20
その頃、幻影の森にあったフォルト達も、とある人物の登場に緊張感を漂わせていた。
フォルトは苦々しく顔を歪め、近衛騎士は不信げに眉を寄せている。
彼らの反応に、小柄な魔導師は戸惑った表情でフォルト達と、新たに現れた人物とを見比べていた。
そんな視線にさらされながらも、男は特別に気にする風でもなく笑みを湛えたまま佇んでいる。
黒の燕尾服に身を包んだその人物は、深々と腰を折り仰々しいほどの礼をとった。
「これはこれは、お久しゅうございます。騎士様方」
直接話をする事自体は少ないものの、若草色の髪をしたその男をフォルトはそれなりに見知っていた。
そして、この男の主人に当たる人物も良く知っている。
近衛騎士の方も、王の護衛をする関係上、何度か顔を合わせたことがあるはずだ。
つまるところ、彼の主とは、王と頻回に見えることが可能な人物だった。
燕尾服の男は頭を上げ、魔導師に目を止めると小首を傾げる。
「そちらの魔導師殿はお初にお目にかかりますでしょうか」
そう呟いて、男は再び頭を下げ己の名を名乗った。
「ワタクシ、レストリア公の執事を勤めております、ユグノーと申します。以後、お見知りおきを」
笑みの形に細められた深紅の瞳と目が合った瞬間、キルカは恐怖を覚えて小さく息を呑む。
それに気付いたらしい騎士が、身体をずらしてユグノーの視線から小柄な魔導師を隠した。
黙って成り行きを見ていたフォルトは、緊張を強めつつ、ユグノーへと低めた声で問い掛けた。
「お前がこの場にいると言うことは、やはりあの方もこの搭においでなのだな」
フォルトの問いに、ユグノーはくつりと笑うだけで、答えを返そうとしない。
更に緊迫感を増す空気に、近衛騎士は難しい顔で小さく唸り声を上げた。
「あー、何だか面倒な事になってきたな」
軽く頭を掻きながら、騎士は小さく溜め息を吐く。
どちらかというと、自分は頭で考えるより、体を動かす方が得意な人間だ。
こういった腹を探り合うような雰囲気は、気疲れしていけない。
辟易した気分のまま、何気なく背後に目をやった騎士は、異様なほど血の気の引いた魔導師の様子に目を見張った。
魔導師は小さく体を震わせており、その顔は蒼白を通り越し、もはや土気色に近い。
顔をのぞき込むようにして見てみれば、魔導師は零れんばかりに目を見開きユグノーを凝視していた。
「おい、どうしたんだ? 顔色が悪いぞ」
その尋常でない様子に、騎士は眉を寄せて肩を揺する。
「そん、な……」
小さく漏れた声は、魔導師の心情を現すかのように、かすれ、震えていた。
「何かあったのか?」
背に手を当てて先を促すと、魔導師は頭を上げて騎士の顔を見てから、一つ唾を飲み込んだ。
次いで、俯き、祈るように両手を組むと、ぎゅっと固く握り締めた。
唇を湿らせ、深く息を吐いてから、魔導師はぽつりぽつりと話し出した。
「……私の曾祖母は、アルジオスの出なんです」
「アルジオスって言うと、一晩で滅亡したっていう、あの幻の軍事国家か?」
今は歴史書のみに名が残るその国は、独自に兵器の開発を進め、他国を併合する事で大陸の半分近くを領土としていた。
当時、小国の一つでしかなかったフェヴィリウスにとっては、相当の脅威であったようだ。
その頃から、魔導師が産まれることの多いフェヴィリウスであったが、そこまで魔術の研究が進んでいなかったようだから、攻め込まれては一溜まりもなかっただろう。
近隣諸国も、為す術なく大国アルジオスに呑み込まれていった。
だが、その大国は、突如歴史から姿を消すことになる。
かの有名な、アルジオスの滅亡だ。
たった一晩の内に首都は火の海と化し、統率を失った軍隊は無力化した。
軍力によって従っていた併合国は次々に独立、栄華を誇っていた大国は瞬く間に歴史の渦の中へと消えていったのだ。
