11. たぶん大丈夫だと思う
高校三年が始まった。
私大文系コースを選択していた俺は1組で心春が同じクラス。彩乃と結愛は隣の2組。国立大志望の岸本は4組と離れてしまった。
「なぁなぁ、徳山さんと別れたんだって!?」
「うん。まぁね」
「いや意外! あんなに仲良さそうだったのになぁ」
結愛と俺が別れたことはすぐに広まっていった。俺というより、結愛が注目を浴びる存在だからな。いろいろ聞かれたが、別れた彼女のことをあまり喋りたくはない。俺は別れた事実を肯定しただけで、詳細はノーコメントを貫いた。男の友達で詳しい事情を知っているのは岸本だけだった。
フリーになった結愛に早速アタックかけた男は結構いたみたいだ。
だが、1か月経っても、結愛は誰かと付き合うどころか、男と話す様子すら見ることは無かった。
時々、結愛を見かけた。しばらくは沈んだ様子だったが、彩乃を始めとする友人が支えたのだろう。俺とも挨拶くらいは交わせる程度に落ち着いてきたように見えた。
ゴールデンウイークは一日だけ岸本たち男の友達と遊ぶ約束をしたが、他に用事はなくて、昼はバイト、朝晩は中間試験に向けて勉強する予定だった。
俺が結愛と別れる直前、兄に新たな彼女ができた。友人の紹介で、違う大学の一つ下らしい。写真を見せてもらったら、明るめの茶髪のボブで笑顔が素敵な女性だった。名前を美咲というらしい。確かに美しい花が咲いたような美女だった。
美咲さんの方から兄に惚れて積極的にぐいぐい来るそうで、すぐに付き合いが始まって、今も順調らしい。
俺が結愛と別れたことを告げると兄は非常に気まずそうだったけど、逆に「兄さんこそ今度こそは幸せになってくれよ」と激励した。
4月最後の日、兄の幸汰から「話があるんだが」と呼びかけられた。
「実は祥真に会いたいって女性がいるんだ」
「美咲さん? 別にいいけど。もう家に呼べるくらいの仲なんだ」
「あー、いや違うんだ。美咲を通じて頼まれているのは確かなんだが」
兄はちょっと困ったように頭をかいた。
付き合っている彼女の友達と会って欲しいとのこと。
「え? 女子大生を紹介してくれるってこと?」
「いやいや、そこまでのつもりはないというか……」
なんだか歯切れが悪い。美咲さんに年下趣味の友達がいるんかな?
「歳はこだわらないけど、今はそういう気になれないかな」
「すまん! 会って話をするだけでいいんだ。この通りだ!」
普段からいろいろと世話になっている兄の頼みを聞くのはやぶさかでない。俺は慌てて頭を上げてもらった。
会って話をすればいいだけなら別にいいか。バイト先でも年上の女性ともよく話すし。
結局、午前が空いている5月5日に会うことに決まった。
「こんにちは。会うのは初めてね」
10時ちょうど。車で来たようで、うちの空いていたスペースに駐車した後、出迎えた兄に付き添われて大学生っぽい女性がやってきた。俺は玄関で相手と対面した。
栗色の長い髪をハーフアップにしている。身長は150cmを少し超えるくらい。小柄だが、芯の強さを伺わせる、きりっとした目をしていた。
服装は白いブラウスに紺色の長いスカート。色白で細身。見惚れるほどの清楚美人だった。
ただ、どこか見覚えがある気がした。
「幸汰さんと付き合っている美咲の友人で、徳山由香里です」
「初めまして。弟の祥真で……え、徳山って?」
「うん、実はね、会って欲しいのは……」
由香里さんが背後を振り向く。がちゃりとドアが開いて、女の子が入ってきた。先に入った由香里さんと合わせたような白いブラウス。色違いのような臙脂色のロングスカート。以前は脚線美が映える短いスカートを好んでいて、長いスカートはあまり見なかった。
初めて会った時は肩にかかる程度のボブだった。秋頃から伸ばすようになり、年が明けた頃には肩甲骨に届くくらいのセミロングになっていた。
三年になっても髪の長さは変わらなかったはず。それが今では耳にかかる程度のショートボブになっていて驚いた。改めて見ると、少し痩せた気がする。
俺の目の前に立つのは、緊張した顔の結愛だった。
両親は隣市のホームセンターの開店に合わせて出かけている。昼過ぎまで帰ってこない予定だ。
俺たち兄弟と徳山姉妹はリビングで対面していた。兄と美咲さん、由香里さんは何度か会っている間柄だと聞いた。
「まずは始めに謝罪させて。妹の行いで祥真君に心労をかけたと聞いているわ。本当にごめんなさい」
「ごめんなさい」
由香里さんと結愛が深く頭を下げる。俺は正直戸惑っていた。
「そんな、お姉さんに謝ってもらうほどでは……それに結愛からは一度話し合って、ちゃんと謝罪を受けたから」
「ううん。結愛から全部聞いた以上、どうしても祥真君に謝りたかっただけ。私の自己満足なのよ」
「そうですか。だったら、謝罪を受け入れます」
「ありがとう」
由香里さんが微笑んだ。春の陽だまりを思わせるその笑顔は、確かに姉妹だなって思わせた。
俺は結愛を見てから口を開いた。
「髪、切ったんだね」
「うん。昨日思い切って」
「短いのも、よく似合ってるよ。とても可愛らしいね」
「あ、ありがとう。嬉しい」
