93 太陽にかかる暗雲
ベインはGクラスの教室で、じっと黒板に見入っていた。
教壇の前で、踏み台まで使って黒板いっぱいに忙しくチョークを走らせるのは、軍学講師であり、同時にベインの婚約者であるベルナデッタだ。
かかかか、という小気味よい音を立てて白いチョークは、かなり大きな地図の上に凄まじい量の情報を書き入れてきた。
軍学講義の時間、冒頭の二十分程を贅沢に使って書き込まれた情報は、授業の始めにベルナデッタから『今から話すことはメモ禁止だ。記憶したまえよ? こういうことは軍に入るとしょっちゅうある。特にミナ、リュッケン、君たちは暗記が苦手だろうけど、頑張って覚えるんだ』と厳命されていた。
かん、とひときわ大きなチョークの音の直後、ぽい、とすっかり短くなったチョークを放り投げて、ベルナデッタはお行儀悪く教壇に腰掛けた。
ちょうどスカートの裾の高さとベインの視線の高さが同じくらいになるため、真ん前に座るベインはほんの少し油断すると、ベルナデッタのスカートの奥が丸見えになってしまう。
「さぁて、今日ボクの旦那様を除くド底辺諸君に説明するのは、作戦名『落日』の概略だ」
「あ、あの、ベル先輩……それって私たち、本当は聞いちゃダメなアレなんじゃないですか?」
「うむ、相変わらずミナ君は真面目だな? ほら、こうして真面目に聞いてるフリをしながらボクのスカートの中をガン見している旦那様を見習いたまえ」
「見てません」
「安心したまえ旦那様、ボクのサービスタイムは旦那様限定。ちなみに今日は可愛らしい清純な白のレースだ。旦那様が赤と黒と白どれが好きか、まだ統計を取っている最中だ。楽しみにしていてくれよ? 夜の夫婦生活に存分に活かすからね」
「活かさないで下さいそんなもの……で、その、作戦『落日』って、本当にもう国家機密なんじゃないですか?」
「当然、最高軍事機密だとも」
控えめなサイズの胸をこれみよがしにそらし、この上ないドヤ顔でGクラスの面々を傲然と見下ろすさまは、もはやベルナデッタの通常運転である。
「あのーベル先輩? 最高軍事機密ってことは……もしかしてっていうか、もしかしなくても俺達、ガッツリ巻き込まれる感じ?」
「はいリュッケン、イイこと言った。そのとおりだ。君たちはリリア様陣営として、もうとっくに、しっかりガッツリたっぷりねっちょり巻き込まれてる」
「最後のねっちょりって何なんだよ……」
「何だ何だ、獣人族は随分細かいな? ミナくんともうそういう『ねっちょり』な関係だとばかり思っていたが」
「べ、ベッ……あ、え? あの、ちょ、なななな何言ってるんですかベルナデッタ先輩!」
「ふぅむ、その様子じゃミナくんとリュッケンはまだまだだな。まったく……さっさとこう、ガツガツ行きたまえよ。ボクと旦那様のように」
「ベイン、ケダモノ」
「マジかぁベイン、やっぱなぁ、新婚だもんなぁ?」
流れ弾を食らうベインも、アルムとリュウからのツッコミも、もはやGクラス日常の風景だ。
「さぁて、リュウのせいで脱線しかけたが本線に戻すぞ? 作戦名『落日』は、ぶっちゃけた話王様を玉座から引きずり下ろし、このランドルト王国を解体するための大作戦だ。あぁリュッケンもアルムも、それに旦那様も外にいる奴らについてはもう気にしないで良い。こうしてボクが説明をしに来ているということは、リリア様もシュターガー総司令官もご存知だ」
「あぁもう、やだ……怖いよぉ……どうしよリュッケン……」
「大丈夫だミナ、何があっても俺が守るから」
「はいはい、イチャつくなら旧校舎の2階西側の空き教室にしたまえ。あそこは生徒も教師もこないからね。校内でイチャつくなら最適な場所だ」
「ベル先輩、その場所、詳しく」
「良いだろう、アルム君とミナ君には場所をあとで教えよう。だが今は我慢したまえ。大事な話の最中だ」
