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覗き窓から見える景色が、信じられない速さで階下へ流れていく。
その様子に目を奪われている内に、装置は最上階へ到達したようだった。
僅かな振動と、石が擦れる音を響かせて装置は完全に停止する。
最上階と思わしき部屋は窓一つなく、暗闇と静寂にに包まれていた。
今までは覗き窓からある程度の光が取り込まれていたのだが、この部屋にはその僅かな光すら届かない。
魔導師の一人が詠唱し、炎で辺りを照らす。
ぼんやりと映し出された光景に、一行は驚いたように回りを見渡した。
どこまでも続くかのような広い空間の中、部屋の床一面が澄んだ水で満たされていたのだ。
水の底を覗いてみると、ようやく光りが届くような場所で何かが動く。
ラズフィスは魔導師に声をかけ、水中を照らさせる。
そうして浮かび上がってきた光景に、皆声もなく目を瞠った。
石畳の路地、レンガ造りの街並み、見事な彫刻の施された教会、建物を繋ぐ長い回廊。
水の底には、時間を止めたかのような水中都市が広がっていたのだ。
街路樹の代わりに、様々な形をした珊瑚が群生しており、その合間を縫って、たくさんの魚が悠々と泳ぎまわっている。
一行が水中都市に見入っていた時、どこかから水滴の落ちる音が響いた。
ラズフィスが我に返って顔を上げると、装置から続く飛び石の道の先に、いつの間にか重厚な木製の扉が浮かんでいた。
だが、どういった原理なのか、そこにあるのは扉だけだった。
いくら目をこらしてみても、その先にあるべきはずの部屋や壁は見当たらない。
「……どういたしますか?」
「……行くしかあるまい」
小声で尋ねてくるカーデュレンに答えを返し、ラズフィスは扉の方へと歩みを進めた。
近衛騎士を先頭に、一行は警戒を強めながら飛び石を渡り始める。
飛び石に足をつける度に、水面に波紋が生まれては消えていく。
それは扉に近づけば近づくほど大きなものになるようだった。
静寂の中で、靴音と水滴が水面を叩く音だけが響いていた。
ラズフィスは扉の前の大きな平石に辿り着くと、木製の扉を仰ぎ見る。
装置の上からみた扉はやや大きいといった印象だったのだが、近くまで来るとその大きさに驚かされた。
見上げる程の巨大な扉には、生命の樹が掘り込まれ、それを取り巻くように、無数の構成図が描かれている。
ラズフィスは横に控えるカーデュレンと視線を交わすと、兵に扉を開くように命じた。
騎士がニ名扉の前に立ち、両手をついて押し開くように力を入れる。
古びた蝶番が擦れ、音を立てながらゆっくりと扉が開いていく。
「っ!」
完全に扉が開いた瞬間、視界が真っ白に染まった。
それほど明るい光ではなかったが、暗闇に慣れたラズフィスの目は刺されるような痛みを感じる。
ようやく光に慣れた目が室内の景色を映し出す。
大きな開け放しの窓の向こうで太陽が傾き、夕暮れ時の茜色の光が石壁の室内を包んでいた。
広くはない部屋の中央には、天井に届かんばかりの巨大な黒水晶が浮かんでいる。
その周囲を、可視化された構成式が取り囲んでいた。
式により発動されつつある魔術が、反発を受けながらも少しずつ黒水晶を浸食している。
僅かに削れ、水晶のひび割れた場所から、濃厚な黒の魔力が漏れ出しているのが感じられた。
魔力の変調の原因は、あの魔術が原因だろう。
これだけの大々的な術は、とても遠隔操作できるものではない。
発動途中ということは、現在どこかでこの魔術を行使している人物がいるということだ。
目を凝らして良く見てみれば、短い階段を上った先、水晶の前に人影が佇んでいた。
その背が己の良く知るモノであることに、ラズフィスは僅かに顔を歪めた。
水晶の前、こちらに背を向けて立つ人影こそ、現在、王の暗殺未遂事件の首謀者としてその身を追われている人物。
