6
オリスの後を追っていくと、塔の裏手にある井戸に案内される。
そこで、まずは傷を洗うように指示された。
井戸自体は少し古びているものの、桶に汲まれた水は綺麗に透き通っている。
ひんやりと冷たい井戸水は、火照った身体と傷にしみたが、ラズフィスは懸命に膝に付いた土を落とした。
オリスはそれをじっと見守っていたが、彼が傷を洗い終わると、近付いてきて傷の確認をする。
「うん、それほど傷は、深くなさそうですね」
しゃがみ込み、ラズフィスの両手と膝をじっくり見てから、オリスはゆっくりと頷いた。
立ち上がり、彼女は再び自分について来るよう声をかける。
今度は塔の壁に沿って歩き、半周ほどしたところで足を止めた。
確認するように何度か壁を叩いてから、その中央に手を翳す。
すると、オリスの手に反応するように、石の一つが淡く光る。
一瞬の間の後、重い音を立てて石壁が動き出した。
驚いて固まるラズフィスの前で、やがて扉の動きが止まる。
ラズフィスの横を通り抜け、ぽっかり広がる入り口の向こうへと風が飲み込まれていく。
思わず身体をぶるりと震わせ、彼は暗闇の奥に目を凝らした。
そんなラズフィスを尻目に、オリスは平然と入り口へ足を進める。
思わず彼女の背に手を伸ばしたくなったが、首を振って気合いを入れ、ラズフィスはオリスの後を追った。
入り口から続く一本道は、一人がやっと通り抜けられるほど狭い。
その通路では、歩みを進めるたび、両壁のランプに勝手に灯がともる。
こんな不思議な灯りは、王城でも見たことがなかった。
薄暗い通路を進むと、部屋の入り口だろうか、古びた木製のドアをいくつか通り過ぎていく。
目を丸め、興味深げに辺りを見渡しつつ歩いていると、オリスが唐突に足を止めた。
彼女の背から顔を覗かせると、朽ちかけた木の扉が見える。
今まで目にした扉の中でもとびきり古く、変な風に力を入れると蝶番が壊れてしまいそうだ。
オリスはその木の扉に手を伸ばし、ゆっくりと押し開いた。
錆び付いた金属が擦れ、不気味な音を立てながら扉が開かれる。
ラズフィスは、恐ろしさ半分、興味半分で中を覗き込んだ。
しかし、薄暗い部屋の中を一通り見渡して、彼は僅かに肩を落とす。
どんな不思議なモノが飛び出して来るのかと少し期待していたのだが、ガランとした狭い部屋の中には棚一つなかった。
ただ、床の中央に大きな円が描かれ、その周りを変わった紋様が取り囲んでいる。
オリスは振り返ってラズフィスを見下ろし、床に描かれた円を指差した。
「そこに乗ってください」
ラズフィスは彼女と床の紋様を交互に見てから、恐る恐る円の上へと足を進めた。
彼の後に続き、オリスも円の上に乗る。
すると、魔術が発動するときのように紋様が淡く光り、次いで彼らの乗った円が床から浮き上がった。
「わっ!」
突然動き出した床に、ラズフィスは衝撃を殺せず尻餅をつく。
慌てて横に視線を移すと、目の前を石壁や扉が緩やかに通り過ぎていく。
端によって下を覗くと、先程まで立っていた床がもうずっと彼方にある。
どうやら、円の部分だけが、上へ上へと昇っているらしい。
「すごい……」
思わず呟き、ラズフィスは目を輝かせた。
城で上の階へ移動する場合、主に階段や転移魔術が使われる。
王城内も多くの装置が使われているが、こんな風に床ごと移動するような大掛かりなものはない。
この塔に入ってから目にするのは、本当に珍しいものばかりだ。
ラズフィスが淡く光る紋様にそっと手を伸ばすと、それに反応してか光りが点滅する。
様々な色で次々と光っては消えていく様子は、まるで小さな花火をみているようだ。
「ねぇ、これはどうやってうごいてるの?」
