29
※今回の話には、暴力的な表現が含まれています。苦手な方はご注意下さい。
娘が魔族の核を飲み込んでから、ローブの人間達がやって来る頻度が増えていた。
実験を繰り返す中で、耳にピアスの穴を開けられ、奇妙な形の耳飾りを付けられたりもした。
触ろうとしたら怒鳴られた所をみると、ただの装飾品というわけではないのだろう。
最近では、実験で透明な玉に様々な変化が起きる度に、ピアスから耳鳴りのような音が聞こえていた。
そんな日々を延々と繰り返していたある日、娘は突然監禁されていた部屋から連れ出された。
両腕を後ろで拘束され、目隠しをしたまま歩き続ける。
その内、ガヤガヤと喧騒が聞こえ始め、たくさんの人の気配がある場所を通り過ぎた。
暫くすると、娘の両脇を抱えていた人物が立ち止まり、彼女も同じように足を止める。
彼らが短い言葉を口にすると、施錠が外されるような重たい音が響いた。
扉の開く音が木霊した瞬間、娘はきつく目を閉じた。
目隠しの布ごしでも感じられる眩しい光が娘の目を焼く。
頬を撫でる風、さわさわと鳴る木々のざわめき、高らかに鳴きながら飛び去っていく鳥の声。
感じ取る何もかもが、娘にとっては半年ぶりのものだった。
思わず呆然と立ち尽くしていた娘だったが、腕を引っ張られ、慌てて歩みを再開する。
躓きながら段差を上がると、問答無用で箱のような物に押し込まれた。
目隠しをされているため、自分の現状がどうなっているのか想像もつかない。
手探りで中を調べたところによると、人がなんとか二人程入れるような木箱に入れられたようだった。
所々隙間が開いているから、幸い窒息するということはないだろう。
そして、娘の他に物が入れられているということもなさそうだ。
彼女が色々と探っている間に、外の人間達は準備を終えたようで、ゴトリと何かが外される音がした後、娘の入っている木箱が動き出した。
体に伝わる振動や馬の蹄の音から察するに、どうやら箱は荷馬車に積まれているらしい。
たくさんの歓声や、かき鳴らされるファンファーレが響く中を荷馬車は進んでいく。
足並みの揃った靴音に、金属が擦れ合う音が混じる。
誰かが大声で何かを叫び、一際歓声が大きくなった。
その直後、スピーカーのボリュームが絞られたかのように、一気に歓声が遠のいた。
次いで、娘は奇妙な浮遊感に襲われる。
それは、エレベーターで高層階から一気に下がる時の感覚に似ていた。
不思議な感覚が過ぎ去ると、再び世界に雑音が戻ってくる。
だが、先程までの賑やかな雰囲気からは一転し、辺りは緊迫した空気に包まれていた。
その変わりように、娘は不安げに周囲の様子を窺う。
そうしている内に、馬が止まり荷台が外される音がした。
ガタガタとやや乱暴に木箱の蓋が開けられ、娘は振り返る間もなく引きずり出された。
(なに? 何なの!?)
木箱から連れ出された途端、足が竦むような怒声が娘の鼓膜を振るわせた。
数多の金属が打ち鳴らされる音、大地が轟くような足音。
鼻につく鉄錆びた臭いに、花火にも似た火薬の臭い。
視覚を奪われているが故に、その全てが強烈なインパクトで娘に伝わってくる。
彼女は混乱し、為す術もなく立ち尽くしていた。
そんな折、急に髪の毛を引っ張られ、娘は小さく悲鳴を上げた。
どうやら背後にいた人物が、彼女の後ろ頭にあった目隠しの布の結び目を解いたようだった。
突然戻った娘の視界に、まず飛び込んできたのは真っ赤に染まった世界だった。
そして、そこかしこで振り回される剣、吹き飛ぶ腕、新たな鮮血が大地を染めてゆく。
テレビや映画でしか見たことのなかった戦場が、娘の目の前に広がっていた。
「なっ……に……?」
余りの恐怖に、娘は思わず後ずさる。
しかし、背後にいた人物に背を押され、転げるように前に出た。
鎧を付けた人間が剣を振り上げ、ローブの人間が唾を飛ばしながら何かを怒鳴りつけてくる。
どちらを向いても、逃げ場などない。
娘は耳を塞ぎ、何度も首を振りながら一歩、また一歩と後ろに下がる。
その度に背を押され、戦場の中へと戻された。
そうしている内に、見慣れない防具を付けた兵士が、娘を目掛けて駆けてくる。
その目は血走り、振り上げた剣は迷いなく彼女を捕らえていた。
娘はきつく目を瞑り、頭を抱えてしゃがみ込む。
その時、背後にいたローブの人物が、何事かを叫んだ。
意味こそ分からないものの、それは実験の中で何度か聞いたことのある言葉だった。
