94 余波
世俗派の枢機卿、シルルジアは頭を抱えていた。
隣国、ランドルト王国の王太子、レオポルトの身の程を全くわきまえない書簡は、これまで全て教皇アンナマリアの目に届く前に握りつぶされている。
最初に送り込まれた、エントラッセンへの戦争に騎士団を出せ、金も出せなどという世間知らずにもほどがある書簡はシルルジアが。
次の、よりによって生涯独身、純潔を守らねばならない教皇に対して『次代のランドルト王妃にしてやる』という、きわめて不敬、恐ろしく不遜、そして信仰に長いエルフの生涯全てを注ぎ込んだ教皇の人生を丸ごと否定するような書簡はロガン辺境伯が。
3つ目となる『戦争への誘いの返事はまだか』などという、外交の機微も空気もまるで読まない独善的な書簡はランドルトの参謀本部が抑えこみ、そして握りつぶしていた。
「まさか、これほどとは思いもよりませんでした」
「は……このシルルジアも、かの人物を見誤っておりました。よもやこれほどとは」
教皇アンナマリアの手にあったのは、エントラッセン帝国の女帝アン、カホウ連合王国の盟主ショウ・カンロン、そしてアンナマリアに向けて放たれた文書であり、非常に目立つ赤字でこう大書されていた。
——ランドルト王国は、神聖サミッツ皇国の無礼と不遜に対し公式に抗議するものとし、ここに宣戦を布告する——。
「おそらくはベネディクト4世陛下もご存じないことかと」
「そうでしょうね。おそらくこれは、レオポルト王太子の独断と暴走によるもの。そしてこちらの書簡は——」
はら、アンナマリアがレオポルトからの書簡を床に放り投げ、机の上に丁寧に置いてあった美しい筆致の文書に目を留める。
ランドルト王国軍総司令官、シュターガー・ランドルト大公と、同陸軍准将アルトリリア・ランドルトが連名でアンナマリアに送ってきたものだ。
『我々は、国家の至宝たる民衆を徒に苦しめ、邪智暴虐の限りを尽くさんとする現王ベネディクト4世と王太子レオポルトを廃し、国状を一新すべく麗しき国土を二分せんとするものである。この戦いはランドルトの民を困窮と圧政から救うための戦い。教皇聖下におかれては、レオポルトの戯言を、身の程を知らぬ愚か者の妄言とお笑い頂き、どうかお聞き捨て下さりますよう。ついては、不信心者同士のつまらぬ争いに徒に手をお出しになり、御身を穢すことの無きよう静観を希うものである』
流麗で美しい文字は、アルトリリアの手によるもの。
そして豪快にして質実剛健を表したような字は、豪胆で聡明であると評判の王弟シュターガーのサインであった。
「教皇聖下、いかがなさいますか」
聖堂の最奥で繰り広げられる、最高位の枢機卿と教皇の会話は、有り体に言えば茶番である。
もはや結論などわかりきっているし、話さなくとも両者ともに認識は同じだ。
だが、居並ぶたの聖職者や従者たちの目の前で、あえて教皇が自分の言葉を、自分の口で話す必要があった。
「実にくだらない——取るに足らぬ話です。捨て置きなさい」
「御意に」
ただでさえ教皇アンナマリアは、旧デアハルス王家の直系であるアルトリリアに『祝福』を与えたばかり。
そのアルトリリアが『内輪の揉め事に手を出してくれるな。関われば火傷程度では済まないかも知れない』と言ってきているのだ。
「レオポルト王太子殿下の書簡は、どのように?」
「見るのも穢らわしい。暖炉の火にでも焚べてしまいなさい」
教皇の答えは短く、そして有無を言わさぬものだった。
「私の手元に届いたのは、アルトリリア・デアハルスとシュターガー・ランドルトからの書簡のみ。他の書簡など、この場には届かなかった。そうですね?」
居並ぶ聖職者達は一斉に首を縦に振った。
今も教皇の足元に虚しく捨て置かれているレオポルトからの宣戦布告文書は、わざとらしくシルルジアが革靴の踵で踏みつけている。
