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「王妃様! 王妃様!」
「誰ぞ、医者を呼んで参れ!」
「急ぎ、陛下にご連絡を……!」
侍女や侍従達が血相を変え、バタバタと室内を駆けずり回っている。
そんな中、ラズフィスは大声で泣き喚く妹を抱きかかえ、唖然と立ち尽くしていた。
「さぁ、ラズフィス殿下。クリスティーナ様を連れて此方へ」
強張りながらも笑みを浮かべた侍女に退室を促されるが、震える足には一向に力が入らない。
じれた侍女に背を押され、別室へ移動させられる間も、今し方目にした光景が焼き付いて離れなかった。
自分にすがりつく幼い温もりを、ラズフィスは両腕に力を入れて抱きしめる。
舞い散る黒髪、噴き上がる鮮血。
動かなくなった母から流れ出る真っ赤な液体を、ラズフィスはただ黙って見つめることしかできなかった。
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先代王妃エルガリオーネは、実に美しく、たおやかな女性であった。
王妃が微笑めば、鳥が歌い、花々は競って咲き乱れるとまで言われていた。
彼女は優しくも厳しい母として子供達に分け隔てない愛情を注ぎ、妻として全身で夫、ウルカヴァラを支えた。
馴染み深い黒色を持つ正妃ということもあり、民衆からの支持も厚く、彼女がバルコニーに姿をあらわす時は王に負けぬくらいの賞賛が送られたものだった。
そんなエルガリオーネに異変が現れだしたのは、クリスティーナが産まれる少し前の事だった。
ぼんやり空を見つめていたかと思うと、急に眉間に皺を寄せて激しく頭を振ったり、小言をぶつぶつと呟いたりする事があったのだ。
心配する周囲に、彼女は困ったように微笑みながら、少し疲れが出たようだと漏らしていた。
丁度その時期、出産間近の王妃を祝うために、彼女は多くの訪問を受けていた。
顔色も悪い訳ではないため、周りの者達もゆっくり休めば体調も良くなるだろうと考えていた。
そんな彼女が豹変してしまったのは、クリスティーナが産まれて暫く後のことだった。
その日は、麗らかな春の日差しが降り注ぐ、とても暖かな日だった。
広い窓際に椅子を寄せ、王妃は笑みを浮かべながら中庭を見下ろしていた。
中庭では、ようやくはいはいを始めたクリスティーナの前で、ラズフィスが手を叩きながら幼い妹を呼んでいる。
誰もが穏やかな表情でその光景を見つめていた時、それは起こった。
突然、王妃が頭を抱え込み、唸り声をあげはじめたのだ。
「王妃様、いかがなさいましたか?」
訝しんだ侍女が彼女の肩に触れた途端、王妃は弾かれたように立ち上がり、座っていた椅子を床に叩きつけた。
騎士達が王妃を抑えるまでの間、彼女は狂ったように叫び続け、辺りの物を壊しつくしたのだった。
王妃の異様な様子に、すぐさま医者が呼ばれ、診察が行われた。
その結果、王妃は近頃明らかになった原因不明の病に罹患していることが判明したのだ。
その病に対する治療法は、未だ確立されておらず、助かった者は殆どいないと言う。
王はありとあらゆる手をつくし、王城の医者達を王妃の治療に当たらせた。
しかし、王妃の容態は徐々に悪化していくばかりだった。
元の穏やかで、聡明な彼女で居る時間が減る一方、人形のように生気のない様子で座っていたり、自我を無くして暴れたりする時間が増えていく。
それでも、王妃は家族の前で不安な様子は見せず、まともな時間の殆どを夫や子供達と過ごすことに費やした。
それから、三年近い月日が流れた。
病は一進一退を繰り返しながらも確実に進行し、王妃が自分を保てる時間は少しずつ減っていった。
数日に一度、数週間に一度と、母に会える時間が少なくなっていく。
それに耐えきれなくなったのは、末の子であるクリスティーナだった。
まだ甘えたい盛りである彼女は、とうとう侍女の目をくぐり抜け、母である王妃の部屋の前まで辿りついた。
そうして、自分の背よりも高い位置にあるドアノブに、必死に手をかけようとしているところを見つけたのは、たまたま図書館に出掛けていたラズフィスだった。
「クリス、部屋を抜け出して来てしまったのか?」
「にーしゃま」
悪いことをしている、と言う認識はあるのか、クリスティーナは両手を背に隠して俯いた。
そんな幼い妹の様子に小さく息を吐いてから、ラズフィスは彼女の前にしゃがみ込んだ。
「お母様は具合がお悪いのだ。さぁ、私と一緒に戻ろう」
「やーの!」
盛大に頬を膨らませ、クリスティーナはぶんぶんと首を振る。
