井に一つだけ付けられたはめ殺しの窓は小さなものであったが、娘は久しぶりに日の光をあびることができた。
次に、不定期だった食事が、粗末ではあるもののきちんと三食出されるようになった。
そのかいあって、弱り切っていた娘の体力もある程度回復し、横になっている時間が少なくなった。
何より、一番変化したのは、娘を監視していた人間達の行動だった。
初めてこの世界に来て以来見かけることのなかった、ローブを纏った人間達が、頻繁に彼女の部屋を訪れるようになったのだ。
彼らは決まって、球技のボールと同じくらいの大きさの透明な玉を持って現れた。
ジェスチャーで娘にそれを触るように言い、彼女に幾つかの言葉を繰り返させる。
その後、玉の反応を暫く観察すると、仲間内で何かを話し合いながら紙に書きつけていく。
まるで、何かの実験でもしているようだった。
そうして実験のような事が繰り返されて暫くした頃、彼らは見慣れないモノを持って娘の部屋を訪れた。
ローブの人物達が持って来たのは、片手に収まる程度の小箱だった。
箱の周りには変わった模様がびっしりとかき込まれており、時折淡く発光していた。
小箱の封を解くと、中からビー玉くらいの大きさの赤黒い不思議な塊を取り出す。
それを娘の前へ突き出し、彼らは口に入れろというような身振りをした。
どうやら、その塊を娘に飲み込ませたいようだった。
娘はその塊を前にし、僅かに躊躇した。
まるで生の臓器のような色をしたそれは、変に生臭く、口元に近づけただけで吐き気を催す。
塊を手にしたまま固まっていた娘だったが、久し振りにちらつかせられた木の棒を目にし、慌ててそれを飲み込んだ。
その直後、娘は目を見開き、喉を押さえて床に倒れ込む。
「……ぅ……っ……あっ……!!」
塊が通り過ぎた喉が熱く、まるで気道が潰れたように上手く息ができない。
はくはくと口を開け、胸をかきむしりながら悶絶し、娘はそこかしこを転げ回る。
とうとう我慢できずに、彼女は部屋の隅で胃の中の物を吐き戻した。
胃液と一緒に、先程飲み込んだ塊が床に転げ落ちると、僅かに息がし易くなり、娘は倒れたまま荒く呼吸を繰り返す。
ローブの人間達は首を振りながら何かを話し合うと、塊を小箱に戻して部屋を出て行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、娘は焼かれた喉で小さく咳をする。
体力の消耗が激しく、立ち上がって寝床まで歩く気力も湧かなかった。
(もう、このまま寝てしまおう。そうすれば、何も考えなくて済むから……)
冷たい床に頬を預け、彼女は静かに目を閉じる。
その夜、娘は数年ぶりに酷い高熱に苦しんだ。
あれから数日が経ち、ようやく娘の体調が戻った頃、再びローブの集団が彼女の部屋を訪れた。
彼らの持つ小箱を目にし、娘は無意識の内に身構える。
そこから取り出されたのは、やはりあの塊だった。
異なっていることがあるとすれば、赤黒かった色が抜け、透き通った欠片に変わっていたことだろう。
前の時と同様、目の前に差し出されるが、今回は生臭さもない。
娘が恐る恐る受け取ると、彼らはそれを口に入れるように指示する。
またあんな風に苦しむのかと思うと、塊を捨てて逃げ出してしまいたかったが、生憎娘に逃げ場所など存在しない。
彼らの言う通りに行動する以外の選択肢など、初めから用意されていないのだ。
娘は一度唾を飲み込み、意を決して塊を口に放り込んだ。
きつく目を瞑り、身構えていた娘だったが、一向にあの苦しみが襲ってくる気配はない。
恐る恐る瞼を開いて己の体を確認するが、どこもおかしな様子はなかった。
ほっと息を吐いた娘だったが、突然響き渡った歓声にびくりと肩を震わせた。
顔を上げると、ローブの人物達が興奮したように何かをまくし立て、お互いの背を叩き合っている。
唖然としていた娘に、彼らはいつも持参してくる透明な玉に触れるよう指示した。
玉に手を起きながら、常に習って彼らの口にする言葉を繰り返す。
すると、普段は何も起こらないはずの玉に変化が現れた。
