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常闇の魔女  作者: 空色
第2章 仮面の薬師
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3




自分が知らない場所に居るという事実に、クリスティーナは大いに混乱していた。

確か自分は、街に出たいという希望を周りの人間に却下され、それに不満を覚えてこっそり抜け出してきたのだ。

衣装を借りた侍女は半泣きで止めていたが、自分の言い分を聞いてくれない周りが悪いのだ。



(ああ、違う。そうじゃないわ、そんなことではなくて……)



混乱する頭を必死に働かせ、クリスティーナは街に出た後のことを思い出す。

どうにか見つからずに抜け出し、暫らく通りの店を冷やかして歩いた。

初めて聞く話や、初めて見るもの、書物の中だけでしか知らなかったことに目を輝かせていた彼女は、突然話しかけられて驚いた。

自分に見せたいものがあるという男について、路地裏に入った途端、急に口と鼻が何かに覆われた。

振り払う間もなく意識が遠のき、気付けば薄暗い室内で横になっていたのだ。



(ここはどこなの? わたくしは一体……)



室内に視線を巡らせていたクリスティーナだったが、ふと部屋の暗がりに視線を向けた瞬間、咄嗟に口を押さえて何とか悲鳴を飲みこむ。

自分一人だとばかり思っていた室内に、人影を見つけたからだ。


恐る恐るそちらを見ると、それはローブを纏った人間だった。

その人物は、部屋の隅に座り込み、壁に背を預けている。

片足を投げ出し、立てた膝の方に頬杖を付いて微動だにしない。


徐々に視線を上げていったクリスティーナは、今度こそ口から小さな悲鳴を漏らした。

ローブから僅かに覗くその人物の顔は、上半分が不気味な銀色の面で覆われている。

それが月明かりに照らされ、鈍く光っていた。


人間味を感じない硬質な雰囲気に、クリスティーナは羽織っていた布団をかき抱く。

逃げ出そうにもここがどこだか分からず、震える足は言うことを聞いてくれない。

彼女がじりじりと後ずさっていると、仮面の人物の肩が動き、次いでゆっくりと顔が上げられる。

仮面の奥に潜む黒曜が、クリスティーナを捕らえた。


何をされるかと戦々恐々としていたクリスティーナだったが、仮面の人物は瞬きを繰り返すだけで動きも喋りもしなかった。

次第に落ち着きを取り戻した彼女は、その人に話しかけようとして口を噤む。

声を発した瞬間に襲われたらと思うと怖かったし、そもそも何と話しかけてよいのか分からなかったのだ。


深呼吸をして気持ちを落ち着けると、クリスティーナは目の前の人物を半ば睨みつける勢いで見つめる。

仮面の人物は寸分たがわぬ姿勢でそこにおり、彼女を見つめていた。



「あなた、だれ?」



部屋に響いた声は、自分のものとは思えぬほど弱々しいものだった。








*************







仮面の人物は、己の名をルースと名乗った。

クリスティーナは自分の名前を口に乗せようとして、少し迷いクリスとだけ伝える。

何の感慨もなく頷き、ルースは話は終わったとばかりに口を噤む。

そして、腕を組んで俯き、瞼を閉じてしまった。

何か情報が得られるのではないかと期待していたクリスティーナは、拍子抜けして肩を落とした。


部屋の中には静寂が訪れ、自分とルースの息遣いが聞こえるだけだ。

時折、遠くから狂ったような女の悲鳴が聞こえ、クリスティーナは体を震わせた。

黙っていると、闇に飲み込まれてしまいそうで、彼女はルースに話しかける。

不気味な面を着けた正体不明の人物ではあるが、一人きりでいるよりはましだ。



「ねえ、ここは一体どこなのかしら」

「……さあね、知らない」

「あなたはここの人間ではないの?」

「気色悪いこと言わないでくれない。僕はあんたに薬を作るために連れてこられただけだよ」

「薬って……、何のこと?」



ルースは面倒くさそうに息をつき、己の懐を探る。

皮の袋を取り出すと、戸惑うクリスティーナにそれを投げてよこした。

受け取った中を確認すると、薬包紙に包まれた白い粉が幾つか確認できる。



「これは?」

「熱冷ましと、炎症を抑える薬」



クリスティーナはその中の一つを取り出し、まじまじと見つめた。

ルースは自分の薬を作るために、ここに居るという。

