第36話 再会は火葬場(二)
「何じゃ、いきなり」
聡志は優し気な目を向けた。おかげで恭子は切り出しやすかった。
「私ね、女子大なんて、行ってないの。お嬢様大学って言ってみたかっただけです。あなたの気を引きたかったから、つい……」
試験に合格したのに入学を諦めざるを得なかったことは、邦江からの手紙に書いてあった。悪意のない嘘は簡単に許せた。
それより、現実問題として恭子の治療費が払えなくなることの方がよほど気になっていた。
恭子の告白を受け止めて頷いたあと、目先を変えようと上着の内ポケットに手を入れた。
「これ、気持ちだけじゃけど、香典として受け取って」
胸元から厚い封筒を出して恭子の手のひらに乗せた。治療費として渡すためにあらかじめ用意していたお金だった。気兼ねなく受け取ってもらう理由を考えあぐねていたところ、葬儀に遭遇して香典という名目がうまく思いついた。
「え、そういうお心遣い、いただかなくていいのに。しかもこんなに。ちょっと多過ぎない?」
誰が見ても一般的な香典とは封筒の厚さが違う。
「ちょうど銀行で下ろしちょったんじゃ。気にせんでええから」
恭子は拝むようにして仕舞った。
「堂本君、私、さっきの女子大のことだけじゃなくて、正直に話さなきゃいけないことがまだあるの。あのね、家族が経済的な不安を抱えていることや、私は満足に動ける体ではなく、治療中の病気があることなど……」
「経済的なことはともかく、僕が君の病気のことをどう思うかを気にしとるんなら、全然心配せんでええ。現代の医学なら必ず治る。安心して治療を続けることじゃ」
病気のことは卑下しなくていいと伝えたかった。
「ありがとう。自分でも早く治したくてしようがないの。私ね、あなたに連絡をしてカープの試合を観に行こうと何度も思ったのよ。でも、それができない事情がいろいろあったの。今まで長い間、ごめんなさい」
簡単には説明できなかった。祖母のこと、母親のこと、自分のこと、家計の事。
「そうか、球場に来られんなら、テレビの前だっていいじゃん。僕は念願のヒットが打てるよう頑張るから」
いくら優しく誘われようと、恭子には聡志を喜ばせる返事をする勇気が湧かなかった。たとえヒットを打ってくれたとしても、今の自分は聡志とデートをするべき相手ではないとの思いが強かった。
玄関からロビーに入ってくる喪服姿の人々が、悲しみに満ちた顔をして通り過ぎる。お葬式の主役は故人でしか有り得ないのに、恭子は全部母親任せにしたままだった。突然現れた聡志の存在があまりにも大き過ぎて、接待すべき会葬者の存在さえどこかへ押しやられていた。
恭子は、あのこと抜きで聡志と会話を続けるのは限界だった。胸の中でくすぶっていた煙に黄色い炎が交じりそうなほど熱くなって、ついに持ちこたえられなくなった。
「私、知ってるの。両親があなたからお金を奪おうとしたことを。そのことで父があなたと会ったことも」
恭子は突如思いつめたように言って、顔を下に向けたまま鼻をぐずらせながら喋っている。聡志は急な話の転換に驚いたが、一部始終を聞かせて恭子を苦しめる気はなかった。興奮が収まるまでしばらく待った。
「君のお父さんと会ったのは事実じゃけど、もう気にせんでええって。人間、よく調べもせず何かを信じ込んで起こる誤解って、いくらでもあるよね。お陰で君の住所が僕に知らされ、こうして会えたんじゃから、ラッキーじゃと思うとる。それより、君のうつ病の回復具合はどう?」
婉曲的に言うことで話題を逸らし、恭子の病気の方に話題を変えようとした。
だが、不意をつかれた恭子は思わず口ごもった。なぜ自分がうつ病であることまで知っているのだろう、何と答えれば良いのだろう。悩んでいるところへ邦江が近づいてきた。戻って来ない二人のことを気にして捜しに来たらしい。
恭子は聡志に母親を紹介するのをためらった。邦江は娘が手をこまねいているのに気付いて、勝手に前に出てお辞儀をした。
「初めてご挨拶をさせていただきます。恭子の母親の宇田邦江です。娘が大変お世話になっております」
初対面であることは間違いないにしても、手紙での深刻な告白など無かったかのように当たり障りのない挨拶をしている。近くで見ると、アルコール依存症で苦しんでいたとは思えないほど理知的な顔立ちで、目元は恭子にそっくりだった。
聡志は、恭子が母親から離れて立っているのが気になった。
「初めまして。堂本聡志です」
いささか怪訝な面持ちで挨拶を返した。
ちょうどその時、館内アナウンスで宇田家が呼ばれた。収骨室へ向かう途中、聡志は恭子にメールアドレスを尋ねた。高一の時は、「約束のヒットを打ってから」と言ってお預けにされたのを思い出しつつ。
恭子は、むしろ自分の方からも伝えたいことがたくさんあって、「いいわよ」とスマホを取り出した。
聡志は奥多摩からの帰り道で夕食をとって宿舎に戻り、殺風景な部屋で悶々としながら時を過ごした。恭子が「私、知ってるの」と告白したけど、どこまで詳しく知っているのか。また、治療中の病気のことをしきりと気にしていた。大丈夫だから心配するなと言っても恭子の方から離れて行ってしまうおそれはないのか。あれこれ考えているうちに頭の中がざわついて、目を閉じても眠りには落ちなかった。
ぼうっと立ちあがってカーテンの隙間から外を見た。薄暗がりの中でLEDライトが煌々と通りを照らしている。趣もなく、まばゆく光っているだけで、何の癒しにもならなかった。
<お知らせ>
おかげさまで、「打てよ、堂本!」は今回で第36話になりました。最終回の第41話まで、残りはあと5話です。この先、まだまだ予期せぬ展開が待っています。
最後までお読みいただければ幸いです。
また、本作をユーチューブで動画にして公開しています。独学での下手な作品で恐縮ですが、第22話「脅迫状」あたりからでもご覧いただければ、とても嬉しです。
「オールにしぎん」と検索していただければ、ホーム画面がヒットすると思います。
2026年6月27日現在、第24話「井上丈太郎との遭遇」まで公開中です。




