09.もう、付き合えないんだ
飲み物のお代わりを挟み、結愛の長い告白が終わった後は重苦しい雰囲気に包まれていた。
俺にとっては、初めて具体的に聞かされた中学時代の交際と初体験だった。
優等生が不良に惹かれる。ひと夏の経験で女になる。そんな話はたまに聞くけど、まさか付き合っていた彼女がそういう経験をしてきたとはね。
聞かされてもやもやはしたけど、それでも終わった話なら過去のこととして踏ん切りはつけたはずだった。
高一の時にストーカーに逆ギレされて、断るのが怖くなったのは納得がいった。
しかし、俺と付き合い始める前と付き合い始めた後の結愛の心情はちょっと理解できない部分があった。
そういえば、結愛がやけに積極的になって、ベッドの上で乱れる時があった。それは結愛が男に迫られて俺が守った後だった気がする。
「まぁ、危ないところをカレビに守ってもらって、きゅんってくるのはわかる気がするけどねー。癖になるというのはちょっと……」
「危ない目から避けようとしないのはおかしいと思うわ。祥真君にも危険が及ぶし」
彩乃と心春の言葉を聞いて、結愛は気落ちしたように俯く。
結愛がはっきりと断るのが怖くなったのは確かだった。
だが、あえて断らないことで男をその気にさせ、俺が助けに来るのを待っていた。始めからそのつもりではなかったとはいえ、騎士に守られるお姫様のような体験が癖になり、スリルを味わうためにエスカレートしていった気配が感じ取れた。
その挙句、今回の件が起こってしまった。年頃の女の子にしては危機管理能力に乏しいとしか思えない。
「ところで、大坪を訴えることは可能なのかな?」
心春の問いに結愛は自信なさそうに首をかしげた。
俺も腕を組んで考えてみた。どうなんだろう? レイプって正確には不同意性交罪だっけ? ネットの記事で読んだ程度しか知らない。
例えば、酒や薬で抵抗できない状態にされた。刃物などで脅されたのなら、目撃者とか証拠があれば警察に捕まえてもらって罪に問うのも可能なのだと思う。
でも、結愛から聞いた話じゃ、ラブホテルに入るまでは拒絶の意思が曖昧だ。中でどれだけ拒んだとしても、密室なので証明できない。
俺たちの知識では、訴えるのは難しいとしか言えなかった。
「それで、祥真君はどうするつもり?」
「うーん……」
「しょーまがどういう結論を出しても、ウチは反対しないよ。二人のことだからね。よく考えて」
そこで結愛は頭を上げた。真剣な表情で俺と心春を交互に見た。
「あ、あの……改めて謝罪させて。祥真、本当にごめんなさい。心春も懸命に探してくれたって聞いた。心配かけてごめんなさい」
「まぁ、私はもういいよ」
心春は苦笑した後、俺の方をチラっと見た。
結愛とのこれからをどうするか。会っていなかった時間も、今朝からもずっと考えていた。なかなか結論が出なかった。どっちつかずで優柔不断な自分が嫌になるほどに。
兄にも相談した。俺が考え抜いて決めろと言われた。そりゃそうだよな。ただ、過去のことよりも、これからの俺と結愛の関係を想像してみたらどうかと指針をくれた。
結愛の告白を聞いて、始めから浮気する気は無かったと知り、安堵している自分がいた。男の力には敵わず、強引に連れていかれた結果なのだから、同情の余地はある。
もしも、連絡がついていたら、俺は結愛のために駆け付けた。それだけは自信をもって言える。
でもいつからか、俺の精神は疲弊していた。結愛が変わらないままなら、俺の手が及ばないところで悪い男に襲われる運命は変わらなかったのではないか。
俺は正面の結愛を見つめた。今日はほとんど化粧をしていない。目立たぬ程度の色付きリップクリームをしているくらいだろうか。それでも充分可愛い。隣の席になったその日に一目惚れした、自慢の彼女だった。
「結愛」
「はい」
「俺の率直な気持ちとして、今までのような関係は無理だ」
「え……」
結愛の目からぶわっと涙が溢れてくる。それを目にするのが辛い。だけど、ここははっきりと伝えなきゃいけない。
「俺はもう」
「いやぁっ!」
俺の言葉を遮って叫んだ結愛だが、咄嗟に隣の彩乃が抱きしめた。
「気持ちはわかるよ。でも、最後まで聞いてあげようね」
「うぅ……ごめん」
彩乃と心春も呼んでおいて良かったと心から思った。俺は一礼した後、頭の中で考えをまとめてから続けた。
「言葉が足りなかった。最初から俺の気持ちを言うね。二年になって最初の日、隣の席に結愛がいて、初めて俺に向かって微笑んでくれたのをよく憶えてる。正直、一目惚れだったよ。こんな可愛い子が隣だなんて、俺はなんて幸せなんだと思ったよ」
そこでいったん言葉を切ると、さっきまで泣いていた結愛が瞬きして顔を赤らめる。
「それまで女の子と付き合ったことなかったけどさ。当たって砕けるんじゃなくて、何とかして結愛と付き合いたいと思って。考えに考えて、努力して、友達や兄にも相談に乗ってもらって、結愛と仲良くなって……ついに告白に成功して、生きていて良かったと思えるくらい幸せの絶頂にあった」
「うん。あの頃のしょーまと結愛はアオハルしてるなって思ったよぉ」
彩乃がニコニコしながら言ってくれた。
「結愛と付き合えたのは、彩乃ちゃんと心春ちゃんが協力してくれたおかげでもあったね。俺は結愛のことが本気で好きで、これからも大事にする。ずっと離さない。そう思ってた」
一息入れて、少なくなったアイスコーヒーを飲む。氷が溶けて味が薄くなっていた。
「でも、今年に入ってからかな。少し、疲れるなって思うようになってたんだ」
「それって、私のせいだよね」
俺は否定も肯定もしなかった。
「結愛は可愛いし優しくて人当りがいいからモテる。それはわかっていた。男目線からすると、守ってあげたくなる雰囲気がある。言いかえれば押していけばなんとなりそう。実際に結愛は押しに弱くて断れない。だから、彼氏としては気が抜けない日々だったよ。結愛は俺のモノだ。近づくんじゃねぇって思ってた。あ、別に物扱いしていたわけじゃなくて」
「わかるー。ウチだって、カレピはウチのなのっ。軽々しく近づくなって思ったこと、何回もあるもん」
彩乃の言葉が場を和らげてくれているようで、ちょっと嬉しかった。
俺は改めて結愛を見つめた。少し心が凪いでいるような気がした。
「他の男に抱かれたと聞いても、結愛のことを好きだという気持ちは今も変わらない」
「だったら! 私、今回ばかりは心から反省したの。両親からも怒られて、自分がいかに馬鹿なことをしていたのかわかった。祥真に申し訳ないって気持ちでいっぱいになった。これからは心を入れ替えるから!」
結愛の懸命な顔を見てしまうと、この期に及んで迷う気持ちもある。だけど、決めたことだから。
「どんなに苦しかろうと、好きな子のために頑張りたいと思ったけど、限界だ。情けない男だと思ってくれてもかまわない。俺は物語のヒーローなんかじゃないから。必ず守れるとは限らない。また同じことを繰り返してしまうかもしれない。それが耐えられない。
だから……もう、付き合えないんだ」
俺は頭を下げた。
「う゛ぇ……やだよぅ……祥真ぁ……好きなの。大好きなの。別れたくないよぅ……うえええぇぇぇぇぇ」
まるで子供みたいに涙を流して泣き出した結愛を彩乃が抱きしめる。
俺も辛い気持ちでいっぱいだった。その時、テーブルの下、膝の上に置いた俺の拳に柔らかな感触があった。心春の手だった。
心春は俺の方を向いて、小さく頷いた。その表情は労わってくれているようで。手はすぐに離れた。
だいぶ長く店に居座っていたようだ。窓の外から夕陽が差し込んでいた。
なおもぐずったままの結愛は彩乃と心春が連れていってくれた。本当に感謝しかない。
俺は少し離れた距離を保って三人が南高坂駅に入っていくのを見送った後、電車には乗らずに歩くことにした。遠いけど、家まで歩けない距離じゃない。少し風に当たりたい気分だった。
地図アプリも使わず、北の方角だけ目指して適当に歩いたので、かなり遠回りしたようだ。
30分以上かけて、ようやく家の近くまで来た。だいぶ暗くなっていた。
最後の角を曲がった時、向こうから小走りでやってくる姿が見えた。最初は近所の人かなと思った。
「祥真君!」
「えっと、心春ちゃん?」
二人で結愛を送っていったはずじゃ? そうか、電車だから、とっくに着いていたのか。
でも、なんで俺の家まで?
「良かった。会えて。祥真君を一人にしちゃいけない気がして、急いできたの」
「心配してくれたのはありがたいけど、俺は大丈夫だって。ははは」
「だったら、なんで泣いているの?」
言われて気づいた。俺は涙を流していた。
心春は俺の手を握って家まで連れていく。平日で両親はまだ帰ってきていない。兄も今日は友達と約束があるって言っていたはずだ。
「ごめん。勝手にあがらせてもらうね。部屋は二階だったよね」
冬休みだったか。結愛に加えて彩乃と心春もうちに来たことがあった。あの時は両親と兄もいて、美少女三人にたいそう驚き、冷やかされたものだった。
出迎えたシマジローに挨拶した心春は俺の手を引いて二階に上がっていく。そのまま部屋まで入った。夜の帳の落ちた部屋は灯りをつけても寒々しかった。それにも関わらず、心春は着ていたジャケットを脱いだ。中は男物みたいなストライプシャツだった。
「ほら」
「え?」
ベッドに並んで腰かけると、俺の方を向いた心春は両手を広げた。
「私の胸で泣いていいよ。彩乃や結愛ほど大きくないけどね。傷心した友達のために貸してあげる」
「いや、そんな……」
「いいから!」
心春は戸惑っている俺の頭に手を回し、そのまま引き寄せた。俺は抵抗する気力もなくて、心春の胸に顔を埋める形になった。
確かに胸部の膨らみは慎ましい。だけど、顔を埋めると柔らかい感触があった。同時に優しい石鹸の香りがした。
心春は俺を抱いただけでなく、頭を撫でてくれた。それだけで胸の中にあった痛みが和らぐ気がして。俺は嗚咽を漏らしながら心春の胸で泣き続けた。




