97 士官学校攻防戦
どずん、という重たい音の直後、校舎の廊下が揺れたように感じられた者は多かった。
直後、3年生の男爵家嫡男の巨体はほぼ水平に飛んでいき、硬い壁にぶち当たってそのまま気を失った。
「な、何だ今のは! おいリュッケン!?」
「シーナパイセン、それ今どーでも良いですから、後ろお願いしますよ!」
戦闘をリカルドとリュッケンが突き進み、ロレンツォが剣を、ミナが鉄杖を持って側面からの攻撃を防ぎながら校舎を突き進む。殿はミスリル製の盾を腕に備えたシーナが守っている。
たった今リュッケンが放ったのは、武之内流宗家のリュウ直伝の秘技『通し』である。
中国拳法では『発剄』『寸勁』と呼ばれる技と酷似したもので、力強い踏み込み『震脚』のパワーを下半身から上半身へ、そして掌底へと伝え相手に叩き込む絶技だ。
脚力に優れる獣人族のリュッケンが放つ『通し』は、精度はともかく、威力に関しては本家本元であるリュウのそれを遥かに凌駕している。
リュッケンは渾身の『通し』を巨体の男に放ったことで、男の身体を砲弾のように外側から閉鎖されたドアへとぶつける事に成功した。
「姉上! 職員室のドアが破れました! 先に突入します!」
「よし行け! 教師陣を解放しろ! リカルド、ロレンツォ、リュッケン! 行け! ミナは私とドア付近を守るぞ!」
「えっ、えええぇ! 怖い、怖いよぉ!」
「今このときだけだ! 教師陣を解放すればお前は引っ込んでて良い!」
「ほ、ホントですよね!? 口約束じゃないですよね!?」
「あぁ! 今だけ頑張れ!」
半ば泣きべそをかきながら、ミナは鉄杖をまるで風車のように凄まじい速度で振り回し、短弓から放たれる矢や魔法の火球を叩き落としていく。
守りにおいて、盾を掲げるシーナと杖術で中伝までを修めているミナのノーム女のコンビは、まさしく鉄壁であった。
日頃鍛錬の場で、リュウの情け容赦のない攻撃だのアルムの不意打ちだのにさらされ続けたミナの防御の技は、今の時点ですでに神業と言って差し支えないレベルに達している。
加えてシーナは盾術のハイマスター級を修めた猛者だ。男子陣が突入した職員室の、たった一つ開かれた入口に、周囲のプロの軍人や士官学校の学生達は近寄ることすら出来ないでいる。
「リュッケン!? 貴様何をしとるかァ!」
「あ、ハゲ先生、ちーっす」
「誰がハゲかぁ! この頭は剃っておるだけだァ!」
「え、マジか、ハゲじゃなかったんだ……」
「ま、マーゲン先生! 槍を! それにシーネ先生も、魔法陣の護符です!」
ロレンツォが手際よく職員室にいた教師達に武器となる獲物を配る。
キルルージャ家の家宝のひとつである、大容量のマジックバッグいっぱいに武器を詰めてきたおかげで、教職員のほぼ全員に武器が行き渡る。
「聞いて下さい先生方! アルトリリア殿下がもうすぐお戻りになります! シュターガー校長先生もご無事でおられます! セシリア・カンフル先輩が校長室でお守りしています!」
「え、あのエロい先輩も来てんのかよ」
「リュッケンだったな、ちょっと黙ってろ! 先生方の中には、レオポルト殿下から爵位の昇格を打診された方もおられるかもしれません! ですが、レオポルト殿下は全員に同じことを話しています! 騙されないで下さい、これはクーデターでも何でもありません、ただの反乱、国家に対する反逆です! 逆賊にならないでください!」
演説慣れした公爵家令息、ロレンツォの声はよく通った。
職員室の外側にいて、勢いに乗じて蜂起しただけの下っ端軍人達も、ロレンツォの声に耳を傾け始めていた。
「ロレンツォ・ド・キルルージャ君、確認するぞ? レオポルト殿下は、国内のすべての辺境伯家を支配下においたと仰っていたが——」
