12.私と祥真はあくまでも友達
家から軽いジョギングで土手まで達すると、すでに彼女は到着していて、軽く準備体操をしていた。
「おはよう。心春。早いね」
「おはよう。祥真。なんか楽しみで早く起きちゃった」
俺とほとんど身長は変わらない。たぶん、5cm程度の差。男の子みたいなショートヘアはキャップで隠れている。白い長袖Tシャツに派手な赤いTシャツを重ね着し、下は黒いレギンス。引き締まった長い足が美しい。その代わりに胸のあたりはほとんど目立たない。
水上心春は三年になってからも同じクラスで、もっとも親しくしている女友達だ。一年以上の付き合いを経て、今では名前呼び捨てが定着している。
「柔軟、一緒にやろ」
「おう」
互いに手を組んで体を引っ張り合ったり、背中を押して体をほぐしていく。体に触れ合っても、変に意識することはない。俺たちはあくまでも友達だから。
俺が高二の時から朝の走り込みをしていることは前から伝えてあった。始めは超モテ美少女である結愛と付き合うため、少しでもふさわしい男になろうという目的だった。
それが今でも続いている。
一緒に走っていいかと心春が申し出てきたのが、4月になって学校が始まってからだ。本当は二年の時から言いたかったそうだが、結愛に遠慮していたらしい。
俺が快諾して以来、週に何度か、都合が合う日は一緒に走っている。
今は5月半ばの土曜日。見事な青空の五月晴れだ。日中は気温が上がるだろうが、朝7時台だと涼しい。
「じゃあ、行こうか?」
「うん! 行こっ!」
柔軟を終えた俺が呼びかけると、心春は元気よく返事した。
朝の土手は俺たちと同じようにジョギングしている人や、犬の散歩をしている人も目に付く。
その中に混じって、軽く走り始めた。遠くに見える橋までの往復だ。
「今日も練習するでしょ?」
「あぁ、頼んでいいかな」
「うん。私も練習になるし」
体が温まってきたところで、もう一つの練習を始めるため、土手を降りた。河川敷には野球場やサッカーグラウンドが整備されているが、俺たちは何の線引きもされていない平坦な地面に立った。
高坂高では5月末の梅雨に入る前に体育祭が行われる。
俺と心春はクラス対抗リレーの選手に選ばれている。お互い中学時代は短距離じゃなくて、長距離で1500mに出場していた。
それでも、体育の授業では早い方だったので花形競技であるリレー選手に選ばれた。第一走者とアンカーこそ現役の陸上部や野球・サッカー部の早いやつに任せられたが。
リレーではバトンの受け渡しが重要。体育祭一週間前から放課後練習を行うと決まっている。俺と心春はその前に二人で短距離の走り込みを含めた特訓をすることにしたのだ。
「はいっ」
「あっ、ごめん!」
去年もリレーに出たので一年ぶりになるのだが、やっぱり最初はうまくいかずに受け渡しにまごついたり、落としてしまった。本番でやったら顰蹙ものだ。
何回か繰り返しているうちにうまく受け渡しができるようになった。やはり、こういうのは反復練習するに限る。
「はぁ、はぁ、休もうか」
「うん……そう、だね……」
およそリレーで走る長さと同じくらいの距離を20本近く走りながらバトンの受け渡しをしていたら、へとへとになった。
足がふらついてしまったので、途中で肩を支え合いながらリュックを置いた土手まで戻った。
持参したスポーツドリンクをごくごく飲んだ後、その場で仰向けにひっくり返る。
「疲れたぁー。やっぱ部活やってた時より、体力落ちたわ」
「だねぇ。これを毎日やってる連中には敵わないよ」
真っ青な空を見上げる。汗だくだが、まだ川から吹き寄せる風があるだけ涼しい。
ふと隣を見た。もう少しで手が届きそうな位置で心春が俺と同じように大の字になっている。
その手がキャップを外した。前髪が額に貼りついている。
「ははっ。前髪が面白いことになってる」
「やだもー、祥真ったらぁ! 恥ずいよぉ」
「大丈夫。そのままでも心春は充分可愛いから」
「か、揶揄わないでってばぁ」
「あははは」
顔を赤くした心春はぷいっと向こうを向いて、前髪を直しているようだ。
俺はその背中に向けて言った。
「心春、ありがとうな」
「え、なにいきなり?」
「いや、一人より、心春と走っているのが楽しくて」
「そ、そう……なら、良かった。私も……楽しいから」
心春は俺の方を振り向くことなく、小さな声で呟いた。なぜか、耳まで赤くなっていた。
私立文系クラスは女子が多い。1組と2組は2/3くらいが女子だ。三年になってから初めて同じクラスになった女子が半数いるが、あまり話したりしない。二年から同じクラスで、結愛と付き合っている頃にそこそこ親しかった数人とは軽く話せる程度だ。