「当時、強国の一つだったはずのあの国は、たった一人の下級兵の手で壊滅させられたんだそうです」
「下級兵士? 確か、あの国の首都は、大規模な火災と、土石流によって滅んだはずじゃあ……」
「表向きにはその通りです」
だが、アルジオス滅亡の真実は歴史書とは異なっていたのだ。
それを知る者の多くはアルジオスの首都と共に炎の中に消え、生き残った者達は皆口を閉ざした。
親から子へ、脈々と伝えられてきた口伝だけが、ひっそりと真実を伝えていたのだ。
思い出すのは、夕暮れの窓際。
曾祖母の膝に頬を寄せ、昔話をせがむキルカに、彼女は曾孫の頭を撫でながらそっと囁いた。
『よーくお聞き、キルカ。これからする話はね、とっても大事なお話だよ』
『だいじなおはなし?』
不思議そうに小首を傾げるキルカに、曾祖母は唇に人差し指を当て、小さく首を横に振る。
『だけど、この話は誰にもしちゃあいけない。もし、我々が見つかったら、火炙りにして殺されてしまうかもしれないからねぇ』
そう言った曾祖母の瞳は、悲しみとも、恐れともつかない色を湛えていた。
曾祖母が声を潜めながらも話して聞かせてくれたのは、一つの国の滅亡の話であった。
勇敢な兵も、強靭な兵器も、滅び行くアルジオスの運命を変えることはできなかった。
たった一人の男の手によって、王宮が、街が、次々と激しい炎に呑み込まれていった。
幼い少女の目線で語られる物語は、物悲しく、同時に恐ろしくもあり、キルカの記憶に深く刻まれていた。
今思えば、あの物語の主人公であった少女は、曾祖母自身だったのだろう。
その物語の中、全ての元凶であった下級兵の名が、キルカの頭を駆け巡る。
只の偶然であるかもしれないが、背に流れる嫌な汗は止まらない。
縋るように、ローブの下にある曾祖母の形見の首飾りに手を当てた。
「その下級兵が名乗っていた名が、虚像。フェヴィリウスの言葉に直すなら……ユグノー」
首飾りをきつく握り締めながら、キルカは燕尾服の男に視線を向ける。
男は笑みを浮かべたままで、それがまたキルカには恐ろしく、小さく唇を震わせながら生唾を飲み込んだ。
「名と姿を変えながら、9つの国を滅ぼしたと言われる魔族、イスタヴァドルの偽りの姿です」
しんと静まり返った空気の中、くつりと小さな笑い声が響く。
浮かべた笑みを崩さないまま、ユグノーは大袈裟に肩を竦めた。
「おやおや、このような所に、ワタクシの事を知る人間が居たとは。世間とは狭いものです」
ユグノーが軽く指をはじくと、瞬く間に彼の若草色の髪が黒く染まっていく。
詠唱も、構成式も用いず、精霊からの干渉を一切受けることのない力。
黒の魔力と似ていながらも、ビリビリと肌に感じる圧倒的な重圧は、人間が生み出せるようなものではない。
そして、何より、彼の色合いは人間では有り得ないものなのだ。
笑みの形に細められたユグノーの瞳は、冷え切った深紅。
人であるならば、最も相性の良い属性の色が、まず髪の色として現れる。
そして、次点の属性が瞳の色として現れるのだが、一つの属性しか使えない者は、双眸も髪と同系色になるのだ。
それ故に、魔力の無しの証である黒髪を持つ人間が、黒色以外の瞳を持つはずがない。
この事実こそが、目の前の男が人ならざる者であると証明していた。
緊張を強めるフォルト達とは対照的に、ユグノーは相変わらず笑みを貼り付けたままだ。
くつくつと笑いながら小首を傾げた彼は、片手で銀色のモノクルの位置を直した。
「ですが、一つ訂正させて頂きましょう。ワタクシが直接手を下し、滅ぼしたのは、その内の数国に過ぎない。非常に残念なことに、殆どの国は手を出すまでもなく自滅したのですよ」
「そのような戯言を。お前が原因というのは、紛れもない事実なのだろう!」
突然響いた怒鳴り声に、フォルト達は驚いて振り返る。