胸を躍らせつつオリスを振り返ると、彼女は悩むように眉を寄せ宙を睨む。
「とある人が無駄に凝って造っていたので、詳しくは知りませんけど、風と水の魔力を利用しているそうですよ。後は、少々のカラクリですかね」
塔の装置を使いこなしているから、この塔には詳しいのかと思っていたが、オリスにも分からぬことがあるらしい。
そして、彼女の話の中でにあった聞き慣れない言葉に、ラズフィスは小首を傾げた。
「からくりって、なあに?」
最近、読み書きを習い始めたラズフィスだが、そのような言葉は終ぞ聞いた事がない。
オリスはどう説明するか困り、口元に手を当てる。
カラクリを知ってはいるが、それを人に説明出来るほど理解はしていない。
分からないと言えれば良いのだが、真下から注がれる期待の眼差しに負け、彼女は一般的に知られている部分のみを伝えることにした。
「歯車や滑車は、先程の井戸でも見たでしょう。桶を持ち上げるときに、カラカラと回っていたのが滑車です」
「かっしゃ……」
井戸でオリスが水を汲んでいた時のことを思い出しながら、ラズフィスは小さく呟いた。
「ああいったモノを利用して、自分の力だけで動く装置のことをカラクリと呼びます。まぁ、大型になるほど、他の力も必要ですけど」
「じぶんのちから? まりょくはつかわないの?」
「使わなくても事足りますね」
大掛かりな装置が魔術を利用せずに動くことに実感がわかず、ラズフィスは腕組みをして首を捻った。
フェヴィリウスは、他国より魔術の発展している国である。
力ある魔導師もたくさんいるため、多くを魔術に頼っているのが現状だ。
そんな中で生まれ育ったラズフィスにとって、人の手で動く機械というのは魔術以上に不可思議なものなのだろう。
彼のような幼子が、見たことがないものを理解するというのは難しいことだ。
そういった場合、実際の例を上げるのが一番分かりやすい。
暫く考えて、オリスは手を打ってから、人差し指をたてた。
「あなた、他国に出たことはありますか?」
自国で想像するのが難しいなら、他国の例を上げれば良い。
幸い彼は王族らしいから、一般の子供よりは他国の事を知っているはずだ。
オリスの読み通り、ラズフィスはこくりと頷いた。
「では、ヘルメニアは?」
「まえに、おとうさまと、おかあさまといっしょに、いったことがあるよ」
ヘルメニア帝国とフェヴィリウスは、現在友好関係にある。
そのため、ラズフィスは先日皇太子の誕生祭に呼ばれ、両親と共に出席したのだ。
だから、講師から前もって彼の国について学んでおり、知っていることも多い。
ほんの少し得意げに頷いたラズフィスに、オリスは小さく笑い声を立てた。
なら知っているかもしれませんが、と前置きしてから、彼女はヘルメニアについて軽く説明をする。
「あの国は、昔から魔力の強い人間が産まれないんです。だから、あまり魔力に頼る生活をしていない」
講師からも聞いていたため、ラズフィスは頷きながらオリスの話を聞く。
そう言われ改めて思い出すと、ヘルメニアでは夜、侍女達が城中の蝋燭に火を灯して廻っていた。
フェヴィリウスの場合、火の魔術が利用されるため、人の手で灯すのはまれだ。
ランプを開け、蝋燭から火を移す作業が珍しく、客室内で侍女の後を付いて廻ったことを思い出した。
そんな風にあの時の事を思い出していたラズフィスだったが、次に続いたオリスの言葉に目を丸める。
「城へ入るとき、橋を渡ったり、城門を通ったりしたでしょう。堀に橋を渡したり、城門を開閉したりというのは、カラクリのような簡易装置と兵士の力で行っているんですよ」
「はしとか、もんが、ひとのてでうごくの?」
あんな大きな物が、魔術を利用せずに動くだなんて想像もしていなかった。
