95 梟
南の辺境伯、ヨシュア・ヴィンガーダルムは不機嫌そうに眉間にシワを寄せて、いつも通り無言で腰掛けていた。
「いやぁ何度もご足労頂いて申し訳ありません、ウォン会長」
「いやいや、今回はあの、アレでっしゃろ。貴国の王太子殿下の」
「そのとおりなんです。いやはや、バカとハサミは使いようとは言いますが、バカもあそこまで突き抜けると使いようがありませんなぁ」
あっはっはっは、と高らかに笑い声をあげているのは、ランドルト王国軍参謀本部、筆頭軍師のアーノルド・ヘルセネン。
そのすぐとなりには副官アンナ・オスペダーレと、さらに今回は二人の伴を連れていた。
「そうそう、ご紹介しましょうウォン会長、この若い二人は我が娘ベルナデッタと、娘婿となりますベイン・ジーケンハウス君。二人とも、これから先の未来を担う有望な人材です! きっと貴国との関係を新たに築くにあたって、大いに力を発揮することと思います」
「ほほう、ヘルセネン卿がそこまで絶賛する言うんは、よほどの実力をお持ち、言うことですわな? これはこれは、どうぞお見知りおきを。カホウ連合王国のジョウザン国で、ウォン商会を営んでおります会長のウォン・コウボクと申します」
「よろしくお願いします、ベイン・ジーケンハウスです。まだ士官学校の学生で若輩者ですが」
「ボクはベルナデッタ・ヘルセネンです。士官学校で軍学の講師をしています」
いつになくおしとやかなベルナデッタの様子は、完璧に『よそ行き』用である。
ある程度猫を被るくらいのことは、ベルナデッタにとっては朝飯前のことだ。
「これはこれは、若いのに活躍してはりますなぁ。いやぁ、これは——新しい国にとっても喜ばしいこととちゃいますの?」
ウォンが視線を向けたさきのヨシュアは、少しばかり複雑な、喜ばしいと思っているのか『困った奴らだ』と思っているのか微妙な表情のまま、腕を組んで頷いた。
「いやぁ、実のところウチの盟主、ショウ・カンロン王もどないしたもんやて悩んでおったんですわ。ランドルトとサミッツの戦争やとなると、こらぁ世界を巻き込んだ大戦争になりかねん。商業国としてはビジネスチャンスではありますけどな、せや言うてドンパチで、人様の生き死にで大儲けするんも商人の仁義にもとるっちゅうところもありますモンでなぁ。まぁまぁ、ヘルセネン閣下がそない『介入無用』て言わはるんやったら、そらもうカホウ連合にとっては渡に船っちゅうやつですわ」
戦争ビジネスは、商人にとって旨味が大きいビジネスチャンスではあるが、同時に非常に大きなリスクでもある。
酒保商人として軍の現場に出入りすることで大きな利益を上げる者もいれば、関わった軍の敗走に巻き込まれ命まで失う者すら珍しくない。
堅実な商売をするものなら、自国が戦争に巻き込まれた場合は政府相手の商売に徹するものだが、中には一攫千金を夢見て踏み込みすぎるものもいる。
ウォンは、これまでそんな人生逆転を狙って踏み込みすぎた若い商人たちを大勢見てきた。
「戦争なんちゅうモンは、商人にとっても恐ろしいもんですわ。自分の才覚と関係あれへんところで勝敗が決まるし、勝てばえぇものの負ければ文無し。ケツの毛ェまでむしられますねん。——っと、こらぁすんまへん、レディの前で下品な言葉使うてしもた」
「いやいや、どうぞお気遣いなく。娘はその手の話も——まあそうですな、多少控えていただければ助かります。まぁそんなワケで、できればカホウ連合王国の皆さんにも、今回の事態は是非『静観』を決め込んでいただければと。まぁその御礼といってはなんですが、ちょっと良いハナシを今日お持ちしましたので、是非ショウ・カンロン陛下のお耳にも入れて頂きたいんですがね?」