精霊から話を聞かされながらも、俄には信じられなかった。
嫌、信じたくなかったというのが正直な所だ。
いつかは真相を聞きださねばならないと覚悟していたが、まさかここで会うことになるとは思いもしなかった。
「どうしてあなたが……」
父が急逝してから、多くの助言をラズフィスに与えてくれていた。
あれがまやかしであったとは思いたくなかった。
締め付けられたように、ラズフィスの喉から擦れた声が漏れる。
「……伯父上」
魔術の発動を示す独特の淡い光りを放つのは、レストリア公爵その人だったのだ。
***********
魔女の塔の最上階で、想像だにしていなかった人物の登場で、兵達に動揺が走る。
そんな中、声を張り上げたのはカーデュレンだった。
「レストリア公! 何をなさっておいでなのです!?」
普段、声を荒げる事のない彼の見慣れぬ姿に、部下である魔導師が目を丸めた。
だが、そんなカーデュレンの言葉に反応すら返さず、公爵は魔術の行使を続ける。
「このような……、あなた程の方なら、これがどんな事を引き起こすか、分かっておいでのはずだ!」
「五月蝿い羽虫だ」
カーデュレンの言葉を遮ったのは、冷え切った公爵の低い声だった。
彼は面倒臭げな声色を隠そうともせず、薄暗い部屋の隅へと視線を向ける。
「アルサ、虫共を黙らせろ」
公爵が命じた瞬間、異様なまでの圧力が一行の体を押しつぶす。
詠唱も、魔力の揺らぎも感じなかった。
対処する隙すら与えられず、騎士も魔導師も床に膝をつく。
「……っ!」
「ぐっ!」
「これ、は……」
その圧倒的な魔力に、誰もが体を動かすことすら儘ならない。
ラズフィスの周りでは、バチバチと火花が散り、魔力が反発している。
金の魔力に反発する力があるとすれば、只一つ。
「これは、黒の魔力……!」
呻くように呟き、ラズフィスは無理やり顔を上げる。
魔女の末裔が他の属性の魔力を操れないのと同じように、他の属性を持つ人間は黒の魔力を扱えない。
フェヴィリウスの王族で、生まれながらの魔導師である公爵が利用できる力ではないはずだ。
それに、公爵は現在、水晶を破壊する為の魔術を発動中だ。
ならば、ラズフィス達を押さえつけるこの魔力は、別の人間のものだろう。
フェヴィリウスの魔導師すら凌ぐ強大な力は、本来ならば魔女の末裔が持ちえるはずのない魔力量だ。
段々と増していく不吉な予感に、ラズフィスの中で何かが警鐘を鳴らす。
そんな時、公爵が不意に思い出した、とでも言うように首を傾げた。
「あぁ、そういえば、お前達に見せるのは初めてだったな」
彼は部屋の影になっている場所に視線を向けると、至極楽しげな笑みを浮かべた。
「出てくるが良い」
夕闇の中、こつりと小さく靴音が響いた。
初めに使い古されたローブが、そして徐々にそれを纏う人物の姿が、茜色に染められ、あらわになっていく。
長い黒髪が、体の動きに合わせてふわりと舞う。
虚空を見つめる闇色の瞳は、何も映さず、感情の色も見えない。
「そん、な……」
声も出せずに目を瞠るラズフィスの隣で、カーデュレンが唸るように呟いて表情を歪めた。
公爵の前に歩み寄った人物が振り返り、その硝子玉のような瞳に一行の姿を捉える。
「紹介しよう」
唖然と段上を見上げるラズフィスに、公爵は満足げな表情を浮かべて両手を広げた。
「これは人形。わしが造り上げた、優秀な魔術兵器だ」
公爵の言葉が耳を打つが、それすらも気にしている余裕はなかった。
ただ一点を見つめたまま、ラズフィスは視線を逸らすこともできない。
あの夜に失ってから、再び己の傍に取り戻すことを願わない日はなかった。
だが、決してこのような再会を望んでいたわけではない。
ラズフィスの喉から、擦れた声が漏れたが、結局言葉になることはなかった。
(……ユー……リ……)
心から求めてやまなかった女は、ただ静かにラズフィスを見下ろしていた。




