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常闇の魔女  作者: 空色
第2章 仮面の薬師
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2






ルースは王都の関所に向かって通りを歩いていたが、唐突に歩みを止める。

やや遅れて、自分の背後で止まった足音に、小さく溜め息を吐いた。

薬屋を出てすぐに、ルースは己をつけて来る存在に気付いた。

その足音は、尾行し慣れた者のそれではなく、粗暴な男を連想させる。


何を考えているのか知らないが、実に面倒くさいことこの上ない。

このまま撒いてしまおうかとも思ったが、少し考え近くの路地に入り込む。

あの尾行者の様子からすると、関わっても碌な事にならないだろうが、何となく己の感が放っておいてはまずいと言っていたのだ。


後ろをついて来た足音は、機会を得たとばかりに早まり、どんどん近づいてくる。

ルースが足を止めた瞬間、背後の人物はその背にナイフを突き付けた。



「止まれ、大人しくしろ」

「……僕に何か用でもあるわけ?」



振り返るでもなく、手を挙げるわけでもなく、ルースは投げやりに問いかける。

背後の人物は、ルースが怖がっているとでも思ったのか、小さく笑う気配がした。



「お前、薬屋で薬を売っていたな」

「それが?」

「よし、このまま目を瞑って俺の言う通りに進め。抵抗したら刺すぞ」



捻りもない脅し文句に、背後の人間の程度が知れる。

一つ溜め息をついて、ルースは男の声に従って歩みを進めた。

そのまま人気のない路地を歩き、薄暗い場所にたどり着くと念のためか目隠しをされる。

男にナイフの背で押されながら、何度か道を曲がり、階段を下りる。


暫らくすると、男はルースを立ち止まらせ、どこかの扉をノックしたようだった。

中から聞こえる声に、恐らく合言葉である何事かを伝え、戸が開くと同時に背中を突き飛ばされた。

ルースがたたらを踏み、転ぶのを免れると、背後の男はつまらなそうに鼻を鳴らした。


再び背中を押されて歩みを進めたルースは、徐々に漂い始めた臭いに顔を顰める。

甘ったるい香りに、クスクスと壊れたように笑う声、あちこちから上がる嬌声。



(麻薬に、媚薬か。随分とまぁ、趣味の良いことで)



