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第35話 再会は火葬場(一)

 ペナントレースもいよいよ終盤となった。

 九月十八日からの横浜での対ベイスターズ三連戦は、チームにとって一戦も落とせない試合だった。

 第一戦は延長十二回で辛くも勝利を収め、続く第二戦は朝からの豪雨で早々に中止が決定した。聡志はマネージャーの大瀬戸から完全休養日にするとの連絡を受けた。ちょうど黒い空を見上げていたところで、迷うことなく奥多摩に向かうことにした。

 目的地でバスを降りた時も雨が降っていた。傘を差して恭子の家に向かう途中、葬儀の看板が電柱にくくりつけられていた。故人の名前は宇田ミツ子だった。


 家の前まで行くと町内会の名前が入った花輪が一つだけ飾ってあった。会葬者のために玄関の扉が開放されていて、僧侶の読経が外まで聞こえている。家の前の道まで線香のにおいがした。今から出棺するのだろう。何人かで切り花を棺の中に入れている様子が伺えた。

 聡志はじっと塀の外で待った。その間、そぼ降る雨が読経の済んだあとのしめやかさを引き継いでいた。十分もすると、後方からエンジンの音が近づいてきてマイクロ型の霊柩車が到着した。家の中から棺が丁重に運び出され、位牌を持った母親に続いて喪服を着た若い女性がその後ろから出て来た。

「やっぱり恭子だ」

 傘の持ち手を強く握った。

 彼女は昔よりも髪が短く、歩くのが不自由そうだった。視線は恭子だけを追い続けた。

「まだ乗れますよ。一緒に火葬場に行かれる方はお乗りください」

 葬儀社の運転手が大きな声で会葬者に声をかけた。聡志は乗ろうか、どうしようかと迷った。一人だけ喪服でないのは目立つ。黒のチノパンに白のTシャツ、ネイビーのジャケット。意を決して素早く乗り込み、恭子たちとは離れた席に座った。

 目的地に着くまでの間は誰もが口を開こうとはせず、雨粒で濡れた窓の外をうつろに眺めていた。


 火葬場に着いて、線香のにおいが立ち込める火葬炉の前で最後のお別れをしたあと、骨上げを待つ時間になった。宇田家の遺族や会葬者は、別室の待合室に通された。

 聡志はその部屋の入り口で入るのをためらった。中に入れば、恭子たちに見つかってしまう。けれども、彼女のそばから離れたくはない。自制心が効かず部屋に入って隅っこに座った。

 邦江は町内会の人たちに生前母親が世話になったお礼を述べて回っていた。端にいる聡志の顔など知る由もない。

 お茶を配ってもてなしていた恭子が聡志のところへ来たとき、悲鳴のような声を上げた。

「うそっ、えっ、堂本君?」

 高校時代の聡志とは比べ物にならないくらい、逞しい体と精悍な顔つきに変わっているが、恭子が見まがうわけがなかった。

 邦江がその言葉にぎくりとして、聡志の顔をしげしげと見た。

 恭子はキョトンとして言葉が出ない。今まで気が付かなかったのが不思議に思えたけれど、聡志は隠れるようにしてついて来たのだから仕方がない。

 十人ほどが入れる狭い待合室では話が筒抜けだった。恭子は聡志を部屋の外に誘った。足を引きずりながら歩く恭子の姿は、想像以上に痛々しかった。


 二人はロビーの長椅子に、横に並んで腰を下ろした。

 恭子は再び信じられないような顔をして聡志の方へ体を向けた。

「一体、どうしてここへ?」

「うん、遠征で横浜に来てたんじゃけど、今日は雨で試合が中止になったんじゃ。君の前でヒットを打つまではデートができないとは分かっとっても、勝手に足が向いて来てしもうた」

 いきなり方言丸出しだった。続けて何か言わなければと考えても、なかなか適当な言葉が出て来ない。間を持て余して、床のタイルを靴のかかとで二度叩いた。あれほど恭子に会いたかったのに、いざ本人を目の前にするとだらしない。

