14.心春の作ったご飯食べたい
バイトが終わって帰宅する頃には21時を回っていた。大通りを曲がると、閑静な住宅街に入る。坂道を200mほど登ると、そろそろ2階建ての白いアパートが見えてくるはず。202号室が俺の部屋であり、少し離れた位置からでも灯りが点いているのがわかった。
十条駅から徒歩12分。築15年だがリフォーム済。外装はきれいだ。部屋は6.5畳1Kでロフト付き。その割に家賃は安かった。
近くに幼稚園と公園、小学校があって、平日の日中はなかなか賑やかだ。ファミリー層にはいい環境かもしれないが、一人暮らし、特に夜型の人には敬遠されているのだと思う。
アパートの各部屋は昔ながらの鍵ではなく電子錠となっていて、暗証番号もしくは登録したスマホで操作できる。開錠情報は通知されるので、今誰かが来ているのはわかっている。
階段を上がって部屋の近くまで来た時にスマホで開錠。ドアを開けて入った。
「おかえりー!」
「ただいま」
来るのがわかっていたとばかりに背の高い女の子が満面の笑みで出迎えてくれた。
ボーイッシュな黒髪ショートヘアも化粧っけの無さも高校時代と変わらない。ただ、ノースリープとショートパンツという組み合わせは肌の露出が多くて、目のやり場に困る。
「はい!」
「あ、うん」
心春は大きく両手を広げる。未だに慣れないけど、躊躇していたら上がれない。俺も同じように両手を上げて、抱きしめ合う。こっちが土間にいるから彼女の位置が高くて、しかも身長はあまり変わらないから、自然と胸のあたりに顔が行く。
本人曰く、あとちょっとでBカップという胸は大きな膨らみではないけれど、当たってみればわかる。女の子特有の柔らかさを感じる。俺の頭を引き寄せてそこに当てるのは、絶対わざとやってる。
「遅くまでお仕事お疲れ様……ふふっ。奥さんみたいだね」
「うん。確かにね。さっきから美味しそうな匂いがする」
「今日は炊き込みご飯と肉じゃがだよ。ご飯はいくつか、おにぎりにして冷凍しておくからね」
「ありがとう。心春のご飯は美味しいから、いつも楽しみだよ」
「じゃあ、もう一つ、お帰りの挨拶ね」
「あ、あぁ」
息がかかるほどの至近距離で目を閉じて待っている。彼女曰く、恋人のキスではない。あくまでも友達としての挨拶らしい。外国人なんかな。
俺は軽く触れる程度に口づける。
「ご飯にする? お風呂? それとも……」
「ご、ご飯にする。腹減った。心春の作ったご飯食べたい」
「うふふ。そう言ってくれるのも嬉しい」
嬉しそうに頬を染めた心春に手を取られたまま俺は部屋にあがるのであった。
高三の夏、志望大学は兄と同じにしようかと思ったけど、いろいろ検討した結果、新宿にある東雲大学を第一志望にした。
アルバイトは夏休み前に辞めて、予備校に通うようにした。それから受験勉強に精を出した結果、2月下旬の合格発表で無事合格を果たした。
心春は浦和にある彩珠学園大学、結愛は板橋区にある日本家政大学に無事合格したと聞いた。
心春とはずっと仲のいい友達の関係が続いていた。大学合格を果たしたのを機に結愛とも友達としての付き合いが始まり、専門学校に進路が決まった彩乃も加わり、春休みに何度か遊んだ。
そして大学が始まった。いくら高校時代に友達として仲良かった心春、彼女から友人としての付き合いに変わった結愛だとしても、みんな違う大学だ。環境が変われば新しい人間関係が始まる。タイプは違うけど、二人とも可愛いし、早々に彼氏ができるんじゃないか。寂しいけど仕方ない。徐々に遠のいていくだろうと思っていた。
しかし、4月以降も二人から連絡が来て、月に数回三人で会って遊ぶ程度の関係が続いていた。なぜか二人とも「男とは一切縁が無いから安心して」と言うのだった。
一方で大学に通うようになってから、俺は一人暮らしをしたいという思いが強くなっていた。
大学まで乗り換え二回で約一時間半。通えない距離ではない。親と暮らしている方が何かと助かるしありがたいのはわかっている。
それでも、一度は一人で暮らしてみたいと思うもの。受験が終わってからバイトを再開したので、ある程度の貯金はある。そこで兄と親に相談してみた。
その結果、初めの準備資金ならびに家賃と光熱費、生活費の一部は負担する。残りは自分でバイトして出すという約束で許しが出た。