目を白黒させるラズフィスに笑い声をたてながら、オリスは彼に頷いて返した。
「えぇ、今後行く機会があれば、よく見てごらんなさい」
「すごいなぁ」
世の中には、まだまだ知らないことが沢山あるのだと、ラズフィスは小さな胸を高鳴らせた。
前回は気にも止めずに通り過ぎてしまった城門だが、次に訪れた時には父に頼んで見学させてもらおう。
彼の国へ訪問した時の楽しみが増え、彼は小さく笑みを浮かべた。
そうこうしている間にも、上へ上へと登っていた床は、目的の場所に着いたようだ。
ゆっくりと速度を落とし、やがて一つの扉の前で動きを止めた。
「さぁ、着きましたよ」
オリスはラズフィスが通りやすいようにと木の扉を開く。
そして、片手で戸を押さえたまま、中に入るよう促した。
彼女の腕の下からそっと中を覗き込んだラズフィスは、窓の外に広がる光景に目を輝かせた。
大きな出窓に駆け寄ると、よじ登ってガラスに手を付き、眼下に広がる森を見下ろす。
「わぁ! とってもたかいなぁ」
まだ塔の真ん中を過ぎた所だが、王城の展望台と同じくらい高い。
天辺まで登ったら、フェヴィリウスの全土が見渡せそうだ。
窓に張り付くラズフィスの後ろ姿に苦笑しながら、オリスは沢山並ぶ棚へと足を向ける。
その中で、薬草や素材の陳列された棚を見つけ、歩みを止めた。
暫く使われていなかった棚は、うっすらと埃を被っている。
中のモノには保存の魔術がかけられてるとはいえ、これではあまりにも見栄えが悪い。
恐らく、他の部屋も同じような惨状だろう。
面倒ではあるが、一度塔の中の大掃除をしなければならないかもしれない。
想像しただけでも疲労が募り、オリスは小さく息を吐いた。
気を取り直し、彼女は埃まみれの棚を開け、中の瓶を物色する。
「確か、この辺りに……」
適当に瓶を取り出しつつ確かめていたが、ようやく目的の薬草を見つけた。
念のため中を確認すると、まだ青く、瓶に詰められた時の状態を保っている。
「うん、大丈夫そうですね」
呟きつつ頷いて、オリスは背後を振り返った。
ラズフィスはいつの間にか窓から離れ、本棚を興味深そうに眺めている。
「ちょっと薬を調合してきますから、ここで待っていてください」
オリスが声をかけると、ラズフィスは振り向いて頷いた。
そして、返事をしながらも本棚が気になるのか、ちらちらと横目で眺めている。
分かりやすい彼の態度に内心で笑いつつ、オリスは雑然と並ぶ本に目をやった。
「本はお好きですか?」
自分の様子を見られていた事を悟り、ラズフィスは頬を赤く染める。
だが、興味は押さえきれず、やがて小さく頷いた。
「うん、としょかんには、カーデュレンとよくいくよ」
城内の図書館には、世話役の青年と共に、週に2度ほど訪れる。
だが、ここに並んでいるのは、図書館ではあまり見かけない本ばかりだ。
手に取ってみたいという、ラズフィスの思いが伝わったのか、オリスは笑いながら本棚を指差した。
「では、ここの本は好きに読んでいただいて構いません」
オリスの言葉に、ラズフィスは顔を上げて、パッと表情を輝かせた。
「そちらの棚が、子供向けの本棚になっています」
彼女が示した本棚に歩み寄り、ラズフィスは面白そうな本を次々と手に取る。
カラフルな絵本に混じって、重そうな専門書が並ぶ棚を見やり、オリスはぽつりと呟いた。
「あの人ときたら、魔術に関連するものなら、古文書だろうと絵本だろうとお構いなしでしたからねぇ」
楽しげに本を手に取るラズフィスの背に、懐かしい姿が重なった。
オリスは思いを馳せるように瞼を閉じ、一つ深呼吸をする。
暫くして目を開くと、彼女は傷薬を調合するために部屋を後にした。




