96 政変
「何だアレ、なんか校門閉まってね?」
「ホントだ……ねぇリュッケン、なんだか怖いよぅ……」
ぎゅ、とミナがリュッケンの腕に抱きつくと、かなりのサイズの胸がリュッケンの肘や身体に押し付けられる。
ミナ自身にはまったく自覚は無いものの、リュッケンは『ダメだ、落ち着け、素数だ素数、素数数えろ』と頭の中で必死に数を羅列しつつ、全神経はミナの柔らかく温かい胸が触れている肘に集中している有様だ。
朝からそんな初々しいラブコメを演じている二人に近づいてきた大柄な姉弟は、ステルベン辺境伯家のシーナとリカルドである。
「リュッケン、ミナ、ちょっと良いか。こっちに来てくれ」
「シーナ先輩。どうしたんですかアレ。何か軍っていうか、どっかの家の騎士っすよね?」
「とりあえず人目を避けるぞ。どこか、誰も来ないような場所を知らないか」
「あっ、そしたら確か、旧校舎の2階の西側——」
シーナの問いかけに応えたミナが、なぜか顔を耳まで赤くして突然黙り込む。
ベルナデッタ直伝の『校内で授業をサボってイチャイチャするならここがベスト』と教えられた教室で、つい先日ミナは、堂々と抱き合ってディープキスをしているリュウとアルムの姿を目撃している。
なぜそこにミナが足を運んだのか、という点については敢えて誰も聞かなかったが、リュウが引き締まったアルムの尻を撫で回し、アルムの口からは女子寮の同じ部屋で暮らして長いミナですら聞いたことがないほど、色っぽい吐息が漏れていた。
その光景をありありと思い出してしまったのか、ミナは両手で顔を覆ってうつむいてしまった。
「そうか、旧校舎の2階だな。であればGクラスの寮の入り口から入れるな。二人とも来てくれ。リカルド、オマエも付いてこい」
「えっ? えっ、あの、シ、シーナ先輩っ? まさかその、姉弟でそんな——き、禁断のその、あの、そういうの、ですか?」
「さっきから何を言ってるんだミナ、大事な話がある。急ぐぞ。これはお前らの安全にも関わる話だ」
すっかり何かを勘違いしたミナは、リュッケンから離れないように足早に寮へと戻り、改めて無人の旧校舎へと脚を踏み入れた。
2階の西側は、すでに使われなくなった教室があり、身体鍛錬の授業で使われていたマットなどが置いてある。ベルナデッタが『あそこなら、ちょっと硬いがベッド代わりになるものもある』と語っていた、倉庫のように使われている部屋だ。
リカルドとシーナ、そしてリュッケンとミナが入ったのを確認すると、リカルドは周囲を警戒しながら鍵を内側から閉め、防音の魔道具を起動した。
「姉上、大丈夫です」
「よし。これでこの場で話す内容は外には聞こえない」
「え、えっと、あの、シーナ先輩? さすがにその、博愛的なノーム族でも、実の姉弟でっていうのはその——」
「ミナ、とりあえず黙って話を聞け。お前達二人をステルベン家で保護する。厳密に言えば、アルトリリア様の陣営が、という表現が正しいな」
「あ、あの、すんませんちょっと、俺もミナも寮出たばっかで何があったか全然わかんないんすけど?」
「二人とも、よく聞いてくれ。アルトリリア様が今エントラッセン帝国に行っておられるのは知ってるだろう。リュウとアルムがお供について行っている。それに筆頭軍師のヘルセネン卿は南のヴィンガーダルム辺境伯領へ行っておいでだ。この留守の隙に……王太子レオポルト殿下が挙兵された」
「は? 王太子って……え? 王太子が挙兵!? 何でそんなコトすんだよ!?」
「まぁ話せば長くなるんだが……」
リカルドの説明に続いて、座学が苦手な二人にシーナがかいつまんで、できるだけ言葉を選びつつ状況解説を始める。
レオポルトは、本気で国を憂えていた。
といっても、民衆の苦しみや国内に蔓延る身分差別に、国際的な孤立に心を痛めていたわけではない。