物件探しは兄が協力してくれて、相場よりも安く良い条件のアパートを借りられた。兄は親への説得にも協力してくれた他、いろいろと譲ってくれた。本当に頭が上がらない。
兄は大学時代からの恋人である美咲さんと同棲生活を始めたから、家具や生活用品がいくつか余っていたというのもあるけどね。
心春と結愛にも9月から一人暮らしすることは伝えた。二人の大学からも近い。たまには遊びにおいでと言ったのは、これまでの付き合い上、ごく当然だと思っていた。本当に社交辞令のつもりだったんだ。
大学の後にバイトをして帰ってくると、自炊するのが億劫になる。幸いなことにバイト先は飲食店なので賄いがもらえるし、土日はご飯を炊く、あるいは麺類くらいできる。でもそれ以外の平日の食生活はレトルトやコンビニで買った物中心だった。
心春と結愛がやってきたのは、一人暮らしを始めて二週間後。さすがに部屋はきれいにしていた。でも、キッチンを見られて貧しい食生活がバレてしまった。その後、俺をよそに何やら話し合っていた。
それからというものの、心春と結愛が大学の帰りにご飯を作りに来るようになった。用意周到なことに、俺の親とそれぞれの親には根回し済だった。
年頃の女の子なのにいいの?と思ったけど、同じ高校出身で名の知れた大学に通っていて、実際に結愛の姉や心春の弟妹含めて家族に何度も会っている。
どこの馬の骨とも知れない男に入れ込むより、俺なら安心できるとのこと。「娘をよろしく」と直接電話で言われてしまった。信用されているのはいいのだけど、親公認はプレッシャーになりそうだった。
心春が来た次は結愛が来る日だ。バイトは無かったので、6時に駅前で待ち合わせて、買い物してから帰宅した。今日は俺が先に着いていたけど、春休みの待ち合わせで結愛が男に声をかけられているのを見たことがある。結愛は視界に入れないようにスマホから顔を上げず、耳もヘッドフォンで完全無視していた。
相手がいらついて体に触れてくるようなことがあれば、小学生が使うような警報ブザーや催涙スプレーで撃退するつもりだと言った。彼女も経験から学んだのだろう。なるべくそういう事態にならないよう、俺が先に着くようにしている。
「昨日は炊き込みご飯と肉じゃがだったんだね。今日は白身魚のムニエルにするね。肉じゃがはまだ残っているから、副菜はそれでいいか」
結愛と心春がご飯を作りに来るようになってからというものの、俺の食生活はアプリで共有されている。以前と比べたら栄養のバランスが良く食生活が豊かになったため、文句をつけようがない。
「心春は家事しているって前から知っていたけど、結愛も料理上手だったとは知らなかったよ」
「教わりながら練習したの! 祥真のために」
買い物袋を持ったままで肩をぶつけてくる。
「そ、そうか。ありがたい。本当に感謝してるよ、結愛」
「あぅ……」
俺が顔を覗き込んで目を合わせながら優しく言うと、結愛は顔を真っ赤にして照れた。そんな反応も久しぶりだ。
結愛と別れて距離を置いていた時期があったせいか、反応が新鮮でついからかいたくなる。でも、あくまでも友達だ。いくらご飯を作りに来てくれるといっても、線引きはしないと。
ドアを開けたら、玄関に荷物を置いて上がろうとする。
「待って。今日はお出迎えじゃなくて一緒だったけど、いつもの」
「え? するの?」
「もちろん!」
結愛から迫ることはしない。その場で待っているだけだ。しかし、彼女たちの挨拶ルーチンを済ませないと動いてくれない。
結愛は豊かな胸の前で両手を組み、キラキラした目で俺を見つめている。高校を卒業して大人っぽくなり、さらに美しくなった。
俺はあくまでも落ち着いた態度を保って結愛の小柄な体を抱きしめる。同時に結愛の両手も俺の背中に回される。俺の胸に柔らかい感触と吐息が伝わってくる。
「はぅん……祥真ぁ、おかえり」
「結愛、ただいま」
俺を見上げる結愛の目はすでに潤んでいるようだ。その唇を塞ぐ。恋人の時に交わしていた情熱的なキスじゃない。あくまでも挨拶程度だ。
すぐに体を離す。一瞬だけ名残惜しそうな表情をした結愛だが、すぐに切り替えると、手を洗って食事の支度を始めた。