自分は薬を扱う物として、それなりに耐性があるが、普通の人間ならばひとたまりもないだろう。

ますますきな臭さが増し、ルースは肩を竦めた。


いくつか部屋を通り、階段を降りると鼻につく臭いも薄まってくる。

そうして、背後の男はようやく足を止め、ルースの目隠しを外した。

ようやく目にした脅迫者は、ニヤニヤと厭味たらしい笑みを貼り付ける痩せた男だった。

予想していた以上の小者臭さに、ルースは内心で溜め息をついた。


男はルースが表情を変えなかったことに気分を害したのか、盛大に顔を顰めて舌打ちをする。

だが、部屋の中の物音を聞くと慌てて姿勢を正し、目の前の扉をノックした。



「アニキ、俺です。連れて来やした」

「入れ」



背を押されて強制的に入らされた室内は、薄暗く煙草の煙が充満していた。

部屋の中には男が一人、ソファーに座って足を組んでいる。

無精ひげをはやした男は、冷え切った視線でルースと横に立った痩せた男を移した。

暫らく黒い皮のソファーでキセルを吹かしていたが、立ち上がりこちらに近づいてくる。

目の前に立った男は、ルースを値踏みするかのように全身を眺めた。



「お前、本当に医者か?」

「は? 何勘違いしてるか知らないけど、僕はただの薬師だよ」



ルースが答えた瞬間、隣に突っ立っていた痩せ男が後方に吹っ飛んだ。

殴り飛ばされた男は、口の端から血を流し、頬に手を当て唖然と無精ひげの男を見上げた。



「俺は医者を連れて来いと言ったんだ、このクソが」

「だって、アニキ、表の店で焚く薬を作ってくる奴をセンセイって呼ぶじゃねぇか。だから、俺はてっきり薬を作るのが医者だと……」



苛立たしげに舌打ちをした男は、ルースに視線を向け目を細める。



「おい、お前、病人に飲ます薬は作れんだろうな」

「相手を見ないことには、何とも言えないけど」

「……ついて来い」



男は身を翻し、奥の戸へ足を向ける。

いくつも取り付けられた鍵を外し、入れられたのは物置程度の広さの部屋だった。

天井に小さな窓があるだけのその部屋は、薄暗くて湿っぽく、少しかび臭い。

目隠しをされたまま、階段を降りた記憶があるから、部屋は恐らく地下に作られているのだろう。


その中に、ぼろ毛布に包まれた物体が転がされていた。

近づくと、毛布が僅かに上下しているのが分かり、端から燃えるような赤い髪が覗く。

ルースが毛布を捲ると、中に包まれていたのは一人の少女だった。


まだ十代も半ばであろう少女は、恐ろしく整った顔を苦痛に歪め、忙しなく息をしている。

ルースはその側に座り込み、彼女の脈に触れる。

やや早い鼓動に、触れた肌から伝わる熱、紅潮した頬から発熱しているのが見て取れた。

少女の顔を持ち、口を開かせて口腔内を観察し、ざっと全身に目を走らせる。

華奢な腕や、スカートから覗く足に、発疹などの症状は見当たらなかった。



「どうだ、治せるんだろうな」

「さあね、僕は医者じゃないから分からない」

「そいつは大事な人質だ、何かあったらお前の命はないと思え」



ルースを見下ろしていた男は、踵を返し扉に向かって歩き出す。

部屋を出る際、戸に隠れるようにして中を覗いていた痩せ男を睨んだ。



「何か必要な物があるなら、こいつを使え」



彼は顎で痩せ男を示し、男に錠を放り投げ、そのまま振り返らずに部屋を出ていった。

部屋の中は静まり返り、少女の荒い息遣いだけが響く。

ルースは溜め息を付き、彼女を毛布へ横たえた。

とにかく、黙ってみているだけでは何も始まらない。



「お湯と、タオルと、新しい着替え、それと、きれいな飲み水持ってきてよ。バカでもそれくらいできるだろ」

「何だと、てめぇ、大人しく聞いてりゃ舐めた口利きやがって。俺を顎で使おうってのか!」

「あんたのアニキが、そうしろって言ったんだけど。いいから、さっさと揃えて来てよ」



自分に恥をかかせた人物に、痩せ男は掴みかかる勢いだ。

本当にこんな頭の悪そうな男が使えるのか疑問だが、今は猫の手でも借りたい。

なにせ、自分の命もかかっているのだ。


噛み付かんばかりの男を叩き出し、ルースは少女に向き直る。

彼女は街の女の子が着る様な、質素な作りのワンピースを身に纏っていた。

だが、布の質は一般市民では手が出せないだろう程、良いものを使用しているのが分かる。

どこぞの貴族のお嬢様が、お忍びで街へ出て、攫われたといったところか。



(さて、手持ちの薬でどこまでできるかな)



ルースは懐から普段薬を入れている袋を取り出し、中身を確認する。

目ぼしい物を床に並べ、ルースはそれらを調合するため、魔力を練り構成を組み始めた。


暫らくして伝えた物を持ってきた男を再び叩き出し、ルースは少女の側に座る。

彼女の上半身を抱き起こし、乾燥しきった唇に水で濡らした布を当てた。

少女は意識が曖昧ながらも、水分を欲して口を開ける。

少量の水を流すと、少女の喉が小さく上下に動いた。

彼女が咽ずに水を飲んだことを確認し、ルースは少しずつ薬を混ぜた水を流す。


時間をかけて飲ませ終わると、少女の汚れてしまっている服を脱がせる。

汗もかいているだろうが、さすがに下着をどうこうするわけにもいかず、拭ける範囲で体を拭う。

痩せ男が持ってきた服は、やや露出が多く品に欠けるが、こんな場所に少女用の服がある訳でもなく、文句は言えないだろう。


どうにか少女に服を着せ、毛布で体を包み込む。

ルースは一息つくと、壁に背を凭せ掛け目を瞑った。

意識のない人間の世話をするのは骨が折れる上、少女は何をされても目を開けないほどに衰弱していた。

そのため必要以上に時間がかかり、今は小さな窓から月の灯りが差し込む刻限となっていた。


早朝から動き通しだったため、さすがに少し疲れた。

今やれることは全てやったのだから、後は少女が目を覚ますのを待つしかない。

それまで少し休もうと考え、ルースは徐々に強まる眠気に身を任せた。








*************







鋭く息を呑む音に、ルースは意識を浮上させる。

顔を上げ虚ろな視線をそちらに向けると、見開かれた翠の瞳がこちらを見つめている。

少女は己の身を守るように毛布を掻き抱き、瞬きもせずルースを凝視していた。


ルースが動かず、何も言葉を発しないでいると、彼女の視線が困惑したように彷徨う。

唇を舐め、口を開くが直ぐに閉じてしまった。

気持ちを落ち着けるためか、胸元を握り締め深呼吸をしているようだ。

息を吐き、気を取り直したようにルースに視線を合わせ、少女はようやく口を開いた。



「あなた、だれ?」



小さく、鈴の鳴るような声が室内に響いた。









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