刷り込みとは恐ろしいもので、娘はその言葉を繰り返すため、無意識の内に唇を開いた。
次の瞬間、娘の耳飾りが甲高い音を立てた。
空気が震え、大地を揺るがす轟きと、閉じた瞼の裏からでも分かる閃光と、焼けるような熱を全身に感じた。
その直後、辺りは今までの怒号が嘘のように、しんと静まり返った。
恐る恐る目を開いた娘は、その先に広がった光景に、己の目を疑った。
そこに広がるのは、一面の焦土だった。
草は焼け焦げ、パチパチと音を立てながら未だに煙を上げている。
あれほどひしめいていた人影が、一つも見当たらない。
ただ、色々なものが焼ける臭いが混ざり合い、吐き気がこみ上げてくる。
一瞬の静寂の後、わっと湧き上がった歓声も、娘の耳には届かない。
酷い眩暈に襲われ、彼女はふらふらと数歩足を進める。
歪んだ大地に足をとられ躓いた拍子に、つま先に何かが当たり、娘は恐る恐る足元に視線を落とした。
そこには、半分焼けただれた腕が、まるで彼女の足を掴むかのように投げ出されていた。
「ひぃっ……!」
思わず飛びずさった娘は、何か硬いものを踏みつけ、上擦った声を上げて背後を振り返った。
それは柄が灰となり、刀の部分のみが残った剣だった。
柄があった筈の場所には、それを握るようにして投げ出された腕があった。
息をのみながら腕を辿っていった先にいたのは、まだ幼さの抜けきらない顔立ちをした少年だった。
最後まで剣を握り締めていたのだろう手のひらは、電流に焼かれて黒く爛れている。
彼は目を見開いたまま、既に事切れていた。
混乱しながらも、娘はあの狭い部屋の中で行われていた実験を思い出していた。
彼女が触れる透明な玉の中に生み出された炎や雷、それらが現れる時には必ずあの耳鳴りが響いていた。
そして、炎や雷が出現するのはいつも、彼らに繰り返し覚えさせられた言葉を口にした直後だった。
唐突に、娘はその事実を悟る。
詳しい仕組みは分からないが、この一帯を焼け野原にした雷は、自分が生み出してしまったものであるという事を。
そして、地面に倒れ伏す沢山の人達は、雷に打たれて死んでしまったのだということを。
ガラス玉のように生気のない少年の瞳が、娘を責めるようにじっと彼女の姿を映していた。
お前のせいで、自分の未来は失われたのだと。
お前のせいで、愛する家族のもとへ帰ることは、永遠に叶わないのだと。
(私が……奪った……? 私が……殺した……!?)
恐ろしくなり、娘は震える体を両腕で抱え込む。
彼女の感情の高ぶりと共に、ざわりと周りの空気が共鳴する。
今や耳飾りから聞こえる音は、耳鳴りを通り越し、もはや警告音のように鳴り響いていた。
「……ぁ……あ……」
娘の異変に気付いたローブの人物が、驚愕したように目を見開き、何かを叫んだ。
次の瞬間、負荷に耐えきれなかったかのように、ピアスの飾りが弾け飛んだ。
「……ぅぁぁあああ!!」
痛みだす頭を抱え、体の中で渦巻くものを絞り出すように、彼女は声を張り上げる。
もう何も見たくなくて、娘はきつく目を瞑る。
この現実から目を逸らし、とにかく逃げ出したかった。
そうでもしなければ、今度こそ気が狂ってしまいそうだった。
無意識の内に魔力を紡ぎ、娘の体が淡く発光を始める。
周りにいた人間は、それを止めようと次々に腕を伸ばす。
伸びる腕が彼女に届くかと思われた刹那、膨れ上がった魔力が一気に弾けた。
辺りに眩い閃光が走り、思わず誰もが己の目を庇う。
周囲を白く焼いた光が収まった頃、娘の姿は影も形も残されてはいなかった。
***********
気が付いたとき、娘は見知らぬ町の薄汚れた路地裏に一人で座り込んでいた。
皮肉なことに、魔力が暴走したことで、彼女はあの地獄から逃げ出すことができたのだった。
計らずも自由を手に入れた娘だったが、勝手も言葉も分からない彼女が簡単に生きていけるほど、世界は甘くなかった。
金も持たず、庇護してくれる者を持たない娘は、裏路地で生きていくしかなかった。
路地裏の住人達は皆痩せこけ、常に餓えていた。
他者に意識を向ける余裕などなく、幸いなことに迷い込んできた娘にも無関心だった。
その代わり、誰かが暴行を受けようと、力尽きようと、手を差し伸べることはない。
自分の身は、自分で守らなければならなかった。
昼間は浮浪者に混じって残飯を漁り、打ち捨てられた廃材の陰で闇に怯えながら夜を過ごす。
