04 夜の色 (冒険者登録について加筆訂正しました。)
誤字脱字報告ありがとうございます。
1ヶ月も森にいれば、獣の気配を探る方法、そして獣から自分の気配を断つ方法を掴み始める。
ルーディリアはそっと足音を消して歩を進めると完全に油断した巨大猪の背後を取った。
木の実を旨そうに食べている猪の首を風の刃でストンと落とす。
痛みすら感じることなく、最後まで食べる動作のまま落とされた首を見て、自分のこの森での修行は完成したんだと思った。
首を下にして木に逆さに吊るすとパチャパチャと血が垂れて細い流れが土の柔らかい所を抉った。
適当に近くの樹木の枝を折ると、火と風の合わせ魔術で木を乾かす。生木を燃やすと煙がとんでもないことになってしまう。目に入れば沁みてまともに目を開けていられないのだ。
血抜きが済んだ猪の肉は興した火で焼いて食べるのだが、何の味もしないだけでなく生臭さまである。生きものを殺して肉にすることは、この森に来てから知った。
最初はただ必死に生きていた。死にたくなくて殺したし、死体を焼いて食べもした。
必死に生きて、ただただ死にたくなくて、食べてきたけれど…ここまできてやっと自分の行為を見つめる。
炎の向こう側に転がる大猪の生首が、自分をじっと見つめていた。
何て大きな猪だろう。きっと自分の何十倍も生きて、色んなものを見たり聞いたりしていたんだろうな…。
そんな生きものが、私みたいなちっぽけな人間に殺されてしまったんだ…。
木に吊るした身体を見上げて、この堂々たる肉も2、3日で腐るのかと思ったら涙が出てくる。
滲む視界にだんだん惨めさが勝ってきた。
「あー…もうっ…やだっ」
1ヶ月前に義母に森に捨てられて以来、初めて涙が出てきた。自分を嫌いな人や憎んでいる人から攻撃されることはまだいい。まだ流せる。
相手がすることは、相手の責任だ。
まだしも自分は心の中だけでも無関係を言い張れる。
何だったら上から目線で同情さえ出来た。
これだってただの小さな子どもが傷つかないように目を閉じて、耳を塞いで、小さく丸まっているだけなんだろうけど…まだ背を向けられる。
でも、これはムリだ。
肉になった猪の、炎の向こう側で転がる物言わぬ頭を見てルーディリアは涙が止まらなかった。
お前が選んだ殺戮に、お前が選んだ暴力に、お前が選んだ生きる意思に…お前は向き合うことなく逃げるのか、と水晶のような二つの目玉が語りかけてくる。
お前は私の身体を腐敗の末にうじ虫に食わせてやるのか。
私はただ、腐っていくために死んだのか。
お前は死にたくないから殺したのだろう。
お前は生きたいから私を喰うのだ。
死にたくないと生きたいは同じじゃない、などまさしく人間そのままの傲慢さではないか。
死んでしかばねをさらすほか、何もない私に向かって…なお、そのような言葉を口にするのか。
私の死体を前にしてお前は死を受け入れることなく「自分のせいじゃない」と喚くのか。
そうしてお前は、ブタのように私の死体を食い散らかすのか。
ガラス玉のように丸く、綺麗な二つの目玉が自分に死を突きつけてくる。
まるで攻撃のように痛みを伴う声なき声はルーディリアの心を情け容赦なく傷つけた。
「ッ…全部、食べなきゃ。そうじゃなきゃ、わたし…」
ただ殺しただけになってしまう…。
死に追いかけられて逃げ惑うように目の前の肉を食べ始めた。それは何の味もしなかった。美味しくも不味くもない、ただ肉の味がしただけだった。
何の味もしない肉を食べながらルーディリアは1人、森の中でしくしくと泣く。こんなことなら自分が食べられた方が良かったと思った。
だって、猪はきっと、私を食べることに罪悪感を持たない。お腹が空いたら、ただ食べるだけだ。動物にとっての食事は自然の摂理だから、そこに何の罪も恐れもない。
とてもシンプルで、美しいものだから。
味のない肉に、死んだ猪の目玉に、ひたすら「ごめんなさい」と言いながら泣いて、泣いて、ルーディリアは…気づいた。
「違う…そうじゃない。それじゃ、駄目なんだ」
