06.どうして断れなくなったのか
座ったベンチはマンションの正面入り口に近くて、足音が聞こえる位置だ。暇つぶしに文庫本やネット小説を読んでいようかと思ったが、夢中になり過ぎて見逃したら意味がない。
片手にスマホを持ち、ニュースなどの画面を流し読みしながら待ち続ける。足音がしたら目をやる。人違いだったら、再び画面に目を落とす。その繰り返しで一時間過ぎた。
12時になったので、来る途中のコンビニで購入したおにぎりを食べる。買ったのは心春がバイトしている店だが、今日は姿が見えなかった。
さらに一時間経った。さすがに飽きてきて画面から目を離した。本当に結愛は帰ってくるのだろうか。今日もどこかに泊まってくるんじゃないか。
そんなことを考えながら、ぽーっとマンションを見上げていた時だ。小さくて、頼りなげな足音が聞こえてきた。
俺の目の前を俯いたまま横切ろうとする小柄な女の子は結愛で間違いなかった。どこか暗いオーラというか、陰を纏っているように見えた。
「結愛」
俺が立ち上がって声をかけると、びくっとして結愛はこっちを見た。口をぱくぱくさせて、一瞬逃げる素振りを見せた。だが、俺が近づいていくと断念したようにがっくりと顔を伏せた。
「ちょっといいか?」
一応聞きながらも有無を言わさず手を引いて元いたベンチに戻る。結愛は抵抗の素振りさえ見せず、引かれるがままだった。
隣に座らせた結愛は、昨日送ってきた写真で見たのと同じピンクのジャケットに中は白いトップスとベージュのフレアスカート。俺に目を合わせず俯いたままだが、化粧は落としてすっぴんだった。栗色の髪は乱れていた。さらに胸元のボタンが取れていることに気づいた。
「昨日は泊まりだったんだな?」
「う……うん」
「連絡無かったのは?」
「スマホが電池切れで……モバイルバッテリーも持ってなくて」
「やっぱりそうか」
しばし沈黙が続いた。そんな中、ぽたっ、ぽたっと何か落ちる音がした。結愛の涙だった。
何があったのかなんて聞きたくない。いつものように「心配させんなよ」って軽く言って頭を撫で、何事もなく終わらせたい。そんな思いも浮かんだ。だけど、今回ばかりは簡単に済ませるわけにはいかなかった。
「ずっと元カレといたのか?」
「っ! あの、その……わ、私」
「結愛が連れていかれた後、心春ちゃんたちが心配して探したみたいだ。知らせを聞いて、俺も遅くまで探したんだぜ。何度も連絡したし、家にも行った」
「うぅ……ごめんなさい……」
「正直に言って。元カレとどこにいたんだ?」
「…………ホテル」
予想はしていた。だが、結愛の口から聞かされた途端に心臓に杭を打ち込まれたかのような重い衝撃を受けた。目の前が真っ暗になった気がして頭を搔きむしった。同時に腹の底から煮えくり返るような怒りが湧き上ってきた。
ぎりっと歯を食いしばる。砂混じりの地面を見つめながら、絞り出すように言った。
「もう、帰れ」
「え?」
「今は……冷静に話せそうにない。お、親御さん、心配……してる……帰って、くれ」
「あの、祥真、私ね……」
「帰れっつってんだよっ!」
近くにいた鳩が飛び立った。
結愛を怒鳴ったのは初めてだった。今だけは自分の気持ちを抑えきれなかった。
「ごめん……ごめんなさい」
結愛はふらりと立ち上がったようだった。しばらくはその場に佇んでいたようだが、足音が遠ざかっていくのがわかった。俺は頭を抱えたままで、その後ろ姿を見送ることもできなかった。
結愛にようやく会えた翌日から二日間は会うことも連絡もしなかった。三日目の朝、結愛に連絡して、改めて話し合う約束をした。
一日や二日ではまだ冷静になれなかった。でも長くは放置しておけない。もう4月に入っている。学校が始まるまでにケリをつけたいと思った。
結愛と約束を交わした後、一時間ほど悩んだ俺はある人にも連絡を取った。
そして当日を迎えた。
高坂駅から電車に乗って一つ隣の南高坂駅で降りた先の徒歩10分。高校生にはちょっと敷居が高い価格帯のカフェ。その名を”99 Luftballons”。昼はカフェで夜はドイツ風パブになる。名前通り店内にはいっぱいのバルーンが浮いているらしい。
「うわぁ、大人っぽくてお洒落ぇ……」
木々に囲まれてダークな色合いの外壁。いい感じに古びて隠れ家っぽい雰囲気を漂わせる外観を目にした結愛がやや物怖じした様子で呟いた。
「バイト先の店長がここのオーナーと知り合いでね。頼み込んで席を取ってもらったんだ」
この間の件が尾を引いて、まだ俺たちはぎこちないままだ。待ち合わせて合流した後も手を繋ぐことなく、会話も少なめだった。
店に入る前にスマホに通知が来た。だから、すぐに入らずにその場で待つことにした。