散々自分から脱線させて置いて、まるで『しょうがないなぁ脱線好きな後輩たちだ』とでも言わんばかりにやれやれ、と呟いて教壇から飛び降りる。
ひょい、と降りる際にやたら短いスカートが捲れあがることにもまったく頓着しないあたりは、実にベルナデッタである。
「良いかね諸君。この落日という言葉が指しているのが、我らが王国の偉大なる父にしてランドルトの太陽であらせられるベネディクト4世陛下であることは言うまでもないだろう。要は、太陽が落ちる。ベネディクト4世陛下の、場合によってはお命を頂戴仕る、なんてこともあるかもしれない。要は政変、クーデターだ」
「じゃあ、俺等がバチバチに王宮で暴れて——的な? 何かそんな感じのただただ俺が楽しいだけのイベントっすか?」
「まぁリュウはそうしたいかもしれないが、実際はちょっと違う。今日ここに至るまでに、リリア様にシュターガー総司令官、それに父上や四辺境伯家は裏でかなり動いている。さてリュッケン、去年の軍学の授業で話したが、戦争とは何かな?」
え、俺? と戸惑いながらも、リュッケンはゆっくりと立ち上がる。
何かを必死に思い出そうとしばらくうんうん唸っていたが、唐突にぽん、と手をうった。
「アレだ、えっと、2つ以上の国で、外交上の課題を解決する手段として武力を選んだ状態、だっけ?」
「素晴らしい! リュッケン、君はもう今年の軍学の単位認定オッケーだ」
「マジっすか! やった! やりぃ! じゃあ俺軍学の授業サボり放題?」
「あぁ、存分にサボりたまえ。ミナくんも単位認定を受けたら二人揃って校内で講義サボってイチャつける。じゃあ次、ミナくんに問題だ。クーデターとは何かな?」
「え、えっ? えっ? あの、これって正解したら……」
「もちろん単位認定しよう。さぁ、彼氏と校内でイチャイチャにちゃにちゃ出来るチャンスだぞ?」
ミナは顔を真赤にしながらも、必死に考え込み、さらに机の中から置きっぱなしにしている軍学や政治学の教科書をめくり始める。
「え、えーっと……クーデターとは、国内において政権または王権交代のために起こす武力蜂起のことである……です?」
「うん、まぁ良いだろう。ギリ正解。はいミナくんも軍学の単位認定だ。ただし、イチャつきに行くのは次回からにしたまえ。今日はボクの話を聞いてくれたまえよ?」
あまりの気前の良さに、アルムが訝しげな顔をリュウに近づける。
「ベル先輩の気前の良さが異常」
「だよな……なんかすっげぇヤな予感する」
「さすがリュウ。私も」
「お、なんかそういうの良いよな。なんか一心同体ってやつ?」
「私はリュウのヨメだから」
「はいはい、君たちは教室でも堂々とイチャつくな、まったく。けしからんぞ、もっとやれ。さて、それではリュウ。戦争やクーデターといった武力を使う事態において、もっとも警戒すべきことは何かな? 相手勢力に敗北すること以外で、何を警戒しなければならないか」
「え? それも正解したらひょっとして?」
「もちろん、単位出そうじゃないか」
よっしゃ、と呟いてリュウは立ち上がる。
古流兵法、武之内流では古代中国の兵法も学ぶ内容に含まれている。リュウも軍学においてはGクラスながら2年生で第3席の成績を修めているが、これは孫子の兵法に六韜三略などかじった経験によるものだ。
「多分っすけど、戦争の場合だったら第三国の軍事介入。クーデターなら外国勢力による介入、とか?」
「素晴らしい! リュウ、君も見た目によらず実は出来るな?」
「何だろ、今すっげぇバカにされた気分……」
「安心したまえ、バカにしてはいない。次。アルムくん。クーデターの際の外国勢力の介入を抑えるために、どんな準備をする?」
「とりあえず皆殺し」
「……じゃなくてだな」
アルムは大真面目な顔で、とんでもなく物騒な答えを言いきった。さすがにベルナデッタもこの回答で単位を認定するわけには行かなかった。
