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フォルト達が爆発音を聞くより数刻前、塔の最上階は異様な雰囲気に包まれていた。
事情を知る者達の間にはピリピリとした緊張が走り、一般の兵達は見慣れぬ女の登場に戸惑いを隠せないようだった。
そんな中、あまりの衝撃で一瞬我を失ったラズフィスに代わり、カーデュレンがレストリア公爵へと鋭い視線を向ける。
「一体、これはどういうことです、レストリア公」
「どういうことか、だと? ふん、そんなに聞きたくば教えてやろう」
カーデュレンの詰問に似た問いに、段上に立つ公爵は皮肉げな笑みを浮かべて肩を竦めた。
「――……全ての始まりは、我が弟、ウルカヴァラが産まれたことだった」
まるで思い出話でもするかのように目を細め、レストリア公爵は淡々と語り出した。
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現レストリア公爵、オブゼリオン・フィオ・レストリアは、先々代国王の第2子としてこの世に生を受けた。
父をも超える魔力を持ち、かつ正妃の子であったオブゼリオンは、幼い時分から次代の王としての期待を一身に受けて育った。
帝王学はもちろんのこと、魔術、武術に至るまで、ありとあらゆる教育を受けた。
幼いながら、オブゼリオンの中に、己が父の後を継ぎ次代の王となるのだ、という思いが育ったのはごく自然な事だった。
そんな折、突然の吉報が王城を駆け巡った。
再びの王妃の懐妊、しかも、この度は精霊の祝福を受けたというのだ。
精霊の愛し子とは、即ち金を頂く事を意味する。
次第に人々の関心はオブゼリオンから、王妃の腹の中の子へと移っていった。
一人、また一人と周りの者達が減っていき、彼の元に残ったのは数名の側使えのみ。
そして、弟が産まれた瞬間に、王位継承権第一位という地位すらも奪われたのだった。
この時、オブゼリオンは初めて人を妬むという心を知った。
母の腕に抱かれ、たくさんの人や精霊に囲まれる弟が、憎くて憎くて仕方がなかった。
己の足に纏わりつく年の離れた弟を、心のままに蹴り飛ばせたら、どんなにか良いだろう。
だが、無情にも時は過ぎ、弟は金を頂く王となり、己は辺境のレストリアへと飛ばされたのだった。
「惨めだった。わしがどれほどの屈辱を覚えたか、お前達には分かるまい」
顔を歪め、低く唸るように呟く公爵を、ラズフィスはただ唖然と見上げる事しかできない。
ラズフィスは、己の父と公爵が話をしている場面を何度か見たことがあった。
お互いに酒を酌み交わしながら談笑する様は実に和やかで、まさか彼がこれほどの憎悪を隠していたとは夢にも思わなかった。
絶句している者達を気にも止めず、レストリア公爵は目を細めながら話を続けた。
「だが、わしは奴が王となろうとも、決して諦めなかった」
レストリアの地に追いやられた後も、地道に人脈を広げ、魔術や戦術を学ぶのも怠らなかった。
ウルカヴァラが王となった時、彼には既に三人の子がいたが、どれの魔力もオブゼリオンには届かなかった。
つまり、ウルカヴァラに何かあれば、王族の中で最も魔力の高い己が王位を得ることになるのだ。
幸いな事に、現王妃は出来損ないの魔女の末裔であり、他にいる二人の側妃も魔力では到底自分に適わない。
オブゼリオンは、このままいけば、己を越す子は産まれないだろうと踏んでいた。
だが、彼の思惑とは裏腹に、やがて王と王妃の間に待望の王子が産まれたのだ。
しかも、その子が頂く色は、精霊の愛し子たる金だった。
オブゼリオンの心は乱れたが、それも直ぐに治まることとなる。
何故ならば、産まれてきた子は、金でありながら殆ど魔力のない落ち零れだったからだ。
これならば、弟さえ潰れれば、自ずと自分の望みは叶えられる。
「それなのに、わしの望みは再び絶たれたのだ。そう、この女のせいで!」
苛立ちも露わに叫んだ公爵は、その憤りをぶつけるように、そばで控えていたユーリを薙ぎ払った。
頬を打たれた彼女は、周りの物を巻き込みながら近くの棚にぶつかり、その場に倒れ込む。
身を震わせつつ起き上がったユーリの唇の端からは、口腔内を切ったのか一筋の血が流れていた。
「ユーリ殿!」
それを目にしたカーデュレンが、悲鳴にも似た声でユーリの名を呼んだ。
今は凄まじい魔力を保有するとは言え、彼女の身は人間のものに他ならない。
容易に傷付き、血を流し、下手をすれば死んでしまう可能性だってあるのだ。
ラズフィスはユーリに駆け寄ろうとするが、未だに彼女が発動した魔術が働いているらしく、体が思うように動かない。
きつく奥歯を噛み締め、彼は壇上に立つ公爵を睨み付けた。
「何をなさるのです、伯父上!」
「ふん、わしの道具をどう扱おうと、お前達には関係なかろう」
詫びれもしない公爵の態度に、隣でカーデュレンが悪態をつく。
そうしている間にも、何とか立ち上がったユーリは、足を引きずりながら公爵の前に跪いた。
公爵はそんな彼女の姿を一瞥すると、怒りを解いて目を細めた。
「ふむ、話がそれたが、どこまで話したか……。そうそう、お前が魔力を取り戻した辺りだったな、ラズフィスよ」
名を呼ばれ、ラズフィスは唇を引き結んだ。
自分が魔力を取り戻したとき、手放しで喜んでくれていた姿が、偽りだったとは思いたくなかった。