何もかもが自分の思い通りに進まず、かつての教皇アンナマリアへの対帝国の共闘打診はガン無視され、女帝アンからはエントラッセン帝国への非難声明も『小僧のたわごと』扱いされ、カホウ連合王国への資金援助要請についても『お話になりまへんなぁ』と一蹴されている。
挙句、アンナマリアの無視に業を煮やした果ての宣戦布告にしても、まるで『なかった事になっている』とでも言わんばかりに、ランドルト国内はおろか、宣戦布告したはずの神聖サミッツ皇国からも完全に無視されてしまっていた。
レオポルトが嘆いたのは、『自分の崇高な考えを理解しない愚か者ばかり』に成り果てた国の姿と、『強く、賢く、そして美しい王太子になびかない教皇アンナマリアの見る目のなさ』、さらに『レオポルトの意気軒昂な檄文に恐れをなしたであろう、沈黙を貫いているエントラッセン帝国の弱腰』に、である。
叔父である総司令官シュターガーだけでなく、階級も血筋での序列も自分より下であるはずのアルトリリアにやり込められてばかりだったレオポルトは、アルトリリアの留守を突いて大公シュターガーに対して『王家への反乱を企てている合理的な疑いがある』という理由で、青年将校を率いて王都内で兵を挙げた。
騒動が起きたのがこの日の朝早くであり、近い将来青年将校となるであろう人材が多く在籍し、かつ朝はシュターガーが校長として執務する士官学校を包囲したのがつい先程、という状況であった。
「あのさシーナ先輩」
「何だ」
「前々から思ってたんだけど、レオポルト王子って……どんだけ馬鹿なんだよ」
「おい、さすがに口が過ぎるぞリュッケン」
「そ、そうだよぉリュッケン、そんなコト言ったら馬鹿の人たちに失礼だと思う」
「ミナ? オマエもだ。まったく、これだからお前たちは……おいリカルド、笑うな。これは国家の一大事だぞ」
「す、すみません姉上」
必死で笑いを噛み殺していた士官学校2年Sクラス筆頭、リカルド・ステルベンは姉の睨みつける視線に気付いて慌てて表情を引き締める。
「端的に伝えておこう。状況はかなり複雑だ。国内の四方にある辺境伯家は、それぞれ北と東がアルトリリア殿下に、南と西がシュターガー総司令官につく。問題は中央貴族だ。四公爵家の内3つの家はレオポルト殿下を支持しているらしい。南のロウケミ公爵家、西のフェルンバンド公爵家、そして北のセーレ公爵家だ。東のキルルージャ公爵家だけは、シュターガー総司令官につくことになった」
「へぇ、公爵家って確か……エラい家なんだっけ?」
「……リュッケン、お前は本当に座学の授業をもっと真面目に受けろ。公爵家は、事実上貴族のトップだ。シュターガー総司令官は王族の中でも嫡流にある『王弟』という立場であられるからな。それで大公爵、大公の地位におられる。大公になれるのは事実上『前王と王太后の間に生まれた男子』だけだ。それ以外の貴族は上から順に公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、準子爵、男爵、準男爵、騎士爵と続く。ミナの実家サージェリー家が下から2番目の準男爵、リュッケンの実家のクロア家は騎士爵家だ」
「なんだ、俺んち下っ端だったんだな……」
「下っ端とか言うな。騎士爵は実力がなければ叙爵されない、下位貴族とはいえある意味特別な家柄だ。誇れ。それで——そうだ、四公爵家が割れた話だったな。最初はキルルージャ家もレオポルト殿下を支持する予定だったそうだが、急遽宗旨変えしたらしい。詳しい事情は知らん」
ロレンツォの実家、キルルージャ公爵家が他の公爵家と袂を分かつ事になった理由は、ロレンツォの『校長室盗聴未遂事件』である。
危うく国家反逆罪に問われるところであったロレンツォと、現宰相のジョルジオ・ド・キルルージャは決定的な弱みをシュターガーとアルトリリアに握られることになってしまった。