 恭子は煮え切らない聡志に高校時代、初めて会話した時のことをダブらせた。

「堂本君、まさか、『で、君は今、ここで何をしよったの?』なんて言わないでしょうね」

 昔と変わらぬ恭子の笑顔がそこにあった。

「そうか、お好み交差点で待ち伏せしていた君と会った時、そんな言い回しで不機嫌にさせたことがあったよね。あの時のことを思い出したよ。大丈夫。もう大人じゃから」

 聡志は丹田に力を込めて、ヨシっと気合を入れた。

「実を言えば、君の家まで来てみたら、思いがけず葬儀をしていて、マイクロバスに席の余裕があるって言うんで、ついて来たという訳じゃ。びっくりさせてごめん。ところで、亡くなられたのは君のおばあさん?ご愁傷様です」

 恭子は聡志が自分の住所を知ったいきさつを尋ねようと一瞬身構えたが、久し振りの再会で得た高揚感に押し戻された。

「恐れ入ります。おばあちゃんは、晩年は寝たきりの上に認知症にもなってかわいそうだったけど、母と私は一生懸命介護をしたし、大往生を遂げたと思ってるの」

 聡志の祖父母は早世したので介護の経験などなかった。認知症という病気もよく知らない。テレビドラマで老人の役者が演じているのを見たくらいで、実際に認知症の人と会話をしたこともなかった。

「僕にはよう分からんけど、そういうおばあさんとの生活は大変じゃったろう?これまでお疲れさまでした」

 恭子は大きくかぶりを振った。介護の世界をまったく知らない人に、苦労話を一から聞かせるのは、「違う」と思って話題を変えた。

「ねえ堂本君、こうして二人で話をするのは何年ぶりかしら?」

「そうじゃのう、君が高一の秋に転校して以来で、今はもう二十六歳じゃから、さて、十年ぶりくらいになるかね」

 わざともったいぶった言い方をした。頭の中では何年会っていないのかを時々寂し気に数えていたにもかかわらず。

「もうそんなになるんだ」

 恭子は指折り数えたりせず、聡志の言う年数をそのまま受け取った。

「その間、何度か一方通行の手紙をもろうたので、僕は時々君におうとるような気がしとった」

「そうね、私も部屋の天井にいる堂本君に毎日会ってるし」

「え、なになに?」

「いえいえ、こっちの話です」

 たぶん、天井に自分の写真が貼ってあるのだろう。野球場で撮った写真なら、自分にも見せて欲しい。あのころの懐かしい風景が目に浮かぶ。汗を染み込ませたグラウンド、味方のベンチ、声をからした応援。

 聡志はその場ですっと背筋を正して、恭子に謝るようにお礼を言った。

「これまでたくさん応援をしてくれて、本当にありがとうございました。結果を出せずに申し訳なかったけれど、いつも励みになっていました」

「えっ、何よ、急にあらたまって。しかも火葬場で」

 恭子は予期せぬお礼の言葉を聞いた上に自分で言ったことがおかしくて、笑う場所でもないのにクスクスと声を出した。

「変な堂本くんっ。私だって、あなたの応援をすることが当時の生きがいだったんだから、お互いさまですよ」

 朗らかな笑顔に救われた。あのころの二人の関係は、相手が恭子だからこそ成り立っていたのだと身にしみて知った。

「そうか、そこまで言ってくれて、本当にありがとう。あれから、お互いにいろんなことがあって、光陰矢の如し、って感じじゃのう。でもね、ついこの間のスワローズ戦で、君がスタンドにいるのはすぐに分かったよ」

 聡志がこぶしを突き上げて口元をほころばせた。恭子もハンカチで涙を拭くふりをして

 嬉しそうに微笑んだ。

「黙って観に行ってごめんなさい。数日前に行くことが決まったの。あの時は、私を見つけてくれたんだと思って嬉しかったわ。こぶしを突き上げてくれて涙が出たし……。三度じゃなくて二度だったけど、私がお願いしたポーズを覚えてくれてたと思ってね」

 聡志にすれば、忘れるはずがなかった。甘いムードのさなか、先程から気になっていたことが口をついて出た。

「その足、大丈夫?痛む?」

 聡志が心配そうに目をやると、恭子は右手で太ももをパチンと叩いた。

「うん、少しだけど足が麻痺してるの。やっぱりわかるわよね、足が悪いこと。うまく動かないことがあるし、時々は杖の助けも借りてるのよ」

「ごめん。不自由しとるんよね。口が滑って要らんことを言うてしもうた。ほんまに自分はいけん男じゃ」

 いけない、いけない、と頭を掻いた。恭子は足が痛む理由を話そうとはせず、周りに人がいないか確認して言った。

「堂本君、私ね、嘘ついてた」



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