梟のような猛禽の目で、アーノルドは器用に愛想笑いを作って身を乗り出した。
メディコ大陸最高の軍略家の一人として名高いアーノルドが網のように伸ばした策は、すでに大陸の主要国にまで張り巡らされている。
レオポルトの宣戦布告も、エントラッセン帝国への野望も、何なら数々のやらかしもアーノルドとベルナデッタにとってはすべてが手のひらの上の出来事である。
「ほうほう、そらぁ楽しみな話ィ、聞かせて貰えそうですな?」
「もちろん。実は我々は国を2つに割ってしまおうというだいそれた野望を持っていましてね?」
「国を——2つに?」
ぴくり、ウォンの眉が跳ね上がる。
彼は剣も槍も魔法も使うことが出来ない、ただのノーム族の男だ。が、これまで商業国家カホウ連合においても大規模な部類に入るウォン商会を築き上げた、商才の男である。血の匂いには鈍感でも、金の匂いには極めて敏感だ。
「ランドルト王国を、現王弟シュターガー大公閣下が率いる『新生ランドルト王国』と、かつて存在した正しき者の国、デアハルス王国を復興させようという野望を抱いているのです」
「デアハルス……あの、山々に囲まれた、穏やかで平和な『羊の民の国』と呼ばれた、あのデアハルス王国を?」
「その通り! 何を隠そう、今回国を最も憂えておられるのが第13王女のアルトリリア・ランドルト殿下ですが、殿下の御母君はデアハルス最後の女王ハイデマリー陛下の一人娘、ディートリッヒ王女殿下。つまりアルトリリア殿下がデアハルスを復興するのは至極当然なワケです。そうだね、ベル?」
「もちろんです父上」
梟の娘ベルナデッタはメガネをかけ直し、古い地図をテーブル上に広げた。
「かつてデアハルス王国があったのは、現カンフル辺境伯領とステルベン辺境伯領の境。北西に火山を望む雄大な山に囲まれた盆地で、ここ100年は誰も住むものもおらず、建物もインフラも崩壊状態です。我らがアルトリリア殿下は、この旧王都を足がかりに新たな故国を打ち立てるべく、カンフル辺境伯領とステルベン辺境伯領を併呑し、新たに新生デアハルス王国を建国しようと考えておいでです」
「その点について、僕からも補足を。この内容については、アニエス・カンフル辺境伯に、アルフォンス・ステルベン辺境伯とも話が付いています。お二人は現在もランドルト王国の攻守の要。同じく攻守の要である西のロガン辺境伯と、こちらにおられます南のヴィンガーダルム辺境伯閣下は、シュターガー大公閣下につかれる事になっています。つまり、ランドルト王国は北東と南西で二分されることになるんです」
ベインは立ち上がり、地図上のランドルト王国の国土を斜めに突っ切る線を指で描く。
「ほうほう……いやぁ、アルトリリア殿下もシュターガー閣下も、えらい若い才を買ってはりますなぁ……こない言うたら失礼になるかもしれへんけども、士官学校のコドモに大戦略を打ち明けてはるなんて」
「まったくです。僕には荷が勝ちすぎているように思えるんですが」
苦笑を浮かべるベインの肩を豪快にバンバンと叩くアーノルドは、わざとらしく感じられるほど大きな笑い声を上げる。
「どうです、彼が我が娘婿、私の跡継ぎです! ヘルセネン家の未来は明るいでしょう! ちなみに、我々ヘルセネン家はアルトリリア殿下がお作りになる新生デアハルス王国において、宰相兼統合参謀長の役割を約束されていましてな? まぁエントラッセン帝国とも神聖サミッツ皇国とも密約を交わしている状況なんですが、いかんせん荒廃した旧王都を復興させるための資金と資材をどう調達したものか、という点で困り果てておりましてな?」
実際のところ、資金的な援助や資材の面では、すでにエントラッセンの女帝アンから『いくらでももっていけ』と言わんばかりの資金に資材を押し付けられている。コトが成った暁には、帝国から大規模な支援が入る予定だ。