辞表をシュターガーの預かりとされてしまったことで、現在のジョルジオは事実上シュターガーの操り人形である。
「一応、公爵家と辺境伯家は東西南北でそれぞれ派閥を同じくする立場だが、すでにそれぞれの家は連絡を絶ってしまっている。事実上、派閥は崩壊状態だな。それだけに中央貴族はレオポルト殿下に取り入って少しでも立場を良くしようと必死らしい」
「ンだよ、やっぱ損得勘定じゃねぇか。どうせアレだろ、あの、ほらえーっと……誰だっけ? レポート?」
「レオポルト殿下だ、いい加減人の名前を覚えろリュッケン」
「そうそう、そのナントカ殿下がさ? 『俺様に味方して功績があるやつは上の爵位に上げてやるぜ』みたいなこと言ってんだろ? そんなエラい奴らの口約束なんて当てになるかよってんだ。なぁミナ?」
「う、うん……あ、あの、私バカだからよくわかんないけど、そういうときの口約束って、だいたい守られない気がするなぁ……」
リカルドとシーナは思わず顔を見合わせる。
1年生の頃はGクラスと侮っていた5人の内、おそらくは『パッとしない』部類に入るリュッケンとミナの2人が、実に鋭いところを突いてきたせいだ。
実際のところ、レオポルトが中央貴族の大半の勢力をその指揮下におさめつつあるが、どの貴族の者にも『この戦いで功績を上げろ、これはまたとない昇格のチャンスだ。この機を逃したら、次の百年はもう機会すら無いかも知れない。私についてきた者のうち、実績を上げた家は陞爵、役立たずは降格だ』と煽りまくっている。
国内の貴族の爵位は、ベネディクト4世がエントラッセン帝国からの『独立戦争』を起こした直後からほぼ動いていない。安定しているといえば聞こえは良いが、事実上下位貴族は上位にのし上がる機会すらなく、上位貴族は何もしなくても贅沢な暮らしを満喫し続けることが出来る、という構造だ。
そのためか、上位貴族はより裕福に、より強い権力を持つようになり、下位貴族は民衆と変わらぬ生活水準にまで落ちることになる。
この状況が100年続いたところに、突然降って湧いた陞爵のチャンスである。野心ある貴族たちは、我先にレオポルトの下に馳せ参じている。
「……とまぁ、今こういう状況だな。主な中央政庁はレオポルト殿下の手に落ちつつある」
「え、ヤバくないすかそれ。士官学校はどうなるんです?」
「いい質問だリュッケン。何のために私とリカルドがここに、士官学校内に潜り込んだか、言いたいことはわかるな?」
「あああぁ、どうしようリュッケン……私、すっごくヤな予感がするよぅ……」
「だよな、俺も……あの、まさかとは思うんすけど……」
にやり、とシーナが不敵な笑みを浮かべたところで、ガラガラと教室の古い引き戸が音を立てて開く。
「シーナ先輩! 持ってきました!」
「ご苦労。貴様の働きはアルトリリア様に報告するとしよう」
「え、お前…………悪ぃ、誰?」
「ロ、ロレンツォだ! ロレンツォ・ド・キルルージャ! Gクラスの寮監にも話してお前らの武器も持ってきた。何なんだこの重たい杖は!」
「あ、それ私の……え? え、なんで?」
「なんでも何もあるか! 我々で、この士官学校を制圧するんだ!」
驚愕の表情を浮かべたリュッケンとミナに、シーナは獰猛なネコ科の肉食獣のような笑みを見せながら、両手の骨をボキボキと鳴らす。
「さぁ、暴れるぞオマエら。アルトリリア様は、エントラッセン帝都からすでにステルベン辺境伯領を通り過ぎて、今日の昼頃にはこの王都に戻られる。南のヴィンガーダルム辺境伯領に行っていたベルナデッタとベインもだ。これから我々は、職員室と校長室、それに講堂とカフェテリアにいる中央貴族を制圧、校長室のシュターガー総司令官と合流し、この士官学校を王都における拠点とする」
泣きそうな表情のミナは、長さ2メートル、重さ20キロの必殺の鉄杖をぎゅっと強く握りしめた。




