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92 風雲急を告げる

「やぁやぁお久し振りですなヴィンガーダルム卿! ご壮健そうで何より! 前にお目にかかったのはいつ頃になりますかな?」

 

 この上なく賑やかでウザい声が、石造りの堅牢な邸宅の壁と天井に反響する。

 慣れない使用人は目を丸く見開いて声の主へと視線を向けた。

 その先にいたのは、杖を付いたエルフ族の男、参謀本部筆頭軍師アーノルド・ヘルセネン子爵である。

 

「突然の申し出にもかかわらず応じて頂き感謝します。いやぁしかし王都からこの南の辺境伯領は遠いですな。その分カホウ連合王国から近くて利便性も高い、交通の要衝をおさえた築城は流石です、辺境伯閣下」

 

 不機嫌そうな顔のヨシュア・ヴィンガーダルムはいかにも『良いからとっとと用件を話せ』と言わんばかりの表情で、アーノルドを見下ろした。

 

「あ、あの、自分は参謀本部軍師補佐官のアンナ・オスペダーレ少尉です。今日はシュターガー・ランドルト総司令官閣下からの書簡をお持ちしました」

 

 ピクリ、と大男の片眉が上がる。さも『ほう、拝見しようか』と言いたげな顔で、大きな手を差し出す。

 その手はタコの上に豆が出来て潰れた層が幾重にも重なった、異形とも言える武人の手である。

 天才の名を恣(ほしいまま)にする現序列四位の剣聖セシリア・カンフルと異なり、序列一位の剣聖であるヨシュアは、努力の人である。

 

 天賦の剣の才に恵まれた者が、日々血の滲む努力を血反吐をはくまで続け、その長い人生を行住坐臥(ぎょうじゅうざが)すべて剣に注ぎ込んだらどうなるのか、その結晶こそが剣聖ヨシュアである。

 その剣の技は『もはや剣も不要』といわれる無刀の境地に至っており、丸腰の状態で剣術のグランドマスターを屈服させることが出来るほどに極められている。

 そこまで極め尽くしておいてなお、ヨシュアは日々の鍛錬を欠かさない。男女別に全人類で最強ランキングを付けるとしたら、女性の武の部門においては文句なしに槍聖アニエス・カンフル。そして男性の武の部門は『真の剣聖』ヨシュア・ヴィンガーダルムであると言われている。

 ランドルト王国が小国であり、かつ周辺に友好国がない状態である程度平穏を保っていられるのは、ひとえにこの南北の『最強の矛』があってのことだ。

 

「辺境伯閣下も御存知の通り、シュターガー総司令官閣下に、アルトリリア准将閣下は国を憂えての行動を起こそうとしておられます。……が、レオポルト王太子殿下は別に行動を起こすおつもりらしく、神聖サミッツ皇国のアンナマリア教皇聖下に対し、このような書簡を送ろうとしておられました」

 

 アンナが差し出したのは、つい先日レオポルトが教皇アンナマリアに出そうとした書簡である。

 王家の印が押され、しっかりとレオポルトの直筆のサインが記されている。

 そこには、はっきりとこう書き記されていた。

 

『強欲にして愚昧な父王を廃し、私が王位に就く』

 

 書簡を手に取ったヨシュアは、鋭い視線をアーノルドに向ける。

 

「えぇえぇ、わかりますよ辺境伯。『お前が言うな』ですよね? まったくもって同感ですとも。その景気づけにエントラッセンに戦争を仕掛けるなど、バカげているとしか言えません」

「さいですなぁ。いやはや、レオポルト・ランドルト王太子殿下はエラい剣呑なお方やて聞いてましたけど、こらただ事ではあらしまへんな?」

 

 突然、ヴィンガーダルム辺境伯家の客室のドアが開く。

 中から出てきた初老の男の口からは、やたらと訛りの強い言葉が放たれる。

 メディコ大陸南部の、商人たちが話す独特の訛りで、カホウ連合王国南部の者に使われるものだった。

 