「シルルジア」
「はっ、何でございましょう」
「エントラッセンの魔女と、カホウ連合の商人頭への文を用意なさい。我が神聖サミッツ皇国は、ただただ民の平穏と世の安寧を祈るのみ。『簒奪者』の国の太陽を沈ませ、『正しき者の国』を照らす美しき月に大精霊の祝福あれ、と」
「御意。すぐに用意いたします」
シルルジアは手早く靴の下に敷いた紙を丸めて懐に入れると、教皇の前から足早に下がっていく。
「皆、聞きなさい」
教皇アンナマリアの声に、聖堂に居並ぶ者は一斉に跪く。
「大精霊の使徒たる私達が、この程度のことで動じてはなりません。よろしいですね。各騎士団の長も、動くことは許しません。鉄十字騎士団、薔薇従事騎士団、精霊の剣騎士団、聖地の盾騎士団はいずれも別に命令あるまで待機なさい。法術師団はシュターガー・ランドルトからの応援要請があった場合にのみ動けるよう、備えておきなさい」
騎士たちの甲冑が、鋭い金属音を立てる。一斉に敬礼した騎士たちは、教皇に深々と礼をすると一斉に聖堂を後にする。
聖職者達もぞろぞろと広い聖堂から出て行き、あとに残されたのは教皇アンナマリアと年老いたドワーフの男が一人。
「教皇聖下のご英断に心からの敬意と感謝を」
「良いのです。私は大精霊のしもべとして、当然の決断を下したまで。苦労が耐えませんね、ロガン辺境伯」
「いやはや、若者の尻拭いが年寄りの役目とはいえ……このところいささかおイタが過ぎましてな。キツくお灸を据えてやらねばと思うておったところですわい」
ランドルト王国内でも、虔敬な大聖霊教会の信徒として知られるロガンは、ランドルト側の軍人として数少ない、サミッツ皇国への入国が認められている者の一人だ。
「いざとなれば、この老いぼれの枯れ果てた首を差し出して、とも思うておったのですがな」
「あのような愚かな身の程知らず、ロガン卿の首ではもったいない限りです。どうかシュターガー大公にお伝えを。お申し出の旨、委細承知と」
「ありがとうございます教皇聖下。御慈悲に感謝致しますぞ」
「とんでもない。私達としても、正しき者の国デアハルスの復興はぜひとも後押ししたいところです。それに、噂ですけれどランドルト王都には大神官と聖女が潜んでいるとか」
「これはこれは、教皇聖下は何事もお見通しでいらっしゃいますなぁ。いかにも、王都のスラムにて孤児院をひっそりと営んでおります」
「そうですか……大神官デアムントと聖女バウフナーベル、あの二人がいれば、デアハルス復興の大いなる助けとなることでしょう。かの二人、そして彼らに育てられたみなし子達に、大精霊の加護と恩寵がありますよう、祈っております」
「重ね重ね、御礼を申し上げまする。では、ついでというワケではありませんが、ワシもここしばらく祈りから離れておりましたでな。せっかくこの聖地を訪れる機会を得たのです。しばらくここで祈ってもよろしいですかな?」
「えぇ、もちろんです。その信仰心に、大精霊サジタリウス様はきっと応えてくださいます」
教皇は優しげな微笑みをロガンに向けて、悠然と聖堂を後にした。
入れ替わりで戻ってきたシルルジアは、大聖堂の片隅に腰掛けるロガンの隣にどすんと音を立てて腰を下ろした。
「我が国の王太子がとんだご迷惑を」
「いやはや、今回ばかりは肝を冷やしましたな。若者が血気盛んなのは今に始まったことでは無いにせよ、程度問題というものがございますからな」
「まったくです。シルルジア枢機卿猊下の手腕があればこそ、今回『西側』もなんとかおさまりましたな」
「ほう? ということは、南と東の方も?」
「幸いにも、我が国にもそれぞれ、誼を持つ者がおりましてな」