突然、玉の中に小さな炎が生まれ、あっという間に赤々と燃え上がったのだ。
驚いた娘が手を離すと、炎は瞬く間に消えてしまった。
指示なく手を離したことで、罰を受けるのではないかと怯えた娘だったが、彼らは彼女の様子を気にすることなく大声で話し合い、何事かを紙に文字を書き付けていた。
後に分かったことだが、娘が飲み込んだ塊は、魔族の『核』と呼ばれるものだったのだそうだ。
人間の場合、自身の体が魔力の器となるが、膨大な魔力を持つ魔族ではそうもいかない。
なにせ、下位の魔族ですら人の数倍の魔力を作り出すのだ。
いくら魔族が頑丈といっても、その身一つで力を保持するには無理がある。
魔族が魔力を溜めるためのの特殊な器官、それが核と呼ばれるものだった。
例えるならば、人間のの体が物置で、核は巨大な倉庫といったところだ。
上位魔族ともなれば、核をいくつか持っている者もおり、蓄積されている魔力の量は計り知れない。
ローブの人間達が娘に核を飲み込ませたのも、元はと言えばこの力を溜め込む機能を期待されてのことだった。
核の話をするにあたって、一つ理解しておかなければならないことがある。
それは、この世界の人間と、娘の出身世界の人間との違いだ。
外見だけでいうなら、色合い等の違いはあるものの、双方にそう異なっている部分は見受けられない。
ただ、魔術と言う一点に関して、両者には決定的な違いがあった。
彼女の生きていた世界では、魔術というものが一切存在しないのだ。
だが、実のところ、娘の世界にも魔力に近しいものはあった。
それが、彼女達が自ら作り出す、生きるための原動力。
即ち、エネルギーと呼ばれているものだ。
彼女の世界の人間は、力を長期間体内に留めておく機能がない。
生命活動や身体活動の際に消費され、余った力は垂れ流しの状態になる。
当然、魔術に使う程の余力は、体内に残らない。
ただ、全て漏れ出てしまう代わりに、毎日大量の力が生産されるのだ。
この世界では、年を経る毎に生産量は減っていき、やがては自力で作り出せなくなる。
どれ程強い魔導師でも、この魔力の枯渇からは逃げられない。
しかし、娘の世界では、体の衰えと共に生産量は多少減るものの、息絶える瞬間まで作り続けられる。
彼女達が一生で作り出す魔力量は、魔族と比べても遜色ないだろう。
それだけの力がありながら、なぜ魔術を使えないのかと問われれば、魔力を保持できないという点に集約されるという訳だ。
体内に魔力が残らないため、寿命も、体の衰える速度も、この世界の魔力なしの人間と同程度である。
もし、彼女達の世界の人間が力を保有でき、魔術を扱う事ができたなら、とんでもない世界になっていたことだろう。
そもそも、娘が今のような状態に陥ったのも、その溢れ出る膨大な魔力のせいだった。
彼女がこの世界に現れたと同時に、突如として未知なる強大な力が探知された。
その場所を探ってみれば、何の変哲もない、とある森に行き着く。
近隣にいた者達は、当然訝しみ、その原因を調査した。
そして、たまたま別の用件で森の中にいた、ある国の一団が彼女を見つけたのだ。
見た目はどこにでも居るごく平凡な黒の娘だが、明らかに膨大な魔力を垂れ流している生き物。
彼らがその得体の知れない存在を捕らえたのは、言うなれば当たり前のことであった。
そして、彼女が自分達の言葉を理解せず、力の使い方を知らないと分かれば、それを利用しようとするのもまた当然のことだろう。
彼らにとって、娘は自動で多量の魔力を生産する道具となった。
その膨大な力を有効に活用するには、娘を魔術の媒体とするのが一番だ。
しかし、これだけの魔力を作っておきながら、彼女の体内には殆ど魔力が残らない。
娘の体に魔力を溜めるため、様々な実験が繰り返された。
そして、とうとう彼らは魔族の核という可能性に辿り着いたのだ。
あの魔力を我がものにできるというなら、相応の犠牲を払ってでも核を手に入れる価値があった。
こうして、入手された魔族の核は、娘の体内に入れられることとなった。
それがどんな結果を齎すのか、数ヶ月後、娘は嫌と言うほど思い知らされたのだ。




