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(何だ、これは……)
フォルトは目の前に広がった光景に、ただ唖然と空を見上げるしかなかった。
森の中でぽかりと空いた平地に、古い石造りの塔が天まで届くように高く高く聳え立っている。
その頂上は雲に隠れ、肉眼で確認するのは不可能に思えた。
王都でも目にしたことのない高層の建築物は、とても人の成せる業とは思えない。
そして、森の外からでも目に付くであろうこの巨大な塔を、丸ごと隠せてしまうほどの結界を保ち続けている魔術。
そんな、人間離れした事を実行できる存在に、彼は薄ら寒いものを感じた。
周りを伺ってみれば、他の騎士や魔導師達も、同様に声も出せずその塔を見上げている。
その中でただ一人、ラズフィスだけが懐かしげに目を細め、周囲を見渡していた。
先日思い出した幼い日の記憶よりさらに年月を経たその場所は、少々その記憶とは異なっていた。
あの時、石造りの塔も、周りの草木も荒れ放題だと思っていたが、それなりに人の手が入っていたようだ。
住むものが居なくなった後も、この塔や塔の主に縁深かった者が定期的に管理をしていたのだろう。
ただ、ここ暫らくは手をくわえる者が居なかったのか、石の塔の表面は更に苔生し、下側は石壁を確認するもの難しい。
その壁の周りを、青い葉をつけた蔦が幾重にも重なって伸びている。
周りの木々も伸び放題に枝を伸ばし、草はラズフィスの膝下まで背を伸ばしている。
あの時は気付かなかったが、小さく可憐な白い花を咲かせたオリスが、石壁に沿うようにして植えられていた。
この花を目にして、ユーリは咄嗟に偽名を口にしたのだろうか。
恐らく名を考えるのが面倒臭くて、目に付いたものから命名したのだろう。
実に彼女らしくて、ラズフィスは我知らず笑みを浮かべた。
ラズフィスは壁に沿ってゆっくりと歩みを進め、塔の裏手へと回った。
彼は視線の先に、朽ちかけた井戸を見つけ、ほんの少し足を速める。
あれから20年以上、誰も使う者がいなかったのか、滑車が取り付けられた屋根にも蔦が這っていた。
滑車は錆び付き、もう容易には動かすことができないだろう。
井戸を覗いてみたが、殆ど枯れ果ててしまっているようで、底の方に薄らと張った水面に水草が浮いているのが見える。
この場所で、オリスと名乗った彼女に見守られ、痛みに泣きそうになりながら傷を洗ったのだ。
感傷に浸りながら、ラズフィスはそっと井戸の縁に手を置き、静かに目を閉じる。
(……ユーリ)
心の中で呼びかけたところで、返される声はない。
つい先程、リリアージュを通じて、王暗殺未遂事件の首謀者の捕縛に向かわせていたユスティナから報告を受けた。
屋敷に首謀者の姿はなく、ユーリのいた痕跡も見つからなかったのだそうだ。
落胆すると同時に、ほんの少しだけ喜ぶ自分がいることに、ラズフィスは苦笑を漏らした。
(浅ましいな、私は)
王として勤めを果たすと言って、ユーリの捜索をユスティナに投げておきながら、やはり彼女を見つける人間は自分でありたかったのだ。
自分の都合ばかりで、今もどこかで己の意思を枉げられているユーリからすれば傍迷惑な話だろう。
きっと、この思いを知られれば呆れられるか、顔を顰められるかのどちらかだ。
彼女の嫌そうな顔が容易に思い出されて、ラズフィスは思わず苦笑を漏らした。
その時、不意に足元に気配を感じて目を開く。
いつの間に近寄ってきていたのか、己を見上げるようにして炎狼が座り込んでいた。
狼の瞳は初めて森で見かけた時と変わらず、真っ直ぐにラズフィスを捉えている。
まるで見定めるかのような視線に、彼もじっと金色を見つめ返した。
ラズフィスが実際に炎狼を見たのは、今回が初めてのことだ。
書によれば、普段、炎狼が身に纏う炎に温度はなく、周りのモノを焼くことはない。
だが、一度その逆鱗に触れれば、悪魔をも焼き尽くす業火となるのだそうだ。
それに加え、彼らの感覚は通常の狼の数百倍とも言われている。
遠く離れた隣国のできごとさえ、その耳で聞き取り、臭いを嗅ぎ別けることができるのだ。
身体能力も高く、野山を風のように駆け抜ける。
炎狼を怒らせたものは、どこまで逃げても追いつかれ、報復を受けるだろう。
霊獣と言われてはいるものの、彼らの本質は獰猛な狼である。
しかし、目の前の狼からは知性が感じられ、時折色味を変える瞳は、ゆらりと炎が揺らめいているようだった。
もし本当にこの炎狼がエフェルトラドなのだとすれば、彼の主は賢者アルディロスとなる。
賢者アルディロスならば、この石造りの巨大な塔を管理していた者や、あるいは常闇の魔女と知り合いであったとしてなんら不思議はない。
賢者についてこの塔へ来たことがある可能性も高く、頭の良い炎狼なら塔の場所を覚えるなど容易いだろう。
まるで自分達を導いたかのような狼だが、彼らのように鋭い感覚を持つなら、幻に惑わされず塔へ辿り着いたのも頷ける。
「お前は、この塔の主を知っているのか?」
彼の問いに答える声は当然なく、狼はただ静かにラズフィスを見返している。
もし本当に、初めからこの場所を知っていたのなら、あの迷いのない歩みも頷けた。
そして、夢の中で垣間見た記憶が正しければ、ユーリもこの塔に縁深い者の内の一人だったのだろう。