「突然すんまへん、ワシはカホウ連合王国、ジョウザン国のウォンと申します。カホウ連合と、こちらのヴィンガーダルム閣下の領内で商人(あきんど)やらせてもろてます。本来は機密なんやろて思いましたけどな? ドアの向こうで盗み聞きいうんも無礼やて思いまして、こうして姿ァ出した次第ですわ」

「ほう! ジョウザン国の商人の方でしたか! これはこれは思いがけないことで。ランドルト王国軍参謀本部、筆頭軍師のアーノルド・ヘルセネンです。こちらは副官のアンナ・オスペダーレ君。聞き及んでいますよ、ジョウザン国は良質の木材に、それにヒスイやクリスタルの産地であるとか。それに風光明媚な『サンスイの景色』が広がると聞きます。いやぁ、死ぬまでに一度訪れたいものですなぁ」

「ほうほう、これはさすが、ランドルト王国の軍を縦横自在に操る天才軍師と名高いヘルセネン子爵、博識でいらっしゃいますなぁ。どうぞどうぞ、カホウ連合王国に起こしの際は是非ウォン商会へお声がけを。精一杯、おもてなしさせてもらいますよって」

「いやぁありがたい、ぜひぜひ、お願いしましょう! さて、ここでこうしてお話する機会を得たのもなにかの縁でしょう。どうでしょうヴィンガーダルム卿、我が国の恥部とも言えるようなことをお話せねばなりませんが、ここはウォン殿にもお知恵を拝借しては」

 

 ヨシュアはほんの少しだけ眉間のシワを深くして、数秒考え込む。

 ここまでの話を聞かれてしまったとあっては、情報を秘匿したければこの商人を斬らねばならない。が、それはヨシュアがこれまで苦労して築き上げたカホウ連合王国との信頼関係を大きく損なう行動だ。

 むしろ、話の内容が内容なだけに、中途半端なところで終わらせるよりは、話を聞かせて完全に関わらせてしまった方が良い。

 

「…………」

 

 じろ、とアーノルドを睨みつけてから、ヨシュアは渋々ながら、だがしっかりと頷いた。

 

「ほな閣下、どないです? せっかく会議室をお借りしとるんやし、こちらでお二方もご一緒に、いうんは?」

「おぉそれは是非! あぁそうそう、ヴィンガーダルム卿、私はコーヒーは甘いものを是非。アンナ君は砂糖はいらないそうです」

 

 ちら、と辺境伯が視線を向けた先に立っていたメイドは、呆れたような苦笑を浮かべ、一礼してキッチンへと向かっていった。

 

 会議室は重厚な木製の椅子と、大木を縦に切断した巨大な一枚板のテーブルが中央に据え付けられている。

 この大木は、剣聖ヨシュアが手刀で斬り倒した、樹齢2千年の大木であると言われている。

 何も断りもなくアーノルドはヨシュアの隣に、アンナはその向かい側、商人のウォンという男の隣に腰掛けた。

 

「それでヘルセネン閣下、えらい物騒な話してはりましたけどな? 総司令官閣下に准将閣下が、国を憂えての行動いうんは……世間一般で言うクーデターと違いますの?」

「世間一般でいうそれで間違いありません。両閣下は、恐れ多くも我らがランドルト王国の太陽にして国民の父、ベネディクト4世陛下に対し奉り、反旗を翻そうと考えております。紛うかた無きクーデタです」


 ウォンは珍しく、『しまった』と言わんばかりの表情を浮かべてしまった。

 熟練の商人であり、タフな商談を数百回もこなしてきたウォンは、大抵のことには驚かない。『クーデター』という言葉も、ある意味では会話のつ(・)か(・)み(・)として、ちょっとふっかけたつもりの言葉である。

 それがまさか本当であるとは、おまけにその言葉を事実上の参謀本部長である筆頭軍師、アーノルド・ヘルセネンの口から語られてしまうとは思っていなかった。

 