木に吊るされている肉に触れる。つま先が流れる血で濡れた。
この猪は生きていた。
生きて、そして殺された…私に。
『ルーディリア、命はとても大切なものなのよ。だから残さず食べましょうね』
かつて言われた優しい言葉と微笑みを思い出した。自分と同じ銀の髪に蒼い目をした、お母様の言葉。
「そうか…そうだったんだ…」
涙をぬぐうことなくルーディリアは肉を、自分がもたらした死を見上げて…抱きしめた。
「ありがとう。あなたの命を、頂きます」
身勝手な暴力ではなく、自然界の摂理に基づいた食欲でもなく……これは責任だ。
生きて、死んだ。それまでの時間とこの猪を生かしてきた沢山の命に対する、責任。
生きていた時間の残骸を抱きしめて、ルーディリアは目を閉じて祈りを捧げる。
「あなたの命を私の身体で引き継ぎます。だからどうか、安らかに眠って下さい」
勝手な思い込みかもしれないけれど、猪の命が自分の中に流れて一つになったように感じた。目を開けると、そこにあったはずの肉は既になくなっていた。
え?と思って見回すけれど、影も形もない。そうしてふと、意識を何もない「そこ」に向けた。
どうやって気づいたのかは分からないけれど確かにあると感じる。土や水、風や火、もしくは癒しの魔力を操るように空間に手を入れると。
肉がそこにあった。
最初に抱いた感想は「ああ、良かった」だ。これで肉を腐らせないで済んだという安心感。
次に抱いた疑問は「これは何の魔法だろう?」ということ。
どうやら異空間に物を出し入れ出来るようだということは何となく分かった。
そこからは新しい魔法の研究を始めた。肉を、木の実を、しまっては狩りをする。
気づいたことはいくつかあった。一つは無機物しか入れられないこと、もう一つは入れたものの時間が止まること。
しばらく魔力を流していると、じわじわと空間の入り口が広がり、ルーディリアが足を踏み入れることが出来るほどになった。
空間にぽっかりと開いた亀裂に向き合ったが、怖くないわけではない。手を入れていたのは確かにそうだが、身体ごと出入りするとなるとまた、違うのだ。
そろそろと指先から腕、そして顔を入れた。すると目の前には、今まで放り込んでいた食べ物が時の止まった状態でうず高く積まれていた。
「体に変なところはなさそうね…」
一番上に積まれたキイチゴを一つ摘まむと口に放り込んだ。口の中に甘さと酸っぱさが混じりあった果汁の旨みが溢れる。
「ん、美味しい」
指先を舐めるともう一つ摘まんだ。
しばらく自分が貯めていた食糧を物色していたが、ふと視線を前に向けるとたくさんの空間の歪みが見えた。
歪みの中央には小さな亀裂から大きな亀裂までさまざまだ。
一つ一つを見てまわって、ふと足を止めた。
その亀裂に魔力を注ぐと、窓のように空間が切り開かれる。
そうして一歩、亀裂の向こう側に行くと見たこともない場所に出た。ふらふらと迷子のようにさ迷い歩いて、看板を見つけると勇気を出して入っていった。
受け付けのお姉さんがこちらを驚いた様子で見ている。厳めしい顔をした人や一目でごろつきとわかる人達もいた。
「お嬢ちゃん、迷子かい?」
顔に似合わず親切に声をかけてきてくれたおじさんにルーディリアは無言で首をふる。
「私は冒険者になりにきた。登録したいの」
周りの大人が顔を見合わせる中、受け付けに真っ直ぐ進む。そうしてもう一度言った。
「私は家族がいないから、自分で自分を養わなきゃいけない。だから、冒険者になりにきました」
後ろで聞いていた親切な悪人顔のおじさんが「お嬢ちゃん、遊びじゃねえんだぞ」と少しだけ怖い声を出す。
しかしルーディリアは首を振って静かに言った。
「生きることも死ぬことも、私は経験したわ。こっちだって遊びで言ってない」
その目は静かに凪いでいて、深い悲しみをたたえていた。生きることの苦しみと、そして鎮魂がそこにはあった。
「生きることは食べること。食べることは殺すことよ。死の恐怖で私を脅さなくていい、私は私を背負って生きる用意ならもう出来ているから」
言いきったルーディリアにおじさんがくしゃりと顔を歪めると頭をぽん、と撫でた。