だが、無情にもレストリア公爵の話は続く。
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甥の覚醒に、オブゼリオンは気が狂わんばかりに怒り狂った。
金を持つ子供が覚醒してしまえば、ますます自分は王座から遠のいてしまう。
腹いせに、甥の魔力を目覚めさせたという女を殺してやろうかとも思ったのだが、その時既に女の消息は知れなかった。
なんでも、女は城での短期就労を終えた帰り道、土砂崩れに巻き込まれたのだそうだ。
オブゼリオンは、行き場を無くし、抑えきれない憤りを持て余していた。
そんなある日、執事頭であるユグノーの導きで、彼は王位を得るための新たな道を見つけることとなった。
代々レストリア公爵に使えていると言うユグノーは、寝室の隠し扉を前にオブゼリオンに語りかけた。
真に王となるべきあなた様にお見せしたいものがある、と。
ユグノーの後に続き、隠し扉の奥にあった階段を降りると、魔方陣が描かれるだけの小部屋があった。
微笑みを浮かべながら、ユグノーはオブゼリオンに、陣の上へ乗るように促した。
魔方陣で転移した先には、異様な光景が広がっていた。
あらゆる呪具がそこかしこに吊り下げられ、床や壁にはたくさんの構成図や魔法陣が書き込まれている。
何気なく手に取った書籍は、召喚術を初めとする禁術の構成図が詳しく説明されていた。
唖然とするオブゼリオンに、ユグノーは笑みを深めると仰々しく頭を垂れた。
執事頭が言うことには、なんでも、ここは例の開かずの部屋の内部なのだと言う。
そして、これらの品々は、歴代のレストリア公爵が集めたコレクションなのだそうだ。
『これは、歴代の公爵様方の決意の表れでございます。王位につくことこそ、我が主様方の望みでございました』
どんな事をしてでも王位につく、それは、オブゼリオン自身の望みでもあった。
深紅の目を細め、執事頭はくつくつと小さく笑い声を上げる。
様々な感情がない交ぜになり、身を震わせていた彼の耳元で、ユグノーはそっと囁いたのだ。
継承権が奪われたのならば、また奪い返せば良い、あなた様にはその資格があるのですよ、と。
その一言で、オブゼリオンは奮起した。
元々、王位は己のものだったのだ、それを奪い返して何が悪い。
それからの数年は、寝食すら忘れる勢いで研究に没頭した。
そうして書籍や研究記録と向き合っている内に、彼はある結論に至ったのだ。
ただの色持ちが精霊の愛し子に勝てないというのなら、その金すら容易に手を出せない力を得れば良いのだと。
歴代のレストリア公爵も考えていたことなのか、開かずの部屋には黒の魔力に関する書籍が数多集められていた。
数多ある黒に関する書籍の中で、オブゼリオンの興味を引いた記事があった。
それは、常闇の魔力と、魔女の末裔の関係についてだった。
その書籍によれば、魔女の末裔は、本来魔力を持たない筈の子供であったというのだ。
この世の全ての人間は、誰しもが魔力を溜める受け皿のようなものを持って産まれてくる。
そこに力が濯がれる事で魔力を溜め、その力を利用することで魔術を発動することができる。
だから、どれほど受け皿が大きかろうと、濯がれる魔力が無ければ魔術を扱うことは不可能に近い。
しかし、逆に言えば、何らかの影響で黒の人間が魔力を得れば、彼らにも魔術を扱う事ができるということだった。
書籍の著者が言うには、魔女の末裔とは常闇の魔力と相性の良い人間なのだそうだ。
幼き頃、もしくは母の胎内にいる間に、魔女の魔力を受け続けた彼らは、微々たる量ではあるが、その力を受け皿に溜めた。
そうして少しずつ溜まった魔女の魔力は、末裔達に僅かな力を齎した。
末裔の扱う魔力に特徴がないのは、元は一つの魔力であったからだと言うのが著者の弁だった。
言われてみれば、魔女の末裔が産まれるのは圧倒的に北が多い。
北で生まれ育ったものなら、常闇の魔女の魔力に触れる機会も多いだろう。
書籍に書かれた推測が真とするなら、それも頷くことができた。
そして、その論理でいけば、魔女の魔力を大量に得られる人間が産まれても可笑しくはないのだ。
だが、自然と魔力が溜まるのを待つのでは、膨大な時間がかかってしまう。
それに、元々己の魔力ではないので、末裔に定着する魔力の量は多くない。
ならば、人為的に魔力を流し込み、定着させるほかないだろう。
嘗て何人かのレストリア公爵もそれを試すために、様々な魔術を開発したようだった。
しかし、そううまくはいかないもので、黒の人間は元々受け皿の小さい者が多かった。
研究の記録によれば、一介の魔導師と同じ魔力になる頃には、器である人間の方が壊れてしまうのだ。
密かに行われていた実験は、全て失敗に終わっている。
だが、オブゼリオンは高らかに笑い声をあげた。
何故ならば、彼はこれ以上無いほどの適任者を知っていたからだ。
「まさ……か……」
顔色すら失い、小さく呟くラズフィスを見下ろし、公爵はにやりと笑みを深くした。
「その通りだ。わしの見つけた適任者とは、お前の母、エルガリオーネよ」
狂ったように響く笑い声が、石造りの塔の中に木霊する。
次々に明かされる話に、皆声すらも失っていた。
茜色に染まる部屋の中で、次第に濃くなっていく闇がざわりと蠢いた気がした。