「まぁそれも選択肢の一つだが、最後に取るべきものだ。じゃあ質問を変えよう。外国勢力がクーデターに介入するとしたら、どんな大義名分を掲げてくると思う?」
「んっと……ダンナに頼るのは、あり?」
「有りだ」
「お願いリュウ、助けて。ベル先輩がイジメる。私はベル先輩じゃなくてリュウにイジメられたい」
「よしよし大丈夫。えーっと、アレだ。『そのクーデターには大義名分が無い』って感じの言いがかり?」
ふむ、と小さく呟いてベルナデッタは頷く。
「まぁ、ギリギリオッケーとしよう。アルムも今後、軍学の時間は存分にリュウとイチャつきたまえ。それからダンナさまはもうすでにボクの独断と偏見で首席で単位を認定することが確定しているわけだけれど、旦那様に質問だ」
「はいはいなんでしょうか」
すっかりベルナデッタのあしらい方に慣れてきたベインは、諦めたような顔でゆっくりと立ち上がる。
「クーデターを起こすに当たって、起こす側が最低限やるべき準備を挙げるとしたら何があるかな? 3つ挙げてくれたまえ。3つともに正解を出したら、今夜たっぷりとボクの夜の奉仕を捧げようじゃないか」
「いつものアレですね……まず1つ目、リュウ達の答えと重複しますけど、正統性の確保ですね。現王権を打倒して然るべきである、という理由が必要です。2つ目には、周辺国への事前予告。これは難しいですが、成功すれば少なくとも軍事介入を避けられると同時に、兵站兵力面での協力を取り付けられます。まぁ兵站や兵力面での協力を要請したら、クーデター成功後の政権の足かせになるでしょうから、出来れば『不介入不干渉』の確約を取り付けること。そして3つ目が、クーデター成功後の政府、統治機構の準備……ですね」
「嗚呼……やっぱりボクの旦那様は最高だ……うふふふふ、タマらない……さぁ今夜もたっぷり奉仕させてくれたまえよ? ボクを後ろ手に縛って、とびきり恥ずかしい格好をさせて、卑猥な言葉でおねだりをさせて——」
「な、何を人聞きの悪いこと言ってるんですか! 全部ベルさんが勝手にやってることじゃないですか!」
慌ててベルナデッタの言葉を遮るベインをジト目で睨みつけるアルムは、そそくさとリュウの腕にすがりつく。ついでとばかりに、ミナもリュッケンの服の裾をくいくいと引っ張り、後ろに隠れるように立ち位置を変える。
「ベイン、やらしぃよぉ……」
「このケダモノ」
「さすが新婚、もうそんなプレイまで」
「ンだよオイ、真面目な顔してヤることヤッてんじゃねぇか」
と、誤解ととばっちりも甚だしい言葉を投げつけられるのも、ベインにとっては日常茶飯時である。
「さて、冗談はさておいてだ。クーデター成功には今ボクの愛しい愛しい旦那様が挙げたような条件が必要になる。あと最後の引き金として必要なものは何か。それは——」
ベルナデッタは黒板に赤いチョークを使ってかかかか、と勢いよく文字を書き込んでいく。
かぁん、と勢いよく叩きつけた拍子に、赤いチョークはほぼ粉々に砕け散る。
「現王権が『やらかす』というきっかけだ。そしてとびきりのやらかしがあったのが昨日だ」
「え、何すか、誰が何やらかしたんすか」
リュウの質問に、とびきりあくどい、それでいて嬉しそうな歪んだ笑顔を浮かべたベルナデッタが恍惚とした表情のまま、黒板に赤い字を指さした。
「我らが王国を導く暁の星、レオポルト殿下が、誰の承認も許可も得ず、神聖サミッツ皇国に宣戦を布告した。さぁ忙しくなるぞ諸君。ボク達は、このバカげた戦争を止めなければならない。そして現王権に国を導く資格なし、ということをメディコ大陸全域に知らしめるんだ」
黒板に凄まじい筆圧で書き込まれた真っ赤な字。
それは、メディコ大陸の標準語で「千載一遇」を意味する言葉であった。