ならば、ルースが投げてよこしたこれは、件の薬なのだろう。

別段、体調の悪い気がしないクリスティーナは、あまり実感が持てず首を傾げる。



「あんた、熱で死にそうなほど弱ってたんだよ」

「わたくしが……」

「こんなに早く効くなんて、お嬢様のわりに案外図太いね」



馬鹿にした様に鼻を鳴らすルースに、クリスティーナは憤慨して睨みつける。

弱った女の子に優しくできないとは、なんて失礼な人だろうか。

そもそも彼女の周りに、そんな口を利く人間はいなかった。

ルースは頬を膨らませるクリスティーナを一瞥して目を閉じる。



「とにかく、もう寝たら。薬のせいで熱下がってるんだろうし、無理して倒れても知らないよ」

「あなたに言われなくたって分かってるわ」



頭に血が上ったまま、クリスティーナはルースに背を向け、横になると毛布を被った。

だが、徐々に熱が冷めてくると、途端に恐怖がムクムクと頭をもたげた。

一人で横になっていることが、酷く心細く思えてくる。

ちらりと後ろを振り返ると、ルースはその場から微動だにせず蹲っていた。

眠っているのかとも思ったが、クリスティーナは小さく声をかける。



「ねぇ、あなた、毛布も被らないで寒くないの?」



何かしらの返答を期待していたのだが、ルースは何も話さなかった。

本当に、眠ってしまったのだろうか。

実はまだ起きているのではないかと思っていた分、落胆も大きい。

肩を落として、クリスティーナは再び横になった。

取り合えず目を瞑ってみたものの、寒さと心細さですっかり目が冴えてしまい眠れる自信がなかった。



「……確かに、少し肌寒いかもね」



ポツリと囁かれた言葉に、クリスティーナは勢いよく身を起こす。

ルースは顔を上げていなかったが、確かに言葉を発したはずだ。

それに勇気を得て、クリスティーナは毛布を掴んでルースに近づいた。



「半分、貸してあげましょうか。隣に座っても?」



緊張のために、声が少し震えている。

こんな風に、自分から他人に近づくような言葉をかけるなんて、教育係りが聞いたら眉を顰めるだろう。

しかも、こんな失礼な、正体も分からないような人間の側で寝ようとしてると知ったら、あの教育係は卒倒するかもしれない。

でも、クリスティーナだって背に腹は変えられないのだ。

ルースの言うように、本当に熱を出していたのだとしたら、休息が一番の薬となる。


彼女の言葉に、ルースは僅かに顔を上げクリスティーナを一瞥する。

だが、直ぐに目を閉じ、大きな溜め息をついた。



「……好きにすれば」



パッと顔を輝かせ、クリスティーナはルースの隣に腰掛ける。

毛布で二人の体を包み、ルースがしているように壁に背を預けた。

しかし、ふかふかのベッドでしか眠ったことのない彼女は、なかなか体制が整わない。

何度か座りなおしてみたがしっくりとせず、不満げに顔を歪める。


隣を仰ぐと、ルースはすでに眠ってしまったようだ。

規則正しく肩が上下し、寝息が聞こえる。

自分がこんなにも苦労しているというのに、なんて酷い人だろう。


暫らく恨めしげにルースを見ていたクリスティーナだったが、ふとあることを思い付いた。

そっとルースの顔を覗き込み、目を覚まさないことを確認する。

そして、慎重にその肩に頭を預けた。


思っていたよりも心地よく、クリスティーナは満足げな息を吐く。

触れた部分から伝わってくる熱は、硬質なルースの雰囲気とは逆にとても暖かい。

ゆっくりと近づいてきた眠気に、彼女は静かに目を閉じた。








*************







やがて響いてきた寝息に、ルースは目を開いた。

己の肩を見下ろし、少女の顔を一瞥する。

彼女は小さく息を呑み、時折うなされている様だった。

やがて、閉じられた瞼の端から、一筋の涙がこぼれる。



「……お兄様」



目を覚ましてからの彼女は、気丈に振舞っていた。

だが、訳も分からず知らない場所につれてこられ、不安でないはずがない。

眠ってしまったことで、箍が緩んだのだろう。


寒さのためか、クリスティーナの体が小さく震える。

ルースは毛布をかけなおしてやり、天井の小窓へ視線を向けた。

暫らくそうして月の光りを眺め、やがて俯き目を閉じた。









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