結愛は耳にかかる毛先を弄りながら頬を赤く染めた。そんな仕草をする結愛は可愛い。
俺の中で結愛を愛しく思う気持ちはまだある。しかし、何度も悩まされた時の苦々しい思い、疲れ切って逃げ出したくなった気持ちも消えてはいない。
別れてからの一か月というのは、微妙な期間だ。いざ顔を見ると、心の中でせめぎ合うものがあった。
「それで、話というのは?」
少し沈黙が続いた後、俺から結愛に向けて切り出した。兄はほとんど口を挟むことなく見守っている。由香里さんは心配そうに結愛をちらちらと見ていた。
おそらく、本当に俺に会いたかったのは結愛で、由香里さんは兄を通じて付き添っただけなのだろう。
少し俯いていた結愛は迷いを断ち切るように顔を上げた。
「学校じゃ人目もあって、できなかったけど……お願いがあるの」
「何? 今の俺にできることは……」
「手を出してもらって、握ってもいい?」
「ん……手くらいなら」
俺は少し姿勢を前にして、右手を差し出した。挟んだテーブルの結愛側に届くくらいだ。
結愛はおずおずと右手を伸ばし、俺の手に指先でちょこんと触れた。付き合っていた頃とは考えられないくらい、慎重な動きだった。
「あぁ……」
指先だけではなく、すっと手のひらが重なり、握手した。小さな結愛の手のひらから暖かさが伝わる。これに何の意味があるのかわからないが、結愛の表情を見ると、感動的なドラマのワンシーンを見た後のように頬が紅潮し、目が潤んでいる。
片手のみならず、結愛は左手も出してきて、俺の手を大事なもののように包み込む。その目に光るものがあった。
「良かったぁ……祥真の手なら、大丈夫だよ、お姉ちゃん」
「良かったわね」
「どういうこと?」
喜ぶ姉妹を前に俺はわけわからないままだったが、兄がぽつりと呟いた。
「結愛ちゃんが、今でも心を許すことができる男は祥真だけってことなんだろう」
兄の推測は当たっていた。
三年が始まって以来、結愛には大勢の男が話しかけてきた。始めは同じクラスになった挨拶程度だったのが、俺と別れたことが知れた途端、あからさまな誘いが増えた。話があるから二人きりで会いたいという、告白を予想させる呼び出しもあったし、いきなりデートの誘いもあった。
その頃に現れた結愛の変化。それは男性不信だった。一年時のストーカー事件直後の一時期を除き、基本的に結愛は誰に対しても、男女問わず優しく愛想がいい。それが人気者たる由縁でもあった。
俺と付き合っている頃も変わらなくて、校内で結愛が男子と楽しそうに喋っているのを見るともやもやしたものだ。でも、他の男と喋るなと言うのは器が小さすぎる。そういう性格なのだから仕方ないと諦めていた部分だった。
しかし、三年が始まってから結愛は男子に話しかけられても、ろくに返せなくなった。ましてや、少しでも男に触れられると悲鳴をあげてしまうほどになった。
俺と別れた後、立ち直ったかに見えた結愛だが、心の中に男性恐怖症が根付いてしまったようだ。
そういうわけで、結愛は基本的に彩乃たちの女子グループに囲まれて過ごすようになった。事情を知らない他クラスの男子に話しかけられても逃げるだけだという。
「どうりで、たまに見かけても、いつも女子といると思った」
「たぶんね、結愛がこれまでしてきたことの罪悪感とか、祥真君を裏切ってしまった後悔とか、いろいろ重なったのだと思うわ」
真っ先に相談を受けたらしい由香里さんが答えた。
「心理的な原因が考えられるなら、精神科に罹ったりは?」
結愛は頭を振った。
「祥真にも拒否反応が出たら考えたけど、そうじゃなかった。
あのね、祥真と会っても平気だった。話しかけられても全然嫌じゃなかった。むしろ、髪を褒められて、胸がじーんってするほど嬉しかった。手に触れた時は……祥真から告白を受けた時みたいに心がときめいたの。私にとって、祥真だけ大丈夫なら、他の男なんて、もういいの」
「だけど……」
「また付き合って、なんて私が言えるわけない。でも……」
結愛は一度姉の方を見た。由香里さんは小さく頷いた。
そして、俺の方を向き、しっかりと目を合わせながら言った。
「この先いつか……そうね。高校を卒業する頃かな。祥真さえ良かったら、お友達になってください」
結愛が頭を下げる。
するりと垂れ下がった栗色の髪を見つめた俺はすぐに答えを出せずに考え込んでいた。
肩を軽く叩かれた。兄だ。
「結愛ちゃんの手を握って、祥真は嫌な気分になったかい?」
「そんなことはないかな」
俺は即答した。きっと、それが答えなのかもしれない。今すぐは無理だと思う。距離を置いたままでいたい。
だけど、何か月か経てば、胸の奥にある痛みも薄まっていくんじゃないか。高校生活が終わる頃なら、周りを気にする必要もないし、ただの友達だった頃みたいに話せるようになるかもしれない。
「わかったよ。結愛、頭を上げて」
「し、祥真?」
「その時にまた考えるけど、たぶん大丈夫だと思う。友達からなら」
「あぁ……ありがとう」
結愛は泣き笑いの顔を浮かべた。その笑顔を見て抱いたのは、結愛に一目惚れした時とは少し違って、心が温まるような気分だった。