「……合格だ。そこのカウンターで受け付けしてこい」
バシッと背中を押すと受け付けしにいくルーディリアに男は言った。
「辛くなったら、大人を頼れ」
ルーディリアは振り向いて礼を言うつもりで口を開くと不思議そうに首をかしげる。
「どうして、そんなに悲しそうなの?」
「何でもない。行くならさっさと行け」
尚も首をかしげながらルーディリアは登録しに行った。男はその後ろ姿を見ながら僅かに5才かそこらで生死を越えなければ生きてこられなかった少女を憐れんでいたのだった。
その日、ルーディリアは城塞都市シルヴィアで冒険者の一歩を踏み出したのだった。
都市と森を行き来する生活にだいぶ馴染んだころ、何と義母から迎えの馬車が来て、屋敷に連れ戻された。
もう足を踏み入れることはないと思っていた屋敷に戻り、冷ややかなメイド達の視線にさらされながらも父の執務室へ入る。
成る程、父である侯爵が帰った手前、行方不明のままにはしておけなかったらしい。部屋に入ったとたん、義母が心配そうに眉を寄せてガタッと椅子から立ち上がった。
かつては彼らの一挙手一投足が怖かったけど、水晶玉のような猪の目玉を、死を覗きこんだ時からあまり恐怖は感じなくなっていた。
父はつまらない権力にしがみついて必死になって周りに自分を巨大に見せようと腐心しているようにしか見えないし、義母はそんなつまらない父に、やはり必死にしがみついているだけの下らない人だ。
ルーディリアには二人がひどく小さく、惨めな存在に見えた。
そして、そうと知らない二人を心の底から憐れに思った。
あの夜の森の猪の目玉とは比べることさえ出来ない。
そしてそんな両親に挟まれて自分が一番幸せだと信じて疑わない義妹は愚かだと思った。
そんな空洞のような人達が自分に対して笑いかけたり、心配したりしながら話している。
「ルーディリア…まあ、生きていたのね。心配したのよ」
侯爵夫人である義母が心配そうにそう言った。
「…エリザベス様」
「まあ、そんな他人行儀な。お母様と呼んで頂戴。貴女も幼いなりに私との仲に悩んでいたのでしょう…可哀想に。無理をさせていたのね」
無力なわたくしを赦して頂戴、と涙を浮かべる義母の茶番に無機質な眼差しを向けると、次に父親を見上げた。
赤い髪をかきあげると「ルーディリア、お前は皇太子殿下の婚約者に決まった。今から始めても他の令嬢の足元にも及ばんが、やらぬよりマシだ。王妃教育を始める」と父と呼ばれる立場の人が自分に対して忌々しそうに言った。
片手を軽く振るとドアの前を護る騎士が扉を開ける。
その扉を大人しく出ていく長女の背中を一瞥し、そして義妹の方に向き直ると優しい目で見つめて「リーリアは美しいな。きっと殿下の寵愛を受けるだろう」と頬を撫でた。
首を横にかしげて「お父様?」と不思議そうに問うリーリアに父は頷いて閉まった扉に視線を向け「ルーディリアには適当なところで表舞台から退いてもらう。婚約破棄後に殿下の元に嫁ぐのはお前だ、リーリア」と言うと嬉しそうに目を輝かせるリーリアを見て満足そうに笑った。
「まあ、ほほほ。でしたらあの子には精一杯頑張ってもらいましょう」とエリザベスも笑った。
宴会はルーディリアの嫌いなものの一つだ。
貴族は誰かをけなしながら王家に媚びへつらう。
命と命のやり取りにこそ、ひりつくような生命の熱を感じるルーディリアには退屈でつまらない権力のお披露目会にしか見えない。
あまりの退屈さに媚びて笑う貴族達の眼差しから微笑みを浮かべて抜け出した。周りの繁みからは獣のように男と女が絡み合う声が聞こえてくる。
いくら気取っても欲にまみれた人間など、醜いだけだと言うのに。
月を見上げてうっすらと笑う。
あの日、あの夜にも、今と全く同じ月が出ていた。
ふと、首の後ろを粟立つようなひりつきが襲う。死をくぐり抜けたものだけが感じることが出来る、そのひりつきにルーディリアはゆっくりと振り返った。
………そこには、夜のように真っ黒な髪と瞳を持つ青年が立っていた………




