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常闇の魔女  作者: 空色
第4章 常闇の魔女
48/80

7


ラズフィスは窓際に椅子を引っ張ってくると、めぼしい本を次々と取り出した。

両手に抱えられるだけ抱え、よたよたとよろけつつ出窓まで運ぶ。

ラズフィスは窓の前に本の山を作り上げ、満足そうに息を吐いた。

自分は書物を読むのは速い方だが、それでもこれだけの本が読めるか分からない。

一つ気合いを入れ、彼は天辺の本を手に取ると、椅子に腰を落ち着けて本を開いた。


それから暫く経った頃、室内にドアを叩く音が響く。

物語の世界に夢中になっていたラズフィスは、一拍置いてはたと顔を上げた。

返事を返すと入り口が開き、オリスが薬の瓶を片手に入ってくる。



「お待たせしました」



ラズフィスはパッと表情を和らげ、本を小脇に抱えて彼女に駆け寄った。



「オリス!」



ラズフィスのはしゃいだ様子に、オリスは小さく笑い声を立てる。

満面の笑みで自分を見上げてくる彼の頭に手を置き、小首を傾げて問いかけた。



「気に入った本はありましたか?」

「うん、これ。とってもわくわくしたよ」

「そうですか、それは良かった」



彼女の質問に、ラズフィスは今まで読みふけっていた物語を掲げてみせる。

それは、大海原が表紙に描かれた、少年が好む壮大な冒険の話だ。

主人公の少年は貨物に紛れ、偶然海原へと旅立つことになる。

彼はその道中で様々な事件に遭遇し、仲間を得て、七つの国を巡り、本当の宝とは何かを知るのだ。


良くある話だが、本の持ち主はその中に出てくる、古代魔術文明の残る国に興味を引かれたようだった。

そこから読み始め、結局は全巻を揃えてしまうところが、あの人らしいと言えばあの人らしい。

嘗ての日々を思い出しながら、オリスは柔らかな幼子の髪を撫でた。



「では、傷の手当をしますかね」



くすぐったそうに身を捩るラズフィスに笑いながら、彼女は彼の頭から手を離した。



「そこに座って、膝を出してください」



オリスは今まで彼が座っていた、窓際の椅子を指差す。

そして、己は入り口脇の棚に近付き、中から救急箱を取り出した。

オリスはラズフィスの前に戻ってくると、しゃがみ込んで救急箱の蓋を開ける。

中に入っている物を確認しつつ、ピンセットと敷布、綿球を取り出した。

綿球に、作って来た薬液を浸し、その内の一つを持ち上げる。



「少し染みますよ」



一言声をかけ、彼女はラズフィスの膝に綿球を押し当てた。



「っ!」



ビリッと痛みが走り、ラズフィスは思わず肩を竦める。

しかし、涙目になりながらも拳を握り、唇を噛み締めた。



「おやまぁ、随分と我慢強い」



そんな彼を見上げて、オリスは驚いたように目を丸めた。

この年代の子供なら、消毒液の痛みに喚いてもおかしくはない。

だが、目の前の幼子は健気にもそれを我慢しているようだった。


