第38話 無謀なホームランの宣言
奥多摩での葬儀が終わって数日を経た月曜日の午後、聡志は恭子へEメールを送った。
「こんにちは。堂本聡志です。君への初めてのメールです。先日は突然訪問して失礼しました。ずいぶん驚かせてしまいましたけど、僕は久し振りに君に会えて、すごく嬉しかったです。例のヒットの条件をクリアしてからデートをする方が、もっともっと嬉しいに決まってますけどね。それは残念ながらまだお預けです。
話は変わりますけど、先日君が言っていたように、ご両親と僕との間でつまらない争い事が発生したのは事実です。だけど、僕はその後の謝罪を受け入れて、すべて許そうという気持ちになっています。だから、君がもしも自分の両親を悪く思っているのなら、もうそんな気持ちは必要ないし、心配しなくていいですよ。それをはっきりと伝えたくてメールしました」
送信してからは一刻千秋の思いで、五分ごとにスマホをチェックした。
返信はその日の夜十時に届いた。
「恭子です。メールをありがとうございます。昼間は私にもできる内職をしていたので着信に気付くのが遅くなってしまいました。ごめんなさい。話したいことは山のようにありますけど、まず、私の両親があなたにご迷惑をおかけしたことを私からも謝らなければなりません。本当にごめんなさい。堂本君がわざわざそこまで言ってくれるのなら、もうその問題には、触れないことにします。
それから、恥ずかしいけど隠さずに告白します。私、あのお葬式の日にあなたに会えて、ずっと胸の奥にしまっていたときめきを呼び起こすことができました。こっちに引っ越して来てから、付き合った男の人はいません。唯一、心を許せるあなただからこそ、再会した途端に胸がキュンとなるのを感じたのです。ああ、本当に恥ずかしくて顔が熱くなってきました。もうこの辺にしておきます。
私は先日の祖母の葬儀が終わってから、あらためてお礼を言わなければ、とずっと思っていました。いただいた香典の一部は葬儀費用に使わせていただきました。でも、香典としては常識を超える金額をいただいたことに当惑しています。あなたが懸命に野球に打ち込んで貯めたお金なのに、こちらで勝手に使うことは気が引けます。どうか余ったお金を返金する銀行口座を教えてください。
それはそうと、堂本君はメールを標準語で書くんですね。しかも、丁寧だし。メールも広島弁かと思っていました。(笑)」
聡志は恭子が恥じらいながらも告白してくれた数行を何度も読み返した。嬉しくて仕方がなかった。お好み交差点で初めて言葉を交わした時も、恭子の方から先に打ち明けてくれたことをよく覚えている。
自分が送ったメールが長文で迷惑をかけたかと不安になっていたが、恭子からの返信はドキドキする内容に加え、もっと長くて安心した。
書きたいことは山ほどある。今日始まったばかりのメールのやりとりが将来も続くことを祈りつつ、多少うぬぼれ感のある返事をすぐに書いて送った。
「恭子さん、返信ありがとう。標準語で書くと僕らしくないですか?メールで方言を書くのは、変換が結構面倒なのです。それに、大学時代は東京で過ごしたから、今後もメールはこのスタイルで行きますね。メールだからかと思いますけど、君だって、ですます体になってますよ。(笑笑)
お金のことだけど、余った分は病院でのリハビリ費などに充ててくれたらいいです。そのために使ってもらえるなら僕は満足です。香典返しは要りませんから、お気遣いなくどうぞ。
この際だからお願いさせてもらうと、これからは君のことを『恭子』と名前で呼ばせてください。君の目の前でヒットを打ったら、恭子、恭子、って大きな声で叫ぼうと思ってますからね。そのときは恥ずかしがる必要はないですよ。
長くなるけど、あともう少しだけ書きます。
オールスターゲームで満塁ホームランというリクエストは、僕にはちょっとハードルが高過ぎました。って言うか、九十九パーセントあり得ないリクエストですよね。裏を返せば、たとえそういうチャンスが回ってきたとしても、ホームランを打ってはいけないのではないかと考えたんだけど、それは考え過ぎでしたか?いつか訊いてみようと思っていました」
聡志はひとまずこの辺りまでにして返事を待った。
「堂本君、ご厚意については感謝します。病院でのリハビリ費に、って書いてあるのが気になります。ありがたいけど、どうしてそれを・・・・・・?