人の感覚を狂わす幻術といい、塔に続く結界の入り口といい、よく知る者でなければこの場所には容易に近付くことなどできないはずだ。
それに、勝手知ったるとでも言うように、彼女はこの塔の不思議な装置を使いこなしていた。
王として見聞を広め、知識を得たからこそ、塔の内部にある仕組みの異質さが際立つ。
国どころか、この大陸全土を探したところで、あのようなものは類を見ない。
更に、ユーリはこの塔の装置を造った人物を知っているようだった。
彼女の言動からは、それなりに親しげな様子が見て取れた。
炎狼がこの塔に馴染みがあると言うなら、塔に縁深い者達と関わっている可能性もある。
直接的に、あるいは間接的に、狼がユーリを知っていても可笑しくはないのだ。
(炎狼なら……)
匂いを辿り、この大地を疾風のように駆け抜けて、彼女を見つけることができるだろうか。
不意に湧いた考えを振り払うように、ラズフィスは小さく頭を振った。
仮定論など、どれだけ考えたところで詮無きことだ。
今は目の前の問題に集中するべきだろう。
そう考えて、彼が小さく息を吐いたとき、背後から騎士が声をかけてきた。
「陛下、カーデュレン様が探しておいでです」
「……そうか」
振り返り、騎士に軽く頷き返すと、ラズフィスは元来た道を引き返す。
王を先導するように先を歩いていた騎士だったが、ふと思い出したように声を上げた。
「そう言えば、あの炎狼、いつの間にか姿を消してしまいましたね」
彼の言葉に、ラズフィスは訝しげに眉を顰める。
「何を申しておる、そこに……」
そう言って振り向いたラズフィスだったが、今まで彼がいた井戸の側に炎狼の姿はなかった。
初めからそこには何もいなかったかのように、狼が座っていた場所には小さな赤い花をつけた野草が揺れている。
ほんの数秒で姿を消してしまったのか、あるいは、本当に炎狼は幻であったとでも言うのか。
「陛下、いかがされましたか?」
「いや、何でもない」
不思議そうに己を呼ぶ騎士に首を振って返すと、ラズフィスは歩みを再開した。
あの狼が一体何ものであったのか、その問いは今はどうでも良いことだ。
自分達は何の問題もなく、魔女の塔と思わしき場所に辿り着くことができた。
重要なのは、それだけだ。
これから、自分達はこの塔の中に入り、常闇の魔力と向き合わなければならない。
ラズフィスは気を引き締め、唇を引き結んだ。
*************
結界の切れ目があった場所に戻ると、カーデュレン達が難しい表情で顔をつき合わせていた。
彼らは王の姿を認めると、深く頭を下げる。
「陛下、お戻りになられましたか」
「何事か話し合っていたようだが、問題でもあったか?」
「はい、それが……」
彼らの言うところによれば、どれだけ探し回ってみても、塔には入り口らしきものが見当たらないのだと言う。
この場所に来た時のように、どこかに結界の切れ目があるのでは、と試してみたが続くのは固い石の壁ばかり。
せっかく魔女の塔らしきものに辿り着いたというのに、これではなんの意味もない。
塔へと意識を向ければ、上に行くほど常闇の魔力が濃密になっているのが分かる。
中へと入り、魔力の変調の原因を調査しなければ、安心して王都に帰ることはできない。
カーデュレン達の報告を聞いていたラズフィスは、視線を塔に向けつつ幼き日の記憶を反芻していた。
あの時、井戸で傷口を洗った後、ユーリは石壁を半周ほど進んでいた。
そして、確かめるように壁を叩いた後、魔力を流していたはずだ。
(井戸から半周……。この辺りか?)
壁を叩きながら歩き進めると、唐突に音の質が変わった。
念の為にもう一度叩き、少し外れた場所も同じように叩いて音の違いを確認する。
大きさにすれば、人が一人通れるくらいの空間が、この向こうに続いているようだった。
ここが内部への入り口ならば、この壁に魔力を流せば扉が開くはずだ。
ただし、己の魔力で装置が反応してくれればの話だが。
一つ深呼吸して気持ちを沈めると、ラズフィスは慎重に壁へ魔力を流し込んだ。
すると、壁の一部分が魔力に反応するように淡く光を放つ。
数秒の後、重たい音を立てて石壁が動き、大きく口を開けていく。
声もなく見守る一行の前で、扉は地響きのような音を立てて止まった。
ぽっかりと開く入り口は、何処までも暗く、深く、まるで常世へ誘うように周囲の空気を飲み込んでいく。
しんと静まり返った中で、誰かが息を飲んだ音が異様に耳についた。
「余は塔の上へと進む。数名はここに残り、余が数日戻らなければ王都に知らせよ」
「……承知いたしました」
呆けていた騎士が、王の言葉に表情を改め、騎士の礼を返した。
フォルトが魔術で松明に火を灯すと、先陣を切って塔の中へと歩みを進めていく。
王に続いて半数の騎士や魔導師達が暗闇の中へ消えた頃、見計らったように扉が音を立てて閉じ始めた。
外で見守っていた騎士達が慌てるのを尻目に、無常にも入り口は段々と狭まっていく。
数秒の後、轟音と共に完全に入り口は塞がった。
騎士達が衝撃を加えても、魔導師達が魔力を流しても、壁は何の反応も見せない。
まるでそこには、初めから入り口などなかったかのように、石造りの塔は沈黙したのだった。
カリン塔、あるいは猫鳴の塔のイメージです。