「ウォン殿もおそらくご存知でしょう、我が国の実情を」

「え、えぇまぁ……まぁ多少ですけども」

「ちなみにいかがですかな? カホウ連合王国では我がランドルト王国はどのように言われておりますかな?」


 ふぅむ、と少しばかり口を閉ざしてウォンは考え込む。

 率直なところ、カホウ連合王国の中でも特にジョウザン国におけるランドルト王国の評判は極めて悪い。

 ベネディクト4世は『強欲王』『欲望の権化』『簒奪者』『裏切り者』と、好意など針の先ほども含まれていないような評判である。

 商業国家であるカホウ連合王国にとって、ランドルト王国は交易相手として非常に『嫌』な相手と言わざるを得ない。

 やたらと高い関税を課せられる上、王家への上納金、つまりは袖の下も相当な金額を差し出さなければ商売の許可が打ち切られてしまう。

 理不尽な賄賂を要求されることも日常茶飯時、王都にいる中央貴族の強欲さはランドルト王ベネディクト4世の生き写しとも言われている。

 

 例外的に辺境伯家、特にカホウ連合王国と国教を接するヴィンガーダルム辺境伯は、寡黙で何を考えているかわからない謎の男と呼ばれている。が、付き合いを深めてみると実に裏表のない性格で、賄賂を厳に禁ずるなど誠実な統治者であることがよく分かる。

 商人としては付き合いが難しいかとも思われたが、正直な商売さえしていればある程度の自由も認められるため、特にジョウザン国からヴィンガーダルム辺境伯領に支店を出す商会は多い。ジョウザン国にとっては、貴重な外貨獲得のための『お得意様』だ。

 

「まぁ、軍師様のお察しの通り、て言うておきましょ。ワシの口からはとてもとても恐れ多うてかないませんわ」

「まぁまぁそう仰らずに。こちらも率直に胸襟を開いているのですから、ぜひともウォン殿も率直なところをお聞かせ願いたいものですな」

 

 ほんの一瞬の間で、ウォンは思索を巡らせた。

 この眼鏡をかけた杖の男、アーノルド・ヘルセネンという天才の名はカホウ連合王国でも知られている。

 そんな男に誘いをかけてしまったのは迂闊であったか。よく喋る鸚鵡(オウム)と思って手を差し出したら、実は森の賢者と呼ばれる猛禽、フクロウであった。

 愛嬌すらある外見に隠された鋭い爪は、ウォンの指に深く食い込んでしまっている。

 ここで下手に尻込みをしたり手をひこうとしたら、かえって危険だ。ここは思い切って、フクロウの巣へ飛び込んで行くしか無い。

 

「左様ですなぁ、まぁ……えらい欲深な王様やて聞いてます。カホウ連合王国の店も何軒も潰されたとか」

「そう、そのとおり。我が国の商業は残念ながら未発達。国際的な商会はなく、事実上カホウ連合とエントラッセンの大規模商会の支店があればこそ、最新の魔道具や魔導書が手に入るというもの。国外からの物流に関して、貴国の商会に頼り切っている状態なのです。いやはや、お恥ずかしい限りです。そうではありませんか、ヴィンガーダルム卿?」

 

 ヨシュアはやや不機嫌そうな顔ながらも、しっかりと頷いた。

 すべて事実だ。

 現状のランドルト王国は、王国北部に偏在する穀倉地帯から国全体に食糧を行き渡らせるための物流を、ほぼ他国の資本に頼り切ってしまっている。

 荒れ地が多いヴィンガーダルム辺境伯家の民が飢えずに住むのは、王国北部から運ばれる麦やカホウ連合から輸入している食材のおかげだ。

 

「つきましては貴国にも、カホウ連合王国も我(・)々(・)と(・)これまでと変わらぬお付き合いを頂きたいものですな」

「ほう、閣下と、とおっしゃいますと……それはシュターガー大公閣下と、アルトリリア王女殿下と、という意味ですかいな」


 アーノルドはにこ、と口角を上げ、ことさらに大げさに両手を広げて見せる。

 

「いやぁさすが、ジョウザン国の大商会、ウォン商会のウォン・コウボク会長。話が早い」

 

 ぴく、と眉を上げた百戦錬磨の承認、ウォン・コウボクが見上げた天才アーノルド・ヘルセネンのメガネの奥の目は、まったく笑っていない。

 猛禽のような鋭い目で、注意深くウォンを見据えていた。

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