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常闇の魔女  作者: 空色
第4章 常闇の魔女
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12



「グルルル……」



牙を剥き出しにした数匹の獣が低い唸り声を上げ、王の一団を取り囲む。

一際体の大きな黒毛の獣が群のリーダー格だったようで、それが鋭く咆哮を上げた瞬間、獣達が一斉に飛びかかってきた。

騎士達は王を中心に円となり、襲い来る獣を斬り伏せていく。

その様子を伺っていた黒毛は、体を低く屈め、突然大地を蹴り高く飛び上がった。

騎士達の頭上を軽々と飛び越え、その勢いのまま猛然とラズフィスへ躍り掛かる。

彼が横に飛び退いて避けると、軽やかに着地した獣は牙を剥いて再び獲物に飛びかかった。



「っは!」



ラズフィスは素早く剣を構え直し、目前に迫る獣の体をひと薙ぎする。

腹を切りつけられた獣は、断末魔の咆哮を上げて地に伏した。



「陛下、お怪我はございませんか!」

「大丈夫だ」



ラズフィスが緊張をとくと、最後の獣を斬り伏せていたフォルトがそばに駆け寄ってくる。

王の無事を確認してから、彼は警戒を怠らず辺りを見渡した。



「しかし、さすがは魔女の森。そう簡単に塔へ向かわせてはくれないようですね」



魔女の森に足を踏み入れてから3日、こうして獣に襲われるのは一度や二度ではない。

森にそれなりに馴染みのあるセルゼオン公爵の私兵ですら、獣達の気の立ちようは異常だと口にした。

それに、森の奥に進むにつれて霧が立ちこめ、視界も悪くなってきていた。

今や辺りは白く覆われ、目の前を歩く者の背を追うのも一苦労といったところだ。

いつ襲われるかも分からない状況の中で、騎士や兵達は常に神経を尖らせていた。


取り敢えず辺りに獣の気配が無いことを確認しつつ、カーデュレンが枝を垂らした大木へと近づく。

その表面を慎重に確かめると、難しい顔で首を振った。



「やはり。これは、前に私がつけた傷跡ですね」

「つまり、再び同じ場所へ戻ってきてしまったということか」



カーデュレンの言葉に、ラズフィスも思わず顔を顰める。

それが本当なら、もう随分と長いこと同じ場所をさまよっていた事になる。

兵達も徐々に神経をすり減らしており、このままでは無駄に兵力を疲弊させることになるだろう。


一度引いて対策を立てるべきかと考えていたラズフィスだったが、不意に視界の端で何かが動くのを捉えた。

警戒しつつ顔を上げると、スグルドの木の向こうに一匹の狼が佇んでいた。


ラズフィスは剣の柄に片手を置き、いつでも抜けるような態勢をとる。

獰猛な獣であることはもちろんのこと、この霧の中ではっきりとその姿を捉えられることが、何よりも不自然ったからだ。

しかし、狼は襲いかかってくる様子もなく、まるでこちらを伺うようにじっと見つめていた。



「何だ、あれは……」



その体毛が炎のように揺らめいた気がして、ラズフィスは思わず声を漏らした。

そばに控えていたカーデュレンにはその声が聞こえたようで、訝しげに首を傾げると王が見つめる先へ視線を向けた。

狼の姿を捉えた瞬間、彼は驚愕したように目を丸める。



「あれは、まさか……」

「どうした、カーデュレン」



彼にしては珍しく動揺をあらわにしている様子に、ラズフィスは首を傾げつつ問いかける。

カーデュレンは困惑と興奮をない交ぜにしたような表情で暫し佇んでいたが、狼から視線を外さず、信じられぬものを見たとでも言うように首を振った。



「古文書に間違いがなく、私の目に狂いがないのなら、あれは炎狼エフェルトラド。黎明の賢者アルディロスが使役したと言われている霊獣です」



カーデュレンの言葉に、ラズフィスは僅かに眉を寄せる。

賢者アルディロスと言えば、古い歴史書に名を残す人物で、少々変わったところがあったのだそうだ。


あまり俗世と関わらずに古代魔術の研究に精を出し、どこに居を構えているかも明らかにはせず、偶然にも辿り着く事ができた迷い人だけが彼から助言を受けることができたのだという。

直接賢者の助けが必要な案件は、代行して弟子が対処していたというが、その弟子の名は歴史書にも残ってはおらず、実在の人物であるかも定かではない。


とにかく、賢者アルディロスとは謎に満ちた人物なのだ。

そんな人物の使役していた霊獣が、今目の前にいるとは俄には信じがたいものがある。



「なぜそのような存在が、この森に?」

「分かりません。そもそも、炎狼はアルディロスが死した時、共に眠りについたと伝えられているのです」



二人が話を進めている間にも、炎狼は大人しく座り込みこちらの反応を待っているようだった。

魔女の森が見せる幻か、はたまた何らかの罠なのか、誰もが炎狼の現れた真意をはかりかねていた。

そんな中、不意に炎狼が立ち上がり、くるりと踵を返す。

森の奥へと数歩進むと足を止め、振り返って座り込んで一行に視線を向けた。

金色の瞳がラズフィスを捉え、狼は揺らめく炎のような尾を一振りする。

まるで誘うようなその仕草に、ラズフィスは目を細めて狼を見つめ返した。



(ついて来い、ということか)