ユグノーが出てくるまでキルカが行っていた治癒魔法が効いたのか、何人かの騎士が意識を取り戻していた。
数名の騎士はまだ治りきっていない傷を抑えながらも、立ち上がって目の前の魔族を睨みつけている。
彼らの鋭い視線など意にも返さず、ユグノーは聞き分けの悪い生徒を前にしたように、ゆっくりと首を振った。
「戯言とは人聞きの悪い。ワタクシは、ほんの少し、駒の背を押しただけなのですよ」
「魔族の言うことなど信じられるか! 今回とて、貴様が公爵を唆し、陛下を襲わせたに違いない」
固く握り拳を作った者の中に、ある若い騎士達を見つけ、フォルトは眉を寄せた。
彼らは確か、魔物に家族を傷付けられたことのある者達だったはずだ。
仕事中、私情に動くことはないものの、魔物の討伐には必ず参加している。
今回のこの異常な状況下で、あまり挑発を受けると、何を仕出かすか分からない。
そんなフォルトの危惧をあざ笑うかのように、ユグノーは芝居がかった素振りで若い騎士を煽る言葉を続けた。
「まさか! ワタクシはたった一言、公爵閣下の耳元で囁いたまで。そう、魔力だけで選ばれた人間よりも、あなた様の方が余程王に相応しいのに、とね」
大きく首を振った彼は、小首を傾げ笑みを深くする。
「それで、歴代のレストリア公爵様方は自ら行動を起こされたのです。王を排除し、己が頂点へと上り詰めるために」
片手で目元を覆い、小さく肩を震わせていたユグノーだったが、やがて弾かれたように笑い声を上げる。
彼から溢れる気配につられて、幻影の森がザワザワと音を立てた。
ようやく笑いを収めたユグノーは、その深紅の双眸を細め、騎士達を見やった。
「本当に、人間とは愚かしく、面白い」
「き……さまぁ!!」
「止めろ! ノイン!! アルス!!」
怒りに打ち震えていた二人の騎士が、剣を抜いてユグノーへと躍り掛かった。
フォルトが止める間もなく、魔族の懐に飛び込む。
だが、剣の切っ先がユグノーに届く直前に、透明な壁の様なものに阻まれた。
次いで、騎士達の体が吹っ飛び、樹の幹に叩き付けられる。
「……ぐ……ぅ……」
「……っぁ……」
「そう簡単に、触れられるとでも思っていたのですか? 全くもって愚かな」
指一本動かさずに二人を吹き飛ばしたユグノーは、呆れたように首を振る。
若いと言っても、彼らは今回の遠征に選別される程の優秀な騎士達だ。
その騎士達が指一本触れられず、赤子の手を捻るように返り討ちにあっていた。
フォルトは顔を顰め、口を引き結ぶ。
相手は一晩で街を滅ぼすような魔族だ。
その上、今の一瞬で、溢れ出た魔力は相当なものだった。
それでも、あの男はまだ本気を出してはいないだろう。
何の作戦もなしに相手取るには分が悪すぎる。
「レイン、一旦引くぞ」
フォルトは視線をユグノーに固定したまま、近衛騎士へと指示をだした。
黙って頷き返すと、近衛騎士は負傷した騎士の一人に肩を貸し、森の奥へと入っていく。
意識の戻っていた他の騎士達も、仲間と庇いあいながら彼に続いた。
最後までその場に残っていたフォルトも、一定距離までユグノーを視界に捉えたまま後退し、木々の間に消えていった。
「作戦会議ですか? 良いでしょう、精一杯足掻いてください。希望を砕かれ、絶望し、恐怖に歪んだ人間共の叫びは、実に甘美なもの」
楽しくて仕方がないとでも言うように、ユグノーはくつくつと笑う。
大仰な仕草で両手を広げ、宣言するように高らかに声を上げた。
「さぁ、遊戯を始めましょうか。駒が壊れるまでの、ちょっとしたお遊びです」
すっと開かれた切れ長の目が、木々の奥に続く暗がりを捉えた。
モノクルの奥に秘められた深紅の瞳が、冷たい光りを宿す。
「存分に、ワタクシを楽しませてください」
くつりと漏らされた笑みの余韻を残したまま、ユグノーの姿は闇に溶けるように消えていった。