「それはそれは、さすがですな。しかしそれでは、ランドルトの暁の星——を名乗る貴国の王太子殿下は、さぞ憤慨なさることでしょうなぁ」
「いやはや、老いさらばえてからも、気苦労が絶えませぬわい。そろそろ儂も隠居して、聖地巡礼の旅にでも出たいものですがな」
「ほう、それは是非。その折は是非わが故郷をお訪ねくだされ。良い温泉もございますのでな」
「それは素晴らしい、では、コトが落ち着きましたら是非に」
海千山千の老人二人が、静謐な大聖堂で世間話を繰り広げているまさにその時、東の超大国エントラッセンの帝都では、豪奢な迎賓館の一室でごく小規模な晩餐会が開かれていた。
上座に座るのは女帝アン・エントラッセン。その向かいには、美しいシャンパンゴールドの髪を細かく編み込んだ美しい若い女が腰掛けていた。
両脇には黒髪の小柄な青年と、赤毛に浅黒い肌のエルフ族の少女。そしてランドルト王国最年少の剣聖、セシリア・カンフルが並んでいる。
「ご理解を賜り重畳ですわ、陛下」
「お主も気苦労が絶えぬな。兄とはいえコレほどのバカが身内におっては、夜もおちおち眠っておられぬであろう」
「まったく、そのとおりですわ。今回ばかりは私も叔父様も、呆れてしまいましたの」
「しかし……余も甘く見られたものであるな。レオポルトごときの世間知らずの小僧が、サミッツ皇国のみならずこの鋼鉄のエントラッセンに攻め込もうとしておったとは。その身の程をわきまえぬクソ度胸だけは褒めて遣わそうではないか。なぁヴィルヘルム?」
「笑えませんな……しかし、陛下が笑い話になさればこそ、此度は血を見ずに済むというもの。アルトリリア殿下の心中もお察ししますが、一歩間違えば両国の民の血が流れておりましたな」
ヴィルヘルムの言葉どおり、レオポルトが今回起こした騒動は、ヘタをすれば大陸全土を巻き込んだ世界大戦になりかねない。
エントラッセン帝国では国教を定めてはいないものの、大精霊教会の信徒は少なからず存在する。
もしもランドルトと神聖サミッツ皇国が戦争となれば、エントラッセン帝国内でも参戦の気運が高まることは間違いない。
仮にそうなれば、ランドルトは30万を超えるサミッツ皇国の騎士団と、100万近い帝国軍を同時に相手にすることになる。とても戦える相手ではない。持ちこたえたとしても、国内でも信徒の蜂起、いわゆる『一揆』や反乱が国中で起こり、ランドルト王国はもはや国家として維持できない状況に維持できていたことだろう。
「まったく、将軍の仰る通りです。まさしく、無辜の民が危機にさらされる事態となっては、王族として私も黙ってはいられませんわ」
「ついに動く——というよりは、ようやく大義名分が揃うた、というところであろう? どうだ、余の手助けは必要ないか?」
「ありがたいお申し出ですけれど、今回ばかりはご遠慮申し上げますわ、陛下。今回はあくまで、ランドルトの民を救うための、ランドルトのための戦い。どうか陛下はご静観を」
「であるか。つまらぬ。少しばかり暴れてやっても良かったのだがな? こう、アレだ。血が沸き立ってかなわぬ。そこでだ小僧」
「え、俺っすか」
相変わらず、誰に対しても平然と受け答えするリュウを指さした女帝アンは、心底嬉しそうにニコニコと満面の笑みを浮かべている。
「実はな? 前回お主ら二人にボコボコにされた我が軍のエスメラルダ軍曹とヤン軍曹が、アレ以来激しい鍛錬を続けておってな? どうであるか、一つ余の前で立ち合うてみぬか? それぐらい良いであろうアルトリリア。余の退屈しのぎと、お互いの軍の技術交流を兼ねての交流試合であるぞ。ん?」
アルトリリアは苦笑を浮かべ、すぐ隣のリュウとアルムに視線を向ける。
リュウは『いっすよ』と軽く応えてうなずき、アルムは無言のまま、無表情なドヤ顔のまま顔の横でダブルピースをして見せていた。