だが、帝国だけの援助を受けてしまうと、それはやがて帝国への依存へと繋がってしまう。
「なるほど、それで——政治的宗教的なしがらみを伴わない、カホウ連合の支援も、っちゅう話ですわな?」
「さすがウォン会長、話が早い」
この時点で、ウォンにはアーノルドの提案に乗らない手はない。
老獪な商人であるウォンにとって、若造のようにも見えてしまうアーノルドの口車に良いように乗せられるのは業腹ではあったものの、建国バブルというとんでもないビッグウェーブがやってきているなら、商人としてその波に乗らない手はない。
「もちろんのことですが、シュターガー大公閣下の新生ランドルト側でも、大幅な国政の改革が入ります。新生ランドルトと新生デアハルスは、それぞれエントラッセン帝国の最新技術も取り込みつつ、平和で安定した社会を築く腹づもりでいます。そのためにどうしても必要で、かつ僕達が持っていないものがあります」
ベインの言葉は静かで落ち着いており、士官学校の学生で未成年であることを考えると、たいそう大人びている。
が、その言葉には、自身も金銭的に困窮した経験を持つ者独特の、悲壮な決意が滲んでいた。
「アルトリリア殿下も、シュターガー大公閣下も、国を分けても志は同じです。民衆が、街や村で暮らす市民が、明日のパンの心配をしないで暮らせる国です。貴族たちが、理不尽なワガママで民衆が作り上げた富や財を搾取しない、そして——爵位なんていうものを理由に、幼い子供が屈辱の涙を無理やり抑え込まなくても済む国です。そのためには安定した政治と経済が、その根本をなす成熟した金融システムというものがどうしたって必要になります」
「婿殿の言う通りですな。我がランドルト王国における銀行業はあまりにも脆弱。とはいえ、金融のノウハウというものは我が国には率直に申し上げてありません。悠長に育てている時間もない。そこで、貴国にご協力をお願いしたいのです」
「協力、でっか」
アーノルドは、敢えて『ご協力』という言葉を強調した。
援助でもなく、指導でもなく、協力である。
つまり、新たな国の国営銀行と、中央銀行を中心とした金融システムの構築のため、商業国カホウ連合王国のノウハウを取り入れたい、という申し出である。
「もちろん、見返りは用意していますとも! アルトリリア殿下は連合王国が主体となって運営している商業ギルドに金融ギルドの支部を、新生デアハルスの首都に置かれる予定です。もちろん、シュターガー大公閣下も同じご意見です」
「なるほど」
商業ギルドに金融ギルドは、事実上カホウ連合王国が管轄する国際機関である。
冒険者ギルドに鉱山ギルド、魔道士ギルドなども含めた『国際ギルド機構』との協力なくして、新興国家の運営は難しい。
王都にギルド支部を設けるということは、国際機関の基準に従って国家運営を行うという意思表示とも取れるもの。さらに、ギルド加盟国はギルド本部に対して運営費を納入する義務を負う。
アーノルドの言葉は、『2つの新興国家は、カホウ連合王国が管轄するギルドに利益をもたらす存在になる』という宣言にほかならなかった。
そのことを読めないほど、ウォン・コウボクは未熟な商人ではない。
「えぇでっしゃろ。ジョウザン国はもちろん、カホウ連合王国は、アルトリリア殿下とシュターガー閣下が国を興した暁には、全力で支援しますよって、どうぞよろしゅうに」
南との密談が無事にまとまり、ささやかな晩餐の席が設けられたが、その席にあっても『沈黙の剣聖』と名高いヴィンガーダルム辺境伯は、一言も言葉を発することが無かったという。