そんな俺にとって、一番距離感が近い友達が心春だった。同じ女友達でも、付き合う前の結愛とは、始めから好意が勝っていた。恋人になりたい一心で距離を詰めていった。
その点、今の心春は絶妙な距離感で寄り添ってくれる。一緒にいて、あまり気を使い過ぎることなく楽しいと思える存在だった。
心春からはなんとなく好意のようなものを感じる。ひょっとしたら、何かきっかけがあれば、友達から一歩踏み込んだ関係になれるのかもしれない。
しかし、高三はこれから大学受験を意識するし、今の俺の心境的にも、恋人を作る気になれないでいた。
体育祭が終わった。俺が出場したリレーは2位だったが、女子は1位を取れた。学年順位では2位だった。少ない男子よりも割合の多い女子の頑張りが目立った。
順位に関係なく打ち上げに行った。イベントならではの盛り上がりで気分が上がっていたせいか、今までほとんど会話が無かった女子とも楽しく喋ることができた。
「中沢君があんなに早いなんて、知らなかった!」
「走ってる姿、すごい恰好良かったよ!」
「「「ねー!」」」
「あはは。ありがとう」
店で俺は何人もの女の子たちに囲まれた。小学生だけじゃなくて、高校でも足が早いのはポイントになるのか。女の子に口々に褒められるのは嬉しい。
「中沢君のことをもっと知りたいな」とか「これからも教室で話をしたいな」とか笑顔で言われて気分良かった。ちょっとしたハーレム気分というか、男として悪い気はしない。
ただ、遠くから心春が冷たい視線を送っている気が……。
「今日はモテモテだったねー。祥真の株がだいぶ上がったんじゃない?」
「今日は特別だって。明日から元通りだよ」
打ち上げが終わった後、数人の男女が二次会カラオケに行くと聞いた。俺も女子に誘われたが歌うのはあまり得意じゃない。俺は丁重に断った。
打ち上げの間、俺が女子に囲まれて持て囃されていたせいか、心春の機嫌がすこぶる悪かった。途中でそれに気づいて、帰りを送っていくと申し出たのだ。
「別にいーけどさぁ。祥真が早いの、私はもっと前から知っていたんだから……」
「え?」
声が尻すぼみになったこともあって、途中から聞き取れなかった。
心春の足がぴたっと止まった。いつしか、結愛を探し回った時に座ったバス停の古びたベンチが目の前にあった。
心春はまっすぐベンチに向かっていって座る。その隣を手でぽんぽんと叩いた。
これは話に付き合えというやつだ。俺は指示に従って隣に腰かけた。
「中三の春の大会で、同中の男子を応援するつもりで見に行ったんだ。そしたら、南中の中沢っていう選手に目が奪われちゃった。すごいいい走りをしているなって思ってたんだ」
「え? 見てたの? マジ?」
「マジだよ。ふふっ」
二年の途中までは部内で平凡だった俺だけど、二学期にいきなり顧問が変わって指導方法が合ったのか。冬頃からぐんぐんと記録が伸びて手ごたえを感じていた。春の大会で自己ベストを一気に更新したんだ。
「その後の市の大会も、夏の大会も見てたよ。後半失速しちゃって、入賞逃して残念だったね。最後の大会だから、終わったら話しかけようと思ってたんだ。そしたら……」
「うん。膝をやっちゃって入院してた。それもあって、高校では陸上をやらなかった。心春は……やっぱり家の事情?」
「まあね。中学の時から下の子もいて大変だったのは確か。祥真と同じ高校だと知って嬉しかったけど、祥真の走りを見られないのなら、わざわざ陸上部に入らなくてもいいかなって」
「そっか……。心春と話せるようになったのは、二年で同じクラスになってからだったね」
あくまでも、結愛の友人という関係だった。男女構わずフレンドリーな結愛や彩乃と違い、心春は男子とはちょっと距離を置いている感じだった。
その割には俺に対して始めから親しみやすい態度で接してくれていた気がする。それは同じ陸上部だったという共通点だからと思っていたが、実は中学時代の俺を知っていたからなのか。初めて知った。
すっと心春が距離を縮めてきて二の腕が触れた。清潔感のある心春の香りが鼻腔をくすぐる。
「中三の私にとって、君は憧れでした」
「え?」
心春が俺の腕を取り、肩に頭を預けてきた。
「今の祥真は誰かを好きになる気なんてないよね。わかってるよ。私と祥真はあくまでも友達。でも、今だけはお願い」
「あ、あぁ、うん」
心春は俺の腕をぎゅっと抱きしめ、肩にもたれかかってきたのであった。