「いやぁー今日は暑いね! 春っていうより初夏っぽい」
「店内は冷房効いていて涼しいわね」
今日は天気が良くて気温が上昇し、25度近くになると言っていたか。冬服じゃなくて春物の服装をしてきたけど、午後3時の今は上着が要らないくらいだ。
四人席の窓際で向かい合った俺と結愛。結愛の隣には彩乃、俺の隣には心春が座っている。席に着く前にジャケットを脱いでハンガーに掛けたところだ。
「ええっとぉ……どうして?」
「俺が呼ぶことにしたんだ。二人なら俺たちの付き合いをよく知っているし。いわば立ち合い人としてね」
最初は二人でじっくり話し合うつもりでいた。でも、結愛が涙を見せると俺は強く言えなくなる。いつものようになぁなぁで済ませてしまうかもしれない。そうならないためにも、二人に立ち合いというより協力を頼んだ。
取ってもらった席は奥まった位置にある半個室。扉は無いが、平日午後は空いている。それに、ここなら知っている人に聞かれる心配はない。
「でも、本当に良かったのかしら? ここって、高校生が気軽に入れる店じゃなさそうだから」
「いいよ。せっかく来てもらったんだから、飲食代は俺が出す」
「うひょっ! しょーま、ゴチになりま-す! なーに食べようかな~」
「まったく彩乃ったら……」
「ちょうどおやつ時だし、好きなの頼んで。結愛も」
「う、うん」
女の子たちはスイーツのメニューを見て目を輝かせる。いつもより声も高くてはしゃいでいる。
ちょっとしたスイーツ一品でも、いつも行くようなファミレスを確実に超える値段だが、ここは始めから出すつもりだった。大事な話し合いになるはずだから。
それぞれが頼んだパフェやらケーキ、セットで頼んだ飲み物が届いて、しばらくは堪能することにした。
せっかくなので俺もパンケーキを頼んだ。今まで食べたことのあるパンケーキと違って濃厚で、甘いのにしつこくなくて美味しかった。
女の子たちは最初に見た目に感嘆し写真を撮っていた。でも、本当に美味しい時は無言になるんだな。味わっている時の幸せそうな表情を見ただけでわかった。
お皿がきれいになったところで俺は居住まいを正して切り出すことにした。結愛も空気を感じ取ったようで、食べていた時とはうって変わって真面目な顔になった。
「この前の女子会の後、同じ中学の男たちが待ち伏せていて、結愛は元カレに連れて行かれたと聞いた」
「うん」
「元カレが手を掴んで引っ張ってったらしいけど、結愛はほとんど抵抗せず連れていかれたとも聞いた。だとすると、結愛が浮気するつもりだったんじゃないかって」
「違う! 私、浮気なんかするつもりなかった! ただ、怖くて、抵抗できなくて……お願い祥真、信じて」
「ごめん。意地悪なことを言った。男相手に力じゃ敵わないのはわかる。でもさ、駅前だから周りに人がいっぱいいただろ? ロータリーには交番もあった。ホテルに行くまでに逃げたり助けを呼ばなかったの? あえて時間稼ぎして小春ちゃんたちが追いつくのを待つ手だってあったはず」
「だって……」
事後に言ったってどうしようもないことくらいわかっていた。ただ、言わずにいられなかったのは、俺自身がイラついていたせいかもしれない。
結愛はすでに泣きそうな気配だ。だがそこで俺は表情を変えることなく、じっと見つめていた。
「地元を離れて会えなくなったけど、今でも好きだって。私のこと忘れられないって。どうしても会いたくてやってきた。一度きりでいいから思い出が欲しいって迫られて……」
俺は隠すことなく大きなため息をついた。今まででも似たようなことがよくあった。卒業前に「思い出が欲しいから、一度でいいからデートして」って結愛に縋っていた三年の男がいたことを思い出す。そういうのって、一度でも受け入れたらダメなんだよ。
今回は結愛が受け入れたばかりに最悪な結果になってしまったんじゃないか。早いうちに毅然と断っていればよかったのだ。おそらく、結愛が曖昧な態度で断りきれなかったから、相手も押し切れると調子に乗ったのだろう。
「結愛が優しい性格で強く言えないのは、付き合う前から知っていた。付き合ってからも、押しに弱くて断れなかったよね」
「ごめん……」
「俺はね、生まれつきの性格で、変えられないのかと思い込んでいたんだ。最近まではね。でもさ、中学、もしかしたら高一まではそうでもなかったんじゃないのか?」
俺が心春と彩乃を見ると、二人は無表情のまま頷いた。
「子供の頃はともかく、中学とか一年の時の話はしたがらないよね。その頃の結愛に何があったのか。どうして断れなくなったのか。この際聞いておきたいんだ」
俺だけでなく彩乃と心春も見つめる中、結愛は無言を続けていたが、やがて経って話し始めた。