それから、あの満塁ホームランのお願いは、一生懸命応援していることを伝えたかったのと、活躍してくれても会えない現実とを考えていて、突然ひらめきました。ごめんなさい。でも、凄い想像力ですね。実を言えば、手紙を送ったころは青梅にいて、外出ができない訳があったのです」
聡志は青梅という文字を読んで、満塁ホームランに隠された秘密をやっと理解した。だが、霧が晴れたのも束の間、緊張のタガが緩むとはこのことか。聡志がこの話題にはお別れをするつもりで書いた短い返信が、最も危険な区域に足を踏み入れてしまった。
「そうか、手紙を送ってくれたのは、青梅にある緑の整形外科に入院中の時だったのですね。それで銀座になんか出かけられないことは百も承知の上で、手紙を書く気分になった時に書いてくれたということですか。これでスッキリしました」
「え?ちょっと待ってください。緑の整形外科って、病院の壁の色のことでしょ?びっくりです!それでは堂本君は、私が骨折したことも知っているのですか?火葬場で話をした時も、うつ病のことを言われてドキッとしました。夜眠れないことが多く、気分の浮き沈みが激しくて、本当のことなんですけど、病名まで知っているのが怖いです。それに、さっきはリハビリのことも・・・・・・。その他にも何か掴んでいるのですか?まさか、探偵を雇って、私のことを細かく調べあげたわけじゃないのでしょう?堂本君ってそういう人じゃないですよね?
そうなんです。この前もお話しした通り、私はあなたとまともにお付き合いができるような女ではないんです。もっと自分自身と家庭環境を直視しなければなりませんでした。高校時代から、いつかは堂本君に約束を叶えてもらえると夢見ながら暮らしてきました。それだけで、私はとても幸せでした」
聡志の脳裏に恭子の泣いている姿が映った。このままメール交換が終わってしまうと、彼女がまたどこか遠くへ行ってしまうような気がした。早く追いかけて捕まえなければ。気がせいて、これまでのように丁寧には書いていられなくなった。
「急に何を言い出すの?全然卑屈になることじゃない。そのままの君がいいんだ。病気や怪我のことは、君の両親とのやりとりの中で知ったことだけど、僕が無神経すぎた。配慮が足りなかったことは心から申し訳ないと思ってる。だから、もう一度返信をください」
読み返しもせずに慌てて送信した。そのまま二時間待ち続けてもスマホは反応しなかった。もうこれまでかと不安がよぎり、平静ではいられなくなった。自分の不用意なメールをいくら後悔しても始まらない。顔から手から汗が滲み出た。
じっと見つめているスマホの画面に高校時代の恭子が現れた。お好み交差点の信号機の下で待ってくれている丸顔タレ目のおさげ髪。ずっと応援してくれていた。目の前でヒットを打てなくても、いつも励ましてくれた。そして、心のこもった折鶴をたくさん折ってくれた。全部恭子から愛情をもらうばかりで、自分は何一つ返していない。
「あなたが恭子に優しく言ってくれた言葉は、……ひと言も見つかりませんでした!」という邦江の手紙がよみがえった。
このまますべてが終わってしまう前に、もう一度だけチャンスをもらえないか。聡志は指先を震わせながらメールを打った。
「僕はヒットどころか、君が観ている前でホームランを打つ。その試合は、テレビで全国中継があるジャイアンツとの地元最終戦だ。君は無理して球場に来なくても、テレビの前にいてくれれば、それで十分だ。もしも僕がホームランを打って約束のポーズを決めたなら、それは僕からのプロポーズだと思って欲しい」
プロ入り以来、一軍の公式戦でまだ一本しかホームランを打っていない聡志が打つとすれば、
まずは試合に出るのが大前提で、
ホームランを狙っても良い場面で打席に立ち、
相手投手がストレートを内角高めに失投し、
バットの芯で捕らえる、
という難関をすべて突破しなければならなかった。
だが、それでも確率はゼロではない。本当にこれが最後の最後だと腹をくくった。
それからも返信はなかった。スマホを握り締めたまま、時間はどんどん過ぎて行く。もはや、恭子がこのメールを読んでくれることを祈ることしかできなかった。祈って泣きながら、ひとりごちた。
「僕は打つ。必ず打つ。打てよ、僕!」