あの男と同じ血が流れているとは思えませんねぇ、などと呟いてから、オリスは慌ててラズフィスを見やる。

つい口に出してしまっていたが、どうやら痛みと戦う彼には聞こえていなかったようだ。

小さく溜め息を吐いてから、最後に傷口にガーゼを当ててテープで固定する。



「お終いです、よく頑張りましたね」



処置の終了を告げると、ラズフィスはあからさまにほっと息をついた。

オリスは救急箱を片付け、残った薬も棚にしまう。



「怪我はこれで良いでしょう。城にもどったら、念のため医師に診せてください」



炎症を抑える成分も入ってはいるが、注意するに超したことはない。

オリスの言葉に、ラズフィスは神妙に頷いた。



「さて、次は、あなたを無事に送り届けなければ」



彼に笑みを返してから、オリスは気持ちを切り換えるように一つ手を打った。

そして、少し悩むように口元に手を置き、僅かに目を細める。



「結界も張りなおしたばかりだし、多少融通はきくかな」



独りごちてから、オリスは唯一棚が置かれていない壁へと近づく。

そこには何か大きなものが壁掛けられており、茶色の布が被せられているため、それが何であるかは分からない。

彼女は布の前で立ち止まり、徐にそれを取り去った。

現れたのは銀の縁取りの鏡で、ラズフィスの背丈より長く、母の部屋にある姿見と同じくらい大きそうだ。

その鏡を軽く点検してから、オリスは彼を手招いた。



「こちらへ来てください」



ラズフィスが鏡の前に立つと、オリスは蔦の彫られた縁の部分を指差した。



「その前に立って、鏡の縁に手を当てて」



言われた通りに鏡に手を当て、ラズフィスは指示を仰ぐように、隣に立つオリスを見上げた。

彼女は自らも鏡に手を添え目を瞑ると、小さく呟き魔術を構成させる。

ラズフィスは目を丸めつつ、淡く光るオリスを見詰める。


こんな不思議な塔を使いこなしているのだから、只人ではないと思っていたが、彼女は黒にも関わらず魔術が使えるらしい。

己の母も同じだが、そのような人達を、魔女の末裔と呼ぶのだと教わった。


感心している間に、オリスは術を完成させたらしい。

唐突に彼女の夜色の瞳と目が合い、ラズフィスは肩を跳ね上げた。

そんなラズフィスに、不思議そうに小首を傾げてから、オリスは視線で鏡を示す。



「真っ直ぐ鏡の前に立って目を閉じてから、お母様の事だけを考えてください」



彼女に促され、ラズフィスは慌てて目を瞑った。

本を読む時のように意識を集中させ、母の事を思う。

すると、次第に森へ入ったときの不安が甦り、散歩に来る前に母とした約束を思い出した。


森は恵みを齎す優しい顔と同時に、恐ろしい顔も持っている。

決して、1人で森の中へ入ってはいけないと、母は真剣な表情で話していた。

最初にこの森に足を踏み入れた時はいとこ達と共にいたが、結果として自分は1人で森に入ってしまったことになる。



(おかあさま、きっと、しんぱいしてる)