零れそうなくらい涙を溜めた緑の目に睨み付けられ、ラズフィスは弱ったように眉を下げた。
剣の訓練を続けているとはいえ、彼はまだまだ線の細い少年だ。
本気で嫌がって暴れる幼児を抱えて、無事に部屋まで連れ帰る自信はない。
困り切った兄を前に、クリスティーナは引き結んでいた唇から、小さく言葉を漏らした。
「くぃしゅらって、おかあしゃまに、おはな、あげらいもん」
「花?」
「おかあしゃまの、らいしゅきなおはなあげて、おげんきになってもらうんらもん!」
よく見れば彼女の両手は土にまみれて汚れていた。
恐らく、中庭に植えられていた花を引き抜いて来たのだろう。
「クリス……」
クリスティーナが握りしめていたオリスの花に、ラズフィスは思わず絶句した。
近頃の母は、ぼんやりと窓辺に座っているか、頭を抱えてうなり声を上げながら暴れまわっている事が殆どなのだという。
今では側仕えは愚か、家族の顔すら判別できないとのことだった。
そんな母親の姿を見せるのは酷であろうと、成人前のラズフィスや幼いクリスクリスティーナは、この数ヶ月母の顔を見ていなかった。
自分はもう十を超え、それなりに自制がきくが、クリスティーナはさぞ寂しい思いをしているのだろう。
だが、やはりクリスティーナと今の母を会わせるわけにはいかない。
妹の肩に手を置き、ラズフィスが口を開きかけた時、王妃の部屋から激しい物音が聞こえてきた。
ラズフィスの意識が僅かに逸れた瞬間、クリスティーナが王妃の部屋に向かってパッと駆け出す。
先ほどの物音が上がった時、何かの拍子で扉が開いてしまっていたようで、彼女はそこからするりと室内に潜り込んだ。
「クリス!」
慌てて妹の後を追って扉を開けたラズフィスは、その先の光景に唖然と立ち尽くした。
久方ぶりに目にした母の姿は、とても正視に耐えうるものではなかった。
目は落ち窪み、頬はこけ、嘗ての面影は何処にも見当たらない。
髪を振り乱し、よだれを垂らしながら手当たり次第に物をなぎはらっては、うな唸り声をあげて頭を抱える姿は暴れる獣のようだった。
ラズフィスは入り口で固まるクリスティーナを抱き寄せ、とっさに腕の中に抱え込む。
引き寄せられた刺激でか、クリスティーナの喉がひくりと小さく音を立てた。
その瞬間、王妃の充血し、濁った黒い目がぎょろりと子供達の姿を映した。
動けないでいるラズフィス達に視線を定めたまま、王妃は足元の硝子片を握り猛然と駆け出した。
「誰か! 王妃様をお止めして!」
床に倒れ込んでいた年配の侍女の悲鳴を聞き、隣室に控えていた他の侍女や侍従が飛び込んできた。
だが、王妃の握る鋭い硝子片は、既に子供達の目の前まで迫っていた。
ラズフィスは妹を守るように抱き込み、きつく両目を閉じる。
そのまま凶刃がラズフィスを切り裂くかに見えたが、刃の先端が彼に届く間際で王妃がピタリと動きを止めた。
数秒の沈黙の後、王妃は頭を抱えて絶叫した。
驚いて目を見開くラズフィスの前で、王妃が再び動き出した。
息を切らし、震える腕を高く掲げ、勢い良く振り下ろす。
次の瞬間、びしゃりと生暖かい液体が、ラズフィスの顔を濡らした。
切り裂かれた王妃の首筋から勢いよく赤い液体が噴出し、辺り一面を汚していく。
息もせずに母を見つめるラズフィスに、王妃は一瞬安堵したような笑みを浮かべその場に崩れ落ちた。
「―――王妃様! 王妃様!」
劈くような悲鳴を上げ、侍女が倒れ付す王妃へと駆け寄り、血があふれ出す首筋を厚布で押さえつける。
一気に慌しくなった室内に、弾かれたように泣き出したクリスティーナの声が響き渡った。
侍女に背を押されて部屋を移されながら、ラズフィスは呆然としたまま震える両手で妹を抱きしめることしかできなかった。
結局、王妃は医師や治癒師の懸命の治療で一命を取り留めたものの、再び瞼を開けることはなかった。
元々弱りきっていた体に、大量の出血がその命を縮めたのだろう。
家族に見守られ、土に返っていく母の表情は、最期に見た時と同じ、安堵したような、安らいだような、そんな笑みを浮かべていた。
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「あれも愚かな女よ。抵抗などせず、大人しく従っておれば、あのような無様な死に方をすることもなかったであろうに」
聞こえてきた公爵の声に、ラズフィスはゆっくりと顔を上げた。
視線の先で、頼れる人物であったはずの人が、醜く顔を歪めて笑っている。
悲しみ、怒り、失望、様々な感情がない混ぜになって、とても言葉にならなかった。