野犬に襲われることもあれば、腐りかけたものに中って体を壊すこともあった。
時には道行く人に物乞いの真似事をして、なんとか食いつなぐような日々を送る。
なんとも笑えることに、娘が一番最初に覚えたこの世界の言葉は『慈悲深き方、どうぞお恵みを』だった。
生きていくことに必死で、あの惨劇を思い出さずに済むことだけが唯一の利点だった。
しかし、そんな生活も長くは続かなかった。
この世界の事を知らなかった娘は、犯してはならない過ちを犯してしまったのだ。
その日、娘はいつものように食べ物を恵んでもらおうと表通りに出ていた。
そんな折、彼女は豪華な身なりの一団が一軒の店を物色しているのを見つけた。
この街には不慣れな様子だから、他国からの観光客かもしれない。
そういった人間は、物珍しさや同情心から、何かを恵んでくれることも多かった。
娘は彼らに標的を絞り、おずおずと近付くといつもの言葉を口にした。
もし、娘に正常な思考があれば、今日に限って他の連中の姿を見かけなかったことに疑問を持っただろう。
だが、腹をすかせた彼女は、そんな事を考える余裕などない。
娘の頭に中には、どうやって食事にありつくか、ということしかなかった。
そして、彼らの身に着けている服が、とある国の調査官の制服であることなど知りもしなかったのだ。
彼女の行為に、調査官を案内していた町長は激昂した。
己の顔や町の名誉に泥を塗られたようなものなのだから、それも当然のことであっただろう。
彼は冷や汗を掻きながら、何とか調査官を屋敷に案内させると、血走った目で娘を睨み付けた。
鬼の形相で彼女を怒鳴りつけながら、何度も木の棒で打ち据える。
娘が呻き声を上げて動かなくなると、町長は召使に命じて彼女を外の森へと放り出した。
彼らは小汚い浮浪者を罵り、唾を吐きかけるとその場を去っていった。
涙すら流れず、痛みと飢えで、もう指一本動かせなかった。
このまま夜になれば、獣に襲われる可能性が高い。
しかし、それすらどうでも良いと思えるほど、娘の精神は消耗していた。
さわりさわりと木々が風に揺られ、咲き誇っていた花が娘の傍に舞い散る。
その薄紅色は、どこか懐かしい花弁によく似ていた。
(もう、疲れちゃった……)
深く息を吐き、娘は静かに瞼を閉じる。
このまま死んだら、魂だけでも元の世界に帰れるだろうか。
家族や友人の笑顔が、浮かんでは消えていく。
幸せだった日々が、今は遠い昔のように思える。
温かい記憶に誘われるまま、彼女は意識を手放した。
***********
それから数刻後、一匹の狼が倒れ伏す娘にそっと近付いた。
狼は彼女に鼻を近付け、ふんふんと匂いを嗅ぐと、燃える炎のような尾をふわりと動かす。
そんな静かな空間に、少ししわ嗄れた老人の声が響いた。
「どうした、何ぞおもしろいものでもあったか?」
背後からかけられた声に、狼はその場に座り込んで大人しく主を待つ。
草を踏み分けて現れた老人は、彼の背後に倒れている薄汚れた娘に視線を移すと僅かに目を瞠った。
「ほう、異世界の人間とは。珍しいこともあるもんじゃのう」
見た目は普通の人間と変わらないが、娘の纏う魔力はこの世界に存在しないものだった。
魔族のそれと似てはいるものの、根本的な気配が異なっている。
長年魔術を研究していた老人だが、異世界人と遭遇するのは初めてのことだ。
ただ、己の使い魔が何の警戒もなく近付くくらいだから、危険な存在ではないのだろう。
炎狼とは、そういった危険を察知する能力が頗る高い魔獣なのだ。
久しぶりに気分が高揚している様子の主を、狼は金の瞳でじっと見つめる。
そんな狼に気付き、老人は目を細めて笑みを浮かべた。
「フェルよ、お主もこの娘が気に入ったか?」
主の問いに答えるように、狼はゆったりと尾を揺らす。
彼の返答に満足げに笑い、老人は玩具を前にした子供のように目を輝かせた。
「ふむ、ではちぃと拾ってみるとするかのぅ」
狼は立ち上がって娘に近付くと、襟元を咥えて彼女を軽々と放り上げた。
意識のない娘の体が宙を舞い、いつの間にか倍の大きさになっていた狼の背に落ちる。
その柔らかな毛の感触に、心なしか娘の表情も穏やかなものになった。
「これで、暫らくは退屈せんじゃろうて」
楽しげな老人の言葉に、狼は尾を一振りすると小さく吼える。
一陣の風に巻き上げられ、ユーリシアの花弁が空を舞うように散っていった。