「この女性かな?」



ラズフィスが、早く帰らなくてはと考えた時、オリスが小声で呟いた。

思わず目を開けると、鏡の中に母の姿を捉える。

嬉しさに顔を輝かせたラズフィスに、彼女は確認するように問いかけた。



「この方が、あなたのお母様ですか?」



元気よく返事をしかけて、ラズフィスは、はたと考えた。

母は王妃であるため、公共の場にも姿を現している。

その王妃が母であると知られれば、自ずと自分の正体がばれてしまう。

オリスになら教えても良い気はするのだが、何となく口ごもりながら、ラズフィスは怖ず怖ずと頷いた。



「そうですか。では、塔を出ましょうか」



だが、オリスは特段興味を示さず、一言返すと再び鏡に魔術をかける。

すると、母を映し出していた鏡は只の鏡へと戻った。

今は不思議そうに覗き込む、ラズフィスの姿があるだけだ。

その鏡に再び布をかけてしまうと、オリスは彼の背を押し、扉の方へと誘った。



「お母様のもとへ送ってあげます」



背を押されながら己を振り仰ぐラズフィスに、彼女は笑みを返した。






*************






再び動く床に乗って下まで降り、二人は塔の外へと出る。

オリスが入り口を軽くなぞると、開いた時のような重い音を立てて石壁が閉じていく。

完全に閉まってしまうと、見た目にはどこが入り口だったのか全く分からない。


石壁を叩くラズフィスを残し、オリスは塔から離れて近くの茂みに歩み寄った。

不意に宙に両手を伸ばすと、何かを捕らえるようにそっと握り込む。

そして、ほんの少し手の隙間を開け、中にいる何かに小さく囁く。



「オリス?」



ラズフィスが首を傾げていると、彼女は近づいてきて彼の前で両手を開いた。

中からふわふわと舞い出てきたのは、一匹の蝶だった。

蝶は挨拶でもするかのようにラズフィスの顔の前を飛び回り、最後にオリスが差し出した指に止まる。

鮮やかな羽を広げたり、閉じたりを繰り返す蝶をじっと見つめてから、ラズフィスは問うように顔を上げた。



「蝶に軽い魔術をかけてあります。道案内をさせますから、見失わないようついて行ってください」

「ほんとう!? このこについていけば、おかあさまとあえるの?」



満面の笑みを浮かべたラズフィスに頷いてみせてから、オリスは蝶が止まる手を軽く動かす。

すると、それに促されるように蝶が飛び立った。

蝶を追いかけようとしたラズフィスだったが、ふと思い立ち足を止める。

振り返ると、不思議そうに小首を傾げるオリスへ駆け寄った。



「ねぇ、オリス。また、あえる?」



弾む息のまま問いかけてきた彼に、オリスは驚いたように目を見開く。

だが、ほんの少し眉を下げると、静かに首を横に振った。



「どうして?」



頷いてもらえるとばかり思っていたラズフィスは、くしゃりと顔を歪ませた。



「私とあなたは、本当なら出会うはずではなかったからです」



どこか寂しそうに笑い、オリスは目を細めた。

今にも泣き出しそうなラズフィスに、彼女は困ったように苦笑する。

オリスはその場にしゃがみ込み、彼の瞳を覗き込んだ。

とうとうポロリと零れてしまったラズフィスの涙を、オリスは親指の腹で優しく拭う。

そうして、そっと額に口付けると、人差し指を立て己の口元に寄せた。



「良いですか? ここであったこと、皆には秘密ですよ」

「ひみつ? おかあさまにも?」



首肯を返し、オリスは続ける。



「幼いあなたにとって、毎日はとても刺激的なもの。誰にも話さず思い出さずにいれば、私の事もこの森での出来事も、すぐに記憶の彼方に追いやられるでしょう」



多くの事を学び、多くの人と出会い、幼子は成長していく。

特に、彼は人の上に立つ人間なのだから、学ぶべきことは同年の子よりも多いだろう。

幼い日のとるに足らない出会いなど、直ぐに記憶のかなたに忘れ去られるはずだ。



「それが良い。それで良いんです」



オリスの言葉に、ラズフィスは必死に首を振る。

しかし、彼女はゆっくりとラズフィスを撫でるだけで、自分の想いには答えてくれない。



「あなたが憂うことなどないんです。ただ、これまでと同じように学び、悩み、笑えば良い。そうすれば、怖かったことも、寂しかったことも、何もかも忘れられますから」



そんな寂しいことは否定したいのに、上手く言葉にできないことがもどかしく、次から次へと涙が溢れて止まらない。

だから、飽きもせず己の涙を拭い続ける彼女の顔を、ぼやける視界で見つめ続けた。

だって、本当に忘れた方が良いと思っているなら、どうしてオリスはこんなに悲しい顔をするのだろう。

笑ってはいるけれど、全て諦めてしまったような、そんな寂しげな笑顔など浮かべて欲しくなかった。

しゃくりあげ、整わぬ呼吸のまま、ラズフィスは彼女に問いかけた。