政治学の教諭である中央貴族の伯爵は、落ち着きのない様子で声を上げた。
答えたのは職員室に突入し、槍を持ったリカルドである。
「デタラメです! 我々ステルベン家と、セシリア先輩のカンフル家はアルトリリア様についています! 西のロガン辺境伯、南のヴィンガーダルム辺境伯はシュターガー総司令官についています! 国内の四辺境伯家でレオポルト殿下についている家はひとつもありません! 騙されないで下さい!」
ステルベン辺境伯家嫡子のリカルドの言葉には、圧倒的な説得力がある。
この時点で、『ひょっとして、この政変に乗ずれば』と考えていた教職員達はほぼ戦意をごっそり失っている。
「リカルド・ステルベン! ロレンツォ・ド・キルルージャ! リュッケン・クロア!」
唐突に、窓枠がビリビリと揺れるほどの大音声。
外側から厳重に封印された職員室の外まで余裕で聞こえるほどの圧倒的な質量を持った声の主、グレゴリオ・マーゲンはロレンツォから受け取った槍で『だん』と床板を激しく叩いた。
「吾輩は貴様らに賭けるぞ! 教師諸君! このようなふざけた挙兵があってなるものかァ! 吾輩は軍人として、このような勝機のない無謀な戦いに兵を投ずる愚を! 断じて許さァん!」
戦場を知る男、元大佐であるマーゲンの言葉に、教職員達は口々に『それもそうだ』『そもそもエントラッセンに攻め込むなんて』『サミッツ皇国に宣戦布告したというのも、あれも正気の沙汰じゃない』と小声でささやきあう。
すっと音もなく立ち上がったのは、Gクラスの担任であるマルコ・シーネであった。
「この職員室は守るには不向きです。先ほどまでのように、容易に外から閉じ込められる。Sクラス専用のカフェテリアを目指しましょう。途中でシュターガー校長先生と合流、カフェテリアに結界の魔法陣で護りを固めます。その状態で、アルトリリア殿下の帰還まで応戦しましょうか」
「ふむ、確かに。この職員室は狭い上に身動きが取りづらい。カフェテリアなら水も食料もある程度確保出来るな。諸君ン! 動くぞ! 総員突撃準備ィ!」
教室の入口を守っていたミナとシーナにも、マーゲンの声は届いていた。
どどどど、と突進してくる足音に合わせて二人は両脇に飛び退き、槍を持った猛牛のような豪将を避ける。
だん、と槍の石突で廊下の床板を叩いたマーゲンは、胸をそらし周囲に集まった士官候補生や軍人たちを睨みつけた。
「気をォ付けぃ!! 総員ン傾聴ォ!!」
もはや士官候補生達や、士官学校の卒業生である軍人たちにとっては条件反射である。
その場にいた全員が、反射的に気を付けの姿勢を取る。
「吾輩はグレゴリオ・マーゲン伯爵であァる! 王太子——いや、逆賊レオポルトの愚かな挙兵に対しィ! 断固として反抗するものであァる!」
この時点で、士官学校の学生たちの5割程度は戦意をほぼ失ってしまった。
王太子レオポルトのことを、『逆賊』と断言したマーゲンの言葉に、未熟な軍人や初めての実戦となる士官候補生達は大いに動揺した。
自分たちが与する勢力が、もしも本当に正統な理由のある挙兵ではなく逆賊であるとしたら。
官軍のつもりであったものが、実は自分たちが賊軍であったとしたら。
「逆賊レオポルトに応じて挙兵した諸君ン! 断言する! 諸君は賊軍であァる! 正義も! 大義も無いただの暴虐の賊であァる!」
ざわめきが大きくなる。
中には剣を落とす者も出始め、遠くの方では悲鳴を上げて逃げ出す者たちの声と足音が聞こえ始めた。
「道を開けェい! たとえ教え子といえど逆賊に与する賊軍ならば! このマーゲンの槍のサビにしてくれる!」
ざっ、とまるで古代聖典の伝説にある『海割りの奇跡』のように、立ちはだかっていた者たちが廊下の両脇に避ける。
「吾輩が先頭、リュッケン、リカルド、貴様らは吾輩の左右に続け。教師陣はその後に、ミナ、ロレンツォは教師陣とともに続いて来い。シーナ・ステルベン、貴様は殿だ」
先頭を歩くマーゲンに、奇声をあげて殴りかかる軍人もいたが、ハイマスター級の槍にあっさりと返り討ちにあってしまう。
他にも襲いかかる者たちが数名いたものの、リュッケンやリカルドによりあっけなく迎撃されてしまった。
職員室の包囲を突破した一行は、途中で立ちはだかる軍人達を蹴散らしながらカフェテリアを目指す。
向かう途中の校長室では、シュターガーがまるで日常業務をこなすかのような平然とした姿勢で、コーヒーを飲みながら朝の新聞に目を通していた。
腰に炎と氷の双剣を帯びた剣聖セシリア・カンフルも優雅にコーヒーを飲んでおり、この光景だけを見たら今まさにこの士官学校が、蜂起した青年将校や士官候補生によって制圧されかかっていたとは思えなかった。
「ようやく来たか。だが思ったより早かったな」
「はっ! グレゴリオ・マーゲン、ただいまより軍務に復帰! シュターガー・ランドルト総司令官閣下の指揮下に入ります!」
「うむ、ご苦労」
シュターガーは悠然と立ち上がり、ドアの外へと歩み出る。
レオポルト側についた者にとって、シュターガーは反乱の首謀者の一人である。ここでシュターガーの首級でも挙げれば大手柄である。
中には実際に剣を握りしめる者もいたが、シュターガーのすぐ側には豪将マーゲンが、そして武之内流中伝の猛者リュッケンに加え、リカルドも、シーナも、そして帝国軍のプロの軍人の攻撃を一歩も動かずに防ぎ切る護りのスペシャリスト、ミナがいる。
「どうやら勘違いしている者がいるようだな」
「はっ」
落ち着いた低い声に続いて、シュターガーは正面に立ちはだかる騎士爵の男の正面に悠然と歩み出る。
「どけ小僧。誰の道を塞いでいる」
「あ、あっ……こ、あの……」
陸軍において伍長を務めるノーム族の男は、総司令官のひと睨みで完全に萎縮してしまった。
「同じ命令を繰り返させる気か。貴様の所属と階級、氏名を名乗れ」
「……ら、ランドルト王国陸軍、王都中央警備隊、下級軍曹……カイル・ファーマシーであります……」
「ファーマシー……あ、お前アレか! 去年教室に殴り込んできて、リュウにボコボコにされた3年生の! アルムの親戚ってやつ!?」
「何だリュッケン・クロア、知り合いか?」
「や、全然っす。何ならボコりたいくらいっすけど」
「やめておけ。このような腰抜け、殴る価値もない。カイル・ファーマシー下級軍曹、貴様はクビだ。軍人の使命も理解できんような能無しに、王国軍人の資格はない。階級章を置いてさっさと出ていくがいい」
「…………し、司令官閣下……」
レッドエルフの軍曹、カイルは褐色の肌が青ざめているのがはたから見てもよく分かるほどに血の気が引き、ガクガクと脚が震えていた。
「これが最後だ。さっさと道を開けろ小僧。国民のための盾となる覚悟も持てん腰抜けめ」
シュターガーは静かだった。
声を荒げることもなく、どちらかというと低く落ち着いた声で、穏やかな口調である。
「貴様は軍人の恥さらしだ。とっとと失せろ」
「ひ……ひぃ……」
若き軍曹は、腰を抜かしたかのようにその場にへたり込み、気を失ってしまった。
「さぁ賊軍ども、武器を捨て投降しろ。軍人としての誇りがほんの少しでも残っているならな」
総司令官シュターガーの穏やかな言葉に答えるように、学校内のあちこちから武器を捨てる音が響き渡った。