ラズフィスが一歩踏み出すと、成り行きを見守っていたフォルトが慌てたように声を上げた。



「陛下、お待ち下さい」



彼はすっと王の前に進み出て、警戒を解かずに狼を鋭い視線で睨みつけた。



「あの様に得体の知れないモノに近付くのは危険です。襲撃の件もございますし、何者かの差し金である可能性も捨てきれません」

「だが、このまま森をさ迷っていても、兵力を消耗するだけだ。罠を承知であれにかけてみるのも手だろう」



ラズフィスの言葉に、フォルトは兵達を一瞥する。

暫し考えあぐねていたようだったが、難しい顔のまま息を吐くと静かに剣をおさめた。



「分かりました。ですが、どうか警戒を怠りませぬよう、お願い申し上げます」



ラズフィス達が足を踏み出すと、炎狼は立ち上がり先導するように獣道を歩き出した。

一行は炎狼と適度に距離を置きつつ、フォルトを先頭にして歩みを進める。

炎狼は時折足を止めて振り返っては、一行がついてきていることを確かめているようだった。

小一時間程進んだ頃、炎狼は辛うじて出来ていたような獣道を外れ、草木が伸び放題になっている方へと向きを変える。



「如何なさいますか?」



前を行くフォルトが振り返り、ラズフィスに問い掛ける。

このまま迷わされ、思いもよらぬ場所に引き出される可能性もないわけではなく、己の決定で多くの兵を危険にさらす事になりかねない。


だが、ラズフィスはふと先程目にした炎狼の金色の瞳を思い出す。

まるで此方を見透かすような、真っ直ぐに澄み切った視線は、緊張こそすれ嫌な感じはしなかった。

もし炎狼が幻影なのだとしても、あの様なものを造り出す術者が悪意に満ちているとは考えにくい。



「そのまま歩みを進める」



ラズフィスの言葉に、フォルトは黙って頷き、行く手を塞ぐ枝を切り落とすために小刀を抜いた。

腰の辺りまで伸びた草を踏みわけ、垂れ下がる枝やつるを落としつつ、一行はさらに一刻ほど歩き続けた。


そんな折、前を歩いていた炎狼が一瞬立ち止まり、少し辺りを窺う様子を見せると軽やかに地を蹴った。

次の瞬間、一行の目の前で狼の姿が煙のように掻き消えたのだ。

やはり罠であったのかと、張り詰めた空気が走る。

前方を歩いていたフォルトと騎士が、さっと視線を交わして素早く剣を抜いた。

ぴりぴりとした空気の中、風に揺れる木々の葉がざわざわと音を立てる。


暫らくそうして気を張っていたものの、何者かが襲ってくる気配はない。

他の者達と同様に意識を研ぎ澄ませていたカーデュレンだったが、突然はっとしたように目を見開き、炎狼の消えた場所へと足早に近付いた。

そうして、狼が立ち止まった辺りを過ぎた瞬間、彼の姿が消えてしまったのだ。



「っな!」

「カーデュレン様!」



魔術の発動もなく人が消えたことに、騎士や魔導師達が動揺した声を上げたが、すぐに同じ場所からカーデュレンが現れる。

顎に手を当てまま、彼はは何やら考え込んでいるようだった。



「一体、どうなっているのだ?」



ラズフィスが問いかけると、カーデュレンは背後を振り返りながら深く息を吐いた。



「どうやら、この場所が結界の切れ目のようですね。ようやく人が一人通り抜けられる程度の大きさですが、ここが唯一向こう側へと続く入り口なのです。ご覧下さい」



そう言って、カーデユレンは目の前に両腕を伸ばした。

右腕はそのまま真っ直ぐに前に伸びているのに対し、左腕は肘から下の部分が消えてしまっている。

その異様な光景に、一行は目を瞠った。



「このように魔力を感じさせず、かつ全てを幻で覆い隠すような魔術は、見たことも聞いたこともありません。それに……」



カーデュレンは暫し息を止め、溜め息を付きながら左右に首を振った。



「この先の光景を目にされれば、もっと驚かれることでしょう」



そう言って踵を返したカーデュレンの姿が、空気に溶けるように消えていく。

彼の残した言葉に、皆声もなく、互いに顔を見合わせた。

フェヴィリウスでも指折りの魔導師に入るカーデュレンを圧倒させるものとは、一体どのような光景だというのだろうか。

どちらにせよ、いつまでもここに立ち止まっているわけにはいかない。

表情を引き締めたまま、フォルトを先頭に、一人、また一人と、慎重に結界の中へと足を踏み入れていった。





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