「どうして、あなたのことも、わすれなくちゃいけないの? せっかくあえたのに」



泣きながら、なおも言い募る自分に、彼女は言葉をなくす。

そして、あのどこか寂しげな笑みを浮かべると、己の頭を優しく撫でた。



「覚えていても、良いことなど何一つないですよ」



彼女は一瞬目を閉じ、気持ちを切り換えるようにラズフィスの背を押した。



「さぁ、もうお行きなさい。早くしないと、蝶にかけた術が解けてしまう。そうなっては、お母様の元へ帰れなくなりますよ」



後ろ髪を引かれつつ、ラズフィスは再び飛び始めた蝶を追って走り出した。

駆けていくラズフィスの背に向けて、オリスは小さく呟いた。



「さようなら。我が友、ヴェルダカトルの血を継ぐ子よ。――どうか、息災で」



風に巻き上げられる己の黒髪を抑え、オリスは目を細める。

小さく溜め息をついた彼女は、踵を返して歩き出した。


もし、この時にラズフィスが振り返っていたなら、驚きに目を見開いていたことだろう。

オリスの姿が、まるで空気に溶けるように消えたのだから。

やがて、石壁の塔も、少しずつ下の方から消えていく。


数分の後、あの巨大な塔の姿は、どこにも無くなっていた。

風に揺られ、葉がさわりさわりと音を立てる中を、一羽の兎が姿をみせる。

兎は鼻をピクピク動かしていたが、塔のあった場所まで進んでいく。

そうして、一際高く飛び跳ねた後、その姿を消した。


一方、ぐずぐずと鼻を啜りながら、ラズフィスは軽やかに飛ぶ蝶を追い掛けていた。

どれだけそうして走っただろうか、暫くすると、迷っていた時に見たような景色に変わってきていた。

少しずつ日が当たることも多くなり、辺りも段々と明るさを増していく。

不意に、己の名を呼ばれた気がして、ラズフィスは足を止めた。

その直後、彼を先導していた蝶が、頭上をくるくると回り始めた。



「わっ……」



銀色に光る鱗粉が降り注ぎ、ラズフィスは思わず目を瞑った。

一息の後、彼は伺うように開けた目を、限界まで丸める。

視線の先に、探し求めた母の姿を見つけたからだ。



「おかあさま!」

「ラズフィス!!」



転がるように駆け寄り、母の暖かな腕の中に飛び込む。

周りで同じように自分を捜していたらしい叔母やいとこ達も、気が付いてこちらへと近付いてきた。



「ラズフィス、心配したのですよ。あなたの姿が見えず、どれだけ気をもんだことか」

「ちょっと、みちにまよったけど、ちゃんとかえってこられました」

「あぁ、本当に良かった。魔女の森に捕らわれてしまったかと」



ラズフィスのことを力いっぱい抱きしめながら、母は安堵の息を吐いた。

彼女はそのままラズフィスを抱き上げると、セルゼオン公爵の城へ帰るために馬車に乗り込む。

叔母やいとこ達も別の馬車へ乗り込み、暫らくしてゆっくりと馬が走り出した。

身体に伝わる振動や、疲れ、母と会えた安心感からか、ラズフィスの瞼が徐々に閉じていく。

ぼんやりとした意識の中で、彼はただ一つのことだけを考えていた。



(ぜんぶ、わすれなくちゃ)



母に凭れながら、ラズフィスは心の中で、まるでそれが義務であるかのように繰り返す。

頭の片隅で、忘れては駄目だと叫ぶ自分がいたような気がするが、次第にそれもどうでも良くなる。



(だれにもひみつにして、そして、わすれなくちゃ)



そう言って約束をした女性の顔を、いつの間にか、もうぼんやりとしか思い出せなくなっていた。

それが異常であることにすら気付かず、ラズフィスの意識は眠りの底へと沈んでいった。






*************






「へ……陛下!」



侍従頭の声に、ラズフィスは我に返る。

割れるようだった頭の痛みも、今は随分と落ち着いてきていた。

大きく息を吐き出し、彼は仰向けに倒れこむと、ベッドへ身体を沈める。

片手で顔を覆い、小さく震えだした王に、侍従頭は慌てたように声をかけた。



「もしや、お加減が……」



ざわめき出した侍従達を、ラズフィスはもう一方の片手を挙げて静める。

そして、彼は突然弾かれたように笑い出した。

困惑顔の周りを尻目に、ラズフィスは見慣れた天井を見つめ、目を細める。



(どうやら、覚えていて良いこともあったようだぞ)



幼き頃、森で出会った女の顔を、今ならばはっきりと思い描くことができる。

彼女が王族に疎かったことを、今日ほどありがたく思ったことはない。

もし、彼女に自分の正体が知れていたなら、きっとあの日の記憶すら返ってくることはなかっただろう。

きっと綻びすら残さず、己の中から自分の存在を消し去っていたはずだ。



「なぁ、オリス。……いいや、ユーリ」



薄らと笑みを浮かべながら、ラズフィスは長い間、己が捜し続けた女の名を呼んだ。





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