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ラズフィスは初めに、侍従に命じて己の精霊が眠る魔法具を持ってこさせた。
箱から開放した途端、彼女は「絶対、何かの間違いです!」と半泣きの状態で何処かへ消えた。
恐らく、己の兄弟石の嵌められた腕輪の元へと飛んでいったのだろう。
この様子ならば、それ程かからぬ内に、ユーリの身に起きたことを知れるはずだ。
そちらは精霊に一任し、ラズフィスは自分の身なりを整えることに専念する。
寝たきりであったし、それなりに汗もかいていたため、本当ならば湯に浸かりたかったが、その旨を伝えると侍従達に止められた。
身体はだいぶ回復しているが、起き抜けに頭痛を訴えたことが彼らを不安がらせたらしい。
封じられた記憶を無理やり引き出した副作用のようなものなのだが、必死の形相で迫られては希望を押し通すのも気が引ける。
仕方なく、ラズフィスは桶に湯を汲ませて身体を拭うに留めた。
暫らくすると、知らせを受けた医者達が到着し、一通りの診察が行われる。
多少の倦怠感は残るものの、体調は頗る良好で、その驚異的な回復力には医者も感嘆の声を上げていた。
ただ、毒によって爛れた傷はやはり痕になっており、腹の中央には火傷のように引き攣れた線が一筋走っている。
時間をかけ、魔法薬で処置を続ければ綺麗に治るということだったが、ラズフィスは医師の勧めを断った。
彼は寛げていた服を戻し、夢の中でユーリがそうしたように、ゆっくりと服の上から傷跡に指を滑らせた。
そうこうしている内に、呼び寄せた者達が王の私室へと集まり始める。
ラズフィスは医者達を帰し、侍従頭に人払いをさせてから集まった者たちを見渡した。
入り口を守るように扉脇に立ったフォルトは、ラズフィスと視線が合うと、胸に手を置き騎士の礼を取る。
一同の中で初めに口を開いたのはカーデュレンで、やや疲労の残る顔ではあったが、ベッドの脇に膝をつき笑みを浮かべ深々と頭を下げた。
「思っていたよりもお元気そうで、安堵いたしました」
「賊に襲われたと聞いた時には肝が冷えましたぞ。大事にならず、本当にようございました」
次いでカーデュレンの横に並び穏やかな表情で礼をしたのは、宰相であるシュラウドだ。
シュラウドは先王の代から宰相を務めており、まだ年若いラズフィスや側近達の補佐を続けてくれている。
最近めっきりと白髪の増えた彼に、いらぬ気苦労をかけてしまったようだ。
そのことに苦笑しながら、ラズフィスは鷹揚に頷いた。
「今回はお前たちに迷惑をかけたな」
「ほほほ、迷惑などと。陛下がご即位なさった頃と比べましたら、可愛いものにございましょう」
シュラウドは懐かしむように目を細め、楽しげに笑い声を上げる。
先王が流行り病で急逝し、混乱する王城や国政を、彼の指導を受けつつ立て直した。
父の死を悼む暇すらなく、極度の緊張や重圧に何度も押しつぶされそうになった己を叱咤し、導いてくれたシュラウドには感謝してもしきれぬ恩がある。
ついこの間のことのようなのに、あれからもう10年も時が経ったのかと思うと感慨深くもあった。
「さて、陛下の体調も申し分なきごようす。さすれば、陛下にお伝えしたきことがございます」
大らかな笑みを浮かべていたシュラウドだったが、そう一言告げると真っ直ぐにラズフィスを見つめた。
王の無事を喜ぶ馴染みの臣下から、その一瞬で国政を担う宰相へと変わる。
気持ちの切り替え方はさすがだなと感心しながら、ラズフィスも気を引き締めて先を促した。
「よかろう、申してみよ」
シュラウドから告げられた報告に、ラズフィスは難しい表情で黙り込んだ。
彼の齎した情報が誠であるならば、事によってはフェヴィリウスの存亡に関わる大事となりうる。
「北の森を覆う魔力は日に日に増し、既に異常値を越えております。このままでは、いつ暴走を引き起こしてもおかしくはありません」
シュラウドの言葉に、王の自室に集まっていた者達は皆顔を強張らせた。
彼の森を包む魔力とは黒、即ち常闇の魔女の力である。
魔の軍団すら瞬く間に退けたと言われる程の魔力が暴走したら、どんな事が起こるか想像に難くない。
被害が森だけで済めば良い方で、下手をすれば北部まるごとが焦土となるだろう。
「数百年間静寂を保っていたというのに、何故今になって……」
魔女の呪いに、王妹誘拐事件、突然の水源の枯渇、ユーリの豹変と王傷害事件に加えて、北の森の異変。
問題というのは、どうしてこうも立て続けに起こるのだろうか。
痛む頭を抑え、カーデュレンは深い溜め息をついた。
ラズフィスは重い息を吐くと、床を出て侍従を呼びつける。
時が待ってくれるわけもなく、こうしている間にも事は進み続けているのだ。
早めに手を打たなければ、取り返しのつかないことになる。
「とにかく、まずは今後の事を話し合わねばなるまい。宰相、会議の間に人を集めよ。」
「承知いたしました」
羽織っていた上掛けを侍従へ手渡し、ゆったりとした寝衣を脱ぎながら、ラズフィスはシュラウドへ託ける。
一礼をして踵を返した宰相は、数名の侍従を伴って王の私室を後にした。
残った者達も、一様に真剣な表情で部屋を退出していく。
鬱蒼と生い茂り、人を寄せ付けることのなかった魔女の森。
数百年の眠りからの目覚めは、一体何を意味しているのだろうか。
着替えの手を止めぬまま、ラズフィスは北の大地へと思いを馳せた。
初めて自分と彼女が出会った石造りの塔。
今考えてみれば、伝承にある、魔女の終の棲家によく似た場所だった。
あれが件の塔であるならば、自分は何としてでも、再びあの場に立たねばならないだろう。
誰もが惑う魔女の森で、あの場に辿り着いたのは、本当に偶然のことだった。
何の目印も、案内も無く魔女の塔を探すのは、闇夜に針の穴を通すようなものだ。
これからの行く末を示すかのように、窓の外には暗雲が立ち込めていた。
*************
あれから数刻の後、議会は混乱に混乱を極めていた。
何せ、今まで戦の経験は数多あっても、魔女と対峙したのことのある人間は一人として存在しないのだ。
どのように対処すれば良いのか、皆目検討がつかない。
議論を重ねたところで打開策が出るわけもなく、時間だけが過ぎていった。
議会は平行線をたどり、今や窓の外はとっぷりと日が暮れていた。
いつの間にか降り始めた雨が、催促するように激しく王城の窓を叩きつける。
進まぬ話し合いに痺れを切らしたのか、声を荒げる者も出始めた折り、赤ら顔の議員が大きく鼻を鳴らした。
「ふん、魔女の魔力と言っても、所詮は残り滓。それに比べて我らが陛下は金の魔力! 恐るるに足らずよ」
「ノースフォルグ殿の仰る通りだ。陛下のお力あらば、憂いごと吹き飛ばしてくださるはず」
「確かに、陛下は歴代の中でも抜きん出た力をお持ちじゃ。一介の魔導師や魔族が相手ならばそれもあり得る。しかし、この度の対手は名を馳せた古の魔女ぞ。」
「いかに精霊の加護厚き陛下といえど、簡単にはいきますまい。そのような場に陛下が赴かれ、御身に何かあらば、国政も乱れましょう」
同調して声を上げる者もいる中、老齢の侯爵が咳払いの後、淡々と意見を述べる。
片眼鏡を掛けた神経質そうな中年の議員も、眼鏡の奥で目を細めつつ老齢の大臣の意見に追従した。
すると、向かいに座っていた肥満気味の伯爵が、机を倒さんばかりの勢いで立ち上がりって彼らを非難する。
「貴様ら、陛下のお力が信じられぬと申すのか? なんたる侮辱ぞ!」
指をさされた中年の議員は、迷惑そうに眉間に皺を寄せ、首を振りながら溜め息をついた。
「そうは申しておりませぬ。もう少し慎重に事を運ぶべきと進言しているのです」
「その間に事態が悪化したらどうするのです!」
「急いて事を仕損じていては何の意味もなかろうて」
相変わらずの水掛け論が半時ほど続いた頃、今まで黙って聞いていた騎士団長の一人が拳を机に叩き付けた。
「ええい、このように頭の固い連中に付き合ってはおれん! 陛下、出陣の御命令を。我ら、何処までもお付き合い致しまするぞ!」
「陛下、どうぞ、暫しお待ち下さい。すぐに魔導師団からなる専門家を現地に派遣いたしますゆえ」
わらわらと声を上げ始めた者達を前に、王は黙って片手を挙げた。
言い争っていた議員達があらかた口を閉じ、会議室に静寂が戻った頃、王は今まで閉じていた目をゆっくりと開く。
新緑の瞳で議員や軍団長達を見渡した後、彼は一つ瞬きをして口を開いた。
「そなたらの思い、よく分かった。確かに、この件は余も迅速に対応すべきと考えておる」
王の意見を聞き、出陣を主張していた者たちが、得意げな顔で笑みを浮かべる。
「だが、常闇の魔女を侮るは短慮」
しかし、次に続いた王の言葉に、ある者は顔を赤らめて恥入り、ある者は気まずげに視線を逸らす。
慎重派の議員達は、それ見たことかと半ば呆れた視線を彼らに向けた。
議員達の反応に内心苦笑しつつ、ラズフィスは言葉を続けた。
「黒の魔力を操るものに、精霊の加護はない。だが、それは同時に、何ものからも制約を受けぬということ」
本来、魔術はその属性の精霊や自然の力を借りて発動する。
構成式や術の詠唱には、その為の儀式という意味合いも含まれ、詰まるところ簡易的な誓約と言って良い。
精霊や自然の力を借りられれば、発動した術は何倍もの威力をもって放たれる。
逆に、彼らの力を借りられなければ、術の威力は半減してしまうだろう。
つまり、魔術とは精霊達の力添えに大きく左右されると言うことに他ならない。
しかし、黒の魔力は元々精霊の加護は無く、己の魔力のみで術を発動する事ができる。
爆発的な威力は無いが、精霊の力に左右されることもない。
よって、どの属性の精霊も影響を及ぼす事はできず、黒の魔力を抑える事はできないのだ。
だから精霊は自分達の力が及ばぬ、未知の存在である黒を厭い、遠ざける。
「黒の魔力を御すことはどの属性にも不可能。ましてや、相手は魔女とまで呼ばれた人物の魔力だ。金である余すら、無事では済まぬやも知れぬ」
常闇の魔女の力は底がなく、計り知れないものであったと言う。
脅威であることに変わりはないが、魔女がいる間はまだましであったろう。
強大な力といえど、それを正しく使う者が居たのだから。
だが、残された魔力のみではそうもいかない。
いつ、どんな刺激で暴発するか、検討もつかないのだ。
「余が王都を不在とする間、人事、行政は宰相に一任する。そなた一人で手に余ることあらば、議会を召集せよ」
「謹んでお受けいたしまする」
黙って議会の成り行きを聞いていたシュラウドが、王の拝命に静かに頭を下げた。
ラズフィスは最悪の事態も念頭に置きつつ、議会に参加していた者達に次々に指示を下していく。
もし己が使い物にならなくなった場合でも、国政を滞らせるわけにはいかない。
現時点で跡継ぎとなる子はおらず、よって自分が政務を続けられない時は、己の兄弟姉妹の中で最も魔力の高いものが次代の王となる。
自分の次に魔力が高いのは同母のクリスティーナだが、末の姫ということもあって周囲も甘やかして育ててしまった。
王族としての心得も、魔術やその他の教養も、王として国を束ねる段階まで達してはいない。
「城に残る王族が、クリスティーナのみで不安だというなら、他国に留学している異母弟や降嫁された姉上方を呼び戻すのもよかろう」
姉達も異母弟も、クリスティーナを可愛がっていたから、彼女を補佐することを嫌がりはしないはずだ。
それに、クリスティーナは少し我侭な部分もあるが、とても聡明な子である。
切欠さえあれば、そう長くはかからず、この国を先導するに申し分ない王族へ成長すると、ラズフィスは確信していた。
「我が国には、国政を任せられる優秀な臣もいれば、余の後を継ぐことができる王族も数多くいる。しかし、黒と対をなすと言われる金は余一人だけだ」
大事の時はフェヴィリウスの盾となり、矛となるために、王族は魔力を高め続けてきたのだ。
今ここで己が立ち向かわずしては、この国の王族たる根底が崩れてしまう。
何よりも、この広い国土の中で、己は黒の魔力を相殺させることができる只一人の人間だった。
「ならば、常闇の魔力と向き合える者は、余をおいて他にはおるまい」
王の言葉が、重く会議室に響き渡った。
誰もが口を閉ざす中、嘗てユーリが呟いた言葉を思い出し、ラズフィスは静かに目を細める。
(縁……か)
もし運命とやらがあるのだとすれば、それはどうしても己を魔女の塔へと誘いたいのだろう。
(こちらも、望むところだ)
腕輪という繋がりも絶たれた今、ユーリの行方は知れず、彼女の居場所を突き止める手段はない。
議会までの間、無理を承知で探索魔法を使ってみたが、痕跡すら辿れなかった。
もし、魔女の塔が彼女と由縁のある場所なら、そこにユーリについて何らかの情報があるかもしれない。
それを手にできるならば、運命に従ってやっても構わなかった。
「一週間後、魔女の塔へ向かう。各々速やかに準備を整えよ」
王は議会の解散を言い渡し、侍従を伴って部屋を後にした。
大変お待たせしております。
まだ暫らくは、不定期更新になるかと思います。
お暇なときに、ちょろっと覗いていただければ幸